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幸田露伴「五重塔」現代語勝手訳   作者: 秋月しろう
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幸田露伴「五重塔」現代語勝手訳  其 一

幸田露伴作「五重塔」を現代語訳してみました。

本来は、原文で読むべしですが、現代語訳を試みましたので、興味ある方は参考までにご一読くだされば幸いです。

これまでと同じく、自分の訳したいように現代語訳をしていますので、厳密な逐語訳とはなっていません。特に、自分が理解出来なかった箇所など、ある意味勝手な訳となっている部分もあります。


今回、前に訳したものを見直しました。

多くの誤りを発見し、我ながら(はず)かしく、汗顔ものでしたが、解る範囲で、書き直しました。しかし、まだまだ多くの間違いを犯している可能性があります。ご容赦を願うと共に、ご指摘いただければ幸甚です。


この勝手訳の底本は岩波文庫の「五重塔」ですが、角川書店発行の「日本近代文学大系 6」の「幸田露伴集」に詳しい語句の解説があり、今回はその解説も参考にさせてもらいました。「注*」や「後書き†」などで「日本近代文学大系」とあるのはそれを指します。


 其 一


 胴は木理(もくめ)の美しい(けやき)材、(ふち)にはわざと(あか)(がし)を使った頑丈(がんじょう)な作りの長火鉢を前に、話し相手もなくただ一人、どこか淋しげに座っている三十前後の女。男のように立派な眉を何日(いつ)剃り落としたのか、その跡が青々としていて、眼も醒めるような雨後の山を思い浮かばせる色は、まるで(みどり)の匂いさえ漂うようで、ひときわ床しく感じられる。鼻筋がツンと通って、目尻はキリリと上がり、洗い髪をぐるぐると無造作に丸めて引き裂き紙をあしらい、そこを一本(いっぽん)(ざし)でぐいと刺し留めただけなのは色気が無いように思えるけれど、憎いほどに真っ黒で艶のある髪の毛が一房、二房揺れ乱れるようにして、浅黒いながらもすっきりとした顔にかかる趣きは年増(としま)(ぎら)いでも褒めずにいられない風情がある。自分の女なら着せてやりたい好みの着物もあるのにと、好色漢(しれもの)が頼まれもしないのに陰であれこれ話の種にしているが、本人は外見(そとみ)を気にせず、堅気(かたぎ)の身の装い方を意識しているのだろう、柄だけは野暮ではないものの、単に二子(ふたこ)の綿入れに繻子(しゅす)(えり)を掛けただけのものを着て、どこにも派手なところがない。引っ掛けたねんねこだけは昔はどうやら粗い縞の糸織(いとおり)らしいが、それとて何度も洗い晒したものであろう。

 今は台所で下女(おさん)が洗い物をする音だけがして、家の中は静まり返り、他に人のいる気配はない。女はぼんやりと、ただいたずらに爪楊枝を舌先で弄んだりしていたが、やがてぷつりとそれを噛み切ってぷいと吹き飛ばし、火鉢の灰を掻き(なら)して炭火(すみび)を体裁良く埋めると、(いも)(かご)から小さな布切れを取り出して、銀色に光る長五徳(ながごとく)を磨き、()()()を拭き、銅壺(どうこ)の蓋まで綺麗に仕上げ、南部(なんぶ)霰地(あられ)の大鉄瓶をきちんと掛け直した。それから今度は石尊様(せきそんさま)(まい)りのついでに箱根へ寄って来た者が、姉御(あねご)へお土産(みやげ)だとくれたらしい寄せ木細工の洒落た煙草箱を、右の手に持った鼈甲(べっこう)(らお)煙管(きせる)で引き寄せ、長閑(のどか)に一服吸って、線香が煙るくらいにゆるゆると煙を吐き出すと、思わず知らず大きな溜息をついた。

 多分、うちの人が任されるだろうが、憎い()()()()めが(むこ)うへ廻り、去年使ってやった恩も忘れ、上人(しょうにん)様に胡麻(ごま)を擦り込んで、強引に今度の仕事をしたいと立場もわきまえず願い出たとやら。(せい)(きち)の話では、上人様に依怙贔屓(えこひいき)のお気持ちはあっても、名も知られていないのっそりに大事な仕事を任せられることは、檀家方(だんかがた)の手前もあるので難しいだろうから、大丈夫こちらに申しつけられるのは決まったも同然。仮にのっそりに申しつけられることがあっても、あいつに出来る仕事でもなく、またあいつの下になって働く者もいないだろうから、見事にし損なうのは目に見えている、と言うが、早くうちの人が、いよいよ御用を言いつかったぞと、笑い顔で帰って来られればいいのに。滅多にない仕事だけに是非やってみたい、請け負ってみたい。慾得(よくとく)で言うのではない、谷中(やなか)感応寺(かんのうじ)(†1)の五重塔は川越(かわごえ)の源太が造りおった。あぁ、素晴らしい出来栄(できば)えだ、感心したと言われてみたいと面白がって、いつになくこの仕事に意気込みを感じておられるのに、もしこの仕事を他人(ひと)に取られたらどんなに腹を立てられるか、癇癪を起こされるか。それも道理(もっとも)だから、(わき)から私が慰めるなど出来る訳がない。あぁ、何にせよ良い知らせを持って早く帰ってこられれば好いのにと、口には出さないけれど、女房としては心配で心配で、今朝、後ろから自分が縫った羽織を着せ掛けて出した男のことをあれこれと気遣っていたが、そんなところへ、表の骨太(ほねぶと)格子(ごうし)を手荒く開けて、

姉御(あねご)、兄貴は? 何、感応寺へ? 仕方がねぇ。それでは姉御に、済みませんがお頼み申します。つい昨晩(ゆんべ)は飲み過ぎちまって……」と、後は言わずに(おかし)な手つきをして話せば、眉頭(まゆがしら)に皺を寄せて笑いながらも、

「仕方がないもないもの、ちっとはお前も締めるもんだわ」と言いながら立ち上がり、幾らかの金を渡せば、それを持って玄関口に出て、何やらくどくどと押し問答をした末、再びやって来て、拳骨(げんこつ)で額を押さえ、

「どうも済みませんでした、ありがとうござりまする」と、あらたまった奇異(おかし)な礼をするので、女も思わず苦笑いである。


★ 素人の独り言


†1 感応寺の読みは「かんのうじ」か「かんおうじ」か。原文のルビは「かんおうじ」である。最初の勝手訳では、原文のまま「かんおうじ」としたが、現代語読みでは「かんのうじ」であろう。ただ、同じ名でも、寺によってはそのまま「かんおうじ」と読ませるところもあるようで、悩ましい。


・ 原文は「木理(もくめ)(うるわ)しき(けやき)(どう)」から始まる。塩谷賛氏は「幸田露伴 上」で、

『……長火鉢の描写からはじまる書き出しは「いさなとり」よりも数等優っているばかりでなく、それまでのどの作品の書き出しよりも優っている』

 と書いている。この名文をどのように現代語に移すのか、素人の私には手に余るものがあった。長火鉢から源太の女房であるお吉の描写、そしてお吉の思いへと流れるように進む筆づかいは、現代語にしてしまうと、どうしてもぎこちなくなってしまう。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 分かりやすくて読み易く、尚且つ元のテクストの持ち味を活かした、良質で丁寧な現代訳と感じました。 こちらの現代訳を元テクストの岩波文庫と併読する事で、作品への理解がより一層に深まっております…
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