◆つかのまの日常
ズザゴンッ
俺は……落ちた。正確には俺達は絡まって落ちた。俺と……リティシアは……。
「へ?」
そこにはちょうど魅怨がいた。日本だ。俺とリティシアは日本に、魅怨の家に落ちた。俺の中の魔王がそれをしたのか、偶然だったのか、分からないが、ともかく、処刑の場から日本へと移動してしまったようだ。次元の穴は魅怨の家とつながっていたから、たどりついたのは魅怨の家だったのだろう。しかし……
「や、やあ~~~ごきげんよう~~~」
タイミングが良かった。いや悪かったのか?魅怨は着替えの真っ最中だった。
「ちょ なに覗いてんのよ!この変態!スケベ!鬼!悪魔!あ、魔王か」
俺は笑ってごまかそうとした……が、できなかった。
「もう!心配したんだから!あれから、蒼汰のお母さんや、警察や学校の先生とか来たりして、いろいろ聞かれて、天界行ってお父様に頼んだり、なんだかんだ、たいへんだったんだからね!ほんと、ほんとに、ほんとに、心配したんだからねっ」
魅怨は泣き出して、俺の胸に飛び込んできた。
「ああ、ゴ、ゴメン。ゴメンな。でもさ、ほら。大丈夫だろ。この通り戻ってきたんだからさ」
らしくもない雰囲気の魅怨を見て、俺はそっとその肩を抱いた。
「うん、うん。アホの蒼汰にしては、でかしたゾ」
「にしてもさ……」
「なに?」
魅怨はしおらしく顔を上げた。
「お前って……」
「うん」
「ほんと胸ないのな。いつもは寄せて上げてたってことか」
バシンッ!
思い切り平手が飛んできた。と、同時に俺は桜田蒼汰の姿に戻っていた。
「ってーなー!この異世界帰りの男をイキナリ叩くか?普通?」
「うっさい!今後、私の胸がないとか言ったら、地獄に落とす。針地獄に!」
「お前……女神じゃねーの?なんだよ地獄とか」
「うっさい!うっさい!うっさい!」
すこしジタバタしたあと魅怨はパタリとおとなしくなった。
「にしても……ほんと……お帰り……なさい」
「ん……ああ。心配かけたな……」
その一部始終をリティシアはぽか~~んと見ていた。
「ビズル ガ デル ゾゴク?」
「ここは……地獄?」リティシアはそう聞いたのだが、当然、日本語など分からない。そして、ミスガルの言葉は日本に帰った蒼汰にも分からなかった。
「あっ 篝~篝も一緒なのね!」
「いや、それは違う………って、え?」
リティシアを見てそう叫ぶ魅怨に向かって説明しようとしたとき、俺は急激な脱力感に襲われ、そのまま意識を失ってしまった。
意識が戻ったのはそれから一週間後だったらしい。
「さあ~~~っ!今日という今日は学校に行ってくるよ!母さん!」
「そうね。気をつけてね。篝ちゃんも帰ってきたらしいし。良かったわ」
盛大なる寝ぼけ……なのか、あの世界……ミスガルのことがぼんやりと幻のように感じていた。だから、大事なことをスッカリと忘れていたんだ。
「行ってきまーす!」
家を飛び出し、しばらく行くと後ろで声が聞こえてきた。
「オハヨー!もういいんだって?」
話しかけてきたのは魅怨だった。
「んん~そうだな。一週間?俺寝てたのは」
「そうね。ちょうど一週間になるね」
篝……は、無口で魅怨の後ろをついてくる。
「で、篝の方はどうなんだ?」
思わす俺は小声で魅怨に聞いてしまった。
「うん……それがねえ……」
魅怨は、少し話づらそうにした後、小さな声で説明し始めた。
篝はあの日から口をきかなくなったという。あの日ミスガル語を話して以来だ。ビターチョコレートも食べたし、記憶障害ということは無いはずなのだが。かといって沈んだようではなく、楽しそうに笑うので、篝の家族もしばらく様子をみようということになったらしい。しかし、しだいにその不安は大きくなり、疾走した間になにか事件に巻き込まれ、心を閉ざしたのだろうという事になったようだ。両親いわく、まるで別人のようだというのだ。
「それでね。蒼汰、何か知らない?篝が……その……どんな目にあったのか……」
