異世界攻略会議
「オークか……。またとんでもない依頼を受けたね」
事情を話すと、早瀬は両腕を組んで、口をへの字にまげる。
「オークってそんなに危険なの?」
売り言葉に買い言葉でアトラの挑戦を受けてしまったものの、正直、私はオークというものをまったく知らないのだ。
「危険な相手ではあるかな……。ただ、問題は別にあるんだ。なんと言うか……」
口籠りつつ、早瀬は少し頬を赤らめる。
「別の問題ってなによ? はっきり言ってちょうだい」
「ゴメン、とても言いづらいことなんだ。代わりにスマホで検索してみて」
言われたとおりスマホでネット検索をかけてみる。
ヒットしたページをいくつか開き、そこに表示される数々の卑猥な画像に硬直する。
「ちょっ、ふざけないで。なんなのよこれ!」
思わず早瀬に突っかかってしまった。
「言わんとしたことは伝わったみたいだね。最悪、黒江さんもそんな目に遭うかもしれない。ただそれは、日本の一部エロ同人業界での扱いであって、中には硬派なオークもいることを名誉のために言っておくよ」
「どんな名誉よ、それ!」
「オークの名誉だけど……」
「知らないわよ、そんなの。でっ、しくじったら私も凌辱されるわけ!」
「だから硬派なオークもいるんだって。黒江さんの夢世界のオークはどんなタイプ?」
「まだ調べてないわ。依頼を受注したあと、ギルドの資料室に向かう途中で目が覚めたのよ」
「調査は入念にね。幸いなことに依頼は『退治』じゃなく『奪還』だ。上手くやれば戦闘を避けられるかもしれない。対策を立てて挑めばきっと成功するはずだ」
「オーケー。なんとかがんばってみるわ」
早瀬と相談するべきことはまだたくさんあるも、学校の時間だけではどうにも足りない。以前のように放課後を使えばよいのだけれど、公園や喫茶店などでは詰めた話しはしづらい。
「なんなら、僕の家で話しの続きをする?」
一瞬迷ったものの、私は彼の家に招待されることにした。
学校が終わり、美香たちの放課後の誘いを適当に断ったあと、私は早瀬の家へと向かう。
「遠慮せず上がって。両親は夜にならないと帰ってこないから」
「念のため言っておくけど、変なことしたらマジ容赦しないからね」
「僕に黒江さんを襲う度胸なんてないよ。ほら、早く早く」
私は早瀬の家に上がり、彼の部屋へと招かれる。
部屋の中は想像とだいぶ異なっていた。フィギュアもなければ、ポスターもない。ベッド、机、椅子が各一つ。あとは本類とクローゼットがあるだけだ。
「ずいぶんシンプルね」
「基本的にものを持たない主義だから。ミニマリストってやつさ。……それよりさっそく続きをしよう」
早瀬は本棚から一冊のノートを取り出すと、机の上に広げる。
中には私の夢世界のことが書かれていた。世界地図、アイテムの名前、魔物。私が話したことが詳細にまとめられていることに驚く。
「わざわざここまでやってくれてるんだ……」
「本気で相談に乗るって言ったしね。さあ始めよう」
私は昨晩の夢世界でのことを早瀬に伝えた。周りを気にしなくてよいため、学校でやるより遥かに効率がよい。
「ラバマに戻ってきて、アトラの挑戦を受け、資料室に行くところで目が覚めたんだったね」
「ええ、次の開始地点はギルドの廊下からよ」
「ちなみに現在の所持金はいくら? あと手持ちの道具に変化はあったかな?」
「そうね、カイとゲルダの報酬を相続したから、千ラロッドほどよ。道具類は変化なし。使用もしていなければ新たな入手もなし」
「傷用ハーブが一つと解毒剤が二つのままだね」
早瀬は別のノートに今日の日付と、夢世界での私の状態を綴る。まるで学級日誌だ。
「異世界日誌といったところね」
「おっ、ナイス命名。それ頂くね」
早瀬はノートの表紙にマジックで、『異世界日誌』と書き込み、私の苦笑いを誘う。
「少し休憩にしようか。飲み物でも持ってくるから、その辺の漫画でも読んで待っていて」
そう言い残して早瀬は部屋を出る。
遠慮なく本棚にあった漫画をパラパラ捲っていると、早瀬がペットボトルのお茶を持って戻ってきた。
「そうだ。夢世界でのことが現実に反映される法則を自分なりに考察してみたんだ。聞く?」
お茶を飲みつつ早瀬が切り出す。
「当然よ。関係することならなんでも聞くわ」
「わかった。その前に確認しよう。夢世界から現実に戻ってくる条件だけど、これは現実の黒江が目を覚ますこと、で間違いない?」
