王が遺したもの ー後書きに代えてー
ガリアール書店の編集者ザラが馴染みの気安さをもって今回の依頼を寄越してくれたとき、正直なところあまり気が進まなかった。
ここ10年、グロワス13世に関する本や映画、連続映像劇、劇画がひっきりなしに公開されている。通勤に使う駅の壁面にさえ彼の顔を見る。正確には彼を演じる俳優の顔を。来年公開予定のサンテネリ放送協会連続大河劇『汝、暗君を愛せよ』の広告である。
一般向け娯楽作品はさておき、学術の世界に目を転じてもやはり彼を主題とした論文は同時代の人物に比して明らかに多い。それらは知的興奮と、時には私の専門である18期中葉、特にメアリ・アンヌ王女について新たな知見を提供してくれる素晴らしいものばかりだが、単純な物理的問題として量が多すぎる。
つまり”流行”なのだ。
流行りとなると斜に構えたくなるひねくれた——夫も娘も口を揃えて同意する——自身の性格を鑑みるに、この話を引き受けたことが自分でも不思議でならない。
専門家による立派な研究が山をなし、面白い創作劇で溢れた彼の世界に、いかに時代が近接するとはいえ門外漢の私が踏み込んだところで一体何を付け加えられようか。
私のこの、見方によっては卑屈な心根を変えてくれたのは、古い知人との偶然の再会だった。
光の美術館で開催された18期絵画の企画展に足を運んだ私は、有名な『共和国の守護女神』の横に一点の絵画が並べられているのを見つけた。巨大な『守護女神』と比べて何ともこぢんまりした、率直に言えば貧相な絵だ。もちろん初見のものではない。18期サンテネリ史研究を生業とする以上、見たことがないなどありえない。
『グロワス13世』。通称『荒野の王』。
『守護女神』『荒野の王』、どちらの作品も画集で何度も見てきた。特に前者は実物を何度も眺め、細部まで模写できるほどに。よってその日、足を止める必要性は全くなかった。にもかかわらず私が留まったのは共に訪れた家族——夫と娘への配慮に過ぎない。
意外にも、光輝と迫力に溢れた『女神』を尻目に、娘は『荒野の王』の方をじっと見つめていた。
「ブラウ、その人はね、知っているでしょう? あなたの好きな俳優が今度やる役の…」
声を掛けると娘は首をかしげ、二度三度振り、最後に私に向き直った。その瞳に困惑を浮かべながら。そして言った。
「変な絵。地味だし、全然印象に残らない。…普通の人だわ」
商業的意図から美化された歴史上の人物が被る迷惑の一つがこれだ。華麗な劇画、あるいは映画の美形俳優と比べたとき、実際の人物を描いた肖像画は期待外れにすら感じられてしまう。
私は娘にそのことを伝えようと口を開き、何も言葉を発することなく、静かに閉じた。
私はその絵を”見た”ことがある。
画集の中にではない。論文の資料を探してここを訪れた折にでもない。
遙か昔、今隣に立つ娘よりも遙かに若かった頃に。ここで。光の美術館で。
私はおよそ40年ぶりに彼と再会したのだ。
グロワス13世と。
◆
12歳の私は工員の父と看護婦の母の間に生まれた典型的な労働者階級の少女だった(付け加えるなら、まだ素直な少女だった)。実業学校に進み手に職を付け、結婚し、家庭を築く。将来は定まっているように思われた。
しかし、全国知検がその幼い人生設計をすべて塗り替えた。
真面目だけが取り柄の少女は奇跡的に高得点を叩き出し、思いもよらず中等学校への進学を許された。もちろん両親はいい顔をしなかった。当時女性が、しかも労働者階級の娘が中等学校に進むことは純然たる時間の浪費と見なされていた。
中等学校、高等学校と進む頃には両親は諦めた。行けるところまで行くとよいと、半ば投げやりに、半ば愛情をもって娘の更なる進学を許した。大学で歴史学を専攻した私は、幼い頃から漠然と興味を抱いていたある女性——メアリ・アンヌ・エン・ルロワを研究対象と定めた。サンテネリ史上初の女性軍人(厳密には第9期に数名存在するが近期的な意味での”軍人”とは大きく異なる)であり女性政治家である。
若干の気負いもあった。偉大な同性の先達を主題として研究することで、女だてらに大学まで進んだ自分を励まそうとしたのかもしれない。しかし心は揺れていた。
本格的に学問の道を進むべきか、あるいは「伝統的な女の幸せ」を選ぶべきか。今ならまだ引き返すことができる。漠然とした不安を抱えていた。
そんなとき、ある史料と出会った。当時学界を震撼させた、発見間もないレスパン遺稿である。
まだ真贋が確定しない時期ゆえに、あまりのめり込むわけにもいかなかった。学者達は皆、私のような学生も含めて、内心興味津々ながら努めて無関心を装っていた。入れあげた末に贋作と判明しようものなら目も当てられないからだ。
