第七話「思い出話」(2/3)
兵吉じいさんは忠告をすると、外へと出ていってしまう。そんな中、ヒメに近付く陰もまた、確実に足元へと迫ってきていた――。
2.
コンビニへ買い物に行っていた唯斗の前で、血の繋がった姉が立っている。
「……姉さん」
「こんなところでどうしたの? 家に居なかったけど――」
「……コンビニに用があるんです。通してください」
歩道を塞ぐように、姉はそこを退こうとしない。
「いやぁ、せっかくまた会えたんだから、あの時のことちゃんと謝ろうと思って。ね、ごめんね? 急にあんなことしちゃって」
姉は不気味なほどに、この前に引き起こした出来事を忘れ去ったような優しい表情で近寄る。
「……いいから、退いてください」
「あら、いつからそんなに冷めた子になったの? お姉ちゃんがこんなに優しくしてるのに?」
唯斗の歯が軋む音がした。
「今度は何があったか知らないけど、もう俺の前に現れるのはやめてくれ。俺には俺の生活がある、生き方がある。姉さんの生き方を否定するつもりはないです。そうするならそうしたらいい。でも、もう二度と俺の前に現れるな!」
唯斗は今までにない態度で言葉を荒げ、姉への反抗心を示した。いつもこうした場面で引き下がるのは唯斗の方であったが、今回は違った。しかし、姉の方も表情を崩してはこない。
「そう――」
唯斗は気が付いていた。兵吉じいさんの助言をそのまま受け取るなら、きっと姉はろくでもないものと絡んでいる。その目的は――ヒメであると。
「荷物なら俺が送ります。早く別の男でも見つけて、住所でも送ってください。もう二度と、あの家に帰ってこないでください!」
唯斗はそれだけを言うと、姉の横を通り過ぎてコンビニへ向かう。
「聞いたわよ、子供たちから――」
唯斗の足が止まる。
「夏祭りに行くんだってね、楽しんでいってらっしゃい?」
唯斗の背中を、何か悍ましいものが通過したような気がした。唯斗は振り返る。しかし、姉は既にどこかへと歩き去っていた。
「……本当に、兵吉じいさんの勘はよく当たるな」
唯斗は少し早足でコンビニへ向かう。しばらくしてコンビニが見えると、安心したのか肩の力が抜けてしまった。
「いらっしゃいませ〜」
店員はいつもの指田ではない。今日も夜勤のため、店員は別の人だ。
「っと……弁当弁当」
昼食をまだ食べておらず、ヒメもお腹が空いていた。しかし、兵吉じいさんの助言を守るにはヒメを下手に連れ回すわけにはいかなかった。
唯斗も外へ出ることは躊躇われたが、苗島の家でヒメだけを残すか、もしくは苗島だけを家から出すのも何か嫌な予感がしていた。
「取り敢えず夕飯は話をつけてくれてるらしいから、昼食と小腹を満たせるもの……」
唯斗はそう呟いて、三人分の弁当とお菓子などをカゴに入れていく。ついでに、いつもは贅沢なものとして買わないレジ横の揚げ物を買ってみる。
姉との会話で神経をすり減らしていたため、今は少しでも気持ちを落ち着かせたかったのだ。
買い物が済むと、唯斗はコンビニを出る。そのまま寄り道はせずに苗島の家へ向かう。道中、スマホで無事を伝えておく。
町を覆う不穏な影は、唯斗にも理解できた。苗島の家は戻る道中、明らかに裏の人間らしい風貌の男が機嫌を悪そうにして自販機と睨み合っていたり、他にも怪しげな動きはあった。
この町に元々そういった類は居るため、普段は不思議な光景でもないが、今日は数が異様に多い。唯斗も嫌な予感がしていたのだ。
なるべく視界に入らないよう動きながら、なんとか苗島の家まで辿り着く。
「ただいま」
唯斗が玄関を開けると、苗島が少しだけビビった表情で唯斗を出迎えた。
「苗島、どうしたんだ?」
「おぉ、唯斗か。いや、さっきヤクザがうちに来てよ。インターホン鳴らして呼んできたんだよ。最近、いつもは町で見かけないやつが歩いてなかったか? って」
「やっぱり……」
「なぁ、これヒメっちのこと探してないか?」
「昨日からヤケにそっちの人間が出歩いてる。兵吉じいさんが言ってたのは、このことなのかも」
取り敢えず玄関に居るわけにもいかないので、二人はヒメの待つ居間へ向かった。
「べんとう!」
ヒメが好きなものを選び、テーブルの上で蓋を開ける。既に店員に温めてもらっていたため、箸を開けて手を合わせそのまま食べ始める。
