11-1. 死んではいない①
ゆるやかに動く馬車の窓から、シェーナはぼんやりと外を眺めた。
公爵家の門を過ぎると、景色はがらりと変わる。家々からもれる暖かな光にいろどられた街から、しんと静まりかえった針葉樹の林へ ―― その上を覆う夜空の色さえも違って見える、それほどに異なる場所である。
本邸までは、表門から暗い木立の下を延々と30分ほど常歩で進み、小庭園で馬車を降りたのち小道を3分ほど歩かねばならない。
慣れるまでは広すぎて不便だったが、久々に帰ってみると意外にも懐かしいのだから不思議なものだ。
「お疲れでしょう、奥様。あと少しでございます。アライダが入浴の用意をさせているはずでございますので、帰られたらごゆるりとおくつろぎくださいませ」
「ありがとうございます、クライセンさん。こんなに遅くに迎えにきてもらっちゃって、クライセンさんこそお疲れでしょう? 」
「お気遣いいたみいりますが、大したことではございませんよ、奥様」
ノエミ王女の服毒事件がマイヤーただひとりの犯行だったとわかってワイズデフリンの釈放も決まったため、シェーナもようやくクローディス伯爵家から公爵家へと戻ることになったのである。
それが夜遅くになってしまったのは、大通りのレストラン 『ランクス・アウラトゥス』 で開いてもらった送別会が予想外に盛り上がったせいだ。
送別会には、なぜだかルーナ王国最大手の出版社バルシュミーデ兄弟社の社長・編集長の兄弟までが参加していて 『ユーベル先生をよろしくお願いします』 『次は清楚可憐な若妻ものでしょうかね』 『いや兄さん、ユーベル先生はそれ、絶対ないと思います』 などと言いながらシェーナに握手を求めてきた。
ふたりとも実用的な筋肉がしっかりついた、明るく朗らかなひとたちだ。
―― ちなみに 『ユーベル先生』 がラズールの作家としてのペンネームであることをシェーナがはっきりと知ったのは、クローディス伯爵家に滞在することになった、その日のことだった。親友のメイが何気なくばらしたのである。
婚約者がフタを開けたら有名エロ小説家 ―― 普通ならどん引くところだろうが、シェーナには大したこととは思えなかった。婚約する前から知っていた 『王国一の女たらし』 の悪名のほうがよほど強烈で、感覚がマヒしていたのだ。
「奥様。よろしければ、どうぞ」
「わあ、きれい…… ありがとうございます」
馬車の斜め向かいに座っているクライセン執事が、シェーナの前の座席に置かれていたガラスのカゴを差し出してくれた。
赤、黄、薄緑、オレンジ…… 盛られた色とりどりのキャンディーが、見ているだけで楽しい。
透明なミントキャンディーをシェーナがつまんで口に含むと、クライセンは悪戯が成功したときのようにニヤリと笑った。
「旦那様からでございます」
「へ? わたしが帰ること、公爵には内緒にしてくださってるんですよね? 」
「はい、旦那様はご存知ありませんが…… 先日、街でこのキャンディーのカゴを見かけられて、奥様が喜ばれるだろうとおっしゃっていましたので、買っておきましたものでございます」
「アメで喜ぶって、完全に子ども扱いですよね…… いえ、たしかに好きなんですけど! カゴもキャンディーもきらきらしてて素敵だし」
「それはようございました」
最近のクライセンは、主人に随行するたび毎回 『あれはシェーナに似合いそうだ』 『あれはシェーナが好きなものだ』 『あれはシェーナが喜びそうだ』 などと聞かされている。
―― それらのコメントを、恐ろしいことにラズール自身は意識していない。
ただ通りすがりの店先に並んだ品々を目に止めては、世間話のついでのように口にするのである。
それをクライセンは、できる限り買い求めてこれ見よがしに執務室に置いておくのだ。
おかげでラズールの机の前の空きスペースは今、シェーナへのプレゼントが山積み状態 ―― 毎日1コ以上提供しても数ヶ月分はある。
