7-2. 幸せにはならない②
これまでの行状や 『王国一の女たらし』 の称号からもわかるように、婚約して1ヶ月が経った今でも、ラズール宛にくる大量の招待状は女性からのプライベートなお誘いがほとんどである。
それらは当初の予想に反して、執事のクライセンが花束を手に 『もう参加できない』 旨をお詫びにまわったのちも尽きることがなかった。
ワイズデフリン伯爵夫人はその筆頭。いまや意地になったかのように 3日とあけず趣味のお茶会の招待を送りつけてくる ――
ラズールのみならず、ほかのいい趣味の紳士連中とも深い知り合いである彼女が、売却済みの男にこれほどの執着を見せるとは、ラズールには思いも寄らなかったことであった。
どちらにしても応じるわけにはいかぬので、すべて断るようにクライセンには通達している ―― その彼女からの招待状が重要物のほうに積まれていることを軽く咎めたラズールに、執事は意外な答えを返した。
「旦那様。そちらは普段の同伴者不可のお茶会ではなく、夫人のお誕生日のお祝いを兼ねた、夜会でございます。奥様もぜひ御一緒にと」
「夜会でも、もう少し常識的なひとのものはないのかい? 」
「ごく内輪の集まりのためおひとりで、とただし書きのあるものでしたら 5、6通ございます。そちらはすべて、断らせていただく予定でございますが」
おかしい、と改めて思うラズール。
彼がこれまで付き合ってきたのはおもに、恋愛ごっこが大好きな既婚女性や未亡人ばかり。彼女らにとってラズールは 『少々トシだが便利なオモチャ (大人用) 』 的な位置付けでしかなかったはずで、それが婚約などして使いづらくなれば、すぐに離れるものと考えていたのだ。予定がまったく違う。
ちなみにこのときシェーナが内心で 『いえ、それは公爵。【この程度で喜ぶはず】 とかであれだけ優しくしたら、心の声でも聞こえないかぎり、自分のこと大好きなんじゃないかと勘違いして本気にしちゃいますって! 』 なるツッコミをラズールにしていたのだが、つまりはそれが事実なのであった。
もっともラズールにしてみれば女性に優しくするのは息をするようなものであるため、その点は永遠に自覚できない。
それはさておき。
とりあえずワイズデフリン夫人からの夜会の招待を断ろうと、ラズールがシェーナにお伺いを立てたところ ―― なぜか 「行きます」 と言われてしまった。
彼女は、ワイズデフリンが 『公爵の心のあのひと』 ではないかと疑って、事実を確かめようとしていたのだ。
そして、そんなことはまったく知らないラズールがシェーナを止めようと説得を始める前に、執事と執事代行が結託しているとしか思えない素早さで出席の返事を出しに行ってしまい ――
なしくずしに、約 1ヶ月後の夜会への参加が決まってしまったのだった。
そうなると、張り切るのが侍女長のアライダである。
なにしろシェーナがラズールの婚約者として出席する、初めての夜会。しかも、招待主はラズールの婚約者を敵視しているに違いない女。
「1ヶ月で奥様を付け入る隙のまったく無い公爵夫人にしてさしあげます! 」
こう宣言したアライダは、シェーナに過剰なほどの詰め込み教育を始めたのだった。
ラズールが見たところ、さすがは王太子のもと婚約者というべきか ――
シェーナはマナーも教養もきちんとできているし、それらを無駄にひけらかさず、使うべきところをきちんとわきまえて使う賢さもある。
つまりはもうじゅうぶんだろう、とラズールには思えるのだが、侍女長にとってはまだまだであるらしい。
「奥様はたしかに、下地はしっかりとできてございます。しかし、亡き大奥様のように光り輝くオーラで周囲を圧倒するにはまだまだ……! 」
「アライダ。母は王女でもあったひとだよ。シェーナにあまり無理をさせないであげてくれたまえ」
「奥様とて、もと聖女でいらっしゃいます。それに、とてもよく努力されておいでです。ここでその腰を折るのはかえって、奥様のためになりませんと存じますが」
「…… そうかい。だが、疲れが見えたら休ませてあげてくれたまえ。それにシェーナには、読書をする時間も必要だよ」
