プロローグ~25年前~
あいにくティナは少し前から接待中だよ ―― そう言いながら娼館の女主人は、目の前の客をじろじろと眺めた。
年の頃は15、6といったところ。オレンジ色がかった金の髪に冷ややかに澄んだ瑠璃と琥珀のオッド・アイ、整いすぎて寂しげに見えてしまう顔だち。
すりきれた古着で変装しているつもりだろうが、品のある物腰から、この少年の身元は一目瞭然 ―― おそらくは名の通ったどこぞの貴族のドラ息子、といったところだろう。
(お坊ちゃんがなんでまた、こんな場末の娼館になんか…… )
貧民街のはずれにあるここは、娼館というよりは行き場のない女たちのたまり場、といったほうがふさわしい。彼女らは自ら街角に立って客を拾い、この宿に連れ込むのだ。
客層はその日暮らしの労働者や貧乏な学生であり、貴族や騎士階級がくることはまずない。
好奇心で1度は来たとしても、宿のみすぼらしさに顔をしかめ、もう2度とは近寄らなくなることがほとんどだ。
―― だが 「待たせてもらうよ」 と、ゆったり彼女の前に腰をおろしたこの少年は、もう2ヶ月近くも、毎日のように通ってきている。指名はいつも同じ女だ。
(ティナか…… たしかに妹思いの優しい子ではあるけど…… ぱっとしない子だよね…… 年増の魅力というなら、タチヤナやザンディではないかね )
女主人が内心で首をかしげていると、足音が急ぎぎみに階段をおりてきた ――
黒い帽子を目深にかぶり、黒いコートの襟を立てた背の高い男。
数日前から来るようになったティナの客だが、今回はティナにしてはめずらしく、見送りがない。
(あの客は特殊なほうなのかねえ…… ティナ、ひどくやられたんだろうか)
ティナを気にかけつつも、ファラザは少年に声をかけた。
「ティナがあいたようだよ…… あれ、どうしたんだい? 」
「いや、なんでもないよ。ありがとう」
去っていく男の黒い背をにらんでいた瑠璃と琥珀のオッド・アイが、はっとしたように落ち着きを取り戻して、娼館の女主人にほほえみかけた。
「2階のいつもの部屋だね、ファラザ」
「…… ああ、当然さ」
「では行ってくるよ。ああそうだ、これ。みなさんでどうぞ」
女主人の手に小箱を押しつけて少年は階段を登り、優雅な足取りで娼婦の部屋に向かう。吹き抜けになっているため、2階の廊下はエントランスからも見えるのだ。
ティナの部屋の前で少年はしばらく立ち止まっていたが、やがて部屋の中に入っていった。
彫刻を施された古い扉がゆっくりと閉まると、ファラザはようやっと、詰めていた息をはいた。
年端もいかないお坊ちゃんにすぎないはずなのに、一緒にいると、どうにも落ち着かない気分にさせらせる。
普段は 『ウサギおばさん』 と呼ばれている己の本名を、いつの間に覚えたのか ――
ファラザが小箱の蓋を開くと、中には美しくシュガーコーティングされたアーモンド菓子がぎっしり詰まっていた。砂糖は庶民には贅沢品であり、アーモンドもまた、北方に位置するここルーナ王国ではめったに見られない木の実であるはずだ。
(つまりは、金持ちなのを隠す気もないんだね、あの坊っちゃんは)
甘く香ばしい菓子をひとつ、つまむ。暖炉にゆらめく炎を眺め、湯を沸かし、ハーブティーを淹れる。さわやかなミントの香りがあたりに広がった。
(あの子らには、金は搾り取って良いけど絶対に本気になるな、と言っておかなきゃね。でないと、ロクなことにならないに違いないんだから)
女主人がカップを片手に、ためいきをついたとき。
「ファラザ」
「ひゃっ…… なんだい坊っちゃん、ティナの部屋に行ったんじゃなかったかい? 」
耳もとで名を呼ばれて跳ねた心臓を押さえつつファラザは、間近にのぞきこんできたきれいな顔を見返す ――