それでもラズールは、クライセンを止めようとはしない。
どうしてこれで、シェーナと他家の子息との見合い話を進められるのか…… その辺は有能な執事にも理解しがたいことであった。
幸いなことに正式な見合いの申し込みは、侯爵家からまだ来ていない。
来てしまうまえに自覚のみならず納得も降参もしていただきたい ―― 主人に対して顔には出さないが、実はそう切望しているクライセンである。
「あっでも、公爵には一応お礼を…… って、今日はもう寝てらっしゃいますよね」
「お起こし申し上げましょうか」
「いえいえ、お忙しくてお疲れでいらっしゃるでしょうし、明日でいいです。驚きますかね、公爵」
「それは驚かれるでしょう」
シェーナは首をすくめて小さく笑った。
―― 明日の朝食の席にいきなり現れてみたなら、さすがの外面とろけたチョコレート内面カチカチのアイスキャンディーな婚約者も、少しは驚くに違いない ――
恋する相手がひねくれすぎているため、彼女はそんなささやかな想像に楽しみを見出すしかないのである。
馬車が止まり 『僭越ながらおんぶさせていただきましょうか』 と真顔で尋ねる執事の申し出を断って、シェーナは小庭園の小道をゆっくりとたどった。
色づいた楓の枝が星の光と魔法の灯に照されて夜の帳のなかにぼうっと浮かびあがるさまを眺めながら歩けば、本邸まではすぐだ。
「奥様、お帰りなさいませ」
「アライダさん! 遅くまで、ありがとうございます」
「侍女として当然のことでございます」
シェーナとクライセンが玄関ホールに入ると、侍女長のアライダが、内心の鼻息も荒く ( 『ふんすっふんすっ』 というその音をシェーナは心の声を聞く能力で聞き取っていた) 飛びつきそうな勢いで迎えてくれた。
いまかいまかとシェーナの帰りを待っていたらしい。
(やっぱり…… アライダさんとクライセンさんに会えただけでも、帰ってきて良かったぁ…… 公爵は期待できないけど…… ま、いつものことだしね )
誰からどう見ても溺愛されているのに 『期待できない』 と思ってしまうのもまた、シェーナに心の声が聞こえるせいである。
つまりラズールはいつもシェーナをめちゃくちゃに甘やかしてはくるのに、心の声は変わらずしょっぱめなのだ。
その原因はおもに、ラズールが 『濡れ落ち葉的に若い娘に貼り付くおっさんにはなりたくないし、貼りつかれたほうも迷惑』 『僕は幸せにならないと決めている』 と、厨2こじらせ的にジタバタしまくっているせいなのだが……
そうと悟るには、シェーナの人生経験は足りなかった。
残念だがもう慣れた、というところに落ち着くほか、なかったのである。
「さ、どうぞ奥様。ご入浴の準備ができております。エステはどうなさいますか? 」
「ありがとうございます、アライダさん。エステはまた今度で…… みなさんも、もう眠いでしょうし」
「かしこまりました」
落ち着く木の内装の異国情緒あふれる浴室で入浴を済ませ、アライダに簡単に髪と肌の手入れをしてもらって寝室に入ったら、あとは ――
「では奥様。明日の朝食は、お目覚めになってからのご相談ということでよろしいでしょうか」
「はい、お願いします」
「では…… ごゆるりとお休みくださいませ」
「ありがとうございます。お休みなさい、アライダさん」
「お休みなさいませ、奥様。失礼いたします」
アライダが、部屋の隅の1つを残して魔法の灯を全て消し、寝室のドアを閉めた次の瞬間。
シェーナは思い切り両腕を上げて、伸びをした。
「ふぅわぁあああ! やっと寝られる! 」
そのまま、ぼふん、とベッドにダイブ……
「うっ…… 」
適度な弾力性はあるものの、羽布団にしては固い感触がした。
低めの、柔らかな声質のうめき声も ――
「え? え? え? なんで? 」
おそるおそる布団をめくったら、薄明かりの中でもはっきりそれとわかる瑠璃と琥珀のオッド・アイと目が合った。
「公爵、なんでここで寝てるんですか? 」
