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15-2. 愛さずにはいられない②

「えーと、その公爵。わたしがほしい、っていうのはその、 『ネーニア・リィ(ユーベル先生)ラティヌス(のエロ小説)』 でヒーローがロティーナちゃん(ヒロイン)に熱烈にささやいているような意味で…… とか別にうぬぼれてはいませんけど、その」


「きみが勉強熱心で助かるよ」


 うぬぼれてはいない、とはまたかわいいことを言ってくるものだが、それでうぬぼれられるなら存分にうぬぼれていい。だってまさにその意味なわけだから。

 未経験者にいちから説明せずに済んで助かった、とラズールがほっとする一方で、シェーナはますます固まった。


「だだだ、だって公爵、その、心の準備が! 」


「だからプロポーズするんだ。勝手で大変申し訳ないが、できればすぐに心の準備してくれれば、ありがたい…… ああ、ここには指輪がないか」


 髪の毛を数本抜き、()り合わせて輪を作ってシェーナの指にはめる。


「こんなもので申し訳ないが…… 」


「う…… いえその、けっこう嬉しいかも、です…… 」


 抱き起こすと真っ赤になってうつむくシェーナがいとしすぎて、ラズールはこれまでの抑制(ガマン)など大したことはなかったのだと思い知った。だが、がっつくべきではない。

 『かつて(ふね)でパンツや靴下を盗まれた日付・時刻リスト』 を脳内で暗唱しつつ、ラズールはシェーナの前に片膝を立ててひざまずいた。


「シェーナ・ヴォロフ嬢。僕と、結婚してください」


「 ……………… 」


 シェーナはますます赤くなって、うつむいた。緊張しているのだろう、としばらく返事を待っていたラズールだが、沈黙は予想外に長く続いた。

 もしやまた失敗、とラズールはシェーナの顔をうかがい…… そして、気づく。

 シェーナの視線がちらちらと、ラズールの膝の間あたりに注がれていることに。


「 ………………っ ! 」


 大失態であった。

 なぜ下半身をかばいつつバックハグで求婚しなかったのだろう、と己を責めるラズール。

 そう。片膝でひざまずくと、短めの浴衣(ガウン)の裾が割れて、もろに見えてしまうのである。ナニがとは、()えて言わないが。

 浴衣(ガウン)の前をしっかりと合わせて、ラズールは座り直した。どうしようもなく盛り上がっていたはずのモノも、いつのまにか恥ずかしげに縮こまり、しょんぼりうなだれている。

 いかなるときにも余裕を失わないはずの強固なプライドも、こうなってはもはや崩壊寸前 ――

 この事態を取り繕おうにもどこから手をつけていいかわからず、最終的にラズールは素直に頭を下げた。


「……………… すまなかったね、シェーナ」


「い、いえ…… 誰にでも、あるかもしれないことですし…… 」


「いや、あるかもしれないが、そう頻繁(ひんぱん)にはないだろう…… 」


 もしこれでシェーナの初恋が終わったとしても、それはそれで彼女のために喜ぶべきことなのだからかまわないだろう。

 欲望に正直になりすぎた結果が失敗だったのは、むしろ良かった ―― と、ラズールはひそかに己を慰めた。


(やはりシェーナにはそのうち、濡れ落ち葉あらため添え物のパセリなおっさんのかわりに立派なメインディッシュになれる若者を探してあげるべきだね…… )


 だがこのとき、彼は気づいていなかった。落ち込みまくった残念なおっさんを、シェーナがウカツにも 『かわいい』 と思ってしまっていることに ――


「ともかく、プロポーズはやり直すよ。どんな場所がいい? 港にするか、それとも…… 図書館かな」


「図書館がいいです。…… 前みたいに、陽のあたる小さな部屋でふたりきりでお昼ごはん食べていろいろお話して」


「そうか…… では今度、そうしよう」


 そんなこと言われたらまだシェーナの初恋が終わってないように勘違いして心臓に悪い、と思いつつ、かろうじて残ったプライドを総動員してラズールはほほえんだ。

 だがギリギリの余裕は再び、すぐに打ち破られることとなる。予想外の、シェーナの攻撃によって。


「あの…… 図書館でのプロポーズも楽しみなんですけど…… 」


「どうしたんだい、シェーナ? 」


「こっちも、いただいておいていいですか? 」


 ほかのどんなジュエリーよりも大切なもののようにシェーナが見ているのは、先ほどラズールの髪の毛で作った即席の指輪 ――

 細くやわらかな金の糸に、彼女はそっと唇を寄せた。


(殺す気か……! )


