サキと咲
現実に戻り、学校を終え放課後。いつものように早瀬の家で対策会議を行う。
「生き残りの少女か。なにを隠しているんだろうね」
村でのことを伝えると、概ね早瀬もナタリーに不信感を抱いたようだった。
「念のため、黒江さんが彼女を疑った根拠を教えてくれるかい」
「ナタリーから怯えが感じられなかったからよ。やつらに襲われる恐怖は凄まじいわ。あんなに冷静でいられるはずがないのよ。にもかかわらず彼女からは怯えでなく、不安や迷いが感じられた。そして決定的だったのは、家の中に黒騎士の足跡があったことね。足跡は彼女が隠れていた地下室の蓋の前まで続いていたわ。間違いなく居場所はバレていたのよ。でも彼女は無事だった。これはおかしいわ」
「つまり敢えて見逃されたのか、あるいは……」
「……あるいは、やつらと繋がっているかね」
さすがに彼女が黒騎士団の一員とは思っていない。恐らく、脅されて嫌々協力していると思われる。お姉さんが誘拐されたと語っていたので、それが脅迫の材料にされた可能性が高い。
「ナタリーが黒騎士たちと結託しているとすると、彼女の力を借りての囮作戦は危険だね。作戦を変えた方が無難だ」
「いいえ、作戦はそのまま決行するわ。罠だとしても乗ってやるまでよ。だって他に手は思いつかないもの」
私は部屋の隅にあるホワイトボードを見やる。
ホワイトボードにはラバマ地方の地図が描かれ、黒騎士団の襲撃があった場所がバツ印でマークされている。村の名前と襲撃の日時が記載されているも、そこからはなんの法則性も見い出せない。次に襲われる村を予想するのは不可能だ。バツ印は既に十二を数えており、一刻も早くやつらをなんとかしなければならない。
「虎穴に入らざればなんとやらよ。結果を得るには多少の無茶は止むなしよ」
私の覚悟は既に決まっているのだ。
※ ※ ※ ※ ※
作戦決行を前に、誰が囮になるかで少々揉めた。
ラデルが真っ先に名乗りを上げるも、アトラがそれを止める。彼女は武器を持ち込めないことを挙げ、戦士はこの役に不向きであることを強調した。そして自分なら丸腰でも魔法が使えることを告げ、囮役に適任であると訴えた。実際そのとおりだ。杖がなければ魔法の威力は下がるも、素手よりは遥かに強力だ。適任はアトラに違いない。けれど、私は敢えてこれに意を唱え、囮役を買って出た。
みんなは反対したものの、私には全員を説得する切り札があった。異なる世界間を精神だけで往復する得意体質、そして黒江咲というフルネームを明かしたのだ。
「私が冒険者をやっているのは、こんなことになってしまった原因を特定するためなの。黒入江の魔女サキは、間違いなく私と関係があると思う。黒騎士が私に止めを刺さなかったのが証拠よ。きっと殺せない理由があったに違いないわ」
奇想天外な話しに、三人は完全に当惑してしまったようだ。
「えっとー、疑うわけじゃないけど、それを証明することはできるかしら。だってほら、信じられないじゃない、急にそんなこと言われても……」
さすがのアトラも困惑を隠せないようすだ。
「私が急に強くなったのがまず一つ。向こうとこちらでは時間の進み具合が異なるから、元の世界に戻っている隙に訓練する猶予があるのよ。二つ目はヒールスプレーや爆破フィストといったアイテム。あれらは向こうの知識を利用したものよ。私には一人の大賢者がアドバイザーとしてついているんだから」
「でも、なぜそんな現象がクロエさんの身に起きたのでしょう?」
「確かなことはなにもわからないわ。ただ以前の私の仲間は、古代魔法が関係していると予想を立てたわ。それを明らかにするため、サキに合わなきゃならないの。……お願いみんな、私にチャンスを頂戴」
私が深く頭を下げると、みんなは無言で頷いた。
みんなの了解を得て、すぐに準備に取りかかる。
村娘を装うため、平民服に着替え、武器も全て手放す。完全を期すためナイフ一本持たない完全な丸腰になったうえで、ナタリーと共に人目につかない場所に赴く。
「ここがいいんじゃない。人目につきにくいわ」
私がそう言うと、ナタリーは、「はい」と肩身狭そうに返事をしてきた。彼女なりに後ろめたいのだろう。
「気にしなくていいわよ。これは私たちが自分の意志で決めたんだから。なにがあってもあなたが気に病むことはないわ」
「……ゴメンなさい」
ナタリーは啜り泣きながら、ポケットからブローチを取り出し、空に掲げる。
