幸田露伴「五重塔」現代語勝手訳 其 十五
其 十五
胸の内にあった思いがどうしようもなく込み上げて来たからか、じたじたと慄え出す膝頭を緊乎りと寄せ合わせ、その上に、両手を突っ張り、身を固くして十兵衛は、
「情けない、親方様、二人でやろうとは情けない。十兵衛に半分仕事を譲って下さるなどと、それはお慈悲のようでありますが、情けない。厭でございます。厭でございます。塔を建てたいのは山々でも、もう十兵衛は断念ております。お上人様のお諭を聞いてからの帰り道、すっぱり思い断念ました。身の程にもない考えを持ったのが間違い。あぁ、私が馬鹿でございました。のっそりは何処までものっそりで、馬鹿にさえなっていればそれで可い。溝板でも叩いて一生を終えましょう。親方様、堪忍して下され、我が悪い。塔を建てようとはもう申しません。見ず知らずの他人ではなく、ご恩になった親方様が一人で立派に立てられるのを少し離れたところから視て喜びましょう」と、元気なく言い出したのを、気の早い源太はゆっくりとは聞いてはおらず、ずいと身を乗り出して、
「馬鹿を言え十兵衛、余りにも道理というものが解っておらん。上人様のお諭はお前一人に聞けと言われたものではないぞ、我の耳にも入れられたのだ。お前が腹で聞いたのなら、我はこの胸で受け取った。お前一人が重石を背負って、そう沈まれてしまっては源太は男になれるか。詰まらぬ事を考えて、身を引いて馬鹿にさえなっていれば可いとは、分別が有り過ぎて、逆に至当とは言えんわ。応、それなら我がすると、渡りに舟で賢く引き受けては、上人様にも恥ずかしく、第一源太がこれまで折角磨いてきた侠気もそこで廃ってしまうし、お前は言うまでもなく虻蜂取らず。智恵がないにも程があるというもの。そうなっては二人とも良いことなどないではないか。さぁ、だから気持ちよく仕事をしようと言うのだ。少しは気まずいところがあってもそれはお互い様。お前が不満を感じるのと同じくらい此方にも面白くないものがあるのは分かるだろう、お互い忍耐し合えば忍耐出来ぬ訳はないはず。何もわざわざ骨を折ってお前が馬鹿になってしまって、何日も気に掛けていたことを煙のように消してしまい、天晴れな手腕を寝かせ殺しにすることもない。なぁ十兵衛、我の言うことが腑に落ちたら、お前の考えを飜然と変えてくれ。源太は無理は言わんつもりだ。……これ、何故黙っている。まだ不足か、不承知か、承知してくれんか。えぇ、我の了見をまだ呑み込んではくれないか。十兵衛、あんまり情けないではないか。何とか言ってくれ。不承知か、不承知か、えぇ情けない、黙っていられては解らない。我の言うことはおかしいか、それとも不満からの腹立てか」と、義には強く、情には弱く、意地も立てるが親切もあくまで徹す江戸っ子気質の源太が柔和く問い掛ければ、それを聞いていたお浪は嬉しさが骨身に浸みて、親方様、あぁ、有り難うございますと、口にこそ出しては言わないが、舌よりも真実を語る涙を溢れさせた眼で、返事をしない夫の方を気遣い見れば、男は一厘たりとも身動きせず、ただただ無言で思案の頭を重く低れ、声の代わりにぽろりぽろりと膝の上に散らして涙珠が零ちる。
源太も今は無言となって、少時一人で考えていたが、
「十兵衛、お前はまだ解らんか、それとも不満に思うのか、なるほど折角望んだことを二人でするのは口惜しかろう、しかも源太を主にして副になるのは口惜しかろう。えぇ負けてやる、こうしてやろう、源太は副になっても可い、お前を主に立ててやるから、さぁさぁ気持ちよく承知して二人でやろうと言ってくれ」と、自分の望みは無理に折って、思い切って言い放つ。
「とッ、とんでもない親方様、たとえ十兵衛、気が狂ったとしても、どうしてそんなことが出来ますものか。勿体ない」と、慌て言うと、
「だったら我の考えに従くか」と、ただ一言返されて、
「それは……」と、窮るのを、また追いかけるように、
「お前を主に立てるというのでもまだ不足か」と、烈しく突かれて、度を失う傍で、女房は気が気でなく、
「親方様のご意見に何故まぁ、早く従れませぬか」と、責めるように恨んだ口調で、言葉もそぞろに勧めれば、十兵衛ついに絶体絶命、下げた頭を徐に上げ、まん丸の眼を剥き出して、
「一つの仕事を二人でするのは、よしんば十兵衛が主になっても副になっても厭なので、どうしても出来ません。親方お一人でお建て下さい。私は馬鹿で終わります」と言い出せば、皆まで言わせず、源太は怒って、
「これほど事を分けて言う我の親切を無にしてもか」
「はい、有り難いとは思いますが、虚言は言えず、厭なので出来ません」
「汝、よく言った。この源太の言葉にどうでも従かないと言うんだな」
「どうしようもないことでございます」
「ようし、覚えておれ、こののっそりめ、他の情の分からん奴、そんなことが言えた義理か、よしよし汝とはもう口も利かん。一生溝でもいじって暮らせ。五重塔のことは気の毒ながら、汝にはもう何も言わせん。源太一人で立派に建てる。建てた暁には、この我の作ったものに、できるものなら、批点でも付けてみろ!」




