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5、事変前2

 一人残された沙良は、静かな部屋のベッドの中で茫然となっていた。


(いったい、どうなっているの? ルクソール神殿の池に落ちただけなのに)


 あの時の情景を思い浮かべる。休憩していたら急にリュックが重くなって、不意を衝かれたこともあって池に落ちてしまった。


 どんどん下に引っ張られて沈んでいき、池の底で光るものを見た。そこから足掻いて泳いでなんとか池から這い上がることができたのだが。


(私、間違いなく紀元前約千年以上前の大昔にタイムスリップしてるよね? あの池がタイムスリップを起こすゲートだったっての?)


 そこまで考え、沙良は自分がずいぶん落ち着いていることに気づいた。


(わかってる。非現実的なことを考えて、納得してしまってること。でもここが第十八王朝の古代エジプトであることは間違いないと思う。慌てても仕方ない。泣き叫んだところで戻れるわけじゃないし、かと言って、ここにいる人たちに説明しても助けてくれるとは限らない。やっぱり、ここは落ち着いて状況判断するしかない。現状では、どう考えたってラムセスに事情を話して協力してもらうしかない。未来に帰る手助けをしてって言ったら、なんとかしてくれるかな)


 天井を見つめながら古代エジプトの歴史を思い浮かべた。


(ツタンカーメンって暗殺されたんだよね。病気説もあるってマヌアさんが話していたけど、真相は不明だって。殺されたって説では、なにかの儀式の時に毒殺されたか、その最中に撲殺されたか……だったよね)


 沙良はふとなにかが頭によぎり、それを自覚して飛び上がった。


(アメン神の『祝いの儀』が控えているって言った! それってツタンカーメンが暗殺されるってことじゃないの? ヤバいじゃない!)


 慌てて部屋を飛びだした。目の前に兵士がいた。驚いたように目を見開いて沙良を凝視しているが、それを無視して怒鳴るように叫んだ。


「ラムセスはどこにいるの!?」

「…………」

「言いなさいよ! 早く!」

「面談の間に行かれたように思うが……」

「それって、どこにあるの? あー、説明されてもわからないわ、案内して!」

「え?」

「早く!」


 何事かわからない兵士は沙良の勢いに気圧され、目を白黒させながら走りだした。それを追いかける。周囲では多くの兵士や神官たちが沙良の存在に驚き、唖然としているものの、気になどしている余裕はなかった。


 角を曲がるとラムセスが数人の兵士と一緒に部屋から出てくるところだった。それを見ると、彼の名を叫んで走り寄った。


「サーラ! お前、なにやって――」

「ラムセス、早くここから出るのよ! 早く!」

「?」

「すぐにこの神殿から出るのよ!」

「なにを言っているんだ」

「私の言うことを聞いて!」


 周囲が騒然とする中、沙良の声だけが高く響く。それを制したのはラムセスではない別の男の怒声だった。


「神聖なアメン神の神殿で大声を出すとは神を冒涜しているに値する行為だ。女、静まれ!」


 ビクッと震えて顔を向けると、そこには皺がれた老人を連れた軍人たちが立っていた。老人が前に歩み出ると、ラムセスが驚いたように跪き、沙良の腕を引っ張って、彼女を傅かせた。


「パ・ラムセス。騒々しいが、何事か」


 痩せていて、見た感じでは老いぼれているが、燃えるような野心的な目をした男だ。見るからに高価そうなローブを身に纏い、額に黄金の飾りをしている。身につけている装飾品も目を奪う美しさだ。


 威圧的な目に沙良の体が震えた。目が合うと突然胸が焼けるような感覚に襲われた。


(なに? このイヤな感じ! 胸が焼け尽きそうだわ!)


「申し訳ございません。この娘は――」


「恐れながら申し上げます。わたくしはかつてラムセス隊長によって救われた者でございます。このたび、御父上様が突然お倒れになり、すぐにお戻りいただきたく、ご実家より遣わされました。どうかお許しくださいませ」


 目を剥いて驚くラムセスを無視して頭を下げる。


「お願い申し上げます。どうか帰省のご容赦を!」

「それはまことか!?」


 新たな声が轟いた。振り返ると、左手に剣を携えた男が部下を従えて立っていた。その男は青ざめて近寄り、同じように老人の前に傅いた。


「それは真か、ラムセス!」

「えっ、あ、いや、それは」

「本当です! 一刻を争うのです。直ちにここを発つお許しを! お願い申し上げます!」


 沙良は床に額をつけて叫んだ。


「大神官様、セティ司令官殿は、親亡きわたくしを引き取り、ラムセスとともに育ててくださった大恩あるお方でございます。病に倒れたなど、聞き捨てるわけには参りません。アメン神の『祝いの儀』を明日に控える大事な時であることは承知の上でございますが、処罰は覚悟の上、どうかラムセス共々、見舞いに行くことをお許しください!」


 男も頭を下げて懇願した。対してラムセスは愕然と二人を見ている。が、老人と目が合うと、脂汗を浮かべて頭を下げた。というよりも、この状況下では頭を下げざるを得なかった。老人のほうは胡散臭そうに三人を眺めている。しばし沈黙していたが、ゆっくりと首を縦に振った。


「当主たる父親が倒れたというならば致し方あるまい。セティ殿は下エジプトを統括する司令官の一人だ。おそらく他に聞こえぬよう、内々にて使いを出したのであろう。しかもこの時期に。それだけに容態は思わしくないと考えられる。よかろう、ホルエムヘブ将軍とラムセス隊長には特別に職務から離れることを許可する。しかしながらホルエムヘブ将軍、然るべき処罰は免れぬぞ」


「心得てございます。まことにありがとう存じます!」


 男――ホルエムヘブ将軍は歓喜して礼を述べ、ラムセスは憮然としたまま頭を下げた。そして三人は足早に立ち去った。


 その背を見送りながら会話は続く。


「宜しいのでしょうか? 将軍は……」


「仕方なかろう。ホルエムヘブはいいとして、ラムセスがいないのは好都合だ。あの腕と勘のよさ、警備の途中で計画に気づく可能性があるでな。まぁホルエムヘブの代わりはいくらでもいようぞ」


「は、左様で。それにしても大神官様、あの娘の肌をご覧になったでしょう。不思議な真珠の輝きがございました。大変珍しい人種かと思います」


「確かにな。あの娘、なにやら嫌な目をしておった。ただの奴隷とは思えぬが」

「調べましょうか?」


「よい。所詮は気の多いラムセスが、どこからか拾ってきたのであろう。北の果ての国には、黄金に輝く髪を持つ人種もいる。世界は広い。真珠色の肌をした人種もあろう。いずれにしても、今はそのようなことに気を回している場合ではない。大事を明日に控えておるのだ」


「はっ」

「ラムセスめ。あの方のお気に入りでなければ、とうにどこぞに飛ばすか、ヒッタイトとの戦いの最前線にでも送ってやるものを。忌々しい」


 老人はフンっと顔を背け、歩きだしたのだった。



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