親子の和解
スースーする体。ベッドの質感。そして近づいてくるフェア早瀬の唇。ついにきてしまった。
観念して両足を広げると、不意にフェア早瀬の動きが止まる。
「――なくなっただと。そんなバカな。いったいどこにやったんだ!」
彼は体を起き上がらせ、驚愕の表情を浮かべる。私は意味がわからずポカンとする。
「僕がもらうはずだった君の初めて、ファーストキスは既に存在していない! まさか出し抜かれるなんて!」
えっ、と思った瞬間、目の前が闇に包まれ、気づくとアルミナの部屋に戻っていた。
フェアも元の姿に戻っており、私もちゃんと服を着ている。周りにはみんなの姿もあり、先ほどまでのできごとは幻術だったらしい。
フェアは不貞腐れたように頬を引き攣らせている。余裕に満ちた態度はなりを潜め、今はしょぼくれた空気を滲ませていた。
「まだやる気かしら?」
「いいや、相手に代償を伝えてしまったなら、もう変更はできない。……負けたよ、僕の完敗だ」
彼の言葉を裏づけるように、私の右手から証が消える。
「よくわからないが、負けたと思うなら早く消えることだな」
術が解けたようで、ラデルは立ち上がり、油断なく剣を構える。
「ご心配なく、すぐに去るよ。ただその前にやらなきゃならないことがある。僕らの掟として、自身を負かした者にはご褒美を与えなきゃいけない」
そう言ってフェアは懐から指輪を取り出す。それは私の指から外した魔防の指輪だった。
「この指輪じゃ君の助けにはならない。君の運命に必要なのは守ることじゃなく、吐き出すことだ」
彼の手の中で、くすんだ灰色だった指輪が黒い色を帯びていく。
「勝手ながら仕様を変更させてもらった。『魔防の指輪』改め、『魔移の指輪』だ。名前はそうだな……、『マウス・トゥ・マウス』とでも名づけようか。キスで魔法を相手に押しつけるんだ」
フェアは私の手を取り、薬指に魔移の指輪を嵌める。
「じゃあね。負けたのは悔しいけど、楽しくはあったよ」
フェアの体が薄くなり始める。
「最後に教えてほしいんだけど。キスが目的なら、なんでわざわざ脱ぐ必要があったの?」
素朴な疑問だった。キスを奪うだけなら、早瀬そっくりになったり、全裸になったりする意味はないのだ。
「僕なりの優しさだよ。代償を頂く際は、可能な限り当人の意思を尊重するよう心がけているんだ。ファーストキスの際、君がああいうシチュエーションを望んでいたみたいだからさ。もしかして脱がされるときも彼の姿をしていた方がよかった?」
私は一瞬で耳まで真っ赤になった。
「さっさと消えなさい。このド変態ドスケベ精霊!」
「照れるから誉めないでよ」
「誉めてないわよ!」
「君の世界では、『変態』は紳士に送られる名誉ある称号なんだろ?」
「なわけないでしょ。私の世界をなんだと思ってんのよ」
「えーと。『アキバ』『コミケ』『萌』『妹』『腐女子』『BL』『ロリコン』『オネショタ』」
「メッチャクチャ偏見なんですけど! もっと広い範囲での認識を要求するわ!」
「そうなの? なかなか楽しげな世界だと思ったけど、まあいいや。じゃあ縁があったらまた会おう」
そう言い残すと、フェアは空間に溶け込むように消えてしまった。
「いったい……なにが起きたのだ。やつは……フェアトラークはどうなった。アルミナは助かったのか!」
ゲオルさんは不安そうに辺りを警戒する。
「いったいなにがどうなってるのよ。急に部屋の中にフェアが入ってきたと思ったら、体が動かなくなるし、拉致られそうになるし、意味わかんないわ!」
部屋の隅では、アルミナが頗る不機嫌そうにしていた。
ゲオルさんはそんな彼女に走り寄り、ギュッと抱き締める。
「よかった。アルミナ。もうダメかと思ったぞ!」
「お父さま! ちょ、なにすんの……てか、みんな見てる。もう、誰か説明しなさいよ!」
微笑ましい光景に、私は胸に熱いものを感じるのだった。
※ ※ ※ ※ ※
一夜明けた朝、私たちはゲオルさんとアルミナに別れを告げる。
「世話になったね。君たちには感謝してもし切れない」
「まあ、色々あったけど、なかなか楽しかったわ。近くにきたら気軽に寄ってもいいわよ」
二人はわざわざ門のところまで見送りにきてくれた。
「しつこいようだが、やつは本当に諦めたのか?」
「精霊は嘘をつけませんから。彼がはっきり負けを認めた以上、もう危険はないでしょう」
アトラは神妙な面持ちで丁寧に答える。
「それを聞いて安心したよ。長年喉に引っかかっていたものが解消されてサッパリした。こんなに体が軽いのは初めてだ」
ゲオルさんはその場でピョンピョン飛び跳ねて見せる。
「お父さま、子供みたいだからやめてったら……」
苦言するも、アルミナはにかんだ笑みを湛えている。親子関係の方は心配ないようだ。
「それでは我々はこれで」
ラデルが二人に一礼したのち、私たちはカーナボン邸をあとにした。
「報酬もたくさんもらいましたし、これで美味しいものがたくさん食べれますね」
「ああ、久々に分厚い肉でも食うとしよう。それはそうと、その指輪までもらってしまってよかったのか?」
ラデルは私の指にある、魔移の指輪を指さす。
「もう必要ないからいいってさ。なんの役にたつのかしら?」
キスで相手に魔法を押しつけるらしいけど、現時点では用途が思いつかない。
「運命を司る精霊があんたに必要と判断したんだから、なにかあるんでしょ。それより、どうやって巡合精霊を負かしたのよ? そろそろ教えてくれてもいいんじゃない」
アトラが私の肩に手を置く。
「ダメよ。私の個人的な部分に深くかかわっているんだもん」
「他言しないからお願いよ。私は口が堅い女として有名なんだから」
「イヤよ。絶対にダメ」
「ケチっ、少しは人類の後学のために協力しなさいよ」
「まあまあアトラさん、クロエさんも悪気があるわけじゃないんですから。結果オーライでいいじゃないですか」
「よくないわよ。せっかく目の前に巡合精霊を負かした実例があるんだから。せめて、どういうやり取りがあったかくらいは教えてよ」
「バッ、バカ、それこそ絶対ダメよ。ダメったらダメ。とにかくダメ。ひたすらダメ」
アトラの追及を頑なに拒みつつ、私は帰路を歩くのだった。