2.突然の手紙 ローレンス編
五歳。十歳。十五歳。
この国の貴族の子どもは、王家から三度祝われる。
この制度が、最愛の人を救った。
◇◆◇◆◇
私が生まれたときの傷が原因で、母はもう子を望めなくなったと聞いたのは、あの子に出会うほんのひと月と少し前のことだった。
私は母に会いに来て、その部屋で父と母が話している内容を聞いてしまったのである。
自分はもう産めないからこそ許せないのだと言った母は、あの子を我が家に受け入れることを強く望んだ。
咄嗟に内から湧いた強烈な罪悪感と、あの子という知らぬ存在が重なって。
今の私にはとても信じられない話で、他の誰も信じやしないだろうけれど。
当時の私は、あの子が我が家に来ませんようにと、強く願った。
それでも父から「妹が出来たら嬉しいか?」と問われたとき。
すでに良き嫡男を演じていた私は、嫌だなんて我がままを口にすることは出来ず。
笑顔で「はい」と答えた私に、両親は何の疑問も持たなかったようだ。
それはきっと、あの子のことで頭がいっぱいだったから。
可哀想なあの子。
私たちで大切に愛し育てましょうね。
母は私に言い聞かせたが、あの子とはすぐに会えなかった。
願い叶わず家に迎えたあの子は、ひと月も部屋に閉じ込められて、私はその部屋に近付くことも禁じられたからだ。
その間も私は相変わらずで、あの子からこの家を出たいと言ってくれますようにと願った。
両親すら、当時の私がそうだったと言っても、いつまでもこれを信じない。
私だって過去の自分が信じられないからな。
そして迎えたあの日。
あの日のことは、今でもありありと思い出せる。
その部屋には独特の香りが漂っていた。
それがただの薬湯の香りだったことを今では私も知っているが、六歳の子どもには日常との違いは大きくて恐ろしくて。
異界に迷い込んだような、頼りない気持ちが満ちた私は、母を探した。
ベッドの脇に置かれた椅子に座り、私に気付き手招きする母を見て、やっと安心出来た私は、母に近付きまたすぐに不安を覚えて、母の顔を見上げた。
「ローレンス、この子があなたの妹ですよ。かわいいでしょう?」
当時まだキーラの籍は生家にあって、養女となる予定も立っていなかったはずだが、母は確かにそう言った。
両親にはすでに先が予測出来ていたのかもしれない。
返事も出来ず、私は小さな生き物に視線を戻した。
ひと月抱えてきた嫌な感情は不思議と鳴りを潜めて、私の心は「これが女の子なんだ」という驚きに満ちていた。
あのとき私から見たキーラは、性別も何もない「小さな丸い何か」だったのだ。
分厚い毛布から顔だけが出ていた。
小指の先より短かった髪は、金色のせいで肌と同化して、何も生えていないようだったし。
顔は酷く痩せこけて、とても子どもらしくないしわしわの肌に、アメジストの塊が二つごろんと置かれているようだったから。
想像してきた妹がそこになく、私は酷く混乱して、また母を見上げた。
「この子はまだ少ししか自分ではお話は出来ないの。でもよく人の話を聞けるいい子だから、すぐにお喋りをするようになるわ。あなたも沢山話し掛けてあげてね、ローレンス」
そこで肩に温かい重みを感じた。
いつの間にか後ろに立っていた父が、私の両肩に手を乗せたのだ。
「ほら、ローレンス。妹に挨拶なさい」
「ウェーバー侯爵家嫡男、ローレンスです」
当時の私は挨拶をこれしか知らなかったのだ。
「ふふ。正しい挨拶が出来て偉いわよ、ローレンス。だけどこの子の前では、ただのお兄さまでいてくれるかしら?」
「ただのお兄さま……それでは……私はあなたの兄です。よろしく、妹……?」
正解が分からない私が、疑問を抱えながら不自然な挨拶を告げると。
「ぁあた、ぁにぃ?」
とても小さな声がして、どんと胸を突かれたような衝撃が全身に走った。
「まぁ!凄いわ、ローレンス!キーラはあなたを気に入ったみたい。キーラ、この子がね、話していたあなたのお兄さまよ。お、に、い、さ、ま。分かるかしら?」
母はとても喜んでいたが、そこからの私はキーラしか見えなくなった。
「ぉにぃ……?」
「長くて呼びにくいよね。にぃでいい。にぃと呼んで。にぃ、だよ」
母がキーラにまた凄いと褒めるよりも先にと、私は焦るように伝えた。
隣で母がバシバシと力強く父の腕を叩いていたそうだが、それは後から聞いた話で、このときの私は見ていない。
「にぃ」
「うん、にぃだ。よろしくね、キーラ」
はじまりの『にぃ』が『おにいたま』になって、『おにいさま』に変わるまでは、あっという間の日々だった。
それからいくつもの季節が流れ、私の想いばかり変わっていったけれど、キーラと会う前のひと月に持っていた悪しき感情は、一度も蘇ることなく消えてしまった。
しかし私の中で悪しき感情が撲滅したわけではない。
あれほど美しく素晴らしい時間を過ごしてきても、私にはずっと許せない対象がある。
父たちも同じ想いで、大分手を尽くしたようだが。
私が当主になった暁には、完全にこの世から消し去ってやろうと考えていたところに。
わざわざ向こうから接触してくるなんて。
これがとてもいい機会だというのは、両親と一致した意見だ。
二人の笑顔を見たとき、私はこの人たちの息子であることを強く感じてしまった。
けれどその後の意見は割れて、私はすぐに本当に二人は私の親なのかと疑った。
そして私の意見は通らなかったのだ。
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