♯4
ライツは腰に巻かれたガンベルトに引っかけられた、小さなチョークバッグに手を突っ込んで、ごそごそと漁り出した。そして、割れたガラスのような小さな欠片を何個か取り出し、手のひらで転がした。
「残った〈光条片〉は、これだけか……。これっぽっちじゃ、通常弾も作れねぇ……」
ライツは苦々しい表情を浮かべてレイアースを握り締めた。
――全ての世界は、〈偏執狂〉で出来ている。
対して、〈レイアース〉とは、その欠片だ。”意志”から外れた〈パラノイア〉。それが〈レイアース〉の正体だ――
「無理も無い。なにしろあの〈鋼鉄の旅団〉に、たった一人で挑んだ直後なのだから。むしろ、生きているだけでも奇跡だよ。私からすればね」
ドグマが初めて同情らしき素振りを見せた。この二人、心底仲が悪いわけでもないらしい。由理花はそう察し始めた。そして、初めて聞く言葉が気になった。〈レイアース〉? 〈鋼鉄の旅団〉? 一人で挑んだ? 由理花には、全く話が見えてこない。
「自力じゃどうにもならねぇな。あと、期待出来るとすれば……」
「え? な、なに?」
不意にライツからの視線を受けて、由理花は意味もなくもじもじと恥じらった。が、ライツにはそんな可愛らしい由理花の様子も眼中になかった。はっきり言って、ライツにとって由理花はただのガキだった。一応女としては扱うが、恋愛対象にはなり得ない。そんなライツの心中など知る由もなく戸惑う由理花は、さらに意味不明な質問をされた。
「お前の〈スキル〉は?」
「は? 〈スキル〉? って、なに?」
そんな言葉、由理花にとってはゲームの中でしか存在しない。由理花はただ首を捻るばかりだ。
「……な、なにぃ? んだよ、その『セックスってなに?』みてぇな反応はよぉ……?」
これでも、ライツは真面目に驚いている。そもそも、気持ちを隠すなどという器用なことは、ライツには出来ない。〈多重迷宮世界パラノイア〉の住人にとって、由理花のこの返答は、それほどに奇怪なものなのだ。
「なんでいちいち下品に例えるかなぁ?」
由理花は、そろそろライツの粗野さが気になりだしていた。いろいろと小さめではあるが、由理花はこれでも高校生一年生。現実世界も、まだ夢のようにキラキラと輝いて見えている年だった。ライツのこの下品さは、そんな由理花に拒否反応を引き起こす。
「おい。隠してる場合じゃねぇだろ? この時限りかも知れないが、俺はお前の味方だぜ。ほら、見せろよ。早く」
「な、なんの話よ? 隠してない。知らない。あと、あんたの手つきが怪しい。何を見せて欲しがってんの、あんた?」
「うむ、確かに。これでは、ライツがスカートをめくろうとしているようにしか見えないな」
今にもスカートをめくり上げそうなライツの手つきに、由理花は思わず自分の体を抱き締めた。ドグマも由理花に同意した。もしもドグマに目というものがあったなら、きっとライツに軽蔑の眼差しを向けていたことだろう。
「ライツ。時間が無いので冗談をはさまずに教えよう。この少女、どうやら嘘を言っているわけではないらしい。本当に〈スキル〉のことを知らないのだ」
見かねたドグマが、由理花を擁護し始めた。
「バカ言ってんじゃねぇよ。〈スキル〉も知らずに、どうやってこの世界で生きてきたって言うんだ? 証拠はあんのかよ、ドグマ?」
ライツはかなり動揺している。とてもじゃないが信じられない。ライツの言動には、そんな気持ちがありありと見て取れた。
「証拠ならある。この少女からは、〈レイアース〉の〈ウェイヴ〉が全く感知出来ない。つまり」
「つまり……?」
ライツがごくりと喉を鳴らした。
「この少女は、純粋な〈マテリアル〉で出来ている」
ドグマの鈴の音のような声が断言した。
「アホ抜かせ! それじゃなにか? こいつは! こいつはっ!」
ドグマを両手でがっしと掴んだライツは。
「〈パラダイス〉から来たって言うのかよ!」
そう叫んだ。
「それは私にも分からない。しかし、前例がないわけではない」
