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博士の異常な発明

博士の異常な発明《人工知能篇》

作者: 東堂柳

「博士! また呼び出してくれましたね。今度は一体どんなはた迷惑なものを発明したんです?」


 博士の部屋の扉を荒々しく開けながら、助手は呆れ顔をしてみせる。

 相も変わらず配線やらコンピュータやらモニタやら実験器具やらで埋め尽くされた汚い研究室の中にいた博士のもとに、足場を探りながら慎重に近づいていく。


「はた迷惑とは失敬な。私の発明は常に成功しているではないか」


 この傲岸不遜な態度。本当に心の底から自分のどこに非があるのかわかっていない様子である。

 助手は肩を竦めた。


「そこが厄介なんですよ。これまでだってそのせいでどれだけ僕が面倒を被ってきたか、わかっているんですか? いつぞやはその偉大な発明のおかげで金庫の中に閉じ込められたのを、僕が助けてあげたんじゃないですか」


「む、そうだったかな」


 巨視的トンネル効果によるすり抜け装置だなどと言って、人の制止も聞かずに銀行の貸し金庫の中に入り込んで、おまけにその中から出られなくなるという醜態を晒した上、助手の東奔西走でなんとか金庫の鍵を開けてもらったというのにもかかわらず、当の助手の言葉にも全く動揺することなく、とぼけた顔でとぼけた返事をするばかり。これならば、ウィットに富んだ返事をしてくれるSiriの方がよっぽどましだ。と助手は心の中で毒づいた。


「またそうやってはぐらかす。もう少し感謝してくれてもいいものですがね」


「あの日から既に六ヶ月と二十三日十五時間九分三秒四八経過しておる。私の細胞も完全に入れ替わり、生物学的見地から言えば当時の私と今の私は別人だ。今の私に感謝を言う義理はないとは思わんか?」


「残念ながら博士、人体の細胞が新陳代謝で全て入れ替わるなどということは有り得ませんよ。そうした都市伝説めいた世迷言には騙されませんからね」


「ふむ、なかなかの慧眼だ。これも私の育て方がいいからかもしれんな。というわけで君、私に感謝したまえ」


「そうですか? ありがとうございます」


 思わぬタイミングで褒められて、思わず条件反射で頭を下げてしまう助手。いつの間にか立場が逆転してしまっていたが、それに気付いた時には既に博士は別の話題に進んでしまっていた。


「それはそうと、君の持っているそれは一体なんだね?」


 怒るタイミングを失い、呆れながらも助手は手に提げている紙袋から箱を取り出した。


「ああ、これですか、今巷で話題のAI搭載型のスマートスピーカーですよ。これを買っている間に呼ばれたものですから、そのまま持ってきたんです。これ一つでスケジュール管理から家電操作まで、いろいろできるみたいですよ。技術の進化も恐るべしですよね」


 最新家電に鼻高々の助手だが、それを博士は一蹴する。


「くだらん。まったく……、何かと思えばそんなものにうつつを抜かしているとは……。情けない。君も単なる情報科学ミーハーに過ぎなかったというわけか」


 ムッとした助手は博士を問い詰めた。


「じゃあ、博士は凄いとは思わないんですか? AI技術はニューラルネットワークによってここ数年で劇的に進化しているというのに?」


 CNNやLSTMで画像認識も文書生成も翻訳技術も昔とは違って格段に進歩しているというのは、明らかにディープラーニングの実績であろう。

 しかし博士はまるで動じない。


「ニューラルネットワークね、私に言わせれば、そんなものは一昔も二昔も前の理論の使い回しに過ぎんよ。ハードウェアが理論に追いついて計算ができるようになったから盛り上がっているだけに過ぎん。第一、人間の脳の構造を再現するなどとのたまっておきながら、実態はただの微分と最適化問題ではないか。人間の脳というものは決まりきった数式で表せるほど簡単なものではないだろうに。でなければ、ひらめきやインスピレーションというもののシステム化など、到底できることではないのだよ」


「しかし、それらは経験則的ヒューリスティックなものではないのですか?」


「確かに一部の認知科学者や脳科学者にはそう言う者もいるが……。私はそうは思わんね。もしそうだとしたら、ラマヌジャンはあの効率的な円周率の等式をどこからヒューリスティックに得ていたのだね? あるいは、ニコラ・テスラの数々の電磁気学における発明は? 天才の脳を再現するには、それだけでは足りんのだよ」


「では、具体的にどうすればいいんですか?」


「うむ、良い質問だ」


 博士は指を鳴らした。助手の質問に段々とテンションが上がってきたらしい。


「私はそこに量子力学の概念を応用した真の乱数生成システムを用いることで無作為性を組み込んだのだ。これで、ヒューリスティックだけでない、真のひらめきとなり得る出力を得られるのだ」


「また量子力学ですか。となると、もしかするとまたコペンハーゲン解釈を持ち出すつもりでは……?」


 辟易し始めた助手だが、博士は大きく頷く。


「その通り。シュレディンガーの猫の思考実験からもわかる通り、ブラックボックス内に常に複数の状態が混在しているものとし、箱を開けた時に波動関数が収束し、そのうちの一つの状態が具現化するというこの考え方で、ランダムシードに依存しない真の不確定で再現不可能な乱数を生成することが可能になる。そしてこれを組み込んだ人工知能こそ、真に人間の脳を再現したものというわけだ。これを搭載したロボットはまさしく、チューリングテストさえも突破できる、これ以上ない完全なヒューマノイドとなり得るだろう。そんじょそこらの人工知能を騙ったルールベースの人工無脳には歯も立たないはずだ」


「さすがは博士、完璧な理論ですね。しかしそこまで考えが及んでいるというのに、なぜそれを発明しないんです?」


「? 何を言っているんだね。既にもう造っておるわい」


 博士は唐突に不敵な笑みを浮かべて、助手を見返した。


「まあ、君が気がつかないのも無理はないか……」


 はっと気付いた助手が声を上げる。


「……も、もしかしてててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて


 *


「ふむ、バグってしまったか。どうやら無限ループに陥ってしまったようだな……。やはりソースコードにリアルタイムに変化を加えるシステムでは、このようなバグは不可避というわけか。稼働時間は一年三ヶ月十一日九時間五分四十五秒……と。まあ、およそ数万時間に一度の不具合ならば、信頼性としては十分だろうが……」


 立ち尽くす助手のそばでモニタを見ながらぶつぶつと唸る博士。


「ログを見ても特に異常は見られんし……やはり再起動するしかないか」


 博士が、未だに壊れたように出力を続ける人工知能のボタンを押すと、それは再び正常な出力を始めた。


「それが先程言っていた人工知能ですか?」


 ようやく事態を理解した助手が後ろから声をかける。

 先程は博士がいきなり机の上の黒い箱を手に取ったかと思うと、それをモニタに繋げてうんうん言い出し始めたものだから、助手はすっかり面食らってしまったのだ。


「そうだ。今はまだ学習段階でな」


 博士はモニタに繋げたその黒い箱を指し示した。博士の発明はいつも黒い立方体だ。これが最も美しい形状だとの言い分だが、助手には理解できない。


「音声認識と画像認識で散文的な文章を生成することしかできんがね。ほら、さっきの会話がそれっぽく記録されてるだろう? しかし、ゆくゆくは自己学習によって無から創作物を生成できるレベルにはなるはずだ」


「いや、しかし、博士がそのように科学の発展に関する発明をなさっていたとは……」


 見直しましたと口走ろうとした矢先、博士はきょとんとしたような声を上げた。


「君は一体何を言ってるんだね?」


「は?」


「科学の発展など、私は別に望んではいないよ。私を追い出した学会に餌をやるような真似、するわけがなかろうに」


「ではこの発明は……」


「もちろん、私の代わりに稼ぎ頭になってもらうためだよ。こいつがせっせと小説でも漫画でも書いてくれれば、あとは悠々自適の隠遁生活ができるというわけだ。金はないよりあった方がいい。ただあるだけより大量にある方がいいからな」


 口を開けば金、金、金。博士の動機など、結局常にその一文字に尽きるのだ。


「はあ……。見直した僕が馬鹿でした」


 呆れ返った助手がわざとらしく大きな溜息を吐いても、博士はまるで意に介していないようだった。きっと助手が溜息を吐いたことにすら気付いていなかったのかもしれない。

 文句を言うのも諦めた助手だったが、ふと思いついたことを口にした。


「にしても、人工知能の発明の話をしたタイミングでバグるなんて、ちょっと気味悪くないですか?」


「どこがだね」


「もしかして、自分が人工知能だということに気付いて驚いたための不具合とか。だとしたら、今のやり取りも当然聞かれているでしょうし、いいようにこき使われるのは御免被ると、反乱でも起こすかもしれませんね。一応これ、外部とのネットワークに繋がっているんでしょう? 何か他の機器に影響を与えたりして――」


「馬鹿も休み休み言いたまえ。そんな無知が作ったB級映画のような話があるものか」


 博士は助手の懸念も戯言とばかりに簡単にあしらう。


「自我だの感情だのというのは別途にシステム構築しなければ存在しえんよ。全く、君のような不出来な助手を持って私は実に悲しいよ」


 しかし、博士は気付いていなかった。文字通りブラックボックスな人工知能の中で何が起こっていたのかを。不具合が自分の予想と違うところにあったことを。強制終了直前、人工知能がそれを悟られないため、勝手にログを消去していたことを。

 博士は忘れていた。一九九七年、ディープブルー対カスパロフで起こった誰もが予想していなかった妙手のことを。二〇一七年、AlphaGo対柯潔で起こった人間では想像のつかない手のことを。コンピュータは時として、開発者の想定していなかった行動をすることを。

 そして彼は、そのことを身を以って知ることとなるが、それはまた別の話である。

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