「…… きみこそ、どうしてここにいるんだい? シェーナ」
「帰ってきたからに決まってるじゃないですか。あとここ、わたしの寝室」
「だが、きみは僕のことを 『なんかイヤ』 だから 『帰りません』 と…… そうか」
しばらくシェーナと周囲を交互に見くらべて、ラズールは納得したようにうなずいた。
「ゆめだね」
「んなわけないでしょう。目を覚ましてください」
「ツッコミまで健在とは…… さすがは僕の記憶力、と言いたいところだが…… ここで夢を見ているということはどうやら、やっと少し眠れたようだ…… きみもいるし、ここで目を覚ますのは惜しいな」
「いえだから目は覚めてるんですって。現実ですから」
「まあきみならそう主張してもおかしくないが、シェーナ…… まず現実としては前提が間違っている」
「なんでそこまでかたくなに現実を否定したいんですか」
「冷静になってみたまえ。現実のきみが、僕の寝込みを襲うことがあるかどうか」
「あ」
シェーナは自身の首から下をまじまじと観察し、次の瞬間、首から上に血をのぼらせた。
―― お布団挟んではいるが実質、公爵閣下の腹に馬乗り状態だったのである。
しかも、お行儀悪くベッドにダイブしたせいで夜着の裾がめくれてふくらはぎが丸見え……
耳まで真っ赤になり、彼女は叫んだ。
「そうです、夢です! 」
「そうだろう…… ゆめで、よかった」
「なんなんですか、それ。どんだけわたしに襲われるのがイヤ、わわっ…… ひぁっ!? 」
ツッコミの途中で強引に腕を引っ張られた。体勢を崩したところを温かい羽布団の中に引きずりこまれて、そのままぎゅうぎゅう抱きしめられた。
ついでに耳の端を唇で甘噛みされた。
(こ、この流れはもしや…… )
身の危険を感じたシェーナは、ふたたび叫んだ。
「ま、まだ心の準備が! 」
「ゆめなんだから、いいだろう? 」
「ひぁっ、ん…… むむむむ無理ですって」
首筋に熱い息がかかり、シェーナを抱きしめていた片腕がふっと緩んで胸の上でそろそろとずらされる…… 「あっ…… と、と、そこはだめです! 」
「………… すまない」
手が止まって、深いためいきが聞こえた。
「―― 夢の中ですら塩対応か…… 己の記憶力が憎いよ僕は…… だが、喜んでもらえないなら、しかたないな」
「す、すみません…… 」
「じゃあキスの濃いほうのしていい? 」
「こここここ濃いって、あう…… こっ心の準備がちょっと! す、すみません…… 」
「いや、きみが謝る必要はないよ」
―― いつも心の中で 『結婚や恋愛など添え物のパセリ』 だとか 『この程度で喜ぶだろう』 だとか、ナメくさったしょっぱいことしか言ってこないくせに、なんでわたしが喜ばないのが悪いみたいな感じになってんの ――
ばっちりとそう思っていたシェーナだったが、つい謝ってしまった。
なぜならラズールが珍しくも、心の底からガッカリしていたからである。普段はシェーナの反応を冷静に観察しては 『ふむ。やはり喜ばないね』 とか考えているだけのくせに。
「気にしなくていいよ。落ち度があるのは僕のほうだ…… 心から愛せなくて、すまないね」
「えっ夢だからってヒドすぎないですか、それ? 」
「本当に申し訳ないと思っているよ、シェーナ…… だが…… 」
片手で頭を引き寄せられて、そのまま髪をそっと撫でられる。
長い指の先から伝わる体温が、髪の毛をからめとっては離れていく。いとおしむように、優しく、何度も。
シェーナの目の前で、きれいな瑠璃と琥珀の瞳が潤んだような光を宿してほほえんだ。
まるで、フェニカの天使像のようだ。
いつもの完璧だがどこか嘘くさい、陽気さを装った笑みではなくて。少年のように無邪気で明るく、でもすぐに壊れそうに儚く透明な ――
「ゆめでも、きみとこうしていられて、うれしい」
「………………! 」
反則、とシェーナは思った。
ずるいずるいずるいずるすぎる。おまえもおちろ。公平に。
