幻影の少女
リザードマンたちとの別れを後に、森を抜けるべく進んでいた。
木々が生い茂るこの広大な森を抜けるには、もう少し時間がかかりそうだ。
リディアの体調は回復しているとはいえ、まだ本調子ではない。 彼女は私の前を歩き、フードを深くかぶって周囲を警戒している。
「この森を抜ければ、大きな街に着くんだよね?」
私はリディアに尋ねると、彼女は小さく頷きながら、静かに答えた。
「そうね。でも、この辺りは魔獣も多いらしいし注意した方がいいわ」
リザードマンの集落を出るときに、ある程度森については教えてもらった。
当分の水と食料も譲ってもらったし、割と安定した旅ができそうで安心している。
「それにしても……魔族の暮らしは不便だねぇ…………」
「別に……暮らしていたら気にならないわよ」
私の呟きにリディアが反応した。
魔族は未だ大戦の影響が色濃く残っていて、精密な地図が作られるほど魔導技術の発展は進んでいないようだ。
「そんなもんなのかなぁ……」
「そんなものよ。 でも……気にならないって言ったら嘘になるけど」
「ふーん」
人類は大戦の後、魔導技術を大きく発展させたけど……確かに無かったら死ぬようなものかと言われたら違う気がする。
「でもすごいんだよ! 魔力を媒介にして姿を写し撮ったりできるんだから!」
「……なにそれ。 魂抜かれるんじゃないの?」
「…………ぷ」
「なに笑ってるのよ」
リディアの素直な反応に思わずふき出してしまう。
リディアはバツが悪そうにそっぽを向いた。
「でも本当にすごいんだから! いつか転移できるようになったらリディアも…………」
そこまで言いかけて私は口をつぐんだ。
……そういえば、リディアとの約束はこの森を抜けるまでだったはず。 そのあとはいったい……。
「…………? なによ? 急に黙り込んで」
小首をかしげながら不思議そうにこちらを覗き込んでくるリディア。
「……ちょっと考え事してただけだよ!」
「ふーん。 能天気そうなあなたでも物思いにふけるのね」
「ひどーい! ちょっとそれどういう意味!?」
「冗談よ、もう少しで日が暮れるしここらへんで野宿できそうな場所を探しましょう」
……まだ先のことだ。
私はその事実から目を背けるのだった。
★
日が少しずつ傾き、森がオレンジ色の光に包まれ始める中、私たちは落ち着いて休める場所を探して歩いていた。
「この辺りなら木々も茂っているし、夜風も防げそうね」
リディアが辺りを見渡して、少し開けた場所を指差す。そこには太い枝が低く張り出していて、枝葉が風を遮り、夜露も少なそうだ。
「本当に、こういうこと慣れてるよね」
リディアは少し得意げな表情を見せると、肩をすくめた。
「エルフは自然と共に生きているの。 野宿に適した場所を見つけるくらい朝飯前よ?」
地面に広げた布の上に座り込み、リディアが火打ち石を取り出して火を起こそうとする。
小さな火花が数回飛び散った後、乾いた木の皮に火が灯り、じんわりと暖かな光が広がった。
私はそっとリディアの隣に腰を下ろし、小さな火を見つめる。そのままぼんやりとしていると、ふとリディアがこちらに目を向け、声をかけてきた。
「……さっきは、街に着いた後のことを気にしていたようだけど」
突然の問いかけに、私はハッと顔を上げた。
「……そうだね。 ずっとリディアを付き合わせるのも悪いなって思っちゃって。 それで……それで…………」
言葉が詰まり、つい目をそらしてしまう。
リディアは真剣な表情で私を見つめていた。
「まったく……私がいつ迷惑だって言ったわけ?」
リディアの言葉に胸が温かくなった。
あの孤独な雰囲気を纏っていた彼女が、ここまで私に対して心を開いてくれているなんて……。
「そっか、ありがとうリディア」
リディアは少し照れくさそうに目を逸らすと、静かに火を見つめ直した。
「……さ、火が落ち着いたら、食事にしましょうか。リザードマンたちがくれた保存食もあるし、森の中で採れる野草も少しあるから」
そう言って、リディアは私に向かって小さな包みを手渡してくれた。
その中には、リザードマンたちがくれた乾燥した肉や果実が詰まっていた。
手に取った肉は噛みごたえがあり、ほんのりと香辛料の風味がして、素朴ながらもおいしい。
夕食を終え、火が小さくなっていくにつれ、あたりは次第に闇に包まれていく。
ふと耳を澄ますと、木々の隙間から不思議な気配が漂ってきた。
「……なんか、変な感じがする」
私がつぶやくと、リディアが警戒するように顔を上げた。
「確かに……。 何かが私たちを見ているような……」
その時、突然周りの木々が微かに揺れ、青白い霧が立ちこめ始めた。
闇の中で、淡い光がゆらゆらと漂い、まるで私たちを包み込むように漂っている。
「これは……幻影族の仕業かもしれないわね」
「幻影族……?それって一体……?」
リディアは私の手をぎゅっと握り、低い声で答えた。
「彼らは、実態を持たない種族。 他種族と深く関わることは滅多にないけれど、この森を通るには彼らの存在に注意が必要よ」
「……そうなんだ」
リディアの言葉に私は息をのむ。
「…………ねぇ。 あなたたちはいったい?」
勇気をだして声をかけてみた。
やがて霧の中からひとつの影が現れる。
「……これは驚いた。 まさか私たちの言葉を使いこなす者がいるだなんてね、実に興味深い。 少し時間をもらえるかい? 人間のお嬢さん?」
宵闇に溶けるような漆黒のゴシックドレスを纏った少女が優雅に一礼をするのであった。