しばしの現実
目を覚ますと、すぐに枕元のノートにペンを走らせた。早瀬を見習って、私もノートを取ることにしたのだ。
購入した物品や、消費したお金、新たに得た夢世界の情報など、昨晩体験したことをメモしたのち、着替えて一階に下りる。
「あらっ、おはよ」
キッチンには朝食の準備をする母の姿があった。
「最近やけに早起きね」
母はニンジンを刻む手を休め、こちらに顔を向ける。
「別にいいじゃん。目が覚めたから起きただけよ」
私は皿や箸をテーブルに準備しながら、不機嫌に答える。
「邪険にしないでよ、褒めてるんだから。……真面目になにがあったわけ? 急に家事の手伝いをやり始めたり……。あんたの中でどんな心境の変化があったのか興味あるわ」
「効率がいいからよ。二人でやった方が早く終わるでしょ」
「そう、それよ。今まで皆無だった生活力をどこで覚えたか知りたいのよ」
「本気を出しただけよ。まあ、敢えて言うなら一人暮らしを経験したせいね。見知らぬ土地でお金を稼いで生きるのはマジ大変だわ――」
「なに、わけわからないこと言ってんのよ。変な子ね」
「そりゃあ、あんたの娘だもん」
母は「むうっ」と口を尖らせる。
「なかなか言うようになったじゃない。生意気な子はキライじゃないわよ。けど、親に対してその口の利き方は感心しないわね」
母は体を戻し、ニンジン刻みを再開する。
「まあいいわ。それに、この調子なら月末も心配なさそうだし……」
月末? なんのことだろうか。私は母に尋ねる。
「実は今月末、お父さんの実家で法事が予定されているのよ。それで私とお父さんの二人で顔を出さなきゃいけないんだけど、そうなると咲が家で一人になるでしょ」
「つまり私が一人だと心配だから、行くかどうか迷っていたわけね。大きなお世話よ。こっちは心配いらないわ」
なにも不安はない。夢世界での生活を思えば、現実での暮らしなど温いものだ。
「その意気よ。私たちも安心して実家に帰省できるってもんだわ。……そうそう、もし男の子を泊める気なら、お父さんにバレないよう痕跡を消しておくのよ」
「だから大きなお世話だってのよ。泊めるくらい仲のいい男子なんていないわよ!」
連想してしまった早瀬の顔を脳裏から剥がすべく、激しく頭を振るって否定した。
その後、起きてきた父にも、「咲は最近しっかりしてきた」的な話しをされ、うんざりな気分で朝食をすませ、学校へと向かう。
※ ※ ※ ※ ※
「というわけで、身動きが取れない状態なわけ。なにか打開策はある?」
「地竜の探知能力の高さが気になるな。頭部にある複数の穴か……」
登校すると、まず早瀬に夢の報告をした。場所は校舎隅の人気のない場所で、私は相変わらず人目を気にしているのだ。
「コウモリのように反響定位を行っているのか、ヘビのようなピット器官があるのか、単純に闇でも目が利くだけなのか……」
「どれも違うんじゃないかしら。だって私と地竜の間には遮蔽物があるのよ。明らかに壁の向こうにいる私たちの動きを把握していたわ」
「うーん、振動、物音、もしくはその全てか。せめて地竜の生態でもわかれば絞れるんだけどな……」
「もしかしたらタリオンがヒントになるようなことを知っているかも。戻ったら訊いてみるわ」
余り当てにはできそうもないけれど、やれるだけのことはやってみよう。
「……それにしても彼が硬派オークでよかったよ。クロエが捕まって、あれな目に遭わされるんじゃないかと昨晩は気が気じゃなかった。おかげで少し寝不足さ」
早瀬は行儀よく口元を手で隠し、欠伸をする。
「本当は想像してハアハアしてたクチじゃない?」
「心外だな。僕は本気で心配してたんだからね」
「とりあえず、心配してくれたことにお礼を言っておくわ」
不敵に振る舞いつつも、胸の奥に感じた暖かいものに微笑む。
「話しを戻そう。彼が言うとおり、クロエが戻らなければ別の冒険者、とくにラデルたちは間違いなくようすを見にくるはず。いずれ必ず救助されるだろうから安心していいよ」
「そうね。あの臭いキノコのお世話になる前に救助されることを願うわ」
ここで早瀬が、ハッと思案顔になる。
「それだ! 地竜が獲物の位置を特定している方法は、きっとそれだ」
「それ、ってなによ。わかるように教えなさいよ」
「ニオイだよ!」
そう言って早瀬は自分の鼻に触れた。