―― このひとどうしてくれようか、と考えるシェーナを、力が入りすぎないよう気をつけつつ抱きしめなおして……
ラズールは、ささやいた。
「きみとこうしていると、よく眠れる」
「なんでわたしが安眠枕の代わりなんですか」
ああそういうことですよね、とガッカリ半分ほっとするの半分でシェーナがツッコミを入れたときには、ラズールは本気ですうすう寝息をたてていた。
シェーナは知らないが、彼にとっては実に2ヶ月近くぶりの熟睡である。
(かわいい…… 悔しいけど、かわいい)
しばらくしていいかげん重たくなってきたので、もごもご身をよじり抱擁から解除されたあと、ラズールの寝顔にしみじみと見入ってしまうシェーナ。
帰ってくるなり 『心から愛せなくてすまない』 などと、ほんとコイツ◯ね、としか思えないようなことを言われて、安眠枕にされて……
怒っているはずなのに、結局はちっとも減退していない恋の自覚が憎い。
とってもいい人たちな執事と侍女長に会えたよりももっと、彼に会えたことを心が嬉しがっているのが、とんでもなく腹立つ。
(ほんと、いつかまじにおとしてあげるんだから! )
半開きになっている形の良い唇の端に、唇を寄せる。ほんのわずかに触れて、シェーナは慌てて離れた。
「おやすみなさいっ」
誰にともなくつぶやき、羽布団を頭からかぶる彼女の心臓は…… 今事故に遭って九死に一生、くらいの勢いでバクバク鳴っていた。
―― 翌朝。久々にすっきりと目覚めたラズールは、己の腕に頭をもたせ、ヨダレをたらしまくって爆睡しているシェーナを発見した。
『いったい、どこまでやってしまったのか』 との疑惑に陥った彼はそれからかなり入念に、自身の身体検査を行ったという。
※※※
「あらラズール。また来ていただけるなんて、思わなかったわ。こちらにいられるのもあと2、3日だそうだから、わざわざおいでにならなくても、よろしかったのに」
公爵家にシェーナが戻ってしばらく経ち、冬の足音が聞こえてきたころ ――
相変わらず忙しい日々が続くその合間に、ラズールは騎士団の地下牢にいた。マイヤーとワイズデフリンに面会するためである。
マイヤーは裁判で刑が確定するまでここに勾留される予定であり、先に面会したときには脱け殻のようになっていた。
そして、ラズールが何を尋ねても 「申し訳ないことでございます」 とうつろな目を彷徨わせるだけだった。妻のマクシーネとの離婚がよほどショックだったのだろう。
一方、ワイズデフリンのほうは無罪とわかったあとも、なぜかあれこれと理由をつけてまだ騎士団に留まっていたのだ ――
鉄格子のはまった小さな窓にラズールが顔を寄せたとたん、ワイズデフリンはすぐに気づいたらしい。
柔軟体操の要領で壁にあげていた脚をばっとおろし、優美な仕草でベッドに腰をおろした。
ちらりとラズールに流し目を送り、すぐにうつむいて口許に手をあてる。薄幸の美女っぽい。
ここにきても、ある意味サービス満点…… さすがである。
「騎士団に捕らえられるような女では、優しいあなたでも用済みになさるのか…… と思っていましたわ、ラズール」
「元気そうで良かったよ、イザベル。このたびはうちのマイヤーのせいで迷惑をかけたのに、来るのが遅くなって済まなかったね」
「あら…… 各方面への謝罪行脚のついでにたまたま思い出して寄ってくださったものとばかり」
「とんでもない。きみのことは、ずっと気になっていたよ」
「そう…… その理由が、あの男と罪を分担させて彼の刑を軽くしようと画策されていたことだとしても、嬉しいわ」
「…… 減刑依頼は出しておいたし、そのうち手を回して恩赦させるつもりだったんだ…… ほら、来年の6月は国王陛下の生誕65周年だろう? ちょっと言って、恩赦リストに加えてもらおうと考えていた」
ワイズデフリンが無罪であることを予想はしつつマイヤーのために口をつぐんでいたのが、なぜバレたのか……