縁側に繋がる部分の障子は、外から見えないようにしっかりと閉めておく。
「ヒメっちの情報がバレたのか?」
「いや、そんなはずはない。ヒメ自身も余計な人に正体は話してないはずだし、俺も苗島の知ってる通りしか話してない。バレるはずが……」
「それもなんでヤクザなんだよ。人魚姫を調べるなら、国の関係者とか研究者とか、あとは警察とかだろ。なんで裏社会の人間が――」
「何も人魚姫が実在するなら、表の人間だけが求めるわけじゃない。今時収入源が少なくなってきたそっちの人たちなら、人魚姫を利用くらいしてもおかしくはない。だとしても……どうして?」
ヒメは二人の会話を聞きながら、弁当をパクパクと食べ進めていく。会話の内容はあまり理解できていない。
「なんでヤクザにバレてるんだよ。てか、ヒメっていつも誰かと一緒に行動してたよな? なんでオレたちのことがバレてないんだ?」
「わからない……」
考えれば考えるほど、謎が深まるばかりであった。
「とにかく、明日の夏祭りもやめた方が……というか、こんな状況じゃヒメが危ない」
唯斗は思い立ったようにヒメの方を向き、パクパクと食べ続けるヒメに話す。
「ヒメ、今すぐ海に帰るんだ」
その言葉は、ヒメの箸を止める。
「嫌だ」
「お願いだ。ヒメの命を狙ってるやつらが居るかもしれない」
「絶対に嫌だ」
「事が落ち着いたら戻って来たらいい!」
「嫌だ!」
肩を掴んでまで説得しようとするが、ヒメは首を横に振る。
「なんで……」
「約束したから」
「何を――」
「夏祭り」
それを言われてしまうと、唯斗も肩から手を離すしかなかった。
「……ヒメ、わかった――だけど、今は海に居てほしい」
「なんで」
「夏祭りのタイミングで、あの時の雑木林を抜けた海岸からヒメが地上に出てくる。そこで合流して、祭りに行こう。少しでもリスクを減らすしかない」
それが、唯斗に今打てる最善手であった。
「……そうしないと、ユイトは困る?」
ヒメは伺うように聞いてくる。
「……あぁ」
そして、その返答に落ち込んだように答えた。
「わかった……」
ヒメはそう言うと、服を脱ぎ出す。
「ちょちょちょ、ここでならなくても――」
「そんなに帰ってほしいなら、すぐに人魚姫の姿に戻って帰ってやる――‼︎」
ヒメは怒ったようにそう言って、人魚の姿へと変身しようとした――しかし、
「あれ?」
それは叶わなかった。
「……どうした?」
「なれない……」
「どういうことだ?」
唯斗がヒメに近付き、前と同じように手を繋いでみる。
「ッ――」
しかし、どれだけ願ってもヒメが人魚姫の姿になることはできなかった。
「なん……で……」
「ヒメっち、体調は悪いか?」
「ご飯も食べれる」
「だよな……」
突然の出来事に、三人は困惑する。
「指田さんの時も、一回だけなれなかったよな……」
「でも、その時は唯斗が手を繋いだらできただろ?」
「そのはずなんだけど。ヒメ、不安とかもないよな?」
「あぁ」
突然の事態に頭を悩ませる。これがいつもならまだいいのだが、今はそれどころではない。外を、恐らくヒメを探している連中が彷徨いているのだ。
「なんでこんな時に……」
「ユイト……?」
ヒメが横から唯斗を心配そうに見つめる。
「……ごめん、ユイト」
「なんでヒメが謝るんだよ。ヒメにもわからないんだろ? だったら謝る必要なんて――」
「困らせたから……」
二人の動きが止まった。
「……ヒメ」
唯斗がヒメの肩に両手を乗せる。
「大丈夫、俺がなんとかする。いや、苗島も居る。大丈夫、夏祭りにもいけるし、不安がるようなことも起きない。むしろ、俺の方こそごめん。ヒメの気持ちも考えずに勝手なことを押し付けた。でも、大丈夫。ヒメはいつも通りで居ればいい」
唯斗の言葉に、ヒメは安心したような表情を見せた。
「うん」
すると苗島が立ち上がり、二階へと消えていってしまった。しばらくして戻ってくると、苗島はトランプを手に持っていた。
「オレさ、こういう時にどういうことすればいいかわかんなくてさ。昔、唯斗が姉と喧嘩して落ち込んでた時あったろ?」
苗島はカードをシャッフルしながら座り、唯斗に向けて昔話を始める。
「姉と喧嘩するのはいつものことだって言ってたけど、その日は妙に落ち込んでたの。結局あれさ、何がどうしてそんなに落ち込んでたのかオレにはわかんなかった。けど、お前の気持ちを明るくさせる魔法なら、オレがその時やった突拍子のない行動で知ってんだ。変な空気も変えれるくらいのな。多分、ヒメも気にいると思うぜ」
