第17話
「たぶん転移者が現れたバグで、この世界のこの学校には生徒会が存在していないの。でも生徒会室はあるの。詳しい理由? 知らない。以上」
そう言って、市島先輩はそれ以上の質問を受け付けないような態度を取った。彼女はいつもこうやって言い逃れをしてきてるんじゃないか。実に便利そうだ。
おそらく——転移のタイミングのせいなんだと思う。本来ならば生徒会選挙が行われる時期に、私たちの世界は崩壊している。こちらの世界がどうなったのかはよく知らないが、転移者が大量に訪れたことで、何らかの異常が生じたのだと考えれば——
「まあでも、遅れて生徒会選挙があるらしくてな。今までここは一応許可はもらってたんだけど、好き勝手やってたし、流石に出てかなきゃいけなくなって」
日吉先輩は困ったように頭を掻きながら、事情を説明した。
「じゃあ市島先輩が立候補して、新会長の座を狙う……とか?」
物朗きゅんが半ば真剣に、半ばからかうような感じで言った。
「新田くんは、わたしが生徒会選挙で勝って役職に就けると思ってるの?」
「ああ、無理っす。すみません」
物朗きゅんが、馬鹿正直に答える。
「なんだよなんだよ! わたしのことバカにして!」
市島先輩がぷくっと頰を膨らませ、床を両足で交互に踏みならして抗議の意を示した。頭上から湯気が立ち上りそうな勢いだ。
うん。私も無理だと思います。
「終わったか?」
不意に大人の女性の声が耳に入った。振り向くと扉の前に白衣を纏った先生の姿があった。
「玻璃ちゃん、手伝ってくれてもよくない?」
市島先輩が少し不満そうに声を掛けると、先生がため息を吐きながら答えた。
「こう見えても、私は忙しいんだ」
曽我井玻璃先生はこの学校の養護教諭で、私たち一年一組の担任でもある。剛柔兼ね備えた会話術で、クラスをあっという間に纏め上げた若き敏腕教師——だと私は見ている。普段は保健室に常駐し、生徒の健康管理と精神的サポートを担当している。
クラス外も含め、新しい環境に戸惑う一年生の避難所になっていると耳にするが、さすがに私たちみたいに、新しい世界に転移して右も左もわからない、なんて悩みを持ち込める場所ではない、と思っていた。
けれど、転移者以外避けを施された生徒会室に堂々と入ってきたということは、曽我井先生は転移者なのだろうか?
「ていうか、私のクラスの大事な生徒をこき使うのやめてくれへん? 先輩なんやから」
「こ、これは自由参加で手伝ってもらってるだけだから、パワーのハラスとかじゃないもん」
ハラスは、魚のお腹の部分だ。油断すると私のお腹の部分も、すぐに脂がのって美味しそうになってしまう。
「じゃあみんな、そろそろ荷物を運ぶよ。先生、鍵は持ってきてくれた?」
市島先輩が尋ねると、曽我井先生は白衣のポケットから鍵を取り出し、顔の前で軽く揺らして見せた。
「なくすなよ」
子ども扱いされたことに憤慨したのか、市島先輩は曽我井先生の手から素早く鍵をひったくった。
☆★☆★☆
私たちはそれぞれダンボール箱を抱え、市島先輩の先導で旧校舎へと向かった。
旧校舎裏の光景は、ついこの前とはまったく別物になっていた。もちろん漆黒の壁などはもう存在していないが、新たな奥行きを持つ空間が現れていた。
正面には小さいながらも手入れの行き届いた花壇があり、鮮やかな色彩のパンジーが整然と並んでいる。その花壇を取り囲むように、石材で縁取りが施されていた。
市島先輩が鍵を取り出し、旧校舎の玄関扉に歩み寄った。冷たい金属の鍵が鍵穴に挿さる音が微かに響く。先輩が軽く力を込めて鍵を回すと、錆びついた古い錠前がキィと悲鳴を上げながら開いた。
年季の入った校舎の廊下は薄暗く、足音がはっきりと響く。市島先輩が先頭に、八木先輩と日吉先輩が後に続く。その後ろを私とひとちゃん、物朗きゅんがついていく。
やがて市島先輩がある教室の前で足を止め、躊躇なく扉を開いて中を覗き込んだ。
私たちも先輩の後に続いて教室に入った。その光景を目の当たりにして、私は驚きのあまり言葉を失った。
「ようこそ、管理者の遊び場だった場所へ」
教室内の景色は、まるで異世界の迷宮に足を踏み入れたように混沌としていた。片隅には保健室から持ち出されたと思われる手すり付きのベッドが置かれ、その上に柔らかなクッションとカラフルな毛布が乱雑に積み上げられている。
その傍らには体育用具のマットが何枚も重ねられ、小山のようになっていた。
一角には、古びたテレビが存在感を主張している。その前には年代物のビデオデッキが接続されていて、周囲には積み上げられたソフトの山がある。アニメに映画、お笑いと、その内容は雑多で頭が痛くなってくる。
低めの棚の上には、これも統一性のないカプセルトイのフィギュアが無秩序に並べられている。下の段には、毛糸で作られたチープな人形が、ぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。
子ども部屋と学校の備品が強引に一体化させられたかのようで、目にするだけで不快になるような違和感を漂わせている。
「キキちゃん、そろそろ始めてくれない? わたし今日もバイトがあるのよ」
焦りを抑えきれない様子で、八木先輩が口を開いた。
「わかった、わかったよ。荷物はひとまず、そこらへんに置いておいて」
市島先輩は軽く手を振って、私たちに向かって言った。
先輩がパステルカラーのロングソファに腰を下ろすのを見て、私たちもそれぞれ適当な場所に座ることにした。教室内には様々な椅子が無秩序に並べられていて、どの席を選んでも居心地が悪そうだった。
「これから部活を開始します」
市島先輩はそう切り出し、私たち全員に目を向け語り始めた。