少年の表情は普段どおりに冷めきっているのに、その裏には爆発寸前の感情がうごめいているような気がした。
「申し訳ない、先生が亡くなった」
「へ? 」
唐突にささやかれた言葉に思考がついていけず、ファラザは間抜けな声をあげた。
「誰が死んだって? 」
「…… ああ、すまない…… ティナが…… ぼくのせいだ」
「なんだって? あんたついさっき入ったばっかりじゃないか。殺したんならさっきの男だろうよ。ちくしょう」
おそらくはせっかんされすぎたのだ、とファラザは理解し、流浪の民に伝わるのろいの身振りをして悪態をついた。
だが少年は、ふたたび繰り返した。
「ぼくのせいだ」
「かわいそうに…… 死体を見たのは初めてだったんだね、お坊っちゃん」
「ぼくのせいだ」
「さぞかし、ショックだったろうねえ…… あたしたちはいいんだよ。死体なんざどこにでも転がってるもんさ」
「ぼくのせいだ」
「気にするこたない。死んだってたぶん、この世よりはマシなところにいけるんだからね。ティナのためには喜んでやりな」
「ぼくのせいだ」
壊れたマキナの機械人形のようだ、とファラザは思った。
だが、やりとりを繰り返しながらも、ティナの部屋に急ぎ…… 彼女は真実を知る。
自慢にしていた腰まである豊かな黒髪は、丁寧に香油をすりこみ櫛をとおされて扇のように枕元に広がっていた。
身にまとう、いかにも高価な白のドレスは、花嫁のようだ。
きちんと組み合わせられた手には、香り高いユリの花束。
―― ティナはよく、妹だけはまともな仕事につかせ、良い人のもとに嫁がせてやりたいのだと話していたが、それがティナ自身の見果てぬ夢であったことを、ファラザは覚えていた。
かたわらのガタついたナイトテーブルの上には、紙が1枚、無造作に載せられていた。たどたどしい文字には見覚えがある。
―― その昔、ティナが客をとらなくても暮らしていけるようにと、ファラザが教えたことがあった。同じ流浪の民をルーツに持つティナを、彼女は年の離れた妹のように感じていたのだ。
ティナは素直に字を学んだが、帳場に座って得る金だけでは家族を養っていけないと、身体を売ることをやめなかった。
「ティナのやつ…… あんたこれ、あたしの見間違いじゃあないよね? 妹の将来を買うために自分で毒をのんだって!? なにを騙されてるんだい! 」
「…… いや、クライセンなら…… 約束は必ず守るはずだ。妹さんは我が家で保護され…… 将来はきっと、彼女の望みのままに 「そんなことが言い訳になるとでも思ってんのかい! 」
少年がはっきりと口にした 『我が家』 ということばに、ファラザはすべてを了解した。
―― いかがわしい場所に通わぬよう止めても、まったく聞く耳持たぬ息子に、やんごとなき両親は業を煮やしたのだろう。
息子が入れあげている女に金をやって別れさせるだけでは足りない、と彼らは判断した。
おまえが道を外れればこうなるのだと息子に教えるために、使用人をやってティナの身辺を調べさせ、ティナを脅したのだ。
己の命か妹の命か。ティナにとっては、迷うべくもない選択だったに違いない ――
「なんでだ! なんでティナなんだ! 」
ファラザの拳が何度も、少年の胸に叩きつけられる。
「なんでウチに来たんだ! あんたらみたいな恵まれたお貴族様が、来るようなところじゃないだろ! 気まぐれで! あわれんでいるつもりで! あたしらの命まで玩具にしやがって! 」
少年がなにか言ったが、ファラザは叫び、彼を叩きつづけた。その手が、不意にやわらかく押さえられる。
「もうやめないと、いためてしまうよ」
「………… あんたが死ねば良かったんだ」
「僕もそう思う…… だが僕はとあるひとからのろいをかけられていてね、国のためにしか死ねない」
「ふん、なにを言い出すかと思えば」
