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東日本大震災☆丸文字の奇跡

作者: 夢穂六沙

   ☆1☆


 ちょうど冬のこんな寒い日の夜だった。

 東北の長い降雪の合間に訪れる束の間の晴天。

 満天の星空に浮かぶ銀色の月は、煌々と照り輝き、街並みを青白く照らし出す。

 そんな冬の夜だった。


   ☆2☆


 美月は過疎の進んだ片田舎の町。

 福島県・井備都町という、寂れた町には似合わない美人だった。

 幼い頃はそんな事もわからず、美月がそばにいるのが当たり前だと思っていた。

 ぼくと美月は生まれた時から一緒に育った近所に住む幼馴染みだ。

 呑気で平和な少年少女時代を楽しく過ごし、気が付くと卒業式。

 小学校は僕と美月が卒業すると同時に生徒数の減少により廃校となった。

 ぼくらはその後、市の中学に進学した。

 二人の関係に変化が生じたのは、それからすぐだ。

 真面目で明るく、勉強もスポーツも得意な美月は、すぐにクラスのみんなに馴染んだ。

 比べてぼくは、地味で目立たない、その他大勢の一人でしかなかった。

 美月とすれ違う日々が続いた。

 時折、帰りが一緒になると、美月はあるノートをぼくに渡した。

 ノートには癖のある独特の丸文字で、童話や詩、短い物語などが綴られていた。

 美月は子供の頃から文才に恵まれ、将来は小説家になるのが夢だった。

 昔、といっても、ほんの数年前、小学校高学年になる頃には、美月がノート一杯に書き溜めた物語を、よくぼくに見せてくれた。

 そして何故か素人のぼくに読後の感想を求めた。

 それはただ単に、ぼくは美月の最

 初の読者で、美月の小説の最初のファンだったからかもしれない。

 ノートは翌日、美月に返す。

 ノートの一部には、ぼくなりの簡単な感想が記してある。

 美月にとって、それが参考になるのかどうか分からないけど、それだけが、今の美月とぼくの唯一の繋がりだった。

 2学期になると、体育祭、文化祭と、学校行事が目白押しとなる。

 クラスの連中も段々と連帯感が高まり、そんな雰囲気の中、親しくなった男女が付き合っている。

 という話しが囁かれた。

 美月も何度か告白された。

 という噂が、ぼくの耳にも嫌でも入る。

 ぼくの焦り、不安、焦燥、暗い負の感情は、軽く頂点を超えた。

 澱んだ重油のように重苦しい感情に支配されながら、勇気を振り絞って、恐る恐る美月にその事実問いただすと、最初、面食らったように頬を赤らめたが、すぐに、ぼくの背中に回ると、あの独特の癖のある丸い指文字で、ぼくの背中にこう書き始めた。

