第3話
「それで、なんでそのスキットルが人避けに?」
疑問を口にしつつ、俺は頭の中で、転移者と12という数字の関係性を探った。しかし、まるで見当もつかない。俺たち転移者にだけ見える暗号のようなものなのだろうか。
「そのスキットルは、前の世界から持ってきたものなんだ。本来、ここには存在していないものなんだよ。そういうのが結界になるの。理由? 知らない。以上」
市島先輩は唐突に説明を終えると、「それ以上は聞いてくれるな」とでも言いたげな表情を浮かべた。その投げやりな物言いと自己完結っぷりに、俺は言葉を失った。
しかしそれでも、どうしても明らかにしておきたい核心が残っている。その一点だけは確認しておく必要があった。
「前の世界から!? だって前の世界はもう、崩壊してなくなってしまったんじゃないんですか?」
「そうだよ。だから、これは前の世界があった頃に、こっちに持ってきたスキットル」
世界の崩壊以前から、このスキットルはこちらの世界に存在していた?——その事実が示唆する意味の重さに、俺は目眩を覚えた。市島先輩は世界の境界を、まるで二つの部屋を行き来するかのように、自由に越えていたというのか。
何者だよ。市島姫姫先輩。
「まあまあ、難しい話は、また別の機会にゆっくりと話し合えばいいじゃない。それより新田くん、私たちに用があってここに来たんじゃないの?」
市島先輩の宇宙規模の謎が渦巻く中、八木先輩が軽やかに話題を遮る。確かに俺にも相談事はあったが、世界の境界を越える話に比べれば、クラス内での居心地の悪さなど、ちっぽけな問題に過ぎない気がした。
「いやまあ。周りに転移者っぽいのを見掛けたら、報告しろって言われてるじゃないですか」
「見掛けたの?」
質問に食いつくように身を乗り出した市島先輩を、日吉先輩が軽々と制止した。首根っこを掴まれ宙に浮いた市島先輩は、まるで捕まえられた子猫のように、虚しく空中で足踏みを繰り返している。
「にゃあ……」
猫化しちゃったよ。この先輩。
「新田が話しづらいだろ。お前はおとなしくしてろ」
「なんだよなんだよ!」
むくれ顔でおとなしくなった市島先輩を尻目に、俺は胸の内にあった違和感について告白した。
「そもそも顔見知りを一人も見掛けないんです。クラスにもいないし、学校をうろついてみても見当たらない。他の誰が転移者かなんて、まったくわからないですよ」
「新田くん、どこの中学出身なの?」
八木先輩の問いかけに、どちらの世界の話をすればいいのか、一瞬混乱が襲う。だが母校の名前は一つしか思い浮かばなかった。
「黒鷺中です。新入生に黒鷺出身が俺一人ってことは、無いはずなんですが……」
「わかったよ、新田くん」
拗ねて子猫のようにおとなしくしていた市島先輩が、スイッチが入ったかのように表情を一変させ、溜めていた言葉を一気に放出し始めた。
「君の顔見知りが居ないんじゃない。君の記憶がまだ完全には戻っていないんだよ。だから、自分の中学の名前は思い出せても、そこに通っていた生徒の記憶は歯抜けなんだ。もしかしたら、クラスにも実は知っている生徒がいるかもしれないよ。親しげに話し掛けてきた子とかいなかった?」
「いえ……俺、中学の時、仲良い友達ゼロだったので」
自慢じゃないが、話したことのある知り合いすら思いつかないほど、パーフェクトな陰キャ人生だ。今、先輩たちと普通に話していることが、例外中の例外の出来事なのだ。
「あはは。それじゃまるで、姫姫ちゃんと同じね」
俺の告白によって部屋に漂った陰鬱な空気を、八木先輩の軽やかな声が一掃する。
「中学時代、ほとんど誰とも会話したことがなかったから、ついたあだ名が『ツインテール地蔵』だったのよ」
「なんだよなんだよ! 後輩の前で、そんなこと言わなくてもいいだろ!」
市島先輩の顔が、まるでりんごのように真っ赤に染まっていく。意外な過去の暴露に、市島先輩の威厳がみるみる崩れ落ちていった。