第三話
「あれは、中華の「大蜘蛛」か。なんであんなものがここに」
あまり広いとはいえない空間。いろいろなモニターや計測機器が、映像や数値を映し出している中で、一人の女性が呟いた。その女性の正面のモニターには、八本の鋭い爪のような足があり、それを土台として人の上半身のような部分が取り付けられた蜘蛛と人を合体させたような高さ六メートルほどのロボットが、アサルトライフルを巨大化させたような武器を持ち、周辺の工場を破壊している様子を映していた。
『特務、今は奴らの所属よりも』
「心得ております。何よりも住民の安全と例の機体の死守ですよね。大丈夫です。見失ってなどおりません」
『ならいいのだがな。本当はあれが使えればよいのだが』
「それは仕方がありません。今はこの「兵・壱式」でなんとかするしかありません」
女性はそういいながら、心中では通信相手と同じことを思っていた。
『しかし、例の機体の根幹システムのあの部分が完成したこの時点で起きた奇襲とは、なにか、偶然以外の意図を考えずにはいられないな』
女性はその言葉にはっとなる。
「一佐は内部にスパイがいると、そうお考えで?」
『その可能性も否めないだろうな』
「許せませんね、自国を裏切るようなことをするなんて」
女性の手には自然と力が入る。
『然り。しかし、ここは』
「敵を、殲滅します」
女性はそう言って操縦グリップを握り、アクセルを踏む。
********
細く長い通路を一列になって、人影が進む。
「頑張れみんな、もう少しだ!」
先頭で先導する先生の声が、狭い通路の中に響く。
地下シェルターまでの距離は、約500メートル。もうすぐそこに迫っていた。
続く振動と重く響く音が俺たちの不安を掻き立てていた。自分たちは、無事にたどり着けるのか。その先は?これからどうなる?
多かれ少なかれ、ここを走る人間が心の中に抱いていた。
「あと100メートル!」
先頭を走る先生の声が聞こえてくる。それと同時に、地下通路の天井部分、つまりは地上の方から一際大きな音が響く。
「斎藤!」
俺の前を走っていたクラスメートが、俺の名前を呼ぶ。その時に俺は直感した。今、一番危機に陥っているのはこの俺なんだと。
俺は自分でも意外なほど冷静に今の状況を分析していた。
今迫っている危険は天井が崩れることにより、自分たちが下敷きになりそうになっていること。また、押しつぶされなくても、天井の崩落によって通路を分断され、取り残される危険性がある。この二点だ。崩れそうな天井の位置は、今俺のいる位置の少し前。頑張って前に走り出せば、シェルター側の通路に行けて、つぶされることも取り残されることもないが、通路は狭く、人と人の間隔も狭い。この状況で前方に突っ込めば、他人を巻き込み、怪我人を出す恐れがある。下手をしたら、何人かを巻き込んで瓦礫の下敷きだ。
ならこのまま、この場に立ち止って瓦礫に埋まるか?答えはノーだ。
俺は名前を呼ばれた直後、コンマ1秒にも満たない時間で思考を巡らせ、その次の瞬間には、後方に大きくそして素早くバックステップを踏み、その危険地帯から離れそれと同時に前のクラスメートに叫ぶ。
「走れ!」
俺の意図が伝わったのか、伝わってないのか、定かではないが、幸いにもクラスメートは、前にシェルターのほうへと大きく飛び込んでいくように走って行った。その瞬間、天井は崩落した。
俺は一瞬にして、暗闇に包まれた通路の中かろうじて、無傷のままでいることができた。体を動かし、元来た道を携帯のライト機能を使って進み始める。
道中、もしさっきの箇所以外に崩落が起きており、後退することすらかなわなくなったらどうしようかと思ったりもしたが、それも杞憂となり、出入り口にまで戻ることができた。
「はぁ...はぁ...」
ただ歩いてきただけなのに、想像以上に俺の体力は削られていた。
扉に手をかけて引く。
扉は俺の予想していたよりも軽く、速い速度で開いた。
