偏見を超えて
村を離れてまだそう遠くない道中、私とリディアは突然背後からのざわめきに気づいた。
振り返ると、リザードマンの集落が騒がしくなっていることが見て取れた。
何かが起きている……。
直感的に、私はただごとではない何かを感じた。
「何かあったみたいね……」
リディアもすぐに状況を察した様子で神妙な面向きだ。
私はうなずき、足を止めた。
やがて、集落の方から慌ただしく何人ものリザードマンが慌てた様子でやってきていた。
そのうちの一人を捕まえて話を伺う。
「……えっ!? 子どもがいなくなったって……」
私の言葉にリディアの表情が一変した。
どうやらリディアと仲良くしていた子どもたちの一人が、リディアに対して心ない言葉を浴びせた大人たちに納得がいかず、村から飛び出していってしまったらしい。
「……まずい」
この辺りの森には魔獣が出没する。
子どもが魔獣に襲われていたら……。
「森に入ったのね……」
リディアはすぐにそう呟き、リザードマンに向かって一歩前に出た。
「アリス私が探しに行くわ」
「リディアが?」
「……えぇ」
「…………分かったよ」
私がその旨を伝えるとリザードマンは眉をひそめ、少し躊躇った。
「エルフ……だろう?」
言葉は分からないにしろ、その悪意を感じ取ったのだろう。
リディアは少し視線を下げ、肩を落としながらも、まっすぐにリザードマンを見据えていた。
「彼女はエルフです。 でも、エルフは森で生活する種族で適任です。 それに……今はそんなことを言っている場合じゃないでしょう?」
私の説得の言葉にリザードマンは唸りながらも頷き、私たちはすぐに行動を開始した。
私はリディアの後を追いかけながら、彼女の背中から感じる強さと孤独に胸を打たれた。
「……! 足跡! ここを辿っていけば……」
そうして森に入ってしばらく経った頃、先行していたリディアが子どものいる場所を見つけた。
だが、既にその子は大きな魔獣に追い詰められ、魔獣の鋭い牙が今にも襲いかかろうとしていた。
「危ない!」
リディアは一瞬で状況を理解すると、全力で子どもの元に駆け寄った。
私はその早さに驚き、足が止まる。
彼女は躊躇なく、子どもを魔獣の前から突き飛ばし、自らの身体を盾にしてその爪を受け止めた。
「リディア!」
リディアは魔術を解き放ち、魔獣に立ち向かっていた。
彼女の掌から放たれる光の弾が、魔獣の目を一瞬眩ませる。
以前見たときよりも魔術のキレが悪い。 最初に負った傷はかなり申 深刻のようだ。
「なんだ!? 一体どうなっている!?」
遅れてやってきたリザードマンたちも、息を呑んでリディアの姿を見守っていた。
私も何とか助太刀に入ろうとするが、魔術の威力に気圧されてうまく割って入ることができない。
「……ここは通さないわよ」
深手を負いながらも、リディアは大きな一撃を魔獣の目に命中させた。
「……gyuuu」
魔獣は未だ戦闘可能といった様子であったものの、リディアの圧に負けたのかその場から逃げ出していった。
「ふぅ……無事でよかった」
リディアはリザードマンの子どもに微笑みかけると同時にふらりと後ろに倒れ込んだ。
傷口から血が勢い良く流れ、彼女は息を荒げている。
「リディア……!」
私はリディアに駆け寄ると、必死に彼女を支えた。
鋭い爪によって切り裂かれたリディアの傷口は私の眼から見ても深刻だった。
「アリス……」
「……リディア!? 喋っちゃだめ!」
明らかに重体のリディアがか弱い声を発する。
私の静止の声を聞くことなく、リディアは口を開く。
「……あの子、なんて言ってるの?」
「……え?」
リディアが指差すのは彼女が助けたリザードマンの子ども。
その子は涙を流しながら「ごめんなさい……ごめんなさい……!」としきりに謝罪を続けている。
リディアにそれを伝えると彼女は小さく笑った。
「そうじゃ……ないわよ。 助けてもらったら…………ごめんなさい、じゃなくて…………ありがとう、よ」
「…………リディア? リディア??? ねぇってば! リディア!」
リディアの呼吸が浅くなり、深刻な状態であることは火を見るよりも明らかだった。
「……すいません! 魔力を貸してください! 応急処置のために必要なんです!」
彼らは一瞬ためらっていたが、やがて何人かが近づいてきた。
「……おい、エルフだぞ」
誰かが低い声で呟いたのが耳に入る。
「そんなこと、どうだっていいでしょう!」
ひどい怒りを覚えながら、私は強く言い放った。
「リディアはみんなを助けるためにここに来たのよ。 エルフだからとか関係ない。 今は彼女を助けなきゃ、何が大切なのか分からないの?」
リザードマンたちは一瞬ためらったが、私の言葉にハッと気づいたような表情を浮かべる。
「回復魔術を使うには、私ひとりじゃ力が足りない……。誰か、魔力を貸してくれない?」
私は必死でリザードマンたちに頼み込む。
やがてリディアを見つめるリザードマンの一人が静かに歩み寄り、手を差し出した。
「……俺でいいなら、力を貸そう」
続いて、他のリザードマンたちも一人、また一人と前に出て、私に魔力を分け与えるため手を伸ばしてくれた。
彼らの目にはまだ偏見が残っているようにも見えた。 それでも、今この瞬間だけはリディアを助けたいという思いが共通していた。
私はその魔力を集め、両手をリディアの傷口にかざす。
「お願い……効いて!」
心の中で強く願いながら、回復魔術を発動する。
リザードマンたちの魔力が一体となり、私の手から淡い光が広がっていった。