少年は唇の端をゆがめて女から離れ、ふところから短剣を取り出すと、これを見ろというように己の首筋にあてた。
なにをするんだい、とファラザが止める間もなく刃先がずぶりと滑らかな肌に沈み込み、血が流れ出す ―― だが、数瞬ののち、短剣はカランと音を立てて床に落ちた。
深く傷つけたように見えたのに、首筋にはもう、わずかに血のあとが残るだけだ。
「…… どういうことだい? 」
「最初で最後だから夜這いに来い、来ないと死ぬ、と迫られて、のこのこ行ったが運のつき、というわけだよ ―― 」
どうとでもなれ、と自暴自棄になっていたのだろう。少年は、包み隠さずに話しはじめた。
―― 彼の名はラズール・アリメンティス・ド・ムルトフレートゥム。その名に、女主人は息をのむ。ルーナ王国で唯一の公爵家といえば、知らない者はいないのだ。
そしてそのひとり息子はたしか、数年後には王女と結婚して共に国を治めることが定められていた …… 名目上は王女の婚約者だが、扱いとしては王太子と同等。まさに国には並ぶ者のない貴公子といって差し支えないだろう。
だが、その婚約解消が内定したのだと彼は言った。
原因は、東隣に境を接する国、フェニカからの侵攻である。
かの国は近年、大陸で広く奉じられている多神教を否定してフェニカ光神を唯一の神とする一神教を国教に定めた。そしてこれまでの多神教を迫害すると同時に 『聖戦』 と称しルーナに攻撃をしかけてきているのだ。
自力ではフェニカに勝てないと判断したルーナ王国は、海を隔てた西の隣国マキナと同盟を結ぶことにした。同盟の象徴となるのは、マキナ王家とルーナ王家の婚姻 ――
ルーナの王女リーゼロッテには、幼馴染みと結婚し国を治める未来に代わり、盟約の証として知らない他国に嫁ぐ義務が課せられたのである。
ちなみに王女の代わりに国を治める運命を背負わされたのは、まだ生まれて間もない弟王子のハインツだ。
「僕と逃げようか、ときいたら、彼女は大笑いして笑い飛ばした。 『ここで逃げたら、わたくしたちは豪華な衣装をまとった豚以下よ? 』 とね。そのくせ、夜這いに来い、と言ってきたんだ」
「じゃあ…… あんた、お姫様としたってのかい? 」
こんな状況ではないだろうに、と思いつつ、ついきいてしまう娼館の女主人。
たしかにティナの突然の死に憤ってはいるが…… 同時にファラザは、現実感のまったくない夢の中にいるような心持ちでもあった。
そして一方で、彼女は 『人はいずれ死ぬもの』 と諦観してもいれば、これまでの経験から 『娼婦は早死にしないほうが珍しいし長生きしても惨めなだけ』 と考えてもいた。
―― つまり、死が当たり前の日常であるファラザにとっては、親しい娼婦の突然の死は、国の中枢にいるキラキラしい人々の恋愛模様への好奇心をおさえる理由にはならなかったのだ。
「…… いや、できなかったんだ。僕が下手くそで、彼女が痛がって、とても続行できなくて…… でも、彼女は初めては僕だって言ってくれたが…… 正直、あれじゃあダメだろうと思う」
情けなさそうな声の少年もまた、ファラザと同じ ――
いや、ファラザ以上にティナの死を受け止めきれてはいないようすで、淡々と説明を続けた。
それによれば王女は、王家に伝わる魔力のすべてを使って彼にのろいを2つかけたのだという。
2つののろいのうちのひとつが、たったいま見せたあれだったのだ ――
「彼女は僕に、国のために生き国のために死ね、それ以外で無様に死ぬことなど認めない、と宣告した」
ファラザは息をのんだ。
ルーナ王国は大陸で唯一、魔法の残る国 ―― とはいえその魔法の多くは、幻影を見せたり灯をつけたり、金属や宝石の加工に使われたり…… と生活に溶けこんだものがほとんどだ。