皆と同様、私も”ちょっとした冷やかし”の体を崩さずに、しかし隠れて貪るように読んだ。
結局の所、私の人生はそれで定まってしまった。
遺稿に記録されたグロワス13世の献辞捧呈式挨拶。
およそ人文学を学ぶ者で、あれを読んで奮い立たぬ者はない。王の言葉はまさに私に向けて発せられている。そう思われた。家庭に入り子を産み育てるのにメアリ・アンヌ王女の知識など全く無用の長物である。それを理解しながらも、なお学び、研究を続けることを18期を生きた王が私に勧めたのだ。励ましたのだ。
私は歴史学に生涯を捧げることを決心した。
◆
大学を卒業し幾つかの大学院で研究を進めた末、ありがたいことに幾つかの栄誉ある賞を頂く機会を得た。そして母校の教員の席も。
研究に没頭する一方で、私は一人の男性と出会い、彼をとても好ましく思い、最終的に結婚した。そして娘が生まれた。
夫と私は共に仕事を持ち協力して娘を育てた。娘が成長した今でも、早起きが苦手な私に代わり夫が朝食を作る。いや、代わりではない。それが夫の役割となった。もちろん私も役割を担っている。私と夫は対等である。そして互いの人格に敬意と愛を抱いている。
◆
さて、ここまで私はごく個人的な事情を開陳してきた。好き好んでではない。必要に迫られてのことだ。
つまり、私と私を取り巻く幸福な生活の全てが、なぜこのようなものでありうるのか。なぜ私たちはこのように生きることができるのか。その問いこそが小著執筆の原動力となったのだ。
労働者階級の娘である私は、18期当時に生まれていれば夫と言葉を交わすことさえ叶わなかったはずだ。サンテネリ有数の名門貴族家の跡取り息子と取るに足らぬ下女がどうして結婚できようか。家庭を持てようか。子を成せようか。
しかし21期の今、私と夫は対等であり、愛し合い、一つの家庭を形成し、子を持つ。
このような世界はなぜ存在しうるのか。
歴史を研究する者として頭では理解していた。レスパン遺稿のグロワス13世再評価についてもある程度把握していた。近期サンテネリの様々な出来事が現代に及ぼした影響を論じた研究を、私は即座に、かつ大量に挙げることができる。
だが「知る」ことと「分かる」ことは似て非なるものだ。
光の美術館で彼の肖像を眺めたとき、私は忘却の彼方に置かれた10代の記憶を脳髄から力尽くで引きずり出された。
人生初の——そして恐らく最後だろうと当時の私は考えていた——校外学習。あまりの混雑振りに有名な絵画を一つも見られず、見学の最後にやっとありついた「本物の絵」。誰にも注目されることなく、部屋の片隅で壁の余白を埋めるだけのつまらぬ絵。凡庸な絵。不思議な絵の記憶を。
彼——グロワス13世の存在こそが問いの答えであると、40年の時を経て『荒野の王』は私に教えてくれた。
私は瞬時に「分かった」。
分かったのならば伝えねばならない。それが人文学を学ぶ者の使命である。50年後、100年後の人々のために。
狭く学界の同僚達に向けてではない。広くサンテネリの、あるいは世界の人々に伝えねばならない。グロワス13世という一人の男性が何を為し、何を為さなかったか。そして何を遺したのか。
幾重にも重ねられた偏見の覆いを剥ぎ取り、21期の知が推測しうる限り正確な輪郭を白日の下にさらさねばならない。
その行為はとても”偉大なこと”であり”素晴らしいこと”であると思われた。
これがつまり本書執筆の動機である。
本書を手に取ってくださった読者諸氏に心からの感謝を。
正教新暦2023年10月 かつて偉大なる献辞捧呈式が行われた学び舎にて
メリア・フロイスブル
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最後に謝辞を。
最愛の夫マルセルへ。
私の第一の読者。最も尊敬する人。そして貴重な史料原本の所有者。もちろん妻から貸出料は取らないわね?
最愛の娘ブラウネへ。
私の宝物。あなたが例の高名なご先祖様のように誇り高く、愛に満ちた生を送ることを願います。ただし節度を持って!
父と母へ。
私がこうあることを許してくれた人たち。あなた方が体現した”異なる者への理解”と寛容を私は引き継ぎ、遺します。どうか身体を労ってね!
◆
<著者略歴>
メリア・フロイスブル
人文学(歴史)博士。グロワス9世校人文学講座国史専修卒業、同大学院修了。ランデネム大学客員研究員、ランデネム大学助教を経てグロワス9世校人文学講座准教授、教授(現職)。
著書に『市民メリア』『18期サンテネリの家庭生活』『ブラウネ手稿読解』(全てガリアール書店刊)など多数。
『汝、暗君を愛せよ』はこれで完結となります。
ご愛読ありがとうございました。