聖人のロンメル
降り注ぐ肉片と鮮血のシャワー。浴びて気持ちがいいものではないのは確かだった。意思の疎通が不可能だと思われたレビルの無感情な瞳は形を残しているものの、完全に光を失ってますます恐ろしいものになっている。由理花は上空から迫り来るグロテスクな物体たちを見上げた姿勢で固まったままだ。
「終わったぁーっ!」
由理花はそう叫ぶとしゃがみこんで頭を抱えた。
「あ、あれ?」
しばらくしても、小さくなってぷるぷると震える由理花が、血を浴びることはなかった。
「へぇ。こりゃあ珍しいヤツが出てきたもんだ」
「うむ。あたちも、直に姿を見るのは初めてだにょ」
「へ? 何? 誰?」
そろそろと顔を上げた由理花の隣では、ライツとモーリが緊張した面持ちで空を見上げていた。
「困るな。そう派手に殺されては。君たちにとっては敵性獣かも知れないが、そうではない人もいるのだから」
由理花たちの頭上からは、肉片の代わりに理性的な男の声が降ってきていた。
「こ、今度は何? 誰なの?」
由理花はさらに目線を上げた。
「初めまして、星屑の旅団の頭領、モーリ。ラピッド・ファイアのライツ。その相棒、レイジング・ブルのドグマ。そして」
空には、深緑の長いコートをはためかせた男が浮かんでいた。そこに、大地があるかのように。当たり前であるかのように。
「そして。パラダイスからのゲスト。クリテリオンの、ユーリ」
「クリテリオン……?」
由理花と男の目が合った。眼鏡越しにでも、男の眼力とも呼べるものは強大だった。瞬間、由理花には雷に打たれたような感覚が走っていた。
もしも「運命」、あるいは「宿命」が存在するのであれば、この男と自分は間違いなくそういった何らかの必然で以て繋がっている。それは「予感」と言い換えても良かったが、恋に発展するようなものではなく、決して喜ばしいものでもない。由理花は、感覚でそれを確信した。
「……怖い……」
敵ではない。かと言って、味方でもない。話しても話しても分かり合える気がしない。由理花にとって、この男は先のレビルと同種だった。由理花は、自分の直感に恐怖した。
「私の名は、ロンメル。〈鷹の目の旅団〉の団長を務めている」
そう名乗ると、ロンメルは傲然と三人と一丁を見下した。そして、由理花と目が合うと、微かに唇の端を吊り上げた。
レビルの肉片や血を吹き飛ばしたのは、このロンメルだった。だが、どうやったのかはライツやモーリ、ドグマにも分からなかった。
「よぉ。お前が〈聖人のロンメル〉か。パラノイアの住人なら、みぃんな知ってる有名人が俺のことを知っててくれたとは光栄だぜ。もしかして、俺のファンだったりするのかい?」
「ライツ?」
由理花には得体の知れない不安が広がっていた。ライツらしい軽口ではあっても、その表情は固かったからだ。ライツが緊張しているのは明らかだった。
砂漠の世界のヘキスサソリ、この花の世界での怪鳥レビル。明らかな殺意を纏う、巨大で獰猛な敵性獣を目の前にしても一切怯んだ様子のなかったライツが、額から冷たい汗を流している。その事実が、先の予感とも相まって、由理花の心に暗い渦を作り出していた。
几帳面そうな印象を与える身だしなみに、眼鏡が冷たい光を放っている。歳は、ライツよりも少し上くらいに由理花には思えた。しかし、ロンメルのまとう雰囲気は、見た目の若さ以上の圧力だった。
「何の用だにょ、ロンメル? うちは、鷹の目に睨まれるようなことなどしていないにょ」
モーリでさえも、萎縮しているようだった。不意に警官から話しかけられた子供のよう。由理花には、モーリの様子がそんな風に見えていた。
それも道理だ。鷹の目の旅団長ロンメル。この男は。
パラノイアで、”神に最も近い男”、〈聖人〉の二つ名を冠しているのだから。
「そう怖い顔をしないでくれ。知っての通り、私は誰とも争わない」
そんな二人に、ロンメルは穏やかな微笑を投げかけた。
「……私にとっては、それゆえに恐ろしいのだがな……」
「ドグマちゃん?」
ぼそりと呟いたドグマを、由理花は心配そうに見つめていた。
「君のファン、か。そうだな。今、私はそうなった。この世界の”理”は、どうやら君を選んだようだから」
ロンメルは空中をかつかつと歩き、背を向けた。
「ああん? なに言ってんだ、お前?」
ライツが訝しげにロンメルを睨んだ。
「ライツ。鋼鉄の旅団との戦いは見事だった」
ライツの言葉を無視したロンメルは、ぶっきらぼうな賛辞を送ると、
「あのサソリたちは、君たちが〈スライド〉した直後、パラノイア最強の火力を誇る赤壁の旅団の探査遊撃隊隊長、クアッドにより殲滅された」
「なんだって? なんで、ヤツがあんな所に?」
ロンメルはぴたりと歩を止め、振り返った。
「赤壁の旅団は、持てる魔術知識を総動員して〈マテリアル〉を召喚した。しかし、肝心の〈マテリアル〉は、予想外な場所に現れた」
「それはっ!」
ドグマが叫んだ。
「私の伝えたかったことはそれだけだ。知っての通り、〈鷹の目〉は各世界に散らばっている旅団たちに、情報をもたらすだけなのだから」
すぅ、とロンメルの姿が薄くなっていく。ロンメルの向こうにある青空が透けて見える。青が、どんどんくっきりと見えていく。
「ちょ、ちょっと待つにょ、ロンメル! それは一体、どういうことなんだにょ!?」
「自分で考えたまえ、モーリ。これだけで十分なはずなのだから」
モーリが慌てて手を伸ばすも、ロンメルの姿は消え去った。
「な、なんなの? これ、何が起こってんの?」
由理花は地面にぺたんと尻をつけたまま、呆然とするだけだった。
『ユーリ。パラノイアの命運を握る女神よ』
「へっ?」
直後、由理花の頭の中で声がした。ロンメルの声だ。
『君が望むのは破滅か。それとも滅亡か。選択は、君に委ねられている。パラノイアに抗し得るのは、君だけ、なのだから』
「は?」
『選択の時は必ず訪れる。そして、そう遠い未来のことではない。備えよ、クリテリオンよ。全人類の未来のために』
「全人類? ……は? はぁ? はぁぁぁぁ? な、なに言っちゃってんの? あたし、ただの女子高校生なんですけどっ!?」
たまりかねた由理花の叫びに、もうロンメルの答えは無かった。
「おおい、どうしたユーリ? ひとり言でかすぎだろお前?」
「にょ?」
ライツやモーリにロンメルの”思念”は届かない。二人は首を捻りつつ、由理花を奇異な目で見るだけだった。
「ユーリ……」
ドグマが切なげに由理花の名を呟いた。
「選択? 破滅と滅亡って。それ、どっちも終わりじゃない。そんなの選ぶ意味あんの? もう、わけが分かんない」
由理花がぎゅっと唇を噛み締めた。
「わっけわかんないよ、もうーーーーーーーー!!!!!」
そして叫んだその声は、澄み切った青空に吸い込まれていくだけだった。