 やめてそんなことされたら逃がしてあげられなくなるからこらもうやめたまえ……


 楔石(スフェーン)の瞳が、上目遣いに彼をのぞきこむ。


「公爵。逆ですよ、逆」


「どういうことかな?」


「公爵が逃がさないんじゃなくて、わたしが逃がしてあげないんですからね? わたしは逃げたいときには逃げますから、ご安心ください。逆に、公爵はこれから一生、わたしのパセリってことで。ご了承、よろしくお願いします」


「 ……………… 」


 なんと答えたものか、とラズールはしばし頭を巡らせたが、どうしても、パセリというよりべったり貼り付く濡れ落ち葉的な文言しか浮かんでこなかったので、しかたなく破顔した。


「まいったよ、シェーナ。きみには全面降伏だ」


※※※※


 沈まない夏の太陽が、薄紅色に空と海を染める。岬や遠くの連山に残る雪も染まって、一面に花が咲いているようだ。入江(いりえ)の底まで深く透きとおった水に、島や入りくんだ岬が黒々と影を落とす。

 水の下にももうひとつの国があり、そこはきっとこの世のどこよりも美しい ――


「良い景色だろう、マイヤー。きみにこれを見せようと思ってね、部下に実習生の夜間の航行演習を兼ねて、動いてもらった。僕も海に出るのは久しぶりで嬉しいが」


「公私混同でございますね、ご主人様」


「彼らには個人的に臨時ボーナスを出しているよ」


 ラズールは軍船の縁に立ち、後ろを振り返った。

 そこには、型の古い服を着た男がぼんやりとたたずんでいる。以前と変わらない、暗い目付きに無表情な顔 ――

 それでも喋るようになったな、とラズールは思った。


 6月(ユーニウス)に入りシェーナとの結婚式も間近になったころ、国王の生誕65周年記念の恩赦が行われた。

 以前に国王が約束してくれたとおり、恩赦リストにはマイヤーも入っていて無事に釈放されたので、ラズールがこうして出迎えにきているのである。

 昼に往復する定期便を使わず、わざわざ軍を動かしたのは、マイヤーに以前に約束したこの白夜の海を見せるためだった。


 船はこのままムルトフレートゥムの港へ行く。マイヤーを金鉱に送ればそののちは、彼に直接会うのは年に数回ほどになってしまうだろう。

 マイヤーにとっては、そちらのほうがいいかもしれない。

 彼の出自とも執着とも遠く離れた場所で、新たに生きる道を見出だしてくれれば良い、とラズールは願っていた。


「…… 以前に、あるひとの灰をここにまいたんだ」


「それがなにか」


「愛していると信じていた。いつか結婚しようと思っていた…… だが、そのせいで、そのひとは亡くなった」


「…… さようで、ございますか」


「正しくあることは難しいね。(おも)いはあっても、間違ってしまう。間違えば、想いそのものも疑わしくなってしまう…… 心があるかどうかなど、夢が実在するのかと問うようなものでね。だがマイヤー、僕はきみの心を信じているよ」


「急に、意味のわからないことを…… 」


「そうかい? それはすまない」


 暗い目がうつむいた。しぼり出すような声が、その口から漏れた。


「ほんとうに、愛していたんです。支配しようと思っていたわけではないんです…… まして、傷つけたいなどとは…… ただ、いつのまにか方法がわからなくなって。優しくできないときに優しくするのが、嘘をついているような…… 」


「知っているよ」


「さようでございますか」


 この異母兄にはわかるはずもない、とマイヤーは思った。

 すべてを持って生まれた、恵まれた公子。気持ちなどないくせに、人に優しくする方法だけはよく知っている ―― そんな男が理解するはずもない。

 愛していても、どうすれば良いのかがわからなくなるときがあることなど。


「―― この海に眠っているひとを僕は忘れたくはない。あのひとは常に痛み続ける傷で、そうあるべきだと思っている。だから、シェーナを愛して大切にして幸せにしてあげたいが、ときどきこの気持ちは全部嘘である気もする…… シェーナは幸せになっても、僕自身は彼女と同じ場所には、いけないからね」