俺は少し驚いて、後ろに下がると次の瞬間にはさらに驚く結果となった。軽いのもそのはず、扉は向う側から押されていたのだから。その押していた張本人は、全身から血を垂れ流した俺もよく知る、自分から残ると言った前田先生だった。
「せ...んせい」
俺は何といえばいいかわからなかった。それ以上に、その場に立ち込める血の濃いにおいがたまらなく気持ち悪かった。
あの時、あんなことを言わなければ前田先生は死なずに済んだのかもしれない。いや、もしくは俺たち全員があの場に残ったままになり、そのまま前田先生がたどった道を俺たちもたどっただけかもしれない。
俺は先生の顔に落ちていた布をかぶせてその場を立ち去った。
地下通路の出入り口になっていた体育館は、半壊状態にあった。だが、その崩れ方に少し違和感を感じた。
「大きな重機で壊された、ような感じがあるな。テロリストか何かの仕業か?でも、なんでこんな学校の施設なんかを襲う必要がある?」
周りをさらに注視すると銃撃のような跡もあった。
「よくわからないな」
俺はとりあえず、付近の避難通路に向かうことにした。
********
断続して鳴り響く轟音。
40.96mm陸戦用兵器AP弾。その嵐のような銃撃にわずかな時間が空く。
その瞬間を見逃さず、物陰から一体の二足歩行ロボットが飛び出る。
「今、私の装備しているのは、暴徒鎮圧用のゴム弾が装填された陸戦兵器用拳銃一丁に対装甲ナイフ一本。たったそれだけ。でも...」
飛び出たロボットは脚部、腰部のブースターを点火し、前方への推進力とする。ロボットの右手には刃渡り1メートルほどのナイフが逆手につかまれていた。
「それだけでもっ!」
ロボットは、一瞬で銃弾をまき散らしていた八足歩行型のロボットに近づく。八足歩行型もそれに対応して同じようなナイフを構える。
次の瞬間には、二機のナイフがぶつかり合い火花を散らす。
「たとえ、機体スペックで劣っているとしてもだとしても」
二足歩行型のロボットは、ナイフを滑らせるようにして、わずかな距離をさらに詰める。
「パイロットとしての格が違う!」
八足歩行型は、競り勝とうと押し返そうとするが、二足歩行型はその力に逆らわずに受け流し、滑るように相手を手前に引いて、半身になるようにしてその背後に入り込む。
「これで、詰みよ」
二足歩行型は、八足歩行型の背後でナイフを素早く振り上げ、八足歩行型が振り返る前にコックピットのある背部に刃を突き立てる。
キーンという耳障りな金属音をかき鳴らしながら、火花を散らせて刃が入り、機体は動きを止める。
「まずは一機」
二足歩行型は、八足歩行型の所持していた40.96mm陸戦用兵器専用機関銃、通称40アサルトを奪い取り、機体に装備されていた予備弾倉を装填する。
「システムシンクロニティ、オールグリーン。世界基準装備でよかったわ。さぁ、あと四機、殲滅してやるわ」
二足歩行型のロボットは、銃を構えて周囲を警戒しながら進みだす。
*******
断続的に続く地響きや銃声の中で、いつここから離れようかとあたりを窺っていたら、最悪の事態が今起きていた。
恐らく体育館を破壊し、前田先生を殺した張本人であろう八本足のロボットが歩いている。俺はこいつを知っている。少し前、中学の頃、自作ゲームをネットを通じて知り合った奴らと作った時に見本にしたことがある。中華連邦の八足歩行型陸戦兵器『大蜘蛛』
この機体の最大の特徴は、その八本足によって生み出される安定性、多くの地形に適し、高い走破力を誇る機体。最大走行速度はブースターを使わずに時速120キロメートル。腰部のブースターを使えば、時速200キロメートルを超える。
「こいつらが、元凶か」
俺は息をひそめながら、体育館の残骸の物陰に隠れていた。
まず、ここを切り抜けられなければ、俺はあの前田先生の後を辿ることになる。ここで格好いい主人公は大切な誰かとまた会うためにとか、約束を守るためとか、そんな格好いいセリフや心情語りができるんだろうけど、残念ながら俺にはできない。俺はあくまで生きていたいという生物としての基本的な感情に突き動かされているに過ぎない。
ただ、ただただ生き残りたいそれだけだ。