「ほぼ間違いないと思うわ」
「黒騎士に襲われたあと、ラデルたちに助けられたシーンが決定的だったね」
あのとき夢世界のクロエは、恐怖で気絶してしまった。しかしクロエが意識を失っていても、黒江が目を覚まさない限り時間は経過する。ラデルたちに助けられたのはこのタイミングだ。
「そして黒江さんは意識を失っているクロエの中から戻ってきた。黒騎士に追い詰められた直後のように錯覚するも、実際はそのとき既にラデルたちに保護されていたんだ」
「納屋の中で派手に吹き飛ばされたにもかかわらず、目覚めたとき体に打撲の痕が一つもなかったのが証拠ね。ノルルが魔術で癒してくれたんだわ」
「そして夜、黒江さんは気絶中のクロエの中に戻り、向こうで意識を取り戻した。それがあのときの真相だろうね」
双方の考えが噛み合ったところで、早瀬と私は互いに頷き合う。
「それを踏まえて話しを進めよう。まず覚えておいてほしいのは、クロエに起きたこと全てが、現実の黒江に影響するわけじゃないということだ。現実に反映されるのは、あくまで黒江が目を覚ました時点での、クロエの状態だ」
「上手く呑み込めないわ。もう少し噛み砕いてちょうだい」
「例えばこの前の傷騒動だ。あの傷は盗賊たちに負わされたんだったよね」
「ええ、ナイフで切りつけられたわ」
「傷を負ったあと坂を転げ落ち、立ち上がって逃げる途中で現実に帰ってきた。傷を負ってから目を覚ますまで、しばしのタイムラグがあるんだ。けれどあのとき北方さんが言うには、黒江さんが起きる直前に傷が現れたそうだよ。夢に照らすなら、まず先に傷が現れ、それから時間を置いて黒江さんが目を覚まさなきゃいけないはずだ。そんなわけでさっきも言ったように、『黒江が目覚めた時点での、クロエの状態が現実に反映される』という結論に至ったんだ」
言われてみれば、それ以外にも思い当たる節はある。
「つまり向こうで傷を負ったとしても、目が覚める前に治療すれば現実の体が傷つく心配はないわけね」
「ご明察。朗報と言っていいかわからないけど、ある程度の無茶はできるわけだ」
これは重要な事項だ。そうなると傷を癒すポーション類は常備すべきアイテムとなる。
「次は、『持ち出し禁止』のルールだ」
「持ち出し禁止?」
なんのことかわからず聞き返す。
「簡単に言えば、夢世界の物を現実に持ってこれないということさ。魔法のアイテムを握り締めたまま目が覚めても、現実の手の中は空っぽだろうね」
「そんなの当たり前じゃない。もしできたらとんでもないことになるわ」
「そういうこと。向うから変な病気を持って帰ってきて、未知の病が現代に広まる心配はないわけだ。この辺は安心していいね」
「安心していいね、じゃないわよ。向こうのクロエが病気になったら現実の私もヤバイじゃない!」
「くれぐれも健康には注意してね。食事はバランスよく摂るんだよ」
「大きなお世話よ。お母さんみたいなこと言わないでったら」
「冗談だよ。気を取りなおして一つクイズだ。夢世界のクロエが池に落ちてびしょ濡れになったとします。このとき現実の黒江が目を覚ましました。さあ目覚めはどのような状態でしょう?」
「そんなの、ずぶ濡れに決まって……ああ、そっか。正解は、普通の状態で目覚める、ね」
「ピンポン。向うから物を持ち出せない以上、池の水が現実に反映されることはない」
納得できる例がある。一度だけ小雨に当たっているとき目が覚めたことがあった。確かに起きたとき髪は濡れていなかった。
「休憩はこのくらいにして、異世界攻略会議を再開しようか」
「その名称、メッチャ恥ずかしいんだけど……」
その後、今後の予定や細かいアドバイスなどを受け、今日の打ち合わせは終わる。
「帰ったら今日も異世界冒険ね。なんとしても依頼を完遂して、アトラをぎゃふんと言わせてやるわ」
私は自分の掌に拳をパンと打ちつけた。そんな私を見て、早瀬はクスリと笑みを零す。
「ようやく普段の黒江さんに戻ったね」
「普段の私って、あんたからはどう見えてたわけ?」
まったく交流がなかったクラスメートから、どう見られていたのか少々気になる。
「怒らないから正直に答えて」とつけ加えると、早瀬は「怖い人」と遠慮なく発した。
「勝気で、女子たちのボスで、常に他人の上にいようとする意地っ張り」
ドキッとした胸の軋みと、見透かされたような不快感を覚えつつ、私は彼の家をあとにした。