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3. 癒されたくない

「えっと…… まだ馬車に乗るんですか? 今、門を通りましたよね? 」


「ああ、だからあと少しで着くよ。ほんの半時間程度だ」


「それは普通、少しって言いませんけど? 」


 馬車が公爵邸の門に入ってからのシェーナの反応は、ラズールにとっては少々めずらしいものだった。

 (いえ)が 『無駄に広い』 とは数少ない友人たちからいつも言われているはずなのに、どうして今さらめずらしいなどと…… と考えてすぐに原因に思い当たる。

 女の子をお持ち帰りするのは、意外とシェーナが初めてなのだ。ひとりになるのは好きではないラズールだが、ひとを(いえ)に招くのはもっと好きでないためである。


 普段の彼は帰宅までの長い時間を、その日会った人と話した内容を脳内整理するかエロ小説のネタを練るか御者席に出て御者の悩み相談に乗るかしてやりすごす ―― だがその時間は、シェーナと話しているとずいぶんと短く感じるものである。


 慣れるべきではないな、とラズールは判断していた。

 ―― 若い割に苦労の多い人生を歩んできてこれからやっと幸せになれるはずの女性を、己の空虚を埋めるためだけに利用すべきではない、と彼は思う。

 これまで多数のひとと繰り広げてきた恋愛ごっこであれば ―― お互いにお互いを利用しあっていることは承知のうえなのだから、別にかまわないだろう。

 だが、シェーナはそうではない。恋愛ごとを遊びとして楽しむ感覚を理解しているとは思えない彼女を、利用するなどとんでもないことだ。


 慣れればきっと手放せなくなる。まずいことに、シェーナの立場はいま、ラズールがそうしようと思えば囲い込んでそのままそばに置き続けることも可能 ―― そこまで冷酷になれる自身を彼は容易に想像できたが、そのような人間にはなりたくなかった。


 それなのに。

 本邸のエントランスホールにたどりついて使用人総出による出迎えと挨拶が済み、シェーナが 『執事のクライセンと侍女長のアライダが年の差夫婦(カップル)』 という事実にいたく関心を示して瞳をかがやかせつつ、アライダの用意したエステにやすやすと連行されてまもなく ――

 問題が、明らかになってしまった。


「シェーナ・ヴォロフ男爵令嬢は、僕が婚約者として預かってはいるが、彼女にふさわしい相手が見つかるまでの一時的なものだ。クライセン、きみはさっそく、シェーナに似合いの相手を見繕ってあげてくれたまえ…… いや、リストアップさえしてくれたら、選定は僕がする。お見合いで双方が良しとなれば、晴れて僕の役目は終わりだ。よろしく頼む」


 簡単に書類のチェックと入浴を終え、寝室に向かう途中。

 ラズールがクライセンに頼んだとたん、この代々公爵家に仕えてきた由緒正しい家柄出身の執事の足は、ピタリと止まった。


「…… 旦那様。それを、アライダに言えとおっしゃるので? 」


「アライダには…… かわいそうすぎて言えないね」


「 そ の と お り で ご ざ い ま す 」


 侍女の仕事は貴婦人について話し相手になったり身支度を手伝ったり用件を下の使用人に取り次いだり、といったことであるが、公爵家にはラズールの母である前公爵夫人が亡くなって以来ずっと、貴婦人がいなかった。


 ほかの年若い侍女が王宮や他家にうつるなか、すでに若いとはいえない年齢のアライダは 『前公爵夫人(大奥様)の遺品整理』 と 『いつか来るかもしれない公爵夫人(奥様)のお世話』 というたった2つの ―― いや、実質は1つの仕事のために公爵家に引き止められていたのである (2つのうち後者のほうはラズールの評判が悪すぎるため、これまでまったくアテがなかった)。


 公爵家としては温情のつもりであるが、働き者の侍女長にとってはつらくもあった。ろくに仕事がないのにかなり高額の給料だけはきちんと出されて、辞退も許されないのだから。

