第6話
俺は転移者、新田物朗。転移者である。
あっちの世界からこっちの世界へやってきて、誰からも目立つことのないよう慎重に生活している。
だが、この春から始まった高校生活は、あまり上手く行っていなかった。
クラス内にもようやく会話する相手ができたが、それはエキセントリックな幼馴染みの存在を思い出したからでしかなく、相変わらずの陰キャ生活は変わらない。
友達の作り方がわからない。
積極的に誰かに話し掛けようとも考えたが、なかなか行動が伴わない。手当たり次第に声を掛けるのは、友達を欲しがっているのを見透かれそうで気が引ける。
なんたって俺は、陰キャ眼鏡野郎なのだ。面倒臭く考え過ぎる嫌いがある。
その日——そろそろ下校しようと、教室の扉に向かっていたところ、目の前にクラスの女子が立ちはだかった。
「ちょっと」
「はい?」
かろうじて返事することは成し遂げたが、俺の声は裏返った。
俺のコミュニケーション能力が壊滅的に低いから——というわけではない。決して高くもないが、そういうことではないのだ。
怖かったのだ。その女子のことが。
声を掛けてきたのは、俺の後ろの席でこの数日間ずっと苛ついて机を鳴らしたり、睨みつけたりしている生徒だった。
何がそこまで彼女の機嫌を悪くさせているのか、理由がわからない。
まだ、一度も言葉を交わしたことがなければ、名前も知らない。上の名前も下の名前も知らない。
しかし確実に、確信を持って言えることは、彼女の怒りが俺にのみ向いているということだ。
一度——俺にしては相当頑張って——授業中にたまらなくなって後ろを向いたことがある。
その時の彼女の様子が忘れられない。鋭い眼光で俺を睨みつけていただけならまだしも、小声でこう繰り返していたのだ。
『殺す殺す殺す殺す殺す……』
——今、思い出してもぞっとする。たぶん人生でここまで誰かに嫌われたことはなかったと思う。
しかも、話したこともない、まったく知らない相手からだ。
そんな鬼女子が、腕を組んで立ち塞がり、俺の逃げ道を完全に封じ込めた。
そして鬼女子は、拒否権を与える気など微塵もないという態度で、告げた。
「ちょっと私について来い」
☆★☆★☆
ああ、殺されるな、と。殺すって言ってたもんな、と。
間抜けにも俺は、自らの断頭台へと向かう囚人のように、鬼女子の背中を見つめながら廊下を進んでいる。半ば強制的に。
俺は何を間違えてしまったんだろうか。
前の世界で一度消えて、今度は鬼の手にかかって二度消えるのか。三度目の命なんて——もう授かれないだろうな。
惜しむらくは、俺の心の支柱とも言えるお笑いコンビ、千年ウォークの今晩のラジオを聴けずに逝くことが心残りだ。
転移した世界でも千年ウォークが存在していて、変わらぬ珠玉のトークを聞かせてくれることを幸せにさえ感じていた。
ただ、前の国民的人気だった千年ウォークと違って、こっちの千年ウォークは全然売れていない。全国ネットの深夜放送は、コミュニティFMのローカル番組にスケールダウンした。
動画配信サイトで、たまに生配信をしているけれど、ほとんど誰も見ていない。だからこそ、俺が支えてやらないとって思っていた。
そんな思いももう、この命とともに虚空へと消えていくのかと思えば悲しくなる。
もう、なんなんなんなん!
俺は、千年ウォーク・ひらっちの伝説的ギャグを脳内で再現した。
最初の「なんなん」で右を向き、手のひらを向かい合わせて上下に振る。そして左を向き、残りの「なんなん」に合わせて同じ動作を切り返す。
前の世界では、お子様からお年寄りまで誰もが知っている、まさに国民的ギャグだった。
——そんなことを考えている間も、鬼女子は表情を変えることなく歩を進めていく。窓から中庭が見える。このまま校舎の外へ連れ出されるのだろうか。
しかし、さっきから鬼女子の表情は、一切の変化を見せない。ずっと眉間に皺を寄せたまま、獲物を狙う猛禽のような眼光を放っている。
よくよく考えてみれば——
不意に女子に校舎の外へと連れ出され、春の予感に胸が高鳴ってもおかしくない、そんな場面のはずだ。
普通の状況であれば。
「前から新田くんのことが好きでした。付き合ってください」
とか。いや、我ながら妄想の暴走にも限度ってものがあるだろうと思う。
だけど俺だって、桜の季節を迎えたばかりの高校一年生だ。そのぐらい淡い夢を見たっていいじゃないか。
どうせこの後、殺されるんだから。
——やがて校舎を出た鬼女子は、巨大な、名も知らぬ大木の下で動きを止め、羅刹のような表情で俺を見下したまま、告げた。
「私と付き合え」
「いや、そうはならねえだろ!」