大規模な攻撃魔法や召喚魔法、天気を左右したり無から有を生み出す類いの大がかりな魔法は、今やおとぎ話にほそぼそと語られるだけのものになっている。
人の生死に関わるものも、その類いの大魔法 ―― ともなれば、王女はそのとき魔力のすべてだけでなく生命そのものをも削ったのではなかろうか。
少なくとも、彼女のルーツである流浪の民の言い伝えではそのはずだ。
(そっか…… そんなにも、この子を愛してたんだね、王女様)
誇り高き王女殿下は国のために他国に嫁ぐのをいとわず、少年の年相応の幼さを笑いとばしながら ―― ことば以外の方法で彼に伝えようとした。
『あなたが王族の誇りを失わずに生きるかぎり、わたくしたちは同じ志でつながっているわ』
知るはずのない王女の声がふと響いたような気がして、ファラザは思わず耳元を押さえた。
流浪の民には不思議な能力が備わっていたといわれている。
その血をつぐからか、聞こえないものを聞き、見えないものを見ることがごくたまにファラザにはあったのだ。
「僕は彼女ほど立派ではないから…… なんというか、いろいろなことがどうでも良くなって、王宮にも家にも居たくなくなって、それで…… この街まで逃げてきたんだ。そしたら先生…… ティナに会った。
悲しそうだね、慰めてあげるよ、といわれて…… 僕は、ひとを金で買うのは良くないと思っているから、返さなくていいと告げて財布を渡して帰ろうとしたら、激怒された」
ティナならきっとそうだろう、とファラザは吹き出した。場末の娼婦にだってプライドがある者は大勢いるのだ。
「議論の結果、ティナが僕の夜這いの先生をやって、僕が授業料を渡す、ということに落ち着いたんだ」
「そうかい。さぞかしいい先生だったろうねえ」
からかい気味にたずねると、少年はすまして答えた ―― 「最高だったよ」
こんな対応のしかたもティナが教えたのだろうか…… 考えながらも、ファラザはもうひとつ、気になっていたことを口にする。
「で、もうひとつののろいは? 」
「それは、もう終わったよ…… 先生が僕をあの名で呼んでくれたから。だが、もう2度と、誰にも呼んでもらわなくていい。僕の幸せのために誰かを犠牲にはしない。大切なものはもう作らない」
「…… それが、あんたの覚悟なんだね」
少年は返事をせずに、花嫁姿で眠る女に近より、まだ温もりの残るほおをそっとなでた。
いつのまにか、ファラザのなかの憎悪と怒りの炎は、その勢いを弱めている。
―― おそらくは、ティナはこうなる未来を半ば知っていたのだろう。
それでも、世間から切り離されてたったひとりさまよっていたような少年を、放ってはおけなかったのだ。
(この子だって、まさか両親がそこまでするとは考えていなかっただろうよ…… )
「―― きみたちは海から来たんだってね」
「ああ、あたしらのご先祖はね。それも、ティナから聞いたのかい? 」
「先生…… ティナは、故郷は海だと教えてくれた…… ひとつ、頼みがあるのだが」
彼女の埋葬を冥神の神殿の神官ではなく自分に任せてほしい、と少年は静かに言った。
「やめときな! 」
ファラザは彼の肩をつかんで、ゆすぶった。
―― ルーナ王国の埋葬は基本、火葬であり、遺体は冥神の神殿の神官の操る強烈な炎で骨ひとつ残さず焼かれる。
冥神の炎で個別に焼くにはけっこうなお布施が必要なので、それが払えない貧しい民の遺体は、まとめて焼かれて共同墓地に捨てられてしまうのだ。
「ティナだけを別に葬りたい、っていうなら、あんたが神殿にお布施してくれりゃいいじゃないか。あんたはそりゃ、公爵様のあととりで多少は魔力があるかもしれないが、大魔法使いでもなんでもないだろう? それなのに冥神の炎なんか出したら…… こわれちまうよ」
