3 『聖なる池』2
グイグイと引っ張られる。だんだん苦しくなってくるが体は沈んでいく。
(ヤバい)
上に行こうと足掻くが、どうにも思うように動けない。そうこうしているうちに体が底に至った。
(やっぱり光ってる!)
沙良は苦しいのを我慢しつつ、光っている部分を触ってみた。水に揺れながら砂が動く。そしてヒエログリフが見えた。
(え? これ、このヒエログリフ!)
スケッチブックのカルトゥーシュと同じ模様がそこに描かれていた。
(どうしてこんなところに!?)
ゲホッと咽た。空気が水中を漂い、上に昇っていく。
(ダメ、苦しい!)
我慢できなくなって必死で泳いだ。
頭上から明るい日差しが照り、水面がキラキラと輝いている。そこに向かってもがくように泳いだ。
「ガフッ!」
やっと水面に辿り着いた。這うようにして水から出て、地面に転がり込んだ。
(なにがあったの? 鞄が急に重くなって、池の底に同じ柄が……あ!)
鞄の隙間から光が零れている。慌てて開けると、四つ折りにした例の紙が淡い光を発しているではないか。
(ウソ!)
取り出して、破れないように気遣いながらゆっくり開くと、描かれているカルトゥーシュが光っている。しかし鉛筆の黒い線が水に溶けるように形を崩し始めると、光は次第に弱まり、やがて完全に消えてしまった。
(絵が……絵が消えちゃったわ。お母さんが描いた絵)
沙良はしばらく形が崩れて汚くなった紙を見つめていたが、肩を大きく上下に動かしながらフーっと深呼吸をした。
それから周囲を見渡した。
あれだけ賑やかだったにもかかわらず、今は誰もいない。アレキサンドラの姿もなかった。そしてなにより沙良を驚かせたのは、カルナック大神殿の様子が異なっていることだった。大きさや形がさっきとは明らかに違う。天井が抜け落ちていたはずの大神殿は、きちんとした建物となっているし、大きさや形もわずかに小さく感じる。なによりきれいに整備されていて、とても遺跡という感じではなかった。
沙良は立ち上がって神殿に近づいた。
「誰かいませんか? すみませーん」
神殿の中に入る。薄暗い通路を歩き、奥へと向かった。松明が点々と掲げられているが、奥へ行くほど暗く感じた。
突き当たりの部屋から光が零れていた。沙良は小走りに進み、中に入った。
「すみませーん」
「!」
「○×△!」
そこには三人の男がいた。ゆったりとしたローブのような白い衣装を身につけている。丸刈りで、見た感じ僧侶を連想させた。
「喉が痛いんですけど、ミネラルウォーターとかありませんか?」
「○□×◎△■○×●△○×◎●!」
「△●○×■◎△○×△○×△」
「○△■×●○×◎■×△●○×■!」
「私、アラビア語わかんないんで、英語にしてもらえませんか? May I speak English? Cannot you have mineral water?」
「※○▲□×◎&△■○×●△○×◎●!」
なんとなく様子がおかしい。沙良は彼らの態度が尋常ではないことにようやく気づいた。驚いているというよりは、恐怖に愕然としているという感じだ。
「あ、あのぅ」
三人は慌てて部屋から飛びだした。
(? なんかマズかったかしら? でも、喉がイガイガするし、水ぐらいわけてくれたっていいじゃない。つーか、英語も通じないのかな)
部屋を見渡すと、奥に豪華な祭壇のようなものが置かれ、いろいろなものが飾られている。その中に見るからに高価そうな水差しのようなものがあった。全面にヒエログリフが描き込まれ、金色に輝いてとても美しい。持ち上げて振ってみた。
(液体の音がする。匂いは……あ、いい香り。ちょっといただいちゃお)
横にあるカップに注ぐと飴色の液体が出てきた。それを飲み干す。
「うわ、甘い! でも美味しい!」
蜂蜜のような味がした。甘みが喉のイガイガを潤し、痛みはすっかり取れた。思わずもう一杯飲んでしまった。
(ジュースにしては濃いわよね。もしかして、ワイン? いやいや、色が違う。蜂蜜酒とかかな。あれっ、ちょっと体が熱くなってきた)
その時、さっきの男たちが戻ってきた。沙良が水差しとカップを持っていることに気づくと、顔面蒼白になって叫んだ。
「アメン神に捧げる蜜酒を飲むとはなんたる冒涜だ!」
「直ちに極刑だ! 隊長、すぐに処刑するんだ!」