第21話
「理論は頭に叩き込んだ。いよいよ実践の時が来たんだよう」
休み時間にぶんちゃんが吼えた。
例の『ラブコメの主人公になるための35の方法』を愛読しているぶんちゃんが、いきなり席を立ち上がり、自分を奮い立たせるように呟いた。
俺は——いや、正直俺はまだぶんちゃんと少し話すようになった程度の間柄で、彼がどのような男なのかわかっていなかった。
近くにいたなごさん——彼はぶんちゃんと同じ仲良しグループだ——が、ぶんちゃんを制しようと声を上げた。
「ぶんちゃん、やめろ!」
ぶんちゃんが何をやるつもりなのか黙って見ていると、ぶんちゃんは教室の後ろへと真っ直ぐに進み、女子のグループの前に立ち止まった。
ギャルの軍団——そう呼ばれている三人組のグループだった。
制服を着崩した派手な服装、明るい髪色。俺やぶんちゃんのような地味メンには縁のない、教室で目を引く華やかな女子たちだ。
ちなみに俺はまだ、言葉を交わしたこともない。
ぶんちゃんは直立不動のまま、ギャルの軍団の前で静止している。
やがて一分が過ぎ、二分が過ぎた。
これはもう敗北以外の何物でもない。ぶんちゃんは『ラブコメの主人公になるための35の方法』を信じて、ギャルの軍団に負けた。
「ううう……」
ぶんちゃんの喉から絞り出されるような唸り声が、静まり返った教室に響いた。
顔を真っ赤にし、目には涙が浮かんでいる。もう限界だ。
「あの……何か用?」
ギャルの軍団の一人が気まずさに耐えかねて口を開いたその瞬間、後方から見物していた男子が状況を一変させる一言を放った。
「おい、罰ゲームさせられてるのか?」
ある意味、『ラブコメの主人公になるための35の方法』の著者による罰ゲームとも言えるが。
「誰だよ、郷瀬に酷いことしたやつは! 可哀想だろ!」
郷瀬文斗——通称・ぶんちゃんは、クラスメイトの勘違いのおかげで、誰かにいじめられて告白ゲームをやらされている被害者、という物語が勝手に出来上がった。真実を知っていると確かに惨めで、可哀想だ。
そして状況が飲み込めず、ただ困惑しているだけのギャルの軍団も可哀想だった。
周囲の騒動など全く気にせず漫画に没頭していたるるが、わだっちとアッキーに囲まれ退散していくぶんちゃんの姿をちらりと見てから、俺に言った。
「まあでも、物朗くん。あの『ラブコメの主人公になるための35の方法』は名著だよ。私もあの本のおかげで、物朗くんと話せるようになったしな」
「嘘つけ!」
小学四年生からの付き合いでそれはない。
るるの手元には常に本がある。小学生の頃から変わらない。いつもは小説などの文字が多い本だが、今日は萌え系の女の子が描かれた表紙の漫画だったので気になった。
「少年誌に連載されていたラブコメ漫画なんだけど、連載途中に作者のムラヤマ一星先生が亡くなってしまったんだ」
「なんと」
「魅力的なキャラクターと、テンポのいい展開、小気味いいギャグでとても面白かったんだけど、話もまだまだこれからという時に早逝されてしまったんだよ」
作者の無念は計り知れないが、物語の続きを楽しみにしていた読者の喪失感も相当なものだろう。親しみを込めて見守ってきたキャラクターたちが永遠に動かなくなると思うと、胸が締め付けられる。
「興味があるなら帰りに全巻貸してあげるよ」
るるが面白いというなら、間違いなく良作だろう。彼女の作品選びには全幅の信頼を寄せている。下校後の楽しみが増えた。
☆★☆★☆
放課後になり、俺たちは部室に顔を出した。
部室ったって旧校舎にある元は管理者の遊び場と呼ばれていた教室で、訳のわからない小物が山ほど飾ってある、まるで落ち着かない場所だ。
オルタナティ部の部員になったはいいものの、この部室に慣れる日が来るのか。
「今日はオルタナティ部のポスターを作るよ。学校の掲示板に貼り出してもらうの」
市島先輩が、両手をばんざいしながら宣言した。この人はどうして、いつも無駄に明るくて楽しそうなんだろう。
八木先輩はバイト、日吉先輩も用事でおらず、このツインテール地蔵先輩の暴走を止められる者は今日は一人もいない。
不安で仕方がない。
「ポスターって、新入部員募集のポスターですか?」
「それだけじゃなくて、転移者に気づいてもらえるようにしたいの」
新たな転移者の保護とサポート——それがオルタナティ部の活動目的だ。
多くの転移者に気づいてもらうためには、目を引くようなアピールをしなければならない。
もちろん転移者でない——転移の自覚のない者にとっては、世界の転移なんて到底信じられるものではないだろう。漫画やラノベの読み過ぎだと、馬鹿にされるのがオチだ。
どんなデザインが良いか頭を悩ませていると、市島先輩が閃いたように目を輝かせ、勢いよく人差し指を突き上げた。
「こういうのはどう? 一図ちゃんとるるちゃんに水着になってもらってさ。それでキャプションつけるの。『転移者よ、来たれ』って」
うわあ。
二人の表情があからさまに変わった。るるは眉間に深い皺を寄せて露骨な嫌悪感を示しているし、ひとは「こんな人に育てられた子猫はかわいそうだろうな」と言わんばかりの憐れみの目で先輩を見ている。
俺、二人にこんな目で見られたら三日は落ち込む自信がある。




