第29話
るるから『私立フォッカチオ学園』の最新巻を手渡されたものの、まだ事実を受け入れられず、ぼんやりとした足取りで家に帰った。
自室に入り、椅子に座り——手にした単行本をなかなか開く気になれない。想定外の展開に、心がついていかない。
つまり——俺は、ムラヤマ一星先生の過去の遺作を読んでいたつもりが、弟のムラヤマ二星先生の最新作を読んでいた、ということになる。
漫画家は代替えがきかないと、どこかで思っていた。『私立フォッカチオ学園』はムラヤマ二星先生が完璧な形で引き継いだ。
——俺が、作者が途中で入れ替わっていることにまるで気づかなかったほど、その引き継ぎは完璧だった。絵柄も話の展開も、あまりにも自然な連続性を保っていたのだ。
絶対に——絶対、俺と同じように作者が変わったことを意識せず、読み進めている読者が大勢いるに違いない。
だいたい「一星」と「二星」って、一本線が多いだけのペンネームなんとかならなかったのか。いくら実の兄弟とはいえ。もし本名だとしても。
しばらく躊躇していたが、心を決めて十二巻を読み始めると——やはりとても面白かった。
待望の修学旅行、案の定迷子になるカロ美を、必死になって探し回るキック姫——ああもう、キクりん可愛いなあ。元は敵役だったなんて、今では信じられないな。
——いつの間にか外は真っ暗になっていた。物語に没頭するうちに時間が過ぎ去り、一気に読み終えた後も何度も読み返してしまった。この作品は推していきたい。続刊は自分で購入しようと決めた。
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次の日の朝、いつものようにひとやるると学校へ向かう途中、校門近くで柏尾くんと蒲江さんの姿が目に入った。もちろん比延さんも一緒だ。
離れた場所から見ていたが、美男美女カップルはやはり目を引く。その横で肩を並べる比延さんもまた、独特の存在感で三人の絵を引き締めている。奇妙な調和を持つ三人組に見えた。
いや、比べるものでもないが、冴えない俺たちとは違う。中学時代は俺たちも仲良し三人組として揶揄われることもあったが、匣庭高校に入学してからそういうことが起こらないのは、柏尾くんたちの圧倒的な存在感が、注目を一身に集めているからだろう。
何も冷やかされることを望んでいるわけではないので、そういう意味では幸運だったと言える。目立たない高校生活は、それはそれで居心地が良い。
しかし、柏尾くんたちの様子がおかしい。柏尾くんと蒲江さんが、険悪な雰囲気で言い争いをしているように見える。
二人の間で比延さんが右往左往し、手振りを交えながら仲裁しようと必死になっている。
ついに二人は互いに背を向け、蒲江さんが憤然とした表情で一人校内へと消えていった。残された柏尾くんの顔にも、明らかな苛立ちの色が浮かんでいる。
——比延さんと目が合ってしまった。まずいところを見られたと思ったのか、今にも「ぐひい」と言い出しそうな顔をしている。
こちらもなんとなく気まずさを覚えたので、何も言わずに足早に校内へと入っていった。無用に立ち入るべきではない。
——その日の教室は、張り詰めた空気に覆われていた。柏尾くんと蒲江さんという中心的存在の関係性のほんの少しの乱れが、こんなにもクラス全体に波及するものだとは思わなかった。
恋愛のことはよくわからないが、恋人同士なら多少の諍いは避けられないものだろう。きっと近いうちに二人は仲直りして、元の関係に戻るに違いない。そういうものなのだろう。
それよりも気になるのは、比延さんの様子だ。
普段から教室では寡黙な謎めいた雰囲気を演出している彼女だが、今日は明らかにそれ以上の暗さを漂わせている。通常の物静かさとは質の違う陰鬱さが滲み出ている。
いやこれは……放っておいていいんだろうか。
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「ぐふう……。あちきが悪いんでござる……。七海の会話のパスを上手く受け取れなかったんでござる……。ぐふう……ぐふう……」
昼休みになり、心配になった俺たちは比延さんを部室に招いて話を聞くことにした。彼女は依然として落ち込んだままで、珍しく表情も沈んだままだった。
「以前から時々、あの二人の会話がぎくしゃくする瞬間があって、特に七海がいらいらすることが増えてて……。それで、七海があちきに話を振った時、たまたま考え事をしていて聞いていなくて。謝ったんだけど、怒り始めちゃって。それで、礼斗があちきのこと庇ったら余計に怒りだして……。叶実の方が好きなんじゃないの? とかキレ始めちゃって。あちきがもっと上手な対応していれば……」
——うわあ。面倒臭い。
……と、さすがに声に出して言うのは失礼だと思い留めた。それにしても、蒲江さんにそんな嫉妬深い面があるとは意外だった。クラスで見せる姿は明るく完璧な、なんなら少し大人っぽいタイプだとばかり思っていた。
やはり、恋愛のことはよくわからない。
「二人の喧嘩は、比延さんが悪いわけじゃなくないか? たかがそんなことぐらいでって俺は思うけどな」




