14-2. 認めざるを得ない②
クライセンは主人に向かってうやうやしく頭を下げた。ついニヤニヤしてしまうのを隠すために、わざと厳粛な声を出す。
「ようやっとお気づきになられまして、おめでとうございます、旦那様」
「めでたくなどないよ、クライセン。シェーナは間違っている。僕が初恋で現在進行形だよ? なんだかずいぶん思い違いをして悩んでいたようだから、そのせいで頭がちょっとおかしくなったのかもしれない…… どうやったら目が覚めるんだろう」
「旦那様が 『お前は国王から押し付けられたお飾りの妻だから、お前を愛する気などない! そのうち適当な男に下げ渡してやるから、それまで好きに過ごすがいい。妻としての責務など果たそうと思うな。公爵夫人面などされてはいい迷惑だ』 と宣言されては」
「そんな可哀想なことできるわけがないだろう。一時的な気の迷いとはいえ、僕のことを…… いや、ほんとうに困ったな」
「ですが、適当な男性に下げ渡すおつもりだったのは本当でしょう」
「適当な、ではない。シェーナが絶対に惚れる彼女にふさわしい極上の、だよ、クライセン」
「ですが、奥様は現状、旦那様のほうがお好きなようで」
「どうしてこうなったんだ…… 」
ラズールはがっくりとうなだれた。
シェーナと婚約して以来、ただひたすら彼女の幸せのためだけに禁欲して頑張ってきたのに……
シェーナがラズールのことを好きだとなれば、ほかの男との見合いがますます難しい。見合いをセッティングされたと悟れば、彼女の気持ちが傷ついてしまうかもしれないからだ。
だからといって、この間違いをそのままにしておくわけにはいかない。
だがしかし、間違いを正すためにクライセンの言うようなひどいセリフを投げつけるのは可哀想すぎる……
アゴに手をあててじっとうつむくラズールに、クライセンは生温い視線を向けた。
主人がどうどうめぐりしている思考の迷路の実態など、手に取るようによく知っている。だが、もういいかげん脱出していただきたいところである。
「旦那様…… すべてが簡単にうまくいく、唯一の方法がございますが」
「それは聞きたくないね、クライセン」
でた、と思う執事。
このやっかいな主人は、クライセンが言いたいことなどすでに予測しているのである。そのうえで、あえて否定 ―― することなど、クライセンのほうとて予測済み。
ここでまともに取り合っても、おそらく今度は議論がどうどうめぐりするだけだ。
なので彼は、いろいろとすっとばかして主人に結論のみを告げたのだった。
「人を愛するのに年齢は関係ございません、旦那様。ついでに申し上げるならば、過去や経歴も ―― 」
クライセンの愛する妻アライダは、彼が前公爵の命令により毒を与えた娼婦の、実の妹だった。誓約に従い姉の死の真相を隠して彼女を保護し、教育を与え、のちに彼女の望みどおりに公爵家のメイドとして雇ったのだ。
その頃にはクライセンは彼女を愛するようになっていたが、過去や年齢差も含めて、己にその資格などあるわけもない、と思っていた。
隠していた気持ちと過去とを打ち明けたのは、ラズールのある意味で無神経なはからいのおかげでアライダと良い感じになってしまってからである。
―― それまで病死と聞いていた姉の死の真実を知ってショックを受けたアライダに、 『復讐するなら公爵家ではなく、私個人にしてほしい』 と訴えたときのつらさは、思い出すと未だに涙が出そうになるレベルだ。
おそらくアライダはもっとつらかっただろう ――
それでも、ふたりは結婚した。過去よりも、共に築く未来のほうが重要だと信じたからだ。 (そしてアライダは公爵家最強になった)
もうアライダには一生、頭が上がらないと思っているクライセンである。
「 ……………… 」 「 ……………… 」
瑠璃と琥珀のオッド・アイと、少し白みがかった薄茶の瞳がぶつかった。
無言のにらみ合いがしばらく続き、先にそらされたのはオッド・アイのほうだった。
「きみにそれを言われると、かなわないね、クライセン」
「おそれいります、旦那様」
「…… 明日には、シェーナを迎えに行くよ。予定をあけておいてくれたまえ」
「その点はまったくご心配いりません」
もとからクライセンは、その日の主人の予定をまったく入れていない。