「そか……分からない……篝がどんな扱いを受けていたのか……しかし……リティシアなら分かるはずだ……」
「リティシア?……」
「そう。あの日俺と一緒に来た……ミスガルのお姫様だ」
「ん?えーっと……」
魅怨は不思議そうな顔をして篝を指さしている。
「いや、一緒に落ちてきたろ?一週間前に」
「んーっと……それ、篝ちゃんでしょ?」
「え?いや……エエエエエーーーッ?違うし!それは違うし!するとするとすると???」
放課後、三人で魅怨の屋敷に集まった。そして、俺は魔王化した。本当はもうなりたくないと思っていたが、たぶん、忘れてしまったあっちの言葉も魔王化すれば分かるだろうと思ったからだ。
「すると……貴方は……やはりリティシア姫?」
そして、確かに彼女の言う言葉が分かった。
「ええ。私の…名前はリティシア。クイーン・リティシア。カガリさんでは無いのです」
篝……いや、リティシアは淡々と語り始めた。はじめのうちはやっと言葉が通じたことに嬉しそうだったが、しだいに表情が暗くなっていった。
「だますつもりなどなかったのだけれど、私にはどうすることもできず、今日まできました」
「で、では、篝は?本当の篝は?」
不思議そうな顔をした魅怨に向こうで何があったのかを語り、目の前にいるのが篝ではなく、リティシア姫なことを告げ、本物の篝はどうしたのか尋ねた。
「そ、そんなあ~。てっきり、また、蒼汰が篝ちゃんを連れ戻して帰ったのだと思ってたのにぃ~」
魅怨の話では、あの日、篝ひとりを送り返したあの日、篝は俺の記憶をなくしていたという。その篝は昔の篝ではなく、かつての明るさはなかった。
「ゴメン……なさい……ワタシ……またやっちゃったの……あんまりにも蒼汰の帰りが遅いから……心配になって……」
魅怨は、あらためて篝に俺のことを話したという。何があって、どうしたのか?を。
そして篝は思い出した。すべてを。そして、なぜ忘れていたのか。忘れていられたのか。そう自分を激しく責めたという。そしてまた、時空の穴が開いた。
「ワタシには止められなかった……どうしてもアナタの元に行く、じゃないとアナタが戻ってこれないハズ……そう言う篝ちゃんのことを止められなかったの……」
「そうか……」
魅怨を責めることなどできない。そうだ。これは俺のミスだ。
「入れ違い……ってことか……チキショウ!………チキショウ!チキショウ!チキショウ!」
俺はまた、その穴を叩いた。
「カガリサンは……大丈夫……だと思います。アンジェリカがきっと守ってうまくやっているはず」
すると、成り行きを見守っていたリティシアが口を開いた。
「アンジェリカ……あの戦士の……」
俺は、処刑の日、遠巻きに魔王を、俺をみるアンジェリカの姿を思い出していた。
「そう、あのアンジェリカです。彼女がきっと守ってくれるはず」
「しかし……あの様子だとアンジェリカは……」
「それは……大丈夫です。アンジェリカはホーランド一の戦士ですから」
「だとしても!」
「ええ、戻らねばなりません。私もカガリさんも、もといた世界へ」
リティシアは寂しそうだった。
「そうか、そうだな。あんな世界、あんな争いだらけの世界には一秒だっていさせられない!」
リティシアは完全にうつむいてしまった。
「アホ!」
「あっ……いや、そんなつもりじゃ……」
魅怨に怒られて気がついた。あの世界は、あの世界こそがリティシアの世界なんだ。
「いいえ。いいのです。ここに来て、この平和な世界に来て、なぜ私達の世界からは争いが絶えないのか。なぜ互いに信じ合うことができないのか?疑問は募るばかり。帰ったらこの世界のように、平和な世界となるようやってみるつもりです」
思いつめたような表情がだんだんと凛とした表情になっていった。こうなってくると、同じ顔とはいえ、篝にはない高貴なオーラというものを感じるようだった。