 ことわた。

 小文字の〈っ〉はいつも省略している。

 つまり、断った、という意味だ。

 ぼくは安堵すると同時に、美月が何物にも代えがたい。

 言葉では言い表せない大きな存在である事に気付いた。

 複雑で厄介なこの感情は、そのくせ文章で表せば、たった一言で表せてしまう。

 つまり、ぼくは美月が〈好き〉だった。

 年末になると恒例のキリスト降誕を祝うキリスト教徒・最大のイベント~クリスマス~が、さらに年末には大晦日。

 年が明けて正月。

 と、年末年始の楽しいイベントが続く。

 にもかかわらず、美月は男子の誘い(女子も含めて)を、すべて断り、家族と一緒に過ごす事に決めているらしい。

 ぼくは、それを聞いてまたまた安心した。

 美月に悪い虫が付かなくて良かった。

 そう思うと不安に苛まれた胸を撫で下ろすのだった。

 2月になると、再びぼくの胸中は不安で一杯になる。

 憂鬱と言っても差し支えない。

 3世紀のキリスト教の聖人・バレンタインを祝う、女子・最大のイベント~セント・バレンタインデー~が、迫りつつあるからだ。

 男子生徒はこぞって、その日にチョコをゲットしようと、飽く無き根回しを始めた。

 まさしく、片っ端から女子の間を遁走していた。

 美月も最難関のターゲットとして、飴に群がる蟻の如く、その周囲にゾンビの如く群がって来た。

 執念深く、〈あわよくばチョコゲット作戦〉を展開していた。

 せめて義理チョコだけでも。

 と、しつこく食い下がる男子生徒たちの涙ぐましい努力に対して、当の美月は困ったような表情を浮かべ生返事をするだけだった。

 バレンタインデー当日、ぼくは眠れない夜を過ごしたため、目を真っ赤に充血させ、その下には真っ黒なクマさんをこさえて学校に登校する事になった。

 美月と校舎ですれ違うと、美月はぼくの豹変ぶりに驚いたが、すぐに気を取り直し、たぶん、義理だと思われるチョコをぼくに渡してくれた。

 義理でも何でも良かった。

 美月がぼくの事をまだ気にかけてくれている。

 それだけで嬉しかった。

 美月が顔を赤らめながら何か言おうとした。

 たぶん、このチョコは義理とか何とか説明しようとしたのだろう。

 ぼくはそれをさえぎり、美月を廊下のはしに追い込んだ。

 そして壁にドンッと手を付くと、思い切り破れかぶれにこう叫んだ。

 みみみ、みつ、みつ、美月っ! 

 おおお、お前の事が好きだあああっ!!! 

 ぼぼ、ぼくと付き合ってくださいっ! 

 すぐにぼくは羞恥心から茫然自失に陥った。

 何やってんだぼくは!? 

 でも、せめて一度ぐらい、自分から美月に告白したかった。

 たとえフラれてもいい。

 義理とはいえ、美月がくれたチョコの優しさを垣間見た瞬間から今まで張り詰めていた思いが一気に氷解してしまった。

 きっと今日は厄日に違いない。

 美月の返事は無かった。

 そのかわり、ぼくにチョコを押し付けると、素早く背中に回った。

 何だ? 

 しばらく待つと、ゆっくりと、ぼくの背中に、例の独特な癖のある指文字で一文字一文字こう書いてくれた。

 おけー。

 瞬間、頭の中が蒸発したように真っ白になった。

 ぼくも美月も顔は真っ赤だった。

 東北のリンゴ状態だった。

 心臓は爆発寸前で動悸がいつまでたっても治まらなかった。

 これが恋って奴か? 