「それでも優しくするんでしょう、あなたは」


「それ以外に、なにがあるっていうんだい? 己が幸せにならないからといって、同じところにほかの誰かを引きずり込みたいなどと、思うわけもないだろう? 」


「…… 私は、思いました。愛する人には()()()()()()()と。愛していたから、同じところにいてほしかった」


「そうだね…… わからないこともないが、僕は、誰かを不幸にするならその道は選ばないよ。幸せにならないのは、僕だけでいいと思うがね」


『なにいってるんだい、ふざけんじゃないよ』


 急に響いたその声を、マイヤーは幻聴だと思った。だが、彼の主人も、あらぬ方向に顔を向けて目を大きく見開いていた。


「…… 先生(ティナ) 」


 ラズールの目の前には、輝くような白いドレスを着たそのひとが立っていた。艶やかな黒髪が風で、扇のようにさあっと広がる。


『気にくわないねえ、お坊っちゃん? なんだかそれじゃあ、あんたはあたしのせいで幸せになれないみたいじゃないかね? 』


「いや…… なれないのではなく、ならないんだよ。そう決めているんだ。だってきみは、もう2度と…… 」


『重い』


「えっ…… 」


『うっとおしい。はっきり言えば、迷惑だよ、あんた。あたしとあの執事さんとの取引には、そういうのは入っていなかったんだからね』


「迷惑…… 」


『あんたもまあそうだけど、あの執事さんはいい人だった。ゴミみたいに扱われるのにあたしは割かし慣れてるんだけど、執事さんはそうしなかった。ちゃんと約束を守ってくれた……

 みてよ、このお姫様みたいなドレス。こんなのあたしが一生、身体を売り続けたって着れやしない。それに、アライダだって。

 妹が、あたしと同じにならなかっただけで、良かったんだよ。娼館の客はヘタクソが多いからねえ…… 金のためにガマンして感じたフリをするのは、けっこうつらいんだよね…… だから。

 ゴミクズみたいな人生のお代としては、これでじゅうぶんなんだよ』


「そんな世の中のほうがおかしいんだよ、先生(ティナ)


『はいはい、お坊っちゃんはいつもそう言うねえ…… でもね、お坊っちゃんが幸せにならなくても、()()()()()()()()()()()には、ちっとも関係がないんだよ。というか、あんたレベルでうっとおしい顔されるとイラッとするよね。どうしたって、あたしたちのほうがかわいそうなんだからさ。それに、あたしたちよりもっとかわいそうな子だって、大勢いるのにさ』


「それは知っている。ただ僕が、きみたちを忘れて笑って暮らすような人間にはなりたくないだけなんだ…… 」


 ラズールの声が小さくなった。知ってはいるが面と向かって言われると、グッサリ刺されたような気分に少々なってしまうのだ。


「僕はたしかに身勝手だし、同情などきみちにとって迷惑なだけなのもわかるが…… それでも、何も知ろうとせず、与えられたものを当然のように受け取って肥え太る豚どもよりは、きみたちに近い人間でありたかったんだよ」


『だからさ、前もいったけど、そういうひとに幸せになってほしいと、あたしたちが思わないわけがないだろう? バカにすんじゃないよ』


「バカにはしていない。だが、幸せになるなら、きみたちが先だ。幸せは、なんというか、僕にはまだ丈の合わない服みたいなものでね。きみたちのほうが良く似合う。その、きみのドレスも良く似合っている…… 生きているうちに着せてあげたかった」


 花嫁のドレスを着た女を、まぶしそうにラズールは眺めた。

 ―― 実際に彼女がこのドレスを着ているのを見たときには、彼女はもう2度と笑いもしなければ怒りもしないようになっていたから ――

 おそらくは幻覚の(たぐ)いであっても、今こうして見られて良かった、と彼は思う。


 ティナはくるりと回ってみせて、笑った。


『でもあんた、もうじき()()()に、こんなドレスを着てもらうんだろう? 』


「いや、それよりもう少しいいものなんだ…… すまない。ほんとうは、今の僕には彼女の幸せが一番なんだよ。だが、それではいけない」


『良かったじゃないか。いいんだよ、それで』


「だが、それではあまりにも残酷だ…… 」


『お坊っちゃんは、まだお坊っちゃんなんだねえ。お恵み深くていらっしゃる。それでよく、あたしたちに近いだなんて言えたもんだ』


 ティナは呆れた口調で腕を広げた。

 まばゆいドレスに包まれた身体が風であおられたかのように、宙を舞う。


『このドレスを執事さんからもらったころは、あたしは誰よりも妹の幸せが一番だったよ。ほかの誰を蹴落としたってアライダには、食事と寝る場所がちゃんとあって、まともな人と結婚できる生活をあげたかったのさ。お坊っちゃんのことなんか、悪いけど、ちっとも考えていなかったね……

