第34話
管理者・Zの名は、市島先輩から聞いた。
世界を管理している者のひとり、我がオルタナティ部の部室の元の主、そして、部長である姫姫先輩の姉。
まさか、こんなところで繋がるとは。
「物朗、お前はたくさんの物事を考える性格だが、肝心なところは鈍い。お前は今日の姉の格好を見て何も思わないのか?」
今日の格好と言われても……左足に運動靴、右足にトイレのスリッパを履いていたんだよな。でも、もう家の中だから当然、靴は脱がれた後だ。
あとは黒のTシャツにジーンズ。前面に葉巻を咥えたヒヨコの絵のTシャツ。
「あ、それ俺のTシャツじゃねえか。何勝手に着てんだよ!」
「物朗、木を見て森を見ず、鹿を逐う者は兎を顧みずだよ。もっと観察眼を身につけた方がいい。だいたい姉がお前のことを『物朗』と呼び続けていることに疑問を感じなかったのか?」
それは——感じていた。転移前の世界では、沙綾さんは俺のことをずっと『もの』と呼んでいた。ひとが俺のことをそう呼ぶのは、沙綾さんを真似たからだ。
前の世界の沙綾さんと、今の世界の沙綾さん——二人が同一人物だという確証が持てなかった。
確かめる勇気もなく、深く考えないようにしていた。
「もちろん、気になってたよ。でも沙綾さん、たまに真面目なトーンで『物朗』って呼ぶこともあったから、そういうノリが続いているのかと思ってた」
「お前が転移者なのかどうか、探りを入れていたんだ。まったく、私もものも面倒臭い性格をしているな」
「姉弟だからな」
と、わざと口を尖らせて言ってやった。
沙綾さんはテーブルの上にメタリックピンクのデジタルカメラを置いて、ソファに腰掛けたまま俺の方に向き直った。
「姉は今、管理者の調査をしている」
「調査?」
「もの、これを見てくれ」
沙綾さんに見せられたデジカメのディスプレイには、見覚えのある男の姿が写っている。
「これは……九」
「そうだ。この間の夜、私とものが遭遇した管理者だ」
そして、るるの妹ぴゅあ——最近やっと名前を思い出せた——を誘拐し、今現在みのり園に近づけなくなっている元凶でもある。
市島先輩の言うところの、迷惑系管理者。
「九は滅多に表に姿を現さない。貴重な写真が撮れたよ。他にも、この写真の人物はものも知っているだろう」
紺色のパンツスーツに身を包んだ女性の写真——知っている。匣庭高校の校長、管理者の一人だと聞かされている人物だ。
「喜多垣夜澄——管理者・ヨスミと呼ばれている。年齢不詳、ほとんどのプロフィールが謎に包まれた人物だな。まあ、管理者なんてだいたいそんなもんだ」
喜多垣校長の素性について、俺は何も把握していない。最年少で校長に就いたという噂だけが流れているが、それが何年前のことなのか、今何歳なのか何もわからない。
「沙綾さん、なんで管理者なんて調べてんだよ」
「私がある組織……と言うと大仰だな。ある人たちに依頼されているからだ。管理者との交渉を望んでいる人たちがいる」
「だからって……危険はないのかよ……なんで沙綾さんが……」
俺の記憶する沙綾さんは、ただの一般人だ。特別なキャリアがあるわけでも、何か際立った能力があるわけでもない。
少し変わった優しい性格の姉であって、危険な任務を引き受けるような人物ではない。
「私が転移者で、数少ない大人だからだ。大丈夫だよ、危険はない」
そもそもどうして、大人の転移者は少ないのか。
若者は自我がまた完全に確立していないため、二つの世界線の記憶を融合させやすい。
一方、大人は既に強固なアイデンティティを持っているため、相反する記憶を受け入れることが困難だったのかもしれない。
もっとも、こんなのは憶測にすぎない。
世界の崩壊と転移の真実については、市島先輩からも細かくは知らされていない。
管理者たちですら、すべてを理解しているわけではないのかもしれないし、知っていたとしても明かさない理由があるのかもしれない。
「もの、お前の学校の話が聞きたい。転移者や管理者との関わりの話を」
俺は沙綾さんにオルタナティ部の話をした。市島先輩が部活を立ち上げた経緯や、管理者・Zの妹であること。赤い実の話、旧校舎の管理者の遊び場、そこに並べられた前の世界からの遺物たち。箸荷さんのこと、比延さんのこと。
「前の世界の遺物を部室に置いているって?」
沙綾さんが身を乗り出し、好奇心に満ちた表情で聞き返した。
「うん。将棋の駒とか、モルックのスキットルとか……なんでか知らないけど、転移者以外は近づけないみたいだ」
「なるほど。姉も持っているぞ。前の世界からの遺物。私のクライアントが貸してくれている」
「どんなものを?」
俺が尋ねると、沙綾さんはテーブルの上に置いてあった年代物のデジタルカメラを拾い上げ、宝物を扱うかのように優しく手のひらで包み込んだ。
「このカメラを持っていると、どういうわけか管理者に気づかれないんだ」