 でも、このまま死んでも構わないな。

 って、その時は本気で考えた。

 死なないけど。

 兎も角、

 そのあとの事はよく覚えていない。

 全てが夢か幻のように過ぎ去った。

 おぼろげに授業を受けた記憶だけが少しあるけど…。


   ☆3☆


 2011/3/11。

 東日本大震災発生。

 マグニチュード9。

 最大震度7。

 同時発生した津波の高さは十メートル。

 死者・行方不明者/約一万八千人。

 避難者数/約四十万人。

 日本観測史上、最大の地震である。


 幸せな日々は長く続かなかった。


 美月も美月の家族も、あの日、地震と共に発生した大津波に飲み込まれ。

 今もその行方はようとして知れない。


   ☆4☆


 震災から3ヶ月が経過した。

 その間、

 原発が爆発しメルトダウン寸前の危機に陥った。

 何万トンもの放射性廃棄物を含んだ汚染水が海中に投棄された。

 放射性廃棄物に汚染された瓦礫の山が街中にうず高く積もった。

 瓦礫に覆われた街の復興は遅々として進まなかった。

 大勢の人々が公共施設での不自由な避難生活を余儀なくされた。

 それは、ぼくも例外ではない。

 けど、今となっては、


 とうでもいい事だった。


 美月がいない今、何もかもが、もう、どうでもよくなっていた。

 ぼくは心を閉ざし、悲しみの内に日々を過ごした。誰もが悲しんでいる。

 避難生活を送っている多くの人たちは、その大半が親、兄弟、親戚、友人、そして恋人を、みんな誰か大切な人を失っていた。

 ぼくだけじゃない。

 と、心の中で呟く。

 辛いのは誰でも一緒だ。

 と、強いて思う。

 けど駄目だった。

 いくら心に嘘を付いても、身体は正直だ。

 決して誤魔化しきれない。

 ぼくの身体は震災以来、少しずつ、少しずつ、痩せ衰えてきた。

 他のみんなと同じように、食べて、寝起きも共にしている。

 にもかかわらず、ぼくの不可思議な身体の変調は治らなかった。

 日に日に、ぼくの身体は骨と皮だけになっていく。

 医者が哀しげな眼差しで、ぼくを叱咤する。

 生きる気力を取り戻さない限り、君の身体の変調は治らない、今のままでは手の施しようが無い、と。

 親、兄弟、友人、みんなが口を揃えて、口々にぼくを慰める。

 頑張れ、頑張れ、頑張れ、口を酸っぱくして何度も何度も、同じ事を言う。

 壊れたスピーカーのように、何度も、何度も、何度も、何度も…、


 すべては、もう…どうでもいい事なのに。


   ☆5☆


 6月のある日、この時期には珍しい大雪が降った。

 それは夜になるとすぐに止んだ。

 その日は節電のためか、いつもより早く消灯した。

 自然と避難所のみんなは普段より早く眠りに就く事になる。

 ふと、夜中に目が覚めたぼくは、体育館の窓から射し込む青白い薄明かりの中に、微かな人影があるのを見かけた。

 ぼくは目を凝らして、その人影を見つめた。

 ぼやけた輪郭はクッキリとしたラインを描き、淡い影は少しずつ少女の形を取り始めた。

 少女がゆっくりとぼくに近付く。

 目と鼻の先、目前まで近付いた時、ぼくは少女の正体に気付いた。

 闇の中に浮かび上がったその少女は、まぎれもなく美月だった。

 その口許に懐かしい微笑が浮かぶ。

 美月が手招きしながら、ユラユラと踊るように、その姿が体育館の入口へと消えて行く。

 ぼくは呆けたようにフラフラとその後を追った。

 突然の出来事に声さえあげる暇が無かった。

 息をする事さえもどかしく感じた。

 ぼくは体育館の外、校庭に飛び出した。

 再び瞳を凝らして美月の姿を探したが、その姿はどこにも見当たらなかった。

 凍り付くような冷気に身震いしながら、数分で凍え死ぬんじゃないか? 

 と、身を切るような寒さの中で、

 ようやく夢から覚めたような気がした。

 ぼくの意識は完全に覚醒している。

 思考は鮮明に明瞭に澄んでいる。

 しつこく校庭を目で追い美月を探したが、人っ子一人いなかった。

 美月の姿は影も形も無かった。

 寝惚けていたのだろうか? 

 ぼくは落胆しながら夜空を見上げた。

 昼間の大雪が嘘のように今は晴れ渡っている。

 月は煌々と照り輝き、曇一つ無い夜空には、無数の星が瞬いている。

 しんと静まり返った校庭は、昼間のうちに降り積もった雪が月光を受け、ほの蒼く輝いている。

 足跡一つ無い新雪の上には、しかし、何故か、奇妙な陰影が浮かんでいた。

 不思議に思い、ぼくは降り積もった新雪を踏み荒らして、その奇妙な陰影に近づいた。

 よく見ると、それが文字だと分かった。

 他人から見れば単なる偶然の産物。

 ただのオウトツにしか見えないだろう。

 けど、ぼくにとっては明らかに文字だった。

 なぜならば、その文字は…独特の癖のある丸い指文字は…何度も、何度も、ノートで読んだ、忘れ難い大切な人の筆跡と同じだったからだ。

 それは、まぎれもなく美月本人によって書かれた指文字に違いなかった。

 その文句はただ一言、

 いきて。

 だった。


   ☆6☆


 震災後、数年が経った今もまだ、復興が進む気配は全然ない。

 むしろ後退している気さえする。

 除染された放射性廃棄物は民家のすぐ横に放置され、青いビニールシートが申し訳程度にその場を覆っている。

 中間貯蔵施設の場所は決まらず、堪りかねた一部の住民は高額な代金と引き換えに悪徳業者へ放射性廃棄物の廃棄を依頼する。

 その廃棄物の行き先は誰にも分からない。

 海へ捨てたのか、山へ捨てたのか、あるいは都内の何処かの河川敷にでも棄てたのか。

 憶測だけが飛び交っている。

 巨額の復興予算は一体何処で何に使われたのか? 

 誰も知る者はいない。

 ゼネコンが私腹を肥やしている。

 という醜聞だけが世間一般の人々の間に風の噂として流れている。

 仮設住宅の期限はとうに切れ、今では被災者も皆バラバラだ。

 最早、震災は過去の災害。

 歴史の一頁となりつつある。

 あの悲劇は風化の一途を辿り、忘却の彼方へと忘れ去られようとしている。

 それでも…ぼくは、冷たい雪の降る夜に、冴え冴えとした闇夜に輝く銀色の月を見るたびに思い出す。

 決して、あの日を忘れはしない。

 あの、身を切るような寒さの中で見つけた。

 たった一つの言葉…最愛の美月…ぼくは、今日も生き続ける。

 そう、

〈いきて〉…いる。


   ☆完☆


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