「かしこまりましてございますとも」
侍女長が 『奥様』 に求めるレベルが高すぎて、ラズールの忠告はきちんと届いているのかわからない。
それでもシェーナは弱音ひとつ吐かずに鬼のしごきに耐えており、それがなんだかいじらしい。
いじらしいが、婚約してからの約1ヶ月で慣れてしまっていたふたりの昼食までがレッスンにとられて、どうにも落ち着かない。あれ。
慣れるべきじゃないと己に言い聞かせていたはずなのに、いつのまに慣れてしまったんだ ――
いや、慣れてなどいない。これは気のせいに違いない。
絶対に幸せになどならないし、己の幸せのために誰かを利用したりもしないと決めているのだ。
もうウン十年、そうして生きてきたのだ。今さら ――
(…… ボツだね)
ひとりでボソボソと薄いサンドウィッチをかじりながら読み返していた原稿を、ラズールは暖炉の火にくべた。
夏の終わりだというのに肌寒い日の、昼下がりである。
人気シリーズの最新作をできれば休暇中に仕上げてしまおうと、ここ最近ラズールはシェーナのレッスンの時間を執筆にあてているのだが ――
なんというか、ヒロインのロティーナを書いていたつもりが、端々に違う女性が出てしまっている。
彼女は、本来のロティーナならば笑うところを複雑な表情で黙りこみ、優しく話を聞いてくれるはずのところに鋭いツッコミを入れてくる…… いくら数多の属性を持つヒロインとはいえ、これでは変節しすぎだ。
特に、とんでもなく恥ずかしがるところを少しずつほぐしつつ脱がせていくシーン ――
それなりに興奮しつつ書いたものの、よく考えたらこれまでのロティーナは自分から誘惑しまくっていたのだから 『これはない』 のひとことに尽きる ―― いや。
『これはない』 程度ならまだ良かったが、その恥ずかしがるようすは、読み返してみればふたまわり以上年下の誰かさんをほうふつとさせて、まるで犯罪である。
(なぜこうなったのか…… )
思い当たる原因はただひとつ。
婚約して以来ずっとシェーナのことばかり考え、観察してきたからだ。
これまでヒロインの構成要素は雑多な女性から良い具合にとってきていたのに、それがほぼひとりぶんに片寄ってしまった結果である。
―― まずいのではないか ――
ここのところ時折感じる、焦りにも似た危機感がまたしても、ラズールの胸中をよぎった。
枯れはてた砂漠にも似た感情風景にある意味で変化が訪れているわけだが、それに感動する余裕は彼にはない。
シェーナは彼にとってあくまでも保護対象でなければならないのだ。それ以下ではないがそれ以上にするには支障がありすぎる ――
年若い彼女の明るく幸福であるべき未来を爛れたおっさんが邪魔するなど万にひとつもあってはならない、とラズールは思っているし、そんな情けないおっさんには、なるつもりもない。
だからといって、婚約者がいる身でほかの女性に手を出すわけにもいかぬ ――
(やはり、早めにシェーナをまともな男に引き取ってもらわなければ…… クライセンには気の毒だが、選定を急いでもらうことにしよう)
炎が虚構を記した紙片を糧としてぱっと明るく燃える。その熱と光こそが真実だとでもいうように ―― ラズールは目を閉じ、その光景を拒絶した。
手を伸ばせばすぐそこに温かな幸福があるとしても、それは己の罪深い人生には必要ないものだ…… と、改めて彼は思う。
幸せには、ならない。
「実は…… リーゼロッテ殿下から、ノエミ王女と共に近々こちらに訪問したいと打診がございました。殿下から奥様へのお手紙も預かっております」
少しばかり胸をそらせつつ、侍女長のアライダがラズールとシェーナに告げたのは、その日の夕食前だった。
「ノエミ王女が、奥様とお会いになりたいと切望されているそうで…… お忍びで訪れるので大げさにする必要はなく一切の気遣い不要、とリーゼロッテ殿下はおっしゃっていますが、いかがなさいますか? 」
「ぜひ! 大歓迎です」
シェーナの緑がかった茶色の瞳が、いきいきと輝いた。かわいい。
「いつですか? 楽しみ…… あっと、ノエミちゃんも一緒ならきっとお昼だから…… プライベートでのお茶会、っていうことですよね? 公爵…… う、ら、らずは…… 御一緒されますか? 」