 ―― しかたなく、使われることのない公爵夫人の部屋をメイドでもないのに繰り返し磨くだけの日々。

 それがやっと終わる、と主人の婚約を公爵家でいちばん喜び、張り切っているのがアライダなのだ。


僭越(せんえつ)ながら、旦那様。もちろん奥様にも、おっしゃいませんように…… アライダに高確率で伝わってしまうことでしょう」


「シェーナにはそのうち、伝えねばならないと思うのだが…… そちらのほうが安心して過ごしてもらえるだろうし」


「お考えください、旦那様 ―― 今の段階で、奥様はすでに旦那様と本気の婚約をした、と思い込んでいらっしゃるはずです。それがいきなり 『本当はきみと結婚する気なんて全然ないんだよ』 と言われれば、かえってお気持ちが傷つかれてしまうやもしれませぬ」


「ふむ…… それも一理あるね。だが、彼女にはもともと、さほど結婚願望があるようにも見えなかったから…… 」


「それでも、でございます」


 いつになく必死で主張するクライセン。2まわり年下の愛妻、アライダのためということもあるが、それだけではない。

 彼は、この主人が 『王国一の女たらし』 と言われている割には女心に通じていないことを知っている。ラズールの女性への対応は 『とにかく優しく親切に』 一辺倒だからだ。

 もっともクライセンとて、女心にさほど詳しいわけではないが…… それでも、主人よりはもしもの場合を心配できているのだ ―― すなわち。


(もし奥様が本当に旦那様のことがお好きだったらどうなさるのですか……! )


 こういうことである。

 なにしろ、ラズール自身は気づいていないが、彼の際限ない親切と美貌の合わせ技は、おっさんになった今でも余裕で年若い淑女をたぶらかすことができるレベル……

 実際のところクライセンは、主人に同行したパーティーで使用人なのにしょっちゅう婚活中の貴族令嬢に話しかけられるのが常なのだ。

 彼女らは、あわよくばストーカー化してラズールの有り余る親切心を己だけに向けさせようと、スケジュールを探りにくるのである。

 ―― ちなみにそのたびにクライセンは 『旦那様は老け専かつブス専でいらっしゃいます』 と答えることにしている。嘘ではない。

 旦那様がどちらかといえば年上好きなのも、旦那様にとって 『ブスな女性』 という人種が存在しないのも事実なのだから。

 それに、公爵家としては嫁はほしくとも、令嬢たちからのアプローチは避けるのが賢明。彼女らの親がまともなら、『王国一の女たらし』 との縁談などまず嫌がる、こじれる、あげくにとんでもない悪評をまた立てられてしまうからだ ―― が、それはさておき。


 クライセンの計算では、今日のデートだけでも奥様が旦那様に落ちた可能性はじゅうぶんにあった。

 そして、もしそうであった場合に (しかもすでに 『奥様』 と呼ばれているのに) 『好きな男と結婚していいよ! ただし僕以外で』 などとラズール自身の口から説明されれば……

 それは、死刑宣告に近いではないか。


「しかしだね、クライセン。彼女はこれまで頑張ってきたんだ。だから、僕のような評判最悪のいいかげんなおっさんではなく、地位も財産もそこそこあって彼女を心から愛せる容姿普通以上の男と、幸せな結婚をさせてあげるのが良いと思うよ、僕は」


「ですが、旦那様…… 」


 そのような都合の良い相手はそうそう転がってはおりません ―― まるで乙女のごとき旦那様の夢を否定するセリフをすんでのところで呑み込み、クライセンはこう提案したのだった。


「そのうち候補者を集めて茶会か夜会でも開き、もし奥様がどなたかと良い関係になれそうであれば、そのときに旦那様が身を引かれることをお告げになり、奥様とお相手の方との縁談を進められればよろしいのでは」