 生きるってのはそもそも、残酷なことなんだよ。だってしょうがないやね。生きるのは大変なんだから』


「きみたちにとってはそうかもしれないが、僕にとってはそうでもないんだ。だからこそ、ひとりを優先してはならない。僕は切り捨てられた者の痛みを知っているんだから、なおさらだ」


『けど、優先しちゃってるんだね』


面目(めんぼく)ない。つい」


『それで、なんだかんだ言っても、幸せなんだろう? 』


「………… それは、言いたくないな」


 ―― あの公衆浴場でのプロポーズ失敗のあと、明らかに残念すぎただろうにシェーナがあまりにかわいいことを言ってくるものだからつい調子に乗って、彼女を王宮にある自室にかっさらった。

 そこで 『わたし、味わいがいがないんですよね?』 と引きまくる彼女を 『それは昔の話だろう? 今のきみがどれだけ美味しいかは…… じっくりわからせてあげるよ』 などと押し切って、手取り足取り腰取り大いに盛り上がってしまって以来、どうにも……


 喜んでもらうと嬉しいとか、幸せにしてあげたら幸せだとか、そんなレベルではもうない。

 そばにいるだけで幸せだしそばにいなくても彼女のことを考えているだけで幸せなような気がするしで、正直にいえばどこにいても居心地が悪い。

 現在では彼はかなり頻繁(ひんぱん)に、そしてなしくずしに訪れる浮遊感に、とりあえず口の中を噛んで耐えているありさまである ――


 無駄にプライド高い公爵閣下は、脳内お花畑化している己を認めたくないのだ。


『いいじゃないか。やっぱり、よかったよ』


 ティナが弾けるような笑い声をたてた。


『ほらね。お坊っちゃんはどんなに幸せになっても、あたしたちのことをすっかり忘れるようなことはできやしないのさ。ねえ、そこの兄さん? 』


「は、はい……! 」


 不意に話を振られたマイヤーは、飛び上がるようにして姿勢を正した。

 どういうわけか彼からはティナの姿は見えず、声だけが聞こえている状態 ―― それでも怪異としてはじゅうぶんであり、むしろそれで平然と話し続けている主人が彼には信じがたかったのだ。


『ねえ、あんたも憐れまれてるほうみたいだから聞くけどさ、あんたのご主人が幸せボケしたからって、あたしたちのことをすっかり忘れると思うかい? 』


「…… いえ。むしろ忘れてくれたほうがスッキリすると思いますが…… 」


 ラズールが他人の痛みに無頓着で、幸せボケして周囲の者たちをすっかり忘れるような人間であれば、マイヤーが彼に抱く憎しみは正当なものであったはずだった。

 だがラズールはどんなときも、誰に対しても親切な良い主人であった。だから、マイヤーは常に己を不当な存在と感じねばならず、孤独だったのだ。


「そんな男だったら、今ここで船縁から突き落としてやれますから」


『だってさ、お坊っちゃん。ありがとうね、あんたも』


 ラズールには、ティナがマイヤーのそばにふわりと降り立ち、彼を素早く抱きしめたのが見えた。

 それはまるで、未来を示しているかのようだった。

 ―― 癒えない傷をかかえてひとりうずくまる子も、いつかは、痛みと苦しみだけが己のすべてではないと知る ――


 花嫁の姿の彼女はマイヤーから離れると、そのまま天上へと、吸い込まれるように昇っていく。

 

()()()だってさ、あんたが幸せなほうが幸せだろうよ。だから、あの子のためにも幸せになっておやりよ。資格なんてなくても、誰だって、そうしていいんだからさ…… 』


 生前と同じ(いつく)しみにあふれた声は、薄紅色の光の波に彩られているかのような空に響いて、消えていった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 今まで見た目完璧なラズールが何度もプロポーズしきりなおす姿は面白すぎです。 美しすぎる百夜の海で起きたティナの奇跡は、心を打たれました。感想欄を拝見しました。様々な表現があると思いますが…
[良い点] ティナ!!!(´;ω;`) あなた、めっちゃええ女だ。 ラズールにかけられた呪いを、それは祝福だ、アホ!って言ってくれたのね! ありがとう、ティナ! [一言] ラズールの不発っぷりに笑った…
[良い点] >『かつて艦ふねでパンツや靴下を盗まれた日付・時刻リスト』 を脳内で暗唱し すごく鎮静作用がありそう! ティナ……。 (´;ω;`)ウゥゥ
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