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1 カルトゥーシュの謎1

 香山かやま沙良さらは片づけを終えてホッと安堵の吐息をついた。


 父の栄治えいじが亡くなり、四十九日の法要を終えてから遺品の整理を始めたのだが、その数が多くて、一週間もかかってしまった。


 高校三年生とはいえ、受験も終えて大学入学までの長い休みに入っている。時間はたっぷりあった。とはいえ、まだ山と積まれた本がある。中国や日本を舞台にした時代物の作家だった栄治は、資料として膨大な書籍を保管していたのだ。


「これから分別か。ま、本は友達だから、時間をかけてゆっくりやるわよ」


 RRRRRR……


 電話だ。リビングに向かい、受話器を取った。ディスプレイには父の友人である佐藤さとう友則とものり名が表示されている。


『もしもし、沙良ちゃん、調子はどうだい?』

「やっと終わった。これから本の整理」


『それが一番大変だろう?』

「そんなことないよ。一番楽しいことだから」


『なぁ、沙良ちゃん、やはりうちに来ないか? 真理まりもそのほうがいいと言ってる。そのマンションを賃貸に出せば沙良ちゃんの収入になるだろう? 春から大学生だし、しっかり貯めたほうがいいよ』


「そうね、寂しくなったら転がり込むわ。それまでは一人でやってみたいの。ありがとう、友則おじさん、感謝してる。ホントにおじさんがいてくれるから安心していられるんだもん」


『沙良ちゃん』

「ゆっくり頼らせて」


 受話器の向こうでフッと微笑む雰囲気がした。


『わかったよ。ゆっくり頼ってくれ。なにかあったら遠慮なく連絡しておいで』

「うん」

『じゃ』


 肺癌だった栄治の容態が悪化してからは慌ただしい毎日だった。そのすべてを手伝って進めてくれたのが佐藤夫妻だ。


 今年五十の佐藤は弁護士で、栄治の古くからの友人だった。癌を知った栄治が、沙良が未成年の間に亡くなった場合に未成年後見人を頼んでいた人物であり、現在は身元引受人の立場にある。


 結局、栄治は沙良が十八になってから亡くなったので、杞憂であったのだが。


 佐藤夫妻は若い時に幼い子どもを事故で亡くしたこともあり、沙良を我が子のように大事にしてくれる。栄治の印税が定期的に入るので経済的な心配はないが、未成年だけに身元後見人は必要になる。複雑な家庭の事情を持つ沙良には、佐藤はなくてはならない大切な存在だった。


 栄治と母の香苗かなえは妊娠による結婚だと聞いている。


 人気絶頂だった時に、香苗が栄治を師と仰いで家に通い始めたことがきっかけで、二人は深い仲へ。


 災いしたのは香苗が現役大学生だったことだ。二十歳年の離れた二人の結婚は、両家の怒りによる断絶と、スキャンダルとしてマスコミに掻き立てられ、当時世間を騒がせたそうだ。


 周辺に住む者たちは二人を敬遠し、特に子ども同士の付き合いに過敏で、子どもたちを沙良から遠ざけた。だから沙良はいつも一人ぼっちだった。


 沙良自身は毎日大好きな本に囲まれ、あまり気にしたことはなかったのだが、罪悪感を抱いた香苗が心を壊した。自分の行いによって我が子が仲間外れにされている姿を見るのは耐えられなかったのだろう。沙良が八歳の時に調子を崩すと、あ、という間もなく他界してしまった。


 早くに母を失った沙良を癒やしてくれたのは本だった。


 栄治が忙しく、また締め切り前は書斎に籠ってしまっても、本があれば寂しくなかった。だから沙良にとって本は友達であり、親であり、師であった。寂しさも、強さも、知識も、本が癒やし、教え、支えてくれたのだ。


 どんな本も愛しむべき存在だった。なにより亡き父が長年にわたって集め、使った大切な遺品でもある。


 RRRRRR……


 また電話だ。今度はスマートフォンだった。


(あ、坂下さかした君)


 クラスメートであり、春から同じ大学に通う微妙な関係の男からの電話だ。


 交際一歩前のような感じ。教室では至って普通だが、二人きりになると際どい会話に至る。つきあっているとは言い難いが、かけられる言葉は誘っているように感じられた。


 だが沙良はどこかこの坂下というクラスメートとの関係はうれしいと言いきれないものがあった。それをうまく言い表すことはできないのだが。


「もしもし」

『あ、香山? 具合のほう、どう?』

「具合? 至って元気」

『そうじゃないって。片づけのこと。終わったんなら、気分転換に映画でもどう?』


 心臓がドキンと跳ねた。


(デートのお誘い? さすがに次は進展する? でも、それ……)


 ドキドキと激しく鼓動を打つ。それを押し止め、沙良はいつも通りの口調で、いいよ、と返した。


「いつ?」

『明後日とか』

「いいけど」

『あ、俺さ、今金欠だから、映画代奢りでお願い』

「はぁ?」

『バイト先が決まったら美味いものゴチるからさぁ』


 沙良は自分の中で膨らんだワクワク感が萎んでいくのを感じた。坂下はいつも金のことを口にする。すぐに奢ってくれと言う。受験が終わってバイトをしたらご馳走してやる、欲しいものをプレゼントしてやると言って。


「わかった」

『じゃ、明後日、十時に渋谷で待ち合わせ』

「うん」


 スマートフォンのオフボタンを押した。


(私が一人っきりで暮らしているからアテにしてるのかな。あんまり考えたくないけど、やっぱり、そうだよね。こういう悪い推測って当たるものだし)


 ふいに佐藤の言葉を脳裏に浮かぶ。


――沙良ちゃん、君は栄治の遺産や印税が入ってくる身だ。近寄ってくる者には十分注意するんだ。


 佐藤の言葉はよく理解している。わかっている。だが、クラスメートの坂下を頭から疑いたくない、という気持ちがあるのも事実だ。


 小さく息を吐き出し、栄治の書斎の本に目を向けた。


(映画か。気分転換にはいいよね。単にお金目当てであっても、私が楽しめてる間までは嫌なことは考えたくない。今はまだ、一人ぼっちよりマシだから)




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