「…… 僕のパーティーに、未婚の男がくるのか…… 」


「奥様のためでございます。奥様のお気持ちを考えるならば、真の婚約が確定されるまでは、今のご婚約が暫定などと告げないほうが、お心安らかに過ごしていただけるかと」


「そうか…… わかった。なら、候補者の選定をよろしく頼む」


「かしこまりました…… では、お休みなさいませ、旦那様」


「ああ、おやすみ。シェーナには、婚約期間中は別室で休むと伝えておいて 「あれ」


「どうした、クライセン」


「いえ、少々お待ちくださいませ…… んんっ…… おうっ…… いつっ」


 あるじの寝室の前にたどりつき、その扉を眉をしかめつつ押したり引いたりしていた執事は、やおら腰に手をあてた。


「クライセン、腰をやられたのか? すぐに手当てを」


「なんのこれしき。旦那様は、お気遣いくださいますな」


「だが腰を振れなくなったらアライダに申し訳な 「いえ、まったく問題はございませんから…… それより、旦那様」


「扉が開かないのかい? 」


「さようでございます」


 クライセンはしばらく扉を調べていたが、やがて結論を出した。


「これは、わざわざ業者を呼んで強固に封印魔法をかけましたね」


「………… 誰がやったかは想像つくよ」


「……………………。 申し訳なく存じます」


 執事と主人は顔を見合わせて、ためいきをついた。犯人は公爵家(わがや)の愛すべき侍女長で間違いないだろう。


「証拠をあげて相応の処罰をいたしますので…… 」


「いや、いいよ。僕がしばらく、図書館のほうで寝ることにすれば問題ないからね。馬車を出して…… いや、時間が時間だから歩いていこう」


 公爵家の図書館には、ラズールがエロ小説執筆用に使っている部屋があるのだ。

 エロ小説を書いていることは公爵家の者には一切知らせていないので、そこは編集者以外は立ち入り禁止の完全プライベートルームである。


 どっちみちが国王命令で明日からは休暇であるから、これから寝室の扉が開くようになるまでは、図書館のほうで小説の執筆を進めつつ適当に寝起きすればいい ――

 そう考えてきびすを返したラズールの前に、執事が平身低頭せんばかりの勢いで立ちふさがった。


「どうした、クライセン」


「…… 王太子殿下との婚約期間は3年。その間に、奥様は花の盛りを迎えられました」


「急にどうしたんだ? 」


「お考えください、旦那様。健康な青年であられる王太子殿下が、婚約の解消や破棄が法律上認められていない聖女様 ―― つまりは結婚確定と思い込んでいたに違いないお相手が美しく成長した場合、どのように振る舞われるかを」 


「…… ふむ。やることは1つしかないね」


「していない可能性も、もちろんございましょう。しかし、もし奥様がすでに経験済みであられた場合、当然、旦那様にもそれを期待されるはず…… 婚約同居の第一日目にひとり寝とは、思ってもおられないやもしれませぬ」


 ルーナ王国では、王族・貴族の婚姻は政略によりコロコロ変わるのが普通であるため婚前交渉はご法度である。だが、婚約者と同居までするようになればその限りではない。結婚確実と見なされるからだ。

 クライセンが言っているのはそのことであり、理屈としてはわかる。だが、ラズールは納得していなかった。


「シェーナは、ひとり寝大歓迎しそうなタイプに見えたが…… 」


「どちらにせよ、旦那様。アライダがここまでやる以上は…… もし、初夜を迎えていないとバレたら、次は料理長を抱き込んで精力のつくメニューを増やすこと確実でございます」


「きみが止めてくれたまえ、クライセン」


「そうしたいのはやまやまでございますが…… おそれながら、相手はアライダでございますので」


 ラズールはしばらく静止し、もう一度深くためいきをついた。


「…… 大丈夫だ。僕は、どのケースにも対応できる」


「さすがは、旦那様でございます」


「…… だが、できるだけシェーナの婚約者候補の選定は、急いでくれたまえ…… 」


「かしこまりました。では、今夜はご夫妻の寝室に」

 

 前公爵夫妻が相次いで亡くなって以来、長らく使われていなかったはずの夫婦の寝室は、奥様用のほうだけがきれいに整えられて真新しい天蓋つきベッドが入っていた。

 一方で、カギのない簡易扉を隔てて隣合う主人用のそちらは、ラズールの寝室と同様にやはり業者の魔法で封印されているようで、扉はカタッとも動かなかった。

 侍女長の執念がすごい。


「では、おやすみなさいませ、旦那様」


「ああ…… おやすみ」


 所在なくベッドに腰をおろして婚約者が来るのを待つラズール。

 しかし暫定の婚約である以上、めでたく初夜を迎えるわけには当然いかない ―― いくら侍女長が張り切ってなにか画策していようとも、もしかしてシェーナ本人がなにか期待していようとも。