プロポーズが成功した場合、さすがの頑固な主人も自覚してこれまで抑制していたぶんを爆発させ、1日じゅう奥様とイチャイチャなさるだろう ―― と、忠実な執事は読んでいたのである。
読みは大いに外れたものの、結果が良ければ別に良し。
「旦那様が決意されて、よろしゅうございました。もしこのまま放置なさったなら、おそらくアライダが怒鳴りこみにきたことでしょう」
「さしずめ 『そこで迎えに行かない男はクズでございます、坊っちゃま! 』 というところかな」
「そのとおりでございます。ルーナ・シー女史の小説にも、そのようなシーンがございましたしな」
主人と執事は再び顔を見合せた。今度はふたりとも、にやりとしている。
公爵家最強の侍女長の言いそうなことの一部は、彼らにもなんとなく、わかっているのだ。
―― このあと実際にアライダが 『すぐに迎えに行かない男はクズでございます! 』 と言いにきて、さらにラズールの希望でクッキーとカフェオレだけになった夕食のあとクライセンが持ってきた封書類のいちばん上には、どこからシェーナのことを聞いたのかルーナ・シー女史の字でデカデカと 『早く迎えに行ってあげてくださいませね? 』 と書かれたメモがのっていた。
すでにラズールはそのつもりであったが、こうなるとより、逃げにくくなるのも事実である ――
翌日は2月には珍しく、2日続いての上天気となった。
シェーナの実家 ―― ヴォロフ男爵家が近づくまでは、ついあれこれと後ろ向きに考えて顔がやや強ばってしまっていたラズールであるが、屋敷の門の前まできたときにふっと、その緊張は緩んだ。
なんとなれば 「シェーナっ…… 」 という男爵の怒鳴り声と 「いやーだー! 」 というシェーナの声が漏れ聞こえてきたからである。
昨日のシェーナの様子から親子仲が良くないのかとラズールは少し心配していたのだが、実際には楽しそうで何よりだ。
おそらくシェーナのことだから、父親にも臆せず言いたいことを言っているのだろう。
「これはこれは、公爵閣下……! シェーナは今、洗濯をしておりまして…… ああいえ、止めたのですが、本人がすると言って聞かないものですから…… どうも、その、このような真似をさせて誠に申し訳なく……! 」
「いえ、想像がつきますよ」
相変わらず使用人を雇ってはいないようすで、ヴォロフ男爵は自らラズールを出迎えてくれた。
お茶を淹れながら恐縮しきった口振りで謝られたが、ラズールにとってはいかにもシェーナらしくてほほえましい。はやくあいたい。
(…… とそこまで、あせっているわけではないが)
覚悟を決めたとはいえやはり、若い娘に貼り付く濡れ落ち葉的なおっさんになるのには抵抗があるラズール。自らに言い訳しつつ、そわそわと席を立つ。
「ちょっと様子を見てきますよ、お義父上。お嬢さんはどこですか? 」
「お義父上などと、もったないぃぃぃぃ! ヴォロフと呼び捨てで、けっこうですぞ! 」
シェーナは半屋外になっている物干し場にいるという。
ヴォロフ男爵に教えられたとおりに屋敷の中を進み、サウナの隣の扉から外に出ると、絡まったシーツをぶんぶんと振り回している小柄な後ろ姿があった。
「真実の愛を貫こうとすると、脳内お花畑扱いされてざまぁされるのが、昨今の流行小説の主流ではありますが…… やっぱり、愛がないのは、寂しいと、思うのです」
なぜか演説口調のひとりごとつきである。
耳にした瞬間、なんかいろいろとあふれそうになってきて、ラズールは条件反射的に己に言い聞かせていた。無念無想、平常心。
離れたところから、余裕を意識しつつシェーナの背に声をかける。
「―― それ、いったん置いて、普通にほどいたほうが良いのではないかな? 」
「そうかもしれないですけど、なんかまどろっこしくてイヤなんですよ。おっしゃった人がやってください」
洗濯物を置いてシェーナが振り返り、 「公爵」 と呼んだ。無念無想。
ラズールは非常に落ち着いて (と自分では思っている) シェーナの隣に立ち、洗濯物をほどき始めた。
「意外と手際がいいんですね。公爵様なのに」
「艦では自分で洗濯していたんだよ」
「ええ!? 洗濯係とかいるのかと」
「いるにはいるが、彼らに任せるとどういうわけか衣類が減っていくのでね。特に靴下や下着類の減りが早くて…… 絹では破れやすいのかと丈夫な木綿にしてみたが、それでも減るんだ。きっと扱いが荒いのだろう」
