第41話
「オロロン、オロローン! 悲報でござる。大悲報でござるよ」
——本日のオルタナティ部部室。別名、〔管理者の遊び場〕に比延さんの奇天烈な泣き声が響いた。
背もたれの付いた橙色のプラスチックチェアに深く腰掛けていた俺は、やれやれてなもんで、座り直して比延さんの話を聞く態勢に入る。
「何が悲報なんだよ、比延さん」
「ぐふう。新田氏、聞いてくだされぇ」
癖の強い喋り方は、さらに磨きがかかったらしい。なんだよ、新田氏って。
「お昼のお弁当に、あちきの天敵、獅子唐が入っていたでござる! オロローン!」
「しょうもねえ!」
本当にしょうもねえ。
「比延さん、獅子唐嫌いなの?」
文庫本を捲っていた手を止め、るるが会話に割り込んでくる。
「苦手でござる。申し訳ないけど好きにはなれないでござるよ。苦いのに辛いだなんて、受け入れがたいでござる」
「獅子唐はそんなに苦くも辛くもないよ。確かに『当たり』を引くと辛いけど」
獅子唐の中でも特に辛いものを『当たり』と呼ぶことがある。見た目で判別できるという説もあるが、先端の形やシワの数とか、結局はどれも確実ではないんだよな。
「ぐはっ。『当たり』? あれは『はずれ』でござろう。幼少期にトラウマを負って以来、あちきにはNG食材なんでござる」
「別に、食べないで残せば済む話じゃねえか」
「新田氏は何もわかっていないのでござる。あちきの獅子唐嫌いは家族間では常識。それなのにママがお弁当に入れるなんて、異常事態なんでござるよ!」
言われてみれば、比延さんの言い分には一理あるように思える。娘がオロロン泣くほど嫌がる食材を、知っててわざわざ使うだろうか。
「ママはやっぱり本当のママじゃないんだわ……。これって代替えの世界で、代替えの親と暮らしているってことよね……」
「怖いこと言うなよ……」
闇モードに入って口調の変わった比延さんの言葉に、俺はぞっとした。
大人の転移者は珍しい。つまり俺たちの親は、ほとんどが転移の記憶がない者か、もしくは……。
もしくは、何なのだろうか。
転移者ではない者って、何だ?
「るる、お前の両親に何か変わったところはないか?」
「うーん。毎晩ビデオ通話で話してるけど、特に変わったところはないよ。でも、転移後まだ一度も直接会ってないんだ。私も怖くなってきたよ……」
他に聞ける人は、と辺りを見回す。窓際の壁に寄りかかって話し込んでいる市島部長と八木先輩に目が行ったが、やっぱり声をかけるのはやめた。
部長ならば不安を解消してくれるような、あるいは気休めになるようなことを言ってくれるかもしれない。でももし、そうでなかったら——
偽物の親。偽物の家族。
だけど本物か偽物かなんて、誰が決めるんだ? そもそもこの世界においてイレギュラーな存在は、二つの世界の記憶を持った俺たち転移者なんじゃないか?
「物朗きゅ……くん。大丈夫か? 思い詰めた顔をしてるぞ」
「るる、お前今、嚙んだだろ」
「嚙んでない」「嚙んだ」「だからどうした」と、るるは顔の前で手をばたばたさせて必死に言い訳を続けた。なぜか顔を真っ赤にして。
そこまで恥ずかしがるようなミスか? 嚙んだだけだろ。
なおもわーわー言って取り乱している幼馴染みのるるを見ていると、なんだかどうでもよくなった。
「とにかく比延さんも、考えたってどうしようもないことだろ。お母さんもついうっかりして、他の家族の弁当と入れ間違えたのかもしれないし」
「……あちきは一人っ子よ」
「ぼーっとしてミスすることぐらいあるだろ。もしお母さんが比延さんの好き嫌いを忘れていたとしても、それだけのことだろ」
「オロロン……」
比延さんのモードが元に戻った。
それだけのこと。それは乱暴な言い方だったかもしれない。俺は比延さんに対して、ついついきつい言い方をしてしまう悪い癖がある。
「言い過ぎたかも。ごめん」
「ぐふぅ。いいんでござるよ、新田氏。確かに獅子唐だけで決めつけるのは、よくないことでござった。最近、七海と礼斗のことで頭を悩ませていて、ついつい弱気になってしまったでござる」
「蒲江さんと柏尾くんに何かあったのか?」
うちのクラスの中心的存在、蒲江七海さんと柏尾礼斗くんは、誰もが認める絵に描いたような美男美女カップルだ。校内で「幼馴染みトリオ」といえば蒲江さんと柏尾くん、そして比延さんのことで、決して俺とひととるるのような、目立たない三人組のことではない。
「ここだけの話でござるが、あの二人、別れちゃったんでござる」
「そっちの方がよっぽど大悲報でござろうが!」
驚愕のあまり比延さんの口調がうつってしまった。
え? クラスを代表するカップル(と言っても他に付き合っている生徒がいるのかは知らない)で、ムードメーカーでもある彼らが別れた?
そもそも比延さんにとっても、元は推しカップルだったはず。二人が別れてしまったことに悲しんでいるのではないか。
「いや、うーん……。二人が選んだことは尊重してあげたいし……それに喧嘩別れとも違うんでござる。それぞれに思うことはあるのかもしれないでござるが……。これからも二人のフォローはしていきたいな……と」
転移後に突如与えられた幼馴染みのポジションを、比延さんは受け入れ、役割を果たそうと努力していた。彼女にとって、それだけ二人のことが大切な存在になっているのだろう。
「すごいね、比延さんは。誰よりもこの世界に馴染もうとしているな」
るるが言った。俺もそれに同調する。
「ぐほっ。あちきを褒めても勝ち試合にしか出ないでござるよ」
「抑え投手かよ! 絶対的守護神とか呼ばれてるような! 何も出ないじゃないのかよ!」
——と。少々くどいぐらいの、くどい具合のツッコミを入れつつ、平和な部活動は続くのだった。
しかし、オルタナティ部って何のためにあるのだろう。何のために俺は——俺たちはこの管理者の遊び場にいるのだろう。
部活を帰る時間になるまで、るるや比延さん、市島部長や八木先輩と談笑しながら、頭の片隅でずっとそれを考えていた。