そう言うと苗島は、シャッフルしたトランプの束を二人の前で手のひらの上に置いて出す。
「ここに、一つのトランプがあります。このトランプは、オレの勉強机の中で熟成された最高品質のものです」
苗島の語りに、唯斗も小学生時代を思い出す。それは確かに、あの日の苗島も語っていた内容だった。
――酷く落ち込んでいた唯斗は、教室で一人座って、組んだ腕に顔を埋めていた。
「唯斗」
すると、目の前に苗島が現れたのだ。
「見てくれよ、オレ練習したんだぜ? 今度の発表会で披露しようと思ってさ、まだ誰にも見せてないんだ。唯斗にだけ見せてやるよ――」
幼い苗島がそう言って、トランプの束を目の前に出してきたのだ――。
「まず、一番上のカードはこいつだ。よく見とけよ。だが、オレは見ない」
苗島はそう言ってカードを見せると、見せたカードを中央あたりに差し込んだ。
「今から、こいつをシャッフルする。シャッフルが終わった後、オレはトランプを次々に宙へ飛ばしていく。パラパラパラっと雪のように舞う中、一枚だけ手のひらに残す。そのカードは、さっき見せたカードだ。よく見とけよ?」
そして、苗島は先ほど説明した通りに進めていく。シャッフルが終わったあと――束になったカードたちが宙へ向けてパラパラと発射されていった。
苗島の言っていた通り、宙を舞うカードたちは雪のようにも思える。
「ほい、手元には一枚のカードが残りました。さて、このカードは最初に見せたカードでしょうか……?」
――唯斗は記憶を蘇らせていく。その横で、ヒメはワクワクとした表情を隠さずに見守っていた。
「これだ!」
そして、苗島が手のひらに乗せていたカードを二人に見せる。しかし――、
「シンジ、これは別のカードだ」
そのカードは二人の見た最初のカードではなかった。ヒメは失敗を面白がり、笑いそうになった。しかし、その前に唯斗が口を開いた。
「カードの裏だ」
唯斗は思い出した。――あの時、唯斗は苗島にそのマジックを披露された。
「違うよ、これはハートのエースじゃない。もういいよ……」
「ほんとにそう思うか?」
幼い苗島はニシシと笑って、唯斗に向けて見せるカードを裏返した。そこには――
「大正解」
二人の前に、最初のカードが現れる。ヒメは笑いそうになっていた顔を驚きの表情に変える。
「どうだ、びっくりしたか?」
カードの裏には、最初に見せたカードであるハートのエースが重なっていた――。
「なんだそれは⁉︎」
「ヒメっちも気に入ったか?」
苗島の表情はあの頃と変わらず、ニシシといった表情を見せていた。
「相変わらずすごいな、苗島は」
「これを見せた時の唯斗、ほんとに楽しそうだったよな。さっきまで机にへばり付いてたのに、急に立ち上がったと思ったらどうやったのか聞いてくるんだもん。でも、その前に散らばったカード片付けなきゃって言ってさ、片付けてる間に休み時間が終わるチャイムが鳴ったの。結局、タネを明かさずにここまで来ちまったな」
懐かしい記憶に、唯斗も少しだけ笑った。
「それでその後、一枚だけトランプが見つからなくて、学校用のトランプだから先生に怒られてたっけ」
「そうだよ! あれめっちゃ怖くてさ! よりにもよって鬼教師の尾田山が怒ってきやがったの。あの後怖すぎてちょっとだけチビったの、未だに誰にも言ってねえわ」
二人の会話は弾み、先ほどまでの空気感はいつの間にか明るいものへと変わっていた。
「はは!」
二人の楽しそうな会話に、ヒメも思わず笑ってしまう。話の内容を完全に理解できているわけではないが、二人の幸せそうな会話が嬉しくなったのだ。
気が付けばヤクザのことも忘れて、三人は買ってきた弁当やレジ横の揚げ物に手を付けて他愛のない話を続けた。
思い出話は止まることもなく、昼食が終わった後も三人は話し続けていた――。
あとがき
どうも、焼きだるまです。
明日の投稿で第七話も終了と、今までで一番短い回となりましたね。
箸休め回と言っておきながら中々に不穏な雰囲気がありますが、この先ヒメたちはどうなってしまうんでしょうね。
長話もよくないので、ここら辺で後書きは切り上げておきますね。では、また次回お会いしましょう!