「それ…… いいえなんでもありません」
シーツは完全にこんがらがって、がっちりと固まっていた。いったいどうやって洗濯したらこうなるのだろう。
不思議がるラズールに、シェーナはマキナ国の最新型の洗濯機を使ったのだと説明した。マキナの新しい機械を入れるのは、父親のヴォロフ男爵の趣味だそうだ。なるほど。
「足踏み洗濯より断然便利ですけど、どうしてもからまっちゃう…… それより、なんでここにいるんですか、公爵? 」
「もちろん迎えに来たんだよ、奥さん。きみがいないと寂しい」
なんでここに、と問われれば、たしかに早すぎた気がしないでもないラズール。
そういえば昨日は 『好きなだけいていい』 と余裕を見せて別れたんだった。
―― それが翌日にはいそいそと迎えに行くなど、よく考えてみればあまりにも情けなかったかもしれない。
(だが…… アライダもリジーも 『そこで迎えに行かない男はクズ! 』 と明言していたし…… まあ、もっとここにいたい、と言われたらいったん引いて、また明日に来ればいいだけだろう)
シェーナがなんだか不機嫌になっているところを見ると、このタイミングはあまりよくなかったかもしれない。もっとお父さんと仲良くケンカしていたかったのだろうか ――
ラズールは反省した。
だが、この次にシェーナがしてきたコメントは、彼の反省の斜め上を行くものだった。
「公爵…… イヤらしいですよ」
「なにをいまさら? 」
相変わらず平常心を心がけて返事しつつも、なぜシェーナが急にそんなことを言い出したのか、ラズールにはまったくわからなかった。
―― 今日はまだ、いけないところのギリギリ2歩手前まで攻めてみたりもしていないはずだが。
するとシェーナはラズールの予想斜め上の発言をもうひとつ、重ねた。
「シー先生のこと、ひそかに 『リジー』 って呼んでたんですね…… 」
(え…… )
ここでラズールは、初めて気づいた。
―― シェーナにはもしかしたら、心の声が聞こえるのかもしれない ――
公式にはたしか、聖女としてのシェーナの能力はまだ発現していないとされていた。
だが女神から授かる力が、必ずしも癒しや浄化であるとは限らない。
聖女として使いようがない能力の場合には 『まだ発現していない』 ことにしてしまうこともあり得る ――
そうだ。中央神殿としても、聖女の能力があまり使えないものであると公表するよりも 『いずれ役に立つ能力が発現する』 と人々に期待を持たせるほうを選ぶに違いない。
(だとすれば…… だからか)
ラズールは、頭を抱えたくなった。
もし、これまで自分自身をごまかすために内心で言い聞かせてきていた言葉の数々がシェーナにわかっていれば、良いようにはとられていないに違いないのだ。
―― 最初からずっと、どれだけ甘やかしても微妙にしょっぱい反応しか返ってこなかった。だから、ラズールは己がシェーナに好かれていないと判断していた……
しかし、もしかしたらその原因は、彼自身の胸中砂漠や内面に築いていた強固な防御壁にあったのかもしれない。
(だが…… わざわざ問わなくてもいい)
もしシェーナに本当に心の声を聞く能力が備わっていたとしても、様子を見る限りでは、彼女はそれを特別なこととは考えていないらしい。
だったらそれは、ラズールにとっても少しも特別なことではない。
―― シェーナは自分の意見を述べるほうでいっぱいで、今のラズールの推測には気づいていないようだった。
「そう呼べるのは家族とリーゼロッテ様だけって公式ファンブックにも書いてあるのに…… やっぱりプロポーズとかしたくらいだから、しれっと家族面ヅラを」
「ああ…… それはね。現クローディス伯爵の嫉妬まみれの讒言で、いつの間にかそういうことになったが、昔は親しい人はみんな、そう呼んでたんだよ」
というか今、ラズールにとってはルーナ・シー女史の愛称呼びよりももっと大変なことをシェーナは言ってきている。ラズールの黒歴史すなわち、ルーナ・シー女史へのなしくずしプロポーズについてである。
どうやらその話を、シェーナはやはり、彼女の親友でルーナ・シー女史の娘であるメイから聞いて気にしていたようだ。
早めに言い訳しといたほうがいい、とルーナ・シー女史に指摘されてからすでに半年近くが経過しているが ――
無視していたわけではなく、ラズールにもいろいろと理由があるのである。