「そうだね。挨拶はしようかな。あとは、女の子だけで楽しむといい。レッスンのいい息抜きになりそうだね」
「はい! 」
シェーナは両手を握りしめて大きくうなずいた。
ベタベタと溺愛してみせるときよりも今のほうが嬉しそうなのが、若干ふにおちないラズールである。
こんな状態でシェーナがルーナ・シー女史に嫉妬したなど、やはりないのではなかろうか ――
だがまあともかく、シェーナが喜ぶのはいいことだ。
「では、そのようにお返事を 「あっ、まってアライダさん。わたしも、リーゼロッテ殿下とノエミ王女にお手紙書いていいですか? 」
「ええ、もちろんでございますとも。きっと、喜んでいただけましょう」
「じゃあ、ちょっと待っていてくださいね」
シェーナはリーゼロッテからの手紙をひろげると、わざわざ読み上げてくれた。かわいい。
よほど嬉しいのだろう、とラズールは口の端をわずかにあげてみた。
「―― やっほー、シェーナちゃん! 元気? わたくしもノエミちゃんも元気よ。
でもノエミちゃんは、シェーナちゃんとクッキー作る約束が流れちゃってから、毎日 『あちたはちぇなたま、くうの? 』 と、きくようになっちゃって。
また余裕ができたら、ぜひ遊びにきてあげてね。でもね、その前にできたら、わたくしもシェーナちゃんに会いたいわ。
一度、ノエミちゃんと一緒にそちらにおうかがいしてもいいかしら? 会えると嬉しいけれど、無理はしないでね! ―― ですって。
そんなの、無理だなんて。もちろんいいに決まってるじゃないですか。ねえ、公爵? 」
「ああ、そうだね。なんなら、ふたりに泊まってもらうかい? 」
「お言葉ですが、旦那様。それでは 『お忍び』 では無理でございます。王女殿下側のスケジュールの調整を考えましても、3ヶ月以上は先になるかと」
「わかっているよ、クライセン。言ってみただけさ…… ああけれど、王室に打診はしておいてくれるかな? 」
「それならば、奥様が王宮にお泊まりに行かれるほうが簡単でございましょう …… それでよろしいですか? 」
「そうだね、それで頼む」
「かしこまりました」
ラズールと執事の会話を聞いたシェーナが、不思議そうな顔をした。
「え? 王宮? わたし、もう聖女じゃないのに入っていいんですか? 」
「もちろんだよ、奥さん」
ラズールはとりあえずシェーナを問答無用で抱っこして膝のうえにのせると、その耳に口をつけた。
「きみの喜ぶことなら、なんでもしてあげたいんだ」
この程度言っておけば喜ぶはず ――
一般に女性と話すときは常にその計算をしているラズールであるが、シェーナに関してはそれが当たらないことには、もういいかげん気づいている。
しかし、目の前にいるひとが喜ぶことならできる限りなんでもしてあげたいと思っているのは本当なので、今さら態度を変えて 『なんであれ、僕にとってはどうでもいいことなんだが』 という、もう一方の本音をさらす必要もない。
ラズールのそんな厨2的暗黒面をも面白がって受け入れてくれるとしたら、思い当たる限りではリーゼロッテかルーナ・シー女史しかおらず、大体のひとは怒るか寂しがるかどちらかなのだ ――
今の、シェーナのように。
「はい…… お気遣い、どうも有り難うございます」
膨らんでいた風船がしゅーっとしぼんでいく音を聞いたような気がして、本当に敏い子だな、とラズールは改めて思う。
気をつかって隠している本音を感じとってしまわれるのは、今に始まったことではないのだ ――
実は彼女には心の声が聞こえていることに、彼はまだ気づいていなかった。
こんなことならもう、溺愛してみせるのはやめたほうがいいのでは…… と、考えないでもない。
だが残念なことにラズールには、女性へのほかのアプローチのしかたが皆目、わからなかった。
嫌いではない、大切にしたいと思っている、いつも喜んでいてほしい、幸せになってほしい。
そう思っている相手にすることに、ベタベタ優しくして砂糖まみれの甘ゼリフを吐く以外に、なにがあるというのだろう?
