♯5
ぴたりと鳴きやんだサソリたちは、くるりと方向を転換した。サソリたちは、頂上に由理花たちが伏せている砂丘を目指して走り出した。そして、四方八方から、砂丘の根元にがさがさと潜り込んでゆく。
「ふぁっ! あの子たち、ここの山に潜ったよ!」
「あの子たち? そんな可愛いものではないが」
「突っ込んでる場合か、ドグマ! ちっくしょう! 脳ミソ小せぇくせしやがって、なんでそんなに賢いんだよ、あいつらぁ!」
「ふあっ?」
ライツが由理花をすくい上げ、がばっと立ち上がった。予期せぬお姫様抱っこに、非常事態真っ只中であるにも関わらず赤面してしまう由理花は、まだ心のどこかで「なんとかなる」と考えているのだろう。
「降りるぞ! やつら、下から来る!」
ライツが叫んだ刹那、
「きゃあああああああ!」
「ちぃ! はええっ!」
サソリたちが、砂丘の頂上を割って飛び出した。あのまま寝転んでいたならば、これだけで死んでいたに違いない。由理花は、ライツの瞬間的な判断に救われた。が、それもどれだけの意味があるのだろう。
「そんなに腹ぺこなら、これでも食ってろ!」
由理花を片手で抱え直したライツが弾丸を発射した。ドグマのマズル(銃口)からドンドンドンドンと次々繰り出される弾丸は、確実にサソリの弱いところに着弾している。
「キイィィィィィ!」
着弾したところから白煙と鮮血を噴き出したサソリたちが、悲鳴を上げて闇雲に暴れ出す。
「すごい……!」
由理花にとって、ライツの射撃は目にも止まらぬ早業だった。あっという間だ。一瞬で、四匹のサソリを退けた。だが、サソリはまだまだたくさん残っている。弾丸は、残り2発。どう考えても、この状況を打破するには足りない量だ。
「こっちだ!」
「ふぁぁっ!」
ライツは由理花を下ろすと、今度は手をとって駆け出した。由理花はライツのなすがままだ。男性に手を引かれて走った経験も由理花には無い。強引に連れ回される由理花は、しかし嫌な気分では無かった。自分の意外な一面をまた一つ発見し、由理花は目を白黒とさせている。全くそれどころでは無いのだが。
向かうところにサソリはいない。ライツが、その方向のサソリを集中的に攻撃していたからだ。
逃げられる?
由理花は、そう思った。
「ちぃっ。やっぱ、女を口説く時みたいにうまくはいかねぇもんだよな」
「そうか? 私には、お前が女を口説く時と同じように見えるがな」
それは束の間の希望だった。ライツたちの行く手には、すでにサソリたちが回り込んで来ていた。
サソリの脚力は、人間の比ではない。それも、砂漠で行動しやすいように進化した足を持っている。走って逃げるなど、最初から不可能だった。
「囲まれたか。ちっくしょう。自分の人気者っぷりがこんなに恨めしいと思ったことはないぜ」
「美人ばかりで嬉しいだろう、ライツ? 人間の女にも、これぐらいモテるといいのにな」
「あはは。冗談ばっかり。……え? それってなんとかなるからだよね?」
尻尾の先から毒を滴らせたサソリたちが、二人と一丁を完全に取り囲んでいた。思わぬ反撃に警戒したのか、サソリたちははさみでガードを固めたまま、じりじりと詰め寄って来る。
「ああ? こんなん、なんとかなるわけねぇだろう。俺たちがこいつらのウンコになるのは確定だ。頑張って、せめて下痢腹にしてやろうぜ」
ライツが親指を立ててにかっと笑った。
「私は銃なので関係ないが。ここでは、人も通るまい。放置が長引けば砂を噛んで壊れるか、あるいは熱で曲がって壊れるか。ライツが死ねば、私も終わる可能性が高いだろうな」
ライツの手の中にあるドグマも、自分の行く末を冷静に予測していた。
「え? 嘘? 死ぬの? あはは。そんなバカな。死ぬのに、そんなに明るいわけないよ」
由理花も、もう笑うしかなかった。生を実感した直後に死ぬ。この二人のせいで、そんな感じがしなかった。それはそうだろう。今までいた世界のどこに、こんな巨大サソリの餌となり、生の終焉を迎えた人間がいるのか? そんな話は、見たことも聞いたこともないのだ。由理花は、朝目覚めた直後のような、妙な浮遊感の中にいる。
「明るい? そう見えるなら本望だぜ。どうせ死ぬなら、かっこよくいこうじゃねぇか。ただ、そう思うだけのこったから」
「ふふ。それでこそライツだ。私が見込んだ〈レジスト〉だ。よし。二人とも、最期に言い遺すことがあれば私が聞こう。運が良ければ、私が誰かに拾われることもあるだろうからな」
ドグマの口調が妙に優しくなっていた。それが、由理花に急速に恐怖をもたらした。
「嘘、でしょ? 嘘だよね? あたし、こんなところで死にたくないよ。お父さんにもお母さんにも弟にも、お別れすら言えないよ。学校の友達だって、急にあたしがいなくなったら心配するよ。やだ。やだよ。あたし。あたしっ……」
サソリたちの尾が、ゆっくりと降りてくる。由理花とライツの頭を狙い、降りてくる。
このサソリたちは、まずは毒で麻痺させ、獲物の自由を奪い取る。その後、大きなはさみで細かく千切り、小さな口でちびちびと食べてゆく。サソリたちは、久しぶりの豪華な食事に喜んでいるようだ。
「お嬢ちゃん?」
「うむ? 何か、様子がおかしい」
胸の前で手を組んで、俯いたままぶるぶると震える由理花に、ライツとドグマが何かを感じた。見たままを感じているのでは無い。見かけとはまるで違う”何か”を、それもとてつもなくかけ離れた”何か”を、ライツたちは感じているのだ。
「嫌だ。嫌だ。嫌だ。死にたくない。死にたくない。死にたく……」
由理花がぎゅううと握り締めた手。そこには。
「ライツ! この子ども、〈レイアース〉を!」
ドグマが叫んだ。
「死にたくないよおぉぉぉぉぉ!」
顔を上げた由理花が、涙を流して絶叫した。
「うおぉ! これは、まさか!?」
ライツの体がぐにゃりと歪んだ。ライツだけではない。サソリも、砂丘も、空間すらもがゆらゆらと揺らめき、歪んでいる。
「ライツ! その子どもをしっかりと抱き締めろ! 〈スライド〉するぞ!」
「なにぃ? わ、分かった!」
ライツが由理花をがしっと抱えた。
「あああああああああああああああああ!」
由理花が、眩い光に包まれる。由理花の姿は、溶けるように広がってゆく。直後、
「……あ?」
由理花は、光の舞う足場の無い暗闇を漂っていた。