忙しかったとか言いにくかったとか言いたくなかったとか。
だが、ラズールはついに観念した。実情をばらすのは幻滅されそうで困るが……
年齢だけでなくその他の面でもまったく理想どおりの公子でないことが申し訳もないが……
もしこれまでずっと、シェーナに心の声を聞かれていたのだとしたら、今さら理想も幻滅もないのだから。
「あれはその昔、ちょっと両親がうるさかったときに手近にいた適任者がたまたま彼女だっただけで…… 両親に詰め寄られてうるさくなって適当に名前を出したら、勝手に動き出されてしまったんだ。彼ら、僕の肖像画を持って向こうのご両親に挨拶しにいってしまってね。どうしようもなくなって、まあこれでも悪くはないか、と…… 」
「シー先生からもなんとなく聞いてたけど、本人から直接聞くと、めちゃくちゃ鬼畜…… 」
「いや、まあ、その。申し訳ない」
鬼畜、と言いながらもシェーナの表情は明るかった。許されたような感覚に、ラズールはほっとする。
と同時に、過去に残してきたひとを想う。
(きみたちのことまで許されたとは、思わないよ)
ラズールが話題をルーナ・シー女史の愛称に戻し、彼女の夫シドの嫉妬深い粘着気質について言及すると、シェーナはなんと彼に親近感を持ったようだった。
小さなことで勝手に嫉妬しちゃうところとかすごくわかる、と暴露されて、ラズールは本日何度目かの己への言い聞かせを行う ―― 平常心。
「へえ…… 嫉妬してくれているんだね、奥さん。それは嬉しいな。もっと、嫉妬してくれていいんだよ? 」
「いやですよ。嫉妬なんてできたらしたくないに決まってるじゃないですか…… 特に、嘘をつかれたときとか最悪ですから」
「へえ…… そうなんだ」
「そうですよ。わたしは、そうなんです。だから……」
やっとほどけたシーツをふたりでひろげて振りながらシェーナが見せた笑顔に、ラズールはついうっかり胸をつかれてしまった。
やっときみのしぜんにわらうかおが …… いや、初めて見た気もするが、きっとこれまでにも何度かは見ているはずだ。なにを今さら。
「だから公爵、デートの続きをしましょう。それで、洗いざらい自白っちゃってください。一緒に邸に帰るかは、それができるかで決めます」
「えっ…… ああまあ、そうだね。それほど愉快な話は出てこないと思うが」
こんなことならもう少し品行方正に生きるべきだったかもしれない、と後悔するラズール。
―― 過去のことを洗いざらい自白などしたら、遊び慣れた年上のおねえさんなら 『あら期待できそう♡ 』 と喜んでくれるかもしれないが、真面目なシェーナではそうはいかないだろう。きっと心の声を聞く以上にもっと、幻滅するに違いない。
できるなら 『愛したのはきみが初めてだよ』 とか言いながら、キスして押し倒して超絶テクで骨抜きにしていろいろなことを不問にしたい。
だが、シェーナが相手ではそういうわけにはいかないのだ。
「まあ、シェーナがそれでいいなら」
ラズールがしぶしぶうなずき肘を差し出すと、シェーナはまた嬉しそうに笑って珍しく両腕でしがみついてきた。
彼女の体温と、二の腕にあたるやわらかな感触。
―― これまでラズールが付き合ってきた女性は大きめのほうが圧倒的に多かったが、ささやかなのもなかなかよろしい。顔を埋もれさせたりできない代わりに、両方同時に愛でて良い声を出させることも可能 ――
(こう包んで下からゆっくり揺らすとちょうど刺激が…… )
別にしがみつかれて嬉しいというわけではないのだから、と平常心を意識してエロいことを考えたせいだろうか。
シェーナは慌てたようにぱっと腕を離した。残念で…… ないことも、ない。
仲良く手をつないで居間に戻ったふたりはヴォロフ男爵に非常に歓迎された。
これからデートに行くのだとシェーナが報告すると男爵は父親らしく少々、複雑な表情になりながらも、門の外まで見送ってくれた。
ふたりで雪壁に映される幻影を眺め、ゆっくりと歩く ――
角を曲がると、昨日のプロポーズの現場。そこに近づくにしたがい、ラズールは再び緊張してくるのを感じずにはいられなかった。
昨日は失敗したが …… その反省も踏まえ、シェーナの好み (たぶん甘すぎることを言うと 『心にもない嘘を』 と判定される) も考慮して。
―― 今度こそは、成功させてしまわなければ。