 彼は脳内で、ケース別に回避パターンを練ってシミュレーションしていた。

 想定しているのは3ケースである。


・ケースその1 : シェーナは経験済みか未経験かを問わず、初夜を期待していない。

 [対応] 爽やかに 『その気がないアピール』 をしてシェーナを安心させ、アライダが下がったころを見計らってこっそり図書館に行く。


・ケースその2 : シェーナは未経験であるが初夜を期待している。

 [対応] 結婚するまではガマンと白々しく言い聞かせる ―― 例1 『きみとの初めては大切にしたい』 / 例2 『きみといきたい別荘リスト』 を並べたて 『初めては○○な場所でこういうシチュエーションがいいのではないかな』 と匂わせてその気にさせる。エロ小説家の腕の見せ所。だがよく考えれば初体験の話などもうウン十年書いていない (なんとかなるだろう)


ケースその3 : シェーナは王太子と経験済みであり初夜を期待している。

 [対応] 失神するまでキスして寝かす。たぶんいけるはず。無理なら…… いかにもそれらしい雰囲気だけは作りつつ睦言(ピロートーク)を並べ立てている途中に疲れて寝落ちることにする。おっさんだから大丈夫。たぶん。

 ※ いずれは真の婚約者が現れるのだから、いくら迫られても本番には応じてはならない。

 

 シェーナの様子から推測するにおそらくはケース1、とあたりをつけながらも、念のためにケース2、ケース3についてもラズールは脳内シミュレーションを繰り返す。だが、途中でハタと止まった。

 相手はまだ、18歳になったばかり ―― 40歳のラズールとしては、ほぼ子どものようなものである。


(…… 失神するまでキスする時点ですでに犯罪のような…… いやいや、やはり、王太子(ハインツ)がしっかり仕込んでいるだろう。そうに違いない)


 いかなるケースにも完璧対応を心がけてシュミレーションをしたがために、ラズールはかえって判断ミスをすることとなった。

 『シェーナは王太子とマル済』 のほうに結論を流したのである。

 そして、このとき ――


 寝室の扉が開いて、アライダとシェーナが入ってきた。

 ナチュラルに身体のラインと身内(みうち)感くつろぎ感を演出する夜着の破壊力からは意識を外すべきだと瞬時に判断したラズール。

 簡単なやりとりでアライダが下がったあとは、ひたすらシェーナの表情に注目しつつ会話をする。


「エステはどうだった?」


「はい、すごく気持ち良かったです。疲れがとれましたし、アライダさんとも仲良くなれました」


「よかった。アライダは、母付きの侍女だったから、母が亡くなって以来ずっと元気がなかったんだよ。今日は久々に、生き生きとして楽しそうだった」


「はあ、それは良かったです」


「君のおかげだね、シェーナ。ありがとう」


「いいえ、どういたしまして」 


 どうやらシェーナはかなり緊張している模様である。

 普段ならばその様子から 『初めて』 と判断できるはずのラズールだが、このときは 『王太子とマル済』 説にこだわってしまっていた。無意識のうちに、自覚できていない罪悪感から逃れようとしたせいである。


ハインツ(王太子)はどんなプレイをしていたのかな…… 『こんなの飽き飽き』 という感じにならないように、趣向をこらさなければね)


 シェーナの緊張には気づいていても、知らず知らずエスカレートしてしまっている己の思考が彼女をより緊張させていることには、まったく気づかぬラズールは ――

 おずおずとベッドの端っこに腰かけるシェーナに、とりあえず柔らかくほほえみかけた。

 その後は延々と、他愛ない話をしつづける。安全アピールのためだ。


 こういうものが好きなのだろうと、かつての使用人たちの恋愛模様を延々とシェーナに聞かせていると、彼女のこわばっていた全身から次第に力が抜けてきた。あと一歩…… いや、特に何かをするわけではないが。


「疲れていない? もしよかったら、そろそろ、寝ようか? 」


 うとうとしかけたシェーナが、ラズールの声かけにはっとしたように目をさます …… と同時に、彼にとっては判断がつきかねる質問を投げ掛けてきた。


「あの…… 寝るってやっぱりその、男女間のソレな隠語として使われる 『寝る』 なんでしょうか? 」


「ん? 違うのかい? 」


 ラズールがとぼけて聞き返したのは、期待してくれていた場合 『違う』 と言い切るのも失礼だからである。

 だが、シェーナはそれを 『そのとおり! 』 とラズールが肯定したものと解釈したらしい。

 シェーナの全身が、ふたたび緊張で固くなった。


「いえ、立場上は違わないことは理解してるんですけどですね、なんといいますかその、心の準備が…… 」


「心の準備? 」


 (ただ)れたオッサンにはよくわからなかったセリフをさらに聞き返すと、驚くべきことにシェーナは 『王太子とはキスもまだであり、手を繋いだことが5回程度』 などと言い出した。なんということだろう。


