夢の続き
一階に下りると、キッチンのテーブルに朝食が並んでいた。
「あらっ、おはよ。今日は早いわね」
料理用のボウルを洗っていた母は、物珍しげな視線をこちらに寄越す。
「私の勝手でしょ」
椅子に座り、朝食に手をつける。
「おっ、今日の咲は早いな」
今度は父だ。キッチンで私を見るなり、母と同じことを口にする。
「だから勝手って言ってんじゃん!」
「なに怒ってるんだ? 母さん、咲はなにかあったのか?」
「さあ、年頃って難しいのよ。私が高校生くらいの頃も、親に向かってつい乱暴な口を聞いちゃったし。親がキライになる時期があるのよ」
私はイライラしながら二人の会話を聞いていた。
途中で我慢も限界に達し、朝食を途中で切り上げる。
「せっかく作ったんだから残さず食べなさいよ」
「食欲がなくなった」
そのまま登校の準備をすませ、とくに挨拶もせず家を出る。
いつもの通学路を歩き、学校の校門を潜り、昇降口で靴を履き替え、廊下を進む。
「あれっ、今日はいつもより早いね、黒江」
教室に入ると、友人の美香が声をかけてきた。よりによって両親と同じ反応だ。
「いつもより早く起きちゃったのよ。そんで、たまには早めに登校するのもいいかなと思っただけ」
「偉い偉い。早起きは三文の徳ってね」
「むしろ三文払うから、お昼頃まで寝かせてほしいわね」
私は欠伸をしながら自分の席につく。
授業開始までしばし時間があるため、教室は賑やかだ。クラスのみんなはそれぞれのグループで集まり、友人同士の会話を楽しんでいる。
ただし例外が一人。ちょうど窓際の席の真ん中。一人で読書に耽る男子生徒の姿があった。
「見て。早瀬のやつ、またキモイ本読んでるよ」
早瀬翔太が彼の名前だ。高校入学から二か月が経つも、未だ友達もつくらず、休憩時間や昼休みには、ああやって読書ですごしている。俗に言う、『ボッチ』というやつで、我がクラスのスクールカースト最下位に位置するのが彼だ。
「ラノベ小説っていうんだっけ? あんな美少女アニメみたいな表紙の本、教室で読むのやめてほしいわ、ほんと」
そう言って美香は蔑んだ目を早瀬に向ける。
さすがにそれは横暴だとは思うも、美香の言いぶんも一理ある。本の表紙がどうこうではなく、周りの目を気にも留めない早瀬の神経が理解できないのだ。
「早瀬のことなんか無視すればいいじゃん。あんなやつ気にするだけ損よ。それより昨日スマホ弄ってるとき、ネットで可愛いもの見つけてさ――」
そうこうしているうち、クラスの女子仲間も次々登校してきて、私の周りに集まり始める。
私が話すことにみんなが耳を傾け、頷き賛同する。こうしていると、自分がスクールカーストの上位にいるのだと実感できる。
早瀬の方をチラリと見て、気持ちのよい優越感に浸っている自分がいた。
そしてなにごともなく放課後を迎え、私は友人たちと街に行き、カラオケやらなにやらで一頻り遊んだのち帰宅した。
家では母が夕食を用意してくれていただけど、生憎、遊んでいる間に色々と頬張っていたせいでお腹がいっぱいだった。
夕飯はいらないことを告げ、私はさっさと入浴をすませる。
ベッドに寝転がり、本棚から適当に取った漫画をパラパラと捲っているうち、徐々に瞼が重くなってきた。
とくにすることもないので、そのまま就寝した。
※ ※ ※ ※ ※
「大丈夫か」
急に聞こえてきた声に顔を上げると、そこには見知らぬ男が立っていた。
歳は私より少し上くらいで、鎧を身に着け、腰には剣をぶら下げている。
「悪い悪い、急に入ってきたから避けらんなかった」
彼は尻餅をついている私の手を取り、スッと立ち上がらせる。
事態が理解できず、私が言葉を失っていると、彼の後ろからもう一人現れる。
「いつも言ってるでしょ。油断せず常に気を引き締めてろ、って。……あなた怪我はなかった。ゴメンなさいね、こいつがノロマなせいで」
こっちは女性だ。キレイな金髪ロングに青い瞳、そして特徴的な長い耳。
「エルフ?」
思わず口に出してしまった。
「驚くのも無理ないわね。この辺では私のようなエルフは珍しいもの」
