幸田露伴「五重塔」現代語勝手訳 其 二十五
其 二十五
材を釿る斧の音、板を削る鉋の音、孔を鑿るやら釘を打つやら、トントン、カチカチの響きも忙しく、木片は飛んで、疾風に木の葉が翻る如く鋸屑が舞い、あたかも晴天に雪が降るような感応寺境内の普請場。そんな賑やかな景況の中、紺の腹掛が頸筋に食い込んだようなのを懸け、小股の切れ上がった股引を小粋に穿いて、つっかけ草履の威勢のよい者、さも要領よくてきぱきと働く者、あるいは汚れた手拭いを肩にして、日当たりの好い場所に蹲踞み、悠々然として鑿を研ぐ垢穢い衣服の爺もいる。はたまた道具探しにまごつく小童や、頻りに木を挽割日雇い人夫等、色々な職人がそれぞれに骨を折り、気遣いに汗をかき、息を張るその中に、総棟梁ののっそり十兵衛がいた。皆の仕事を監督り方々、墨壺、墨さし、矩尺を持って、確りと胸に描き納めた切組を実物にするための指図、命令、こう截れ、ああ穿れ、此処を何様して、何様やって、其処にこれだけ勾配有たせよ、孕みが何寸、凹みが何分と口でも知らせ、墨縄でもいわせ、ややこしい部分は板片に矩尺の仕様を書いても示して、鵜の目鷹の目、油断なく必死になって、自らも励み、今まさに一人の若佼に彫物の画を描いて与ろうとしているところへ、野猪よりも疾く、塵土を蹴り立てて飛んできたのは清吉であった。
忿怒の面はまさに火の玉のようで、逆釣った目を一段と視開き、
「畜生、のっそり、くたばれ」と、大声で叫べば、十兵衛驚いて振り向く途端、真っ向から岩も裂けよとばかり打ち下ろすのは、ぎらぎらするまでに研ぎ澄ませた釿を柄に挿した、謂わば大工にとっての刀。如何しても避ける間もなく、左の耳を殺ぎ落とされ、肩先を少し切り割かれたが、
「仕損じたか!?」と、また踏み込んで打つのを逃げながら、投げつける釘箱、才槌、墨壺、矩尺。しかし、手許に持つべき利器はなく、防ぐ術はない。身を翻して退く機に足を突っ込む道具箱、ぐざと踏み貫く五寸釘、思わず転んだのを、しめた! とばかり、嵩にかかって清吉が振り冠った釿の刃先、夕日の光を閃りと宿し、空に怪しい電光が走ろうとしたまさにその時、背面の方で怖ろしいまでの一声、
「馬鹿め!」と叫ぶ男がいて、二間丸太で容赦なく両臑をいとも簡単に薙ぎ倒せば、倒されて益々怒る清吉、忽ち勃然と起き上がろうとするその襟元をグイと掴んで、
「やい、我だわ、血迷うなこの馬鹿め」と、何の苦もなく釿をもぎ取って捨てながら、上からぬっと出す顔は、八方睨みの大眼、一文字口の怒り鼻、渦巻縮れの両鬢は、不動明王かと見間違うばかりの相形である。
「やあ、火の玉の親分か、訳がある、打捨っておいてくれ」と、力の限り払い除けようと踠き焦燥るのを、栄螺の拳固で鎮圧め、
「えぇ、じたばたすれば拳殺すぞ、馬鹿め」
「親分、情けない、此処を此処を放してくれ」
「馬鹿め」
「えぇ、分かってくれ、親分、彼奴を生かしては置けねぇんだ」
「馬鹿野郎め、べそをかくのか、従順くしなければまた打つぞ」
「親分、酷い」
「馬鹿め、やかましいわ、拳殺すぞ」
「何でだ、分からねぇ、親分」
「馬鹿め、それ打つぞ」
「親分!」
「馬鹿め!」
「放して」
「馬鹿め」
「親分」
「馬鹿め」
「放して」
「馬鹿め」
「親……」
「馬鹿め」
「放……」
「馬鹿め」
「ぉ…………」
「馬鹿め馬鹿め馬鹿め馬鹿め、醜態ぁ見ろ、従順くなったろう。野郎、我の家へ来い。やい、どうした、野郎、やぁ此奴は死んだな、詰まらなく弱い奴だな、やぁい、誰奴か来い、肝心の時に逃げ出して、今頃十兵衛の周囲に蟻のように群って何の役に立つ、馬鹿ども、此方には亡者が出来かかっているんだ、鈍遅め、水でも汲んできて打注けてやれい、落ちた耳を拾っている奴があるか、たわけめ、汲んできたか、構うことはない、一時に手桶の水を不残面へ打付掛けろ、此様野郎は簡単に生き返るものだ。それ気がついたか、清吉ッ、確乎しろ、意地のねえ、どれどれ、此奴は我が背負って行ってやろう。十兵衛の肩の疵は浅いだろうな、うむ、よしよし。馬鹿どもそれじゃな」