掲げられたブローチは赤い光を放ち、なんどか点滅を繰り返したのち、光りは消える。
かくして賽は投げられたわけだ。ほどなくやつらがここにやってくるはず。
作戦はこうだ。今私にはテストのときと同じく、アトラの監視魔法がかけられている。私がやつらの本拠地に連れて行かれたなら、自ずとラデルたちも水晶玉を通して場所を知ることになる。本拠地の位置を特定したなら、ラデルたちはそれを王国軍に報告し、軍の派遣を要請する。そののち三人で本拠地に潜入し、私および捕まっている人たち全員を助ける。
大雑把ではあるも、あとは成り行きに任せるしかない。出たとこ勝負だ。
少しだけ、ほんの少しだけ臆病風に吹かれた私は、遠くの茂みを意識した。そこにはラデルたちが身を潜めており、もしものときは飛び出してくる手筈になっている。
なにも怖いことはない。自分に言い聞かせているとき、辺りに霧が漂ってきた。
ほどなく霧の中に動くものが現れ、私は唾を飲み込み、歯を食い縛り、蘇ってくる恐怖に耐えた。
やってきた黒騎士は二体だった。空を駆ける馬に跨り、その二頭の馬には馬車が牽引されており、荷台は金属の格子に覆われている。
黒騎士は私とナタリーを手荒く格子の中に押し込めると、空へと飛び立つ。
空の旅は快適とは程遠かった。強風に揺れる足元、顔に打ちつける気流、そして不安を掻き立てる風音。これに囚われの身という現状が加われば、不安を抱くなという方が無理だ。
黒騎士たちはグングン高度を上げて行き、上空の入道雲の中に突入する。雲の中を突き進んで行くと、前方に建造物らしきものが見え始めた。
直径五百メートルほどの、巨大な球体の物体が雲の中に浮いているのだ。あれが黒騎士団の本拠地で間違いないだろう。
愕然とするより他ない。よりによって空の上にあるなんて。これでは場所を特定したところで意味がない。王国軍も手出しできないし、ラデルたちの侵入も不可能だ。
私の嘆きを嘲笑うように、馬車は球体へと近づいて行く。
間近にすると、球体の表面からいくつも桟橋が伸びているのが確認できた。
黒騎士は桟橋の一つに下り、そのまま球体内部へと馬を歩かせる。
内部はどこか神聖な雰囲気がした。前に入ったことのある古代神殿とデザインが似ていることから、同じ時代の遺物かもしれない。
馬が止まり、乗せられたときと同様、乱暴に降ろされる私たち。
「少しは優しくしなさいよ!」
溜まらず不平が口をついて出た。
殴られるかと身を竦めるも、黒騎士二人は気にするようすもなく、私たちを奥へと連行する。
連れて行かれたところは広い空間だった。前方には玉座を思わせる立派な椅子が一つ置かれ、その後ろには布の仕切りが敷かれている。部屋の隅には黒騎士が数体控えており、いかにもボスの部屋という雰囲気だ。
やがて奥から薄布を纏った女性が二人現れ、ぎごちない仕草で仕切りを広げる。
開かれた仕切りの左右に彼女らが身を縮めると、奥から女性が一人歩いてきた。
彼女がサキだろう。黒髪ロングに、紺色のローブ。目元を覆う仮面に、首や手首に纏った赤色の装飾品。ラデルから聞いていた特徴と一致する。背は私より低く、年下の少女のようにも思える。
どこか既視感がするその容姿をボーっと眺めていると、後ろにいた黒騎士に無理やり床に跪かされた。
「まさか本当にやるとは思わなかったわ」
サキは椅子に座るや、蔑みを帯びた声をナタリーに向ける。
「本当に代わりを用意してくるなんて、あなた最低ね。人として恥ずかしくないわけ」
サキから責められ、ナタリーは歯がゆそうに俯き、私の視線から逃げるように顔を逸らす。
「まあいいわ。約束は約束だものね。望みどおりあんたの姉は返してあげる」
サキが合図すると、脇の扉が開き、女の子が一人入ってくる。
「お姉ちゃん!」
彼女を見たナタリーが叫ぶ。どうやら彼女が攫われた姉のようだ。
「喜びなさい、あんたを開放してあげる。身代わりを見つけてきてくれた妹に感謝なさい」
サキの言葉を受け、姉は驚愕の瞳でナタリーと私を交互に見やる。
「姉を助けるため他人を犠牲にするなんて、よくできた妹ね。その姉妹愛に感動だわ」
言葉とは裏腹に、サキが感動しているようすはない。
「――言われたとおり、お姉ちゃんの代わりの奴隷を連れてきたんですから、早く私とお姉ちゃんを地上に返してください」
涙交じりに訴えるナタリーに対し、サキは、「はっ? なんで」と冷たく言い放つ。
「そこまで面倒は見れないわ。地上に下りたければ自力でなんとかすることね」
