♯3
「〈方舟〉とは、平たく言えば〈乗りもの〉だ。人は大昔から牛や馬といった動物を乗りものとして利用してきたが、〈方舟〉は人工物。木や鉄で出来た箱、と言えば分かるだろうか。人々は、それに乗って絶えず移動し続けている。それがここでの基本的なライフスタイルだと思って欲しい」
ライツとは対照的に、ドグマは特に気にする様子もなく説明を続けた。
そこで、由理花は激しく首を左右に捻った。今のドグマの説明に、どうしても腑に落ちないことがあったのだ。
「んだよ? やっぱ、分からねぇのか?」
「やっぱって何よ? 失礼ね。ちょっと不思議に思っただけだよ」
「ほう。どこが不思議だったのかな、ユーリ?」
「うん」
由理花は少し躊躇ったあと、
「今の説明だと、ここの人々って住む土地がないみたいなんだけど。こんなに住みやすそうな土地だってあるわけでしょ? なのに、どうして〈旅団〉なんてものを作ってまで、移動生活なんかしているの?」
それは、この世界に対する根源的な問いだった。
――なぜ、我々は彷徨い続けなければならないのか――?
〈パラノイア〉に生まれた誰もが、必ず抱く疑問だった。
「――それって一つ所に落ち着けないのかってことかよ? はっはっは! そんなの無理に決まってる!」
由理花の疑問を、ライツは一笑に伏した。ライツにとって、その疑問はそれほどに馬鹿馬鹿しいものだった。
「え? ええっ? そこまでおかしなこと聞いた、あたしっ?」
由理花は困惑した。元居た世界では当然過ぎるほどに当然な生活が、ここでは考えられない。
「うむ。由理花のいた世界では、人々は流浪していなかった、とうことか。興味深い話だな」
ドグマも心底感心している。由理花の話からいろいろと仮説を立てて考えを巡らせるドグマは、まるで学者のようだ。
「信じらんない。あたし、フツーのこと言っただけななのにっ」
二人の反応が面白くない由理花は、顔を真っ赤にしてぷいっと横を向いた。そこには。
「あ。ねぇ、ドグマちゃん。〈方舟〉って、もしかしてあれのこと?」
地上からわずかに浮き上がる、ずんぐりと丸い巨大な物体が、ゆらゆらと揺れながら、こちらにゆっくりと近付いている。
その大きさは、横倒しになった高層ビルに相当した。ただ、形が丸い。それはワイン樽を連想させる形をしていた。由理花は、それを指差しドグマに尋ねたのだった。
「ほう、良く分かったな、ユーリ。いかにも、あれが〈方舟〉だ。それも、かなり珍しい形をしているな。あれには、なかなか出会えない」
「そうなんだ。えっへっへ。あたし、そういう運って強いんだぁ」
「おい、ドグマ。悠長なこと言ってんけどよ。見ろよ、あの方舟の前面に描かれたマークをよ」
巨大ワイン樽に似た方舟の前部には、黄色の塗料で「一」。その下には、三つの星がトライアングルを形成している。
それは戦国大名「毛利家」の家紋、そのものだった。オリオン座の三つ星を従える、毛利家の家紋だった。
「知っている。あれは〈星屑の旅団〉を示すマークだ。我々は、もうレイアースを使いきってしまっている。つまり、このままでは食事すらままならず、緩慢な死を迎えるしかない状態だ。そこに現れた〈星屑の旅団〉の旗艦〈バレルスター〉は、まさに渡りに船だと思うがな。なのに、なぜそうも怯えるのだ、ライツ?」
ドグマは一気にそこまで言うと、「くくっ」と含み笑いをした。なにかあると思わせずにはいられない、嫌な感じの笑い方だ。
「〈星屑の旅団〉。〈バレルスター〉……」
目前にまで迫った巨大な”樽”を見上げて、由理花は「ほへー」とため息した。
「それに、我々は少々じっとし過ぎている。そろそろ、〈敵性獣〉が嗅ぎつけてくる頃だと思うがな」
「〈敵性獣〉?」
ドグマの声が引き締まった。さっきの笑いとは逆に、危険を感じさせる口調は、由理花の不安を駆り立てた。
「うあ?」
ふっと由理花を照らしていた陽が遮られた。雲ひとつない快晴に、辺りには木々も生えていなかった。これは不自然な現象だ。不思議に思った由理花が、〈バレルスター〉とは逆方向の空を見上げる。
「そうみたいだな。おいでなすったぜ。この世界の〈敵性獣〉様がよぉ!」
テンガロンハットをぐいっと押し上げて空を見たライツの青い瞳に、大鷲と呼ぶにはあまりにも大きな”怪鳥”が映し出されていた。
「どうする、ライツ? 我々に残された武器は、〈通常弾〉が2発のみ。やつには弾丸が通用するが、その分一撃で倒せるような弱点は無い。たった二発では、どこを撃っても仕留めるには至らない」
ライツにくるくると回されながら、ドグマが現状を確認する。
「2発しかない、だって? そりゃあ、いつの話だよ?」
ドグマの回転を止め、びしっとグリップを握ったライツが、不敵に笑んだ。
「いつって……? ついさっきのことじゃない」
由理花は呆れていた。ライツの記憶力に、甚だ失望したせいだ。それでも由理花はライツの背中に回り込み、革製のごわごわとしたベストの端をぎゅう、と握り締めた。
「ああ、そうだ。ついさっきのことだな。俺が!」
ライツはガンベルトに提がるチョークバッグに手を突っ込む。
「〈レイアース〉を使い切っちまってたのはな!」
取り出されたライツの手には、持ちきれないほどの〈レイアース〉がきらきらと輝いていた。