(キスして撫でまわして押し倒す、もありかもしれないが、いつか真の婚約者が現れる以上は、それをシェーナに実施するのは非常にまずい、とラズールは判断していた)
「あ、あの…… そろそろ、おろしてもらってもいいですか」
「いや、このままでいいだろう? こっちのほうが距離が近いぶん、夕食を食べさせてあげやすいからね」
「なんで 『あーん』 が前提なんですか」
「きみがかわいいからに決まっているだろう、シェーナ。とくに、きみが美味しそうに食べているのを見るのは僕にとってもいちばんの御馳走だよ」
「それって犬や猫の食事風景を見物したくなるのと一緒ですよね」
「そんなことはない。ちゃんと女の子に見えているよ」
犬や猫の食事風景も良いが、ラズールの好みとしてはリスや猿のほうがさらに良い。それよりもっと良いのが人間で、人間の中でも女性であれば最高だ。
ラズールとしては本心だが、シェーナは不機嫌に黙りこんでしまった。
このときもやはりラズールの心の声を聞いた彼女は 『つまり誰でもいいんじゃない、もう! 』 と腹を立てていたわけだが…… もちろん、彼にはそんなことはわからない。
わからぬままに、どことなくぎくしゃくした雰囲気のまま夕食が始まった。良いとはいえないが、ひとりで食べるよりはよほどマシだとラズールは思う。
とりあえず、いつになるかわからぬ結婚式についてシェーナの希望の聞き取り調査などをしながらタイミングを見て食事を口に運んであげていると、シェーナは 「公爵が全然食べていないから、もういい」 と言い出した。
ラズールとしては、己が食べるより食べさせてあげるほうが好きなのでまったくかまわないのだが。
「では、きみもぼくに食べさせてくれたら問題ないね。はいどうぞ」
「えっスタンバイが早すぎる! ………… はい、あーん……? 」
「……………… きみが食べさせてくれると美味しいよ、シェーナ。ありがとう」
「う…… は、は、はい…… あーん…… 」
照れているのか、恥ずかしがっているのか、腹を立てているのか…… おそらくはその全部なのだろう複雑な表情を見ていると、胸の奥に温かいものがじわりと広がっていく気がする ―― のを、ラズールは急いで打ち消そうとした。
こんなものにとらわれてみっともない真似をしでかすことにでもなれば、目も当てられない。
(結婚など僕にとってはパセリのようなものだ。あってもいいが、なくても別にかまわない)
この内心の結婚パセリ発言こそが目下のところ、心の声を聞き取ってしまうシェーナにとっては幸せを阻害する最大の要因となっているのだが ――
いいトシして未だ不良少年のごときメンタルをかかえた公爵閣下はやはり、まったく気づいていなかった。
シェーナからリーゼロッテとノエミ王女への手紙は翌日に執事のクライセンの手に託され、その日のうちに彼女らのお茶会の予定が決まった ―― ちょうど、10日後である。
クライセンからは王女たちと王宮に泊まる予定の調整も着々と進んでいると聞き、シェーナはレッスンにますます力を入れるようになった。先の楽しみが、やる気を与えているらしい。
ラズールはといえば、そんな婚約者 (仮) を見守るかげで美味いのか不味いのかよくわからぬサンドウィッチを胃に送り込みつつ、いっこうに進まない原稿と向き合う毎日を送っていた。
―― しかし。
そんな、モダモダしつつもある意味とてつもなく平和な日々は、突然、幕を下ろすことになる。
『ノエミ王女が毒を盛られた』 という、急な知らせによって。