(ハインツ、まさか…… 3年も婚約してて何をしていたんだ!? もしかして本当にロ○コンなのかな)


 ハインツ(王太子)ももったいないことをしたもんだね、とひとまずシェーナをフォローしたつもりだったラズール。

 だが彼の 『もしかして本当にロ◯コンなのか? 』 という心の疑惑を聞き取ったシェーナは、王太子をかばいだした。


 ―― 婚約破棄された誕生日パーティーの会場ではちょっとした報復(ざまぁ)を兼ねたイタズラで王太子をロ◯コンに仕立て上げたものの、実際には王太子に幼女趣味などないことをシェーナは知っているのだ。3年の婚約のあいだ王太子から粗略に扱われていたとは、彼女はまったく思っていない。


「ハインツ様は真面目なんです! 」


「ふうん…… 好きだったんだね、彼のこと」


 改めて、ヴォロフ男爵の嘘 『公爵に恋い焦がれて部屋中に云々』 と現実とのギャップがいたましくなるラズール。

 恋い焦がれるどころか、どうやらシェーナのタイプは彼とは正反対の家庭的で真面目な男であるらしい。


(僕なんかが婚約相手では、ガッカリもガッカリだろう。気の毒なことだ)


 シェーナの父親も、もう少しはターゲットを考えるべき…… いや、この婚約はそもそも国王命令なのだから、考えなければならなかったのはヤツ(国王)のほうか。

 あれだけはどんな死に方しても自業自得だ…… ぼんやりと国王への怨嗟(えんさ)を練るラズールに、シェーナはせつせつと訴えていた。


「…… ハインツ様って、すごく真面目で誠実な人なんです」


「うん」


「だけどけっこうおバカで、ずれてるところもあって…… そこがかわいいといえばかわいいんですけど、王太子様だからあんな性格だと、立場的なストレスがすごいだろうな、って思ってて」


「いえてるね」


「わたしは、もともと平民で、後ろ楯もなければ王妃としての才覚も全然だけど、ハインツ様のつらいところを自分が軽くしてあげることはできる、って思ってたんです…… 思い上がってたんですぅうううう…… うぐっひぐっうぇぇ…… 」


 そういえば昔、同じような気持ちになったことがあったな、と思ったときには、ラズールは無意識のうちにシェーナを抱き寄せていた。

 まるで過去に己についた傷をいたわるようだ、とその行為に含まれているみっともない自己憐憫の情に、彼は顔をしかめてみる ――

 だが、今、彼の胸で泣いているのは、少年のころの彼ではなく、傷ついた女の子だった。


 震える背に、ときどき、幼い子をなだめるときのように手を置いてみる。 

 ―― 昔、彼にそうしてくれたひとは、そのために死んでしまったのだが……

 彼女の優しさをこうして、傷つき泣いているひとにわけてあげられることが、なんと慰めになってしまうことか。


『それでいいんだよ。あたしも、あんたをひろった甲斐があるというものさ』


 心のどこかで彼女がささやく。

 彼女ならそう言うだろうと、ラズールは知っている。よみがえるその声は懐かしく温かく愛しく、彼は必死で心の耳をふさぐ ―― 


 (傷ついたままでいい。いつまでも痛めばいい)


 (僕は、きみを()()()()()()()()()()()()()()()などにはしたくない)


 シェーナは泣き疲れたようで、いつのまにか眠ってしまっていた。あおむけに寝かせてあげると、子どものように口がぽかんと開いた。あどけない寝顔だ。

 彼女の口から垂れているヨダレをふく己の顔がほほえんでしまっていることを、ラズールは知っている。

 知ってはいるが、なにかを感じているわけではない。


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― 新着の感想 ―
[良い点] >女の子をお持ち帰りするのは、意外とシェーナが初めてなのだ。 は じ め て な の だ ! そうだろうなと察しました(#˘ω˘#) >(もし奥様が本当に旦那様のことがお好きだったら…
[良い点] >『旦那様は老け専かつブス専でいらっしゃいます』 クライセンwww もっと他のかわし方があるだろうにwww
[一言] 絶妙なずれ方ですね。
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