俺はちらりと「大蜘蛛」の様子を窺う。その瞬間、向こうもこちらを向く。その時、俺の体感では三秒くらい時間が止まったように感じられた。俺はそのまま時間が止まってしまえばいいのにと切に願うが、人生も現実も、そんなに甘くはなかった。
「大蜘蛛」はこちらに方向を変えて、その手に持つ凶悪な銃口をこちらに向ける。俺はその瞬間にここから離れようと立ち上がり、転がるように離れる。
その瞬間、今さっきまで自分のいた場所に鉛玉の暴風が吹き抜ける。
俺は必死で走った。今までにないほどに。そうしなければ、俺の命は一瞬のうちに、自分が死ぬんだと自覚する前に消えてしまうだろうとわかっていたから。
気づくと俺は、奇跡的にまだ形を残し、なおかつ鍵が開いている状態だった体育倉庫に閉じこもっていた。
だが、ここもじきに見つかる。遅いか速いかの差だ。
俺は必死に周りを見渡し頭を巡らせる。この非常事態を切り抜けるチャンスを探すために。
遠くからだんだんあの八本足の歩行する地響きが近づいてくる。俺の心は、恐怖で満たされ、気が変になりそうだったが、必死にそれを抑えて考える。
俺はまた倉庫内をじっくりと観察する。ここは体育や部活で使用する器具が置かれている場所。内部構造は横幅5メートル、奥行き3メートル。両端には棚が、奥には窓とマットやボールかごなどがあり、特に何かがあるわけでもない。安全な場所は?どうすれば生き残れる?
その時すぐ近くに地響きが響く。そして地面が大きく揺れたときに不審な点に俺は気づく。
床に隙間?ただの亀裂?にしては亀裂の断面が綺麗すぎる。それこそ何かの意図があってそこに筋を入れたようだ。
俺はその筋を辿る。横幅は大体1メートル弱。亀裂の両端には奥に向かってさらに50センチほどの亀裂があった。そう、人為的な扉のような構造だった。
俺はそれを確認すると、迷わずそれを開け放ち、体育倉庫の地下にあたる空間の中に逃げ込んだ。
次の瞬間には上の体育倉庫の部分は、轟音とともに崩されていた。
真っ暗な空間。
俺は半ば飛び込むように逃げ込んだここを何のための施設なのか予想するが、いい案が浮かばない。
入り口は階段のようになっているのが、飛び込んで転がって、全身でその凹凸を感じてわかっているが、それ以外は光がなくてはどうしようもない。
俺は自分の制服のブレザーの左の胸内ポケットを探り、目当てのものを取り出す。
俺は右手に持った携帯のLEDライト機能を使い、前方を照らす。
長い廊下だった。床はリノリウムで、天井には蛍光灯があった。方角的には恐らくグランドの方向に向かっているだろう。
途中いくつかの扉があったが、そのほとんどが故障のせいか開いていた。もしかすると体育倉庫の地下への扉も壊れていたのかもしれない。
俺はとりあえずその道を歩き始める。
静かに歩くが、俺の足音は思っているよりも響く。その中で不思議に思ったが、外の音が全然聞こえてこなかった。防音設備でも完備しているのだろうか?なぜ?益々わけのわからない施設だった。何の意味があってこんなところに、こんな施設を学校は作ったのだろう?
長い廊下をしばらく歩くとかなり開けた場所に出た。工場施設のような場所だった。ただその中央に置かれている一塊の金属の塊が、ここがただの工場施設でないことを指示していた。
「これは「兵」?!でも、何か違う・・・?」
その機体は赤くペイントされており、全体的には武士の鎧をイメージしたようなデザインで、正座しているような状態で置かれていた。肩部、腰部、脚部には通常の「兵」と同じようにブースターが装備されていたが、腰部後方にブースター以外に折りたたまれた翼のような装備があり、全体的にも装甲が厚くなっているのがわかった。そしてこの機体には左腰に刀のような武装が装備されていた。
日本の主力陸上兵器である「兵」もまたゲーム制作の時には参考にしてほとんどの機体を調べたが、こんなタイプの機体は見たことがない。つまり、軍の新型機。ここはその建設施設だったわけだ。
俺はその機体のそばに寄る。
「M-0T0?「