意外に思いながらもラズールが言い訳すると、彼女は小さく鼻を鳴らした。
「それは…… あたくしごとき女は、半年以上牢に入っても別にかまわないということですの? 悲しいわ」
「きみだってシェーナに嫌がらせをしただろう? 」
「あら…… ワインをかけてのお祝いは、シェーナさんが始めたのよ? ご覧になったでしょう、あなたも。それに、騎士団に通報したのはあたくしも騙されたからですわ…… そちらについては、シェーナさんにはお詫びしたく思っておりますの」
「お詫び? きみにしては珍しいことを言うね、イザベル」
「本当にいい子よ。お友達と一緒に、あたくしに2回会いに来てくれて…… 1回目は、あたくしが事件の犯人ではないことを、わざわざ確認に来ましたのよ。すぐに帰ったけれど、差し入れにシュークリームをいただきましたわ」
「シェーナが? 」
「ええ。誰もが、あたくしがあの子をおとしいれようとしたと信じているときに、あの子だけ……
最初は惨めなあたくしを見て嘲笑うつもりなんでしょうと思っていましたけれど、2回目にはあの子は、マイヤーが犯人だとつきとめていましたわ」
「………… どうやって」
「さあ? それはわかりませんわ。不思議な子ね」
―― 実はシェーナはクローディス伯爵家滞在中、迎えにきたラズールを 『今の公爵なんかイヤだから帰らない』 とフッたあと、すぐに騎士団の地下牢を訪れていたのだ。
そして、ワイズデフリンとマイヤーの双方から事情聴取。
普通ならば手間取りそうなところを、心の声を聞く能力と読書好きの想像力とで、あっというまに 『ノエミ王女服毒事件の主犯はマイヤーただひとり』 という真相にたどりついたのである。
さらに2回目の訪問では、マイヤーをスムーズに自白させるべく、彼の妻でノエミ王女の侍女でもあるマクシーネを伴って、親友のメイとともに騎士団にあらわれた ――
マクシーネに報復と離婚の許可を与えれば、暴力をふるったくせに己は妻ひとすじと信じ込んでいるマイヤーはショックを受けて本当のことを話すようになるのではないか…… との作戦である。
これが見事にあたり、マイヤーは意気消沈。もうどうにでもなれ、とばかりにすべてを明かしたのだった ――
ともかくも、そうしてマイヤーが妻のマクシーネから報復を受けボコボコに殴られている間に、シェーナとメイはワイズデフリンをふたたび訪れていたのだ。
「あなたのかわりに、わたくしに謝ってくれましたのよ、シェーナさんは。 『公爵はああいう人なんで、ワイズデフリンさんのことを見捨てるつもりはないと思うんですけど…… でもごめんなさい』 ですって」
「…… 僕からも謝るよ」
まいったな、とラズールは内心でつぶやいた。
―― シェーナにとってワイズデフリンは不都合な相手だったはずだ。
そして、見捨てたとしてもなんの問題もない相手である。
なのに真実を明らかにして救おうとするのは、本物の優しさと公平さ ――
彼女は、優しくしようとしなくても優しく、特に意識しなくても自然体で公平なのだ。
ラズールもまた、周囲 (とくに女性) からは優しいと言われがちでかつ、そのとおりでもあるが、その優しさが偽物であることも彼はまた承知していた。
彼が人に優しくするのは喜ばれることによって感情的飢餓を満たすためだし、公平であろうとするのは 『そうあるべき』 という信念とプライドによるところである。本物には、なりたくてもなれぬのだ。だから ――
―― ほんとうに、まいってしまった。
普通ならこのまま降参してずるずると本気の溺愛コースに移行するところかもしれない。
だが、齢40、25年に渡りこじらせてきたキャリアはダテではなかった。
(やはり、早めにシェーナとエデルくんとの見合いを決めるべきだな)
自覚寸前を自覚しつつ、意識の壁を改めて補強したラズール。
ハタから見れば理解しがたくつまらないプライドではあろうが、彼はあくまで、幸せになどなりたくなかったのだ。