「そりゃ、大昔の話だろ? 記録だって残ってねぇ噂なんざ、怪しいもんだ。まぁ、あっても俺には読めないけどよ。それに、〈パラノイア〉から〈パラダイス〉に渡ったヤツの話も聞いたことがねぇ。そんなもん、存在すら確認されてねぇおとぎ話だぜ」
「では、この少女のことは、どう説明出来るのだ?」
「う。そ、そりゃあっ……」
言ったきり、ライツは口ごもった。話に全くついていけない由理花は、じっと聞いているだけだ。
「なんにしろ、このお嬢ちゃんにも望みはねぇってことだけは確定したな。と、なりゃあ」
「うむ。あとは、運を天に任せるのみ、だ」
「え? え? それって、どういう?」
盛大な溜め息を吐き出したライツと、すでに全てを悟ってしまった感のあるドグマに、由理花はおずおずと尋ねた。
「つまり、『動くな』ってこった。ここの砂漠に住んでるヤツらぁ、”目”ってもんがねぇからよ。音で獲物を察知する」
「そういうことだ。動かなければ、あのサソリが我々を見失ってくれるという可能性も残っている。まず無いとは思うがな」
「そ、そうなんだ」
由理花はこくりと頷き、サソリを見る。サソリははさみを振り上げたまま、体を小刻みに左右に巡らせていた。
自分たちを探している。由理花はそう思った。これだけ話していても、まだ自分たちの位置を特定出来ないでいるのだから、サソリの音源探知能力は知れているのかも知れない。由理花の心に、わずかな希望が灯った。だが、その直後、そんな希望など一瞬で消え去った。
「キュイイイイイイ!」
尾を鳴らしたサソリの周りの砂が、ぼこぼこと盛り上がった。そして、砂をかきわけたサソリが、次々と姿を現した。サソリはあっという間に群れを成し、ぞろぞろと砂上を徘徊し始める。
「まずいな。サソリどもめ、我々を〈エコー〉で探すつもりのようだ」
ドグマの冷静な分析が、由理花に嫌な予感をもたらした。
「〈エコー〉?」
由理花はドグマに尋ねた。危機が迫っているのであれば、その正体は知っておきたいと思ったからだ。
「うむ。複数のサソリどもが広範に散り、鳴き声を上げる。その反響音をキャッチすることで、”異物”、つまりは獲物の位置を知るのがヤツらの”狩り”だ」
「つーわけだから、伏せな、お嬢ちゃん」
「むぎゅ!」
ライツに頭を押さえられた由理花は、砂丘に顔を埋めた。「あつーっ!」と叫ぼうにも、口を開くことすら出来ない。女の子の顔に、なんということをするのか。もし火傷して、その跡が残ったらどうしてくれるのか。ライツは、レディの扱いというものがなっていない。これではモテるはずがないと由理花は確信した。
そんな由理花の心の叫びが聞こえたのか、すぐに頭から手を離して腹ばいになったライツは、ガンベルトのチョークバッグを再びごそごそと漁り出した。そして、今度は何発かの弾丸を取り出した。拍子に、さっきの〈レイアース〉が零れ落ちた。「うー」と由理花が顔についた砂粒を振り払う。
「あ」
きらきらと光る〈レイアース〉に興味をもった由理花は、それに手を伸ばした。
「ありゃ。〈通常弾〉も、こんだけか。ちょうどマガジン(弾倉)6発分とは泣かせるぜ」
ごろりと仰向けに寝転んだライツは、口にくわえた弾丸を、マガジンに装填し始めた。一発一発、シリンダーに弾丸を詰めてゆく。丁寧なその動作は、がさつなイメージを由理花に定着させつつあるライツにしては意外なものだ。
「良かったではないか、ライツ。それだけあれば、5秒は長生き出来そうだ」
「まぁな。手の届くくらいの距離なら、サソリどもの関節や、甲殻の継ぎ目に正確にぶち込んでやれんだろ。ちっとは痛い目みせてやらぁ」
「ライツ。ドグマ……」
二人は、まだ生きる事を諦めていなかった。由理花は、そんな二人を眩しく感じた。
日本では、「生きている」なんて実感することはまず無かった。「死ぬ」ことだって、自分とは無縁な世界の出来事に過ぎない。しかし、今、由理花は「生」を実感している。「死にたくない」と渇望する自分に、由理花は新鮮な驚きを感じている。
「自分の中に、こんな気持ちがあったんだ……」
由理花は、〈レイアース〉をぎゅっと握りしめた。