彼女は苦笑いを浮かべつつ、肩にかかった髪を両手で背中に流す。
「私はゲルダよ。そしてこっちのノロマがカイ」
エルフの女性がゲルダで、私とぶつかった男の人がカイ。
「あー、えっと、黒江です」
私は軽くお辞儀をする。
「クロエか、いい名ね。もしかして冒険者登録にきたのかしら?」
彼女は私が手にしている銅筒に視線を落とす。
先ほどから耳にする、この『冒険者』とはいったいなんなのだろうか。
「あの、よくわからないんですけど……」
「大丈夫よ。ギルドスタッフが全部教えてくれるわ」
彼女に腕を引かれるまま建物の中に入ると、喧噪が耳を刺激してくる。
内部は人でいっぱいだった。重厚な鎧を着た男の人、きらびやかな鎧を着こなす女の人、魔法使いのような帽子を被り、これまた魔法使いのような杖を持つ男性と女性。教会の神父みたいな格好の人もいれば、道着のようなものを着た人もいる。皆が、剣、斧、槍、弓、杖といった武器の類を携えており、この空間の異常性が伝わってくる。
「リサ、新入りだよ」
ゲルダはカウンターの女性に声をかけた。歳は二十歳くらいで、かけた眼鏡が知的な印象だ。
「新人なんて久しぶりですね。どうぞその筒をこちらに」
言われたとおり、私はリサと呼ばれた女性に銅筒を渡す。
「あなたがクロエさんですね。待っていましたわ」
中の書類に目を通したのち、リサさんは笑顔を作る。
「登録が完了したらお呼びしますので、それまでお待ちください」
リサさんが奥の部屋に引っ込んだのち、近くの椅子に腰を下ろす。
頭を整理する必要がある。まずここは、昨日と同じ夢の世界で間違いない。建物の外観や、外の風景も合致する。昨日はこの建物に入ろうとしたとき、誰かとぶつかったところで目が覚めた。今日はその続きと考えてよいだろう。
夢なら覚めればいいと、私は自分の頬を思いっきり抓る。
ギリギリと力を込めるも、頬が痛いだけで一向に目覚める気配はなく、今度は太腿を抓るも結果は同じ。頬を叩いたり、壁に足の小指をぶつけてみたりするも、やはり目が覚めることはなかった。
気になるのは、耳に入ってくる周囲にいる人たちの会話だ。
大斧でオーガの首を撥ねてやった。友人がバジリスクの毒で死んだ。西の村が黒騎士団に焼き払われた等々……、どれも物騒な内容だ。私の夢はどうなっているのだ。
「クロエさん。手続きが終わりましたので、カウンターにどうぞ」
呼ばれてカウンターに歩くと、リサさんは一枚の紙を私に寄越す。
「事前に大体の手続きはすませていたようなので、ここにサインするだけで登録完了です」
半信半疑ながら、私は指定されたところに自分の名前を記入する。
『黒江咲』と漢字で書いたつもりだった。けれど頭で考えたこととは別に、ペンを握る手は見たこともない字を綴ってしまう。
それはこの世界で使われている文字だった。書類を構成する文字もこれで、不思議なことに書かれている内容がわかる。そういえば、ここの看板もなにげなく読んでいたのだった。
「おめでとうございます。たった今あなたは冒険者となりました。これが身分証です」
渡されたのはメダルがぶら下がったペンダントだった。銀色で+と×を組み合わせたような模様が彫られている。
「それがあれば各地の支部で依頼が受けられますので、無くさないようご注意ください。それとこちらへどうぞ、支給品を用意しております」
「支給品?」
「はい、新人への我々からのプレゼントと思ってください」
そして案内された部屋にあったのは、一本の剣と、一着の鎧だった。
「あなたのものです。早速装備してみてはどうですか。きっと似合いますよ」
私は難色を示した。こんなコスプレみたいなもの着たくはない。
強く拒否するも、リサさんは引き下がらない。
「お願いしますよ。この鎧一式はあなたを見たあと、似合いそうなものを私が見繕い、コーディネートしたのです。あなたが着てくれないことには、自分のセンスが正しかったと証明できません」
そのあとも彼女は巧みな話術を発揮し、ついに私は説得されてしまったのだった。