「…… 僕には、母の違う弟がいるんだよ。今は認知されていないので使用人見習いをしているが…… もし僕がこわれたら、父は彼を認知せざるを得ないと思わない? 弟の瞳は両方とも父にそっくりな暗い瑠璃でね、きっと母も、僕の片目を見て顔をしかめなくても済むようになる。すてきだね。
それに、僕がこわれたら、王女とマキナの婚約を決めた実はお優しい国王陛下は、きっと大いに心を痛められるだろうね。いい気味だ……
つまりはなにもかも僕のためなのだから、きみは心配しなくていいよ、ファラザ」
少年の口から、冥神の祈りが漏れ出すのを、ファラザはなすすべもなく聞いた。
止めるには、理解しすぎてしまったのである ―― 彼の悲しみと怒りと憎しみを、彼女もまた、知っていた。
それは正しくはないかもしれないが、ひたすら耐えて正しく生きろというのもまた残酷なことのように、彼女には思えたのだ。
形の良い指先から、ちょろちょろと炎がもれ、幼さの残る整った顔が苦悶に歪む。
それでも、低く歌うような呪文が止むことはない。
詠唱の切れ目で、彼の喉仏がごくりと上下する。おそらくは、せりあがってくる血を飲み込んだのだろう。
再び祈りの詞が続き、炎は次第に強く大きく、眠り続ける花嫁の身体だけを包んでいく ――
「 …… 無事かい? 」
やがて炎が消え去ったあと、ファラザの喉から出たのは、かすれたような音だった。
つばを飲みこんで息を整え、黙々と先ほどまではティナだった灰を集める少年の背に、もう一度声をかける。
「あんた、大丈夫だったかい? 痛いところは? 」
「 ………… 大丈夫だよ、ありがとう」
全ての灰を集め終えて振り返った少年の顔には、静かな、それでいて魅惑的な笑みが浮かんでいた。
「僕は家を出て海軍に入るつもりなんだ。海のどこかに、先生の…… ティナの故郷を見つけて、彼女をそこに返そうと思う」
「そんなの、どこだっていうんだい? 海は広いんじゃなかったかね? 」
「先生の故郷なら、海のいちばん美しい場所に決まっているさ」
妹分と思っていた女の灰をわけてもらい、少年の穏やかな声を聴きながら、ファラザは了解した。
(この子は、命じゃなくて心を、冥神の炎の代償にしたんだね…… 命は無理だからせめて心だけでも、ティナと一緒にいくことにしたんだね)
とがりまくった石みたいで間違いだらけで、でも優しい子だ ――
「ねえ、あんた。それもまあ、ティナのためには有難いけどさ、あんた自身のことも考えなよ。せっかく並ぶ者なんてない貴公子様なんだからさ…… 今はそんな気になれないだろうけど、もうちょっと大人になったらさ、きれいなお姫様と結婚して、幸せに暮らせばいいんだよ」
迷惑をかけてすまなかった、と財布を押しつけて去る背中に、ファラザはお節介に違いないことを並べたてる ――
と、ゆったりとした足取りがピタリと止まり、冷たく静まった顔が振り向いてうなずいた。
これが単なる気づかいであり、少年にまったくそのつもりがないであろうことを、ファラザは見抜いていた。
―― でも、と彼女は思う。
彼はまだ生きている。
生きている限り、心もまたいつかは、息を吹き返そうとするのだ。
どんなに死んでしまったように見えても、きっと。
そのときにもまだ、幸せになってはいけないだなんて、そんなことがあるものか。
(ねえ、だってあんただって願っているだろう、あの子が幸せになるようにって…… そうだろう、ティナ )
ファラザの心の片隅では、浅黒い肌に豊かな黒髪の妹分が、泣きそうな黒い瞳でほほえんでいた。
―― だが、ファラザの願いに反し、彼は数年後、ひねくれた大人となって彼女の前に現れた。
どれくらいひねくれているかというと、海軍で順調に地位を上げ公爵家を継ぐいっぽうで 『王国一の女たらし』 の悪評高いエロ小説家となっている程度に、である。