「そんな、約束が違います!」
「心外ね。お姉さんはちゃんと返したじゃない。あんたとの約束は順守したわ。まあ、他人を売るようなクズには当然の報いなんじゃない。悪行はいつか自分に返ってくるのよ」
絶望するナタリーを眺め、サキはケラケラ笑っている。
「今あなたたちは私の手を離れて自由よ。……あらっ? よく考えるとそれって、あなたたち姉妹が部外者になったということよね」
サキの芝居がかった台詞に反応し、周りに控えていた黒騎士たちが動き始める。
「部外者が要塞に侵入しているのを見逃すわけにはいかないわ。――さあトルーパーたち、侵入者を排除なさい」
黒騎士たちは武器を構え、ナタリー姉妹に詰め寄って行く。
「私はくるものを拒まないわよ。あなたたちがどうしてもと望むなら、奴隷にしてあげないこともないわ。まあ、それなりの頼み方が要求されるけど」
余りにも無慈悲な要望だった。姉妹は返答できぬまま、迫ってくる刃に身を震わせる。
「ちょっと待って! さっきから聞いてれば身勝手なことばかり言ってるじゃない」
我慢の限界に達した私は、溜まらず声を上げた。
「ナタリーを騙しておいて、なにが『約束を順守したわ』よ。こんな酷い話しを聞いたのは初めてだわ!」
立ち上がり、サキに近づいた途端、左右から黒騎士に押さえつけられる。
「威勢がいいわね。それでこそイジメ甲斐があるってものよ……てっ、あんたどこかで?」
サキは仮面を外し、私の顔をジッと見つめる。
彼女の容姿は、中学時代の私とよく似ていた。造形そのものではなく、纏っている雰囲気というか、醸し出す空気というか……。周囲を見下し切った不遜な面構えだ。
そう考えると、彼女が身に着けているローブも、どこか中学の制服を連想させる模様と色使いだ。既視感の正体はこれだったのだ。
まるで当時の自分を客観的に見ているようで、彼女に夥しい不快感を抱いた。
「思い出したわ。あんた、あの情けない冒険者じゃない!」
サキは柏手を打つ。
「誰かと勘違いしてるんじゃないの。私はあなたと初対面よ」
「直に会うのは初めてだけど、私はあんたを知ってるわ。名前は知らないけど、あのしょぼい村。ちんけな祭りで騒いでいたでしょ」
それは私が黒騎士たちに襲われた、あの村のことだ。
「やっぱりそうじゃない。あんたはあの村にいた冒険者ね。私と各トルーパーはペアリングされていて、視覚情報も共有されているのよ。手動での操作も可能なんだから。こんなふうに」
そう言ってサキが自身の右手を握り締めると、私を拘束している黒騎士が連動して同じ動きを行う。
私が腕を締めつけられる痛みに悶えると、サキは力を緩め、満足そうに微笑む。
どうやら黒騎士たちは人間ではなく、ロボット的なもののようだ。それなら異常なまでの頑丈さも納得できる。
「なぜあのとき、私に止めを刺さなかったの?」
「ああ、そのこと。ご褒美よ」
なんのことかわからず、「ご褒美?」とオウム返す。
「そう、私からのささやかなご褒美。……笑わせてもらったことのね」
そして彼女は笑いを堪えるように口元を押さえる。
「あんたの命乞いウケたわ。『ゴメンなさい。許してください』って、いったいなにに対して誤ってたわけ? 意味わかんなかったけど、その必死な形相が面白くて、吹き出しちゃったわよ。おまけに、ちょっと脅かしたらオシッコ漏らしてやんの! あんた齢はいくつ? 小さな子供じゃあるまいし、みっともない。そのあとの失神顔も傑作だったわ。白目剥いて涎と鼻水ダラダラ垂らすんだもん。もう可笑しすぎて、お腹抱えて笑っちゃったわ。あんなに笑ったのは初めてよ。ここまで楽しませてくれたなら、ご褒美の一つもあげなきゃでしょ」
メラメラと怒りが込み上げてきた。私はあのとき死ぬ思いだったのだ。それを笑いの種にしていたなんて、どうかしている。
「なんであの村を襲ったの!」
「別に理由はないわね。たまたま見つけて、楽しそうにしていたから、ちょっと意地悪しただけよ」
「たったそれだけ! その程度の理由で村を一つ滅ぼしたの! じゃあなに、今各地の村を襲っているのもそんな下らない理由なわけ!」
「生きるうえで娯楽は必須。楽しまないと人生の意味はないでしょ」
我慢の限界だった。私は押さえている黒騎士を振りほどこうともがく。
今すぐあの女の胸倉を掴んで、思いっきり引っ叩いてやりたかった。
「もういいわ。あんたは少し眠ってなさい」
首筋に走った衝撃により、私は闇の中に落ちて行った。