第五話「サマー・ビーチ・バカンス」(2/5)
隣町のビーチへ来ていた唯斗は、海水浴を楽しむ三人を眺めながら、ある日の記憶を思い出していた――。
2.
その女は、自身のことを指田らなと名乗った。姉の名前を知っており、中学生らしいその容姿から唯斗にもその正体がわかった。
「姉さんの……同級生?」
「ピンポーン、当たり」
指田はそう言うと、嬉しそうに何をしているのか聞いてくる。この頃から薄い茶髪のハーフアップという髪型で、後の唯斗にとってこれが指田のイメージになっていた。
「……何も――」
「何もしてないの? 水鉄砲持ってるのに?」
指田は唯斗の持つ水鉄砲に指をさすが、唯斗は水鉄砲を放り投げてしまう。
「本当は姉さんと遊ぶつもりだった。だけど、姉さんも構ってくれないし、母さんも父さんも誰も構ってくれない。こんなもの、あっても仕方ない。……だから、何もしてない」
まだ幼い唯斗は、まだ細い手足で塞ぎ込んでしまう。
「そっか……まぁ、そんな気はしてたけど」
「……姉さんと遊んでこいよ――」
「ふーん、そんなこと言うんだ?」
唯斗は顔を下に向けたまま、指田が立ち去るのをひたすらに待った。本当は一人が辛かったが、ヤケになっていたのか目の前の人間すらも拒んでしまう。
少しして指田が立ち去り、砂の上には足跡だけが残っている。しばらく塞ぎ込んでいると、少しだけ落ち着いたのか唯斗は立ち上がる。
「ほら」
「うわっ――」
立ち上がった唯斗は驚く。さっき放り投げたはずの水鉄砲を持った指田が、唯斗に水鉄砲を渡そうとしたのだ。
「なんで居るんだよ、あっちいけよ」
「本当に行っていいの?」
指田は訝しげな表情で聞いてくる。
「本当に、唯斗はそれでいいの?」
本心を貫かれたことで、唯斗も何も言えなくなってしまう。
「えいっ」
「冷たッ――」
「えへへ」
そんな唯斗に向けて、指田は先ほど入れたのだろうか、水鉄砲をそのまま唯斗の顔に向けて撃ってきたのだ。
「なんだよ――」
「こういうことすると、楽しいでしょ?」
指田の表情はにこやかで、唯斗はその顔を忘れたこともない。唯斗が拒絶しようとも、その手を掴もうとする。そんな人間は唯斗の知る限り、今までには居なかったのだ。
友だちも居ない。誰かを好きになったこともない。そんな唯斗が、初めて恋心を抱いた瞬間。塞ぎ込んだ唯斗の心を、たった一つの優しい手が差し伸べたのだ。
「実は私、大勢はあんまり得意じゃなくてさ。君のお姉さんもみんなと遊んじゃってるし、私は君と遊んじゃおうかな〜、なんて」
指田の言葉は嘘で、大勢が苦手なんてことはない。ただ、唯斗のことが心配になっただけの、善意の塊であった。塞ぎ込む少年を救うための、優しい嘘。
「……俺なんかで……いいの?」
「もちろんだよ。むしろ、君くらいの歳の子と遊ぶのは初めてだからね。とても良い経験だよ」
指田は、その年頃とは思えないほどに大人びた考えを持っており。唯斗も一瞬だけ、中学生なのかを疑ってしまう部分があった。
「よし、じゃあ行こうか」
「行くって――ちょ、どこに」
唯斗の手を引っ張り、指田は歩き出す。
「どこって、そりゃ海に決まってるでしょ。それとも、その水着は飾りかな? せっかく来たのに――」
「俺は泳げないだよ!」
「じゃあ泳げるようにしてあげよう」
「だからちょっと待っ――」
指田はにこやかな表情のまま、唯斗の手を引っ張ることをやめない。強引でありながらも、唯斗に行動を促すには一番な方法であった。
そうして海の中へと入っていき、指田に両手をしっかりと掴まれる。
唯斗はプールの授業でも溺れることが怖く、いつもプールの端に掴まったりして泳げずにいた。
「ほら、手持っててあげるから、足を動かす!」
慣れないながらも、必死に足を動かしてみる。そうして様になってくると、今度は支え無しで泳ぐように言ってきた。
唯斗も最初は断ろうとしていたが、指田が溺れそうになったら必ず助けると言って説得したのだ。
そして足がつくほどの浅瀬で、唯斗は勢いで足を離して泳ぐ姿勢を取った。手足を動かして、教えられた通りに泳いでみる。
幸いにも目を開けることに抵抗はなく、呼吸も上手く取れていた。そして気付いた。自身が泳げるようになっていることに。
「おー、やるねぇ」
「ぷはっ」
指田は約束通りすぐそばに居たようで、頭を海から出すと、後ろでパチパチと拍手をする指田が居た。
「泳げた……」
「うん、練習してその場で成功させるなんて、私でもできなかったことだよ」
指田の笑顔に胸を打たれると、唯斗は少しだけ頬を赤らめて顔を逸らしてしまう。しかし、初めて泳ぐことのできた経験は凄まじい喜びで満ち溢れており、好奇心がそれを更に後押しした。
「もう少しだけ、足のつかないくらいのところまで泳いでみたい」
「いいよ、付いて行ってあげようじゃないか」
指田の言葉を信じ、唯斗はもう一度泳ぐ体勢を取る。そして、指田と一緒に、足をバタバタと動かしながら少しだけ奥の方へと泳ぎ始める。
バシャバシャと、水飛沫が飛んでいた――。
「ゆい兄〜‼︎」
――バシャバシャと水飛沫をあげて、両手が海から飛び出している。その横で、藤原の兄が唯斗のことを呼んでいた。
「ヒメねーちゃんが溺れてる!」
「なっ――」
いつの間にか昔の記憶に入り浸り、見守ることも忘れて座っていた唯斗は咄嗟に立ち上がった。ヒメの溺れているところまで全速力で向かって海へ飛び込み、あの頃のように泳ぎ始める。
海で泳いだのは久しぶりで、唯斗にとっても泳げる自信はあまりなかった。しかし、泳いでみれば意外にもすんなりと上手くいってしまう。
「ごぶぶぶぶ」
藤原の兄弟も流石にヒメを支えれないのか、それともヒメが暴れているせいでそれができないのか、唯斗の名前を呼ぶことしかできなくなっていた。
唯斗が辿り着くと、ヒメはすぐに海から救出された。
「ぷは……は……は……」
「う……危うく死ぬところだった」
ヒメは意外と落ち着いており、唯斗の方が呼吸を整えている始末であった。
「なん……で、ヒメは人魚――」
藤原兄弟はまだ海の方に居る。二人や周りに聞かれない音量で、泳げなかった理由を問う。
「なんか、人魚の時と違って泳げなかった。それどころか、呼吸もできない」
「はぁ……?」
唯斗はヒメの言っていることが理解できなかったが、よくよく考えてみれば引っかかる点はあった。
「ヒメって人間の姿の時、呼吸はどうしてるんだ? というか、人魚の時も肺呼吸はできるのか?」
唯斗の質問に、ヒメは答える。
「人魚の時も地上での呼吸はできた。けど、この状態だと、海で呼吸ができないみたいだ」
ヒメの回答に、唯斗は一つの答えを導き出す。
「つまり……ヒメが人の姿になれるのは、見た目だけじゃなくて中身もそうなるってこと……?」
「……そう……だと思う。ごめん」
ヒメ自身にもわかっていないようだが、唯斗には納得ができた。実のところ、唯斗自身もそのことで気になっていたのだ。ヒメは足を生やせるが、それは見た目だけや形だけのものなのか。それとも、他の部分も含め人間そのものに変化しているのか。
しかし、今回のことでわかったことがある。それは、身体構造も人間のものに酷似していることだ。これで、ヒメに残された人としての機能は汗の部分になる。
体温調節の機能は、海の中に居る場合でも謎が多い。しかし、それがどうなっているのかを調べる術はなく、調べるようなこともできない。それこそ、唯斗の恐れているようなことが起きてしまう。
「そっか……いや、ごめん。俺の方こそ、試してもないのに泳いだりできるって勝手に思ってた。俺の方がしっかりするべきところだった」
騒ぎに気が付いたのか、指田と苗島も二人のもとへ駆け寄ってくる。遅れて藤原の兄弟も海から上がり、二人のもとへ近付いてきた。
四人に大丈夫なことを伝えると、指田も安心したように謝罪した。今回は指田も監視役となっているため、責任があると言ったのだ。
すると、藤原兄弟も謝ろうとする。そんな謝罪合戦の開催を止めたのが、先ほどまで気絶していた苗島であった。
「つか、大丈夫ならあそこ行かねえか? 海の家なら、かき氷とかもあると思うぜ?」
ビーチに来てからそこまで時間も経っていなかったが、苗島の提案にヒメがお腹を鳴らしたことで、少し早めの休憩にしようか、と指田も賛成の意を示した。
せっかくだから奢るよ、と指田が言うと、藤原の兄弟は大賛成で海の家へと何も言わずに走り去ってしまう。
「……行くか、ヒメ」
流れは決まっており、唯斗もそれを止める気持ちにはならない。ヒメは元より賛成の意であり、藤原の兄弟を追いかけるように四人は立ち上がり、海の家に向けて歩き始める。
あとがき
どうも、焼きだるまです。
遂に三月も今日で最終日。私も明日からは社会人として、人生を歩んでいく次第であります。
仕事を始める以上、今までのように執筆ばっかや投稿準備ばっかとはできませんので、今のうちに人魚姫の方はできるだけ準備しておこうと思います。
大丈夫だとは思いますが、もしかしたら一日お休みすることがあるかもしれません。そうならないよう、脱稿が済んでいる本作をじゃんじゃんなろうへコピペor加筆修正していきます!
最近は少しPVも落ち着きを見せていますが、続きを心待ちにしてくれている皆様のおかげで、今後も続けていけるのです(少なくとも本作品は完結まで書けていますので、そこは問題ない)。
四月からも、忙しくなるとは思いますが「人魚姫を釣り上げたおはなし」をよろしくお願いします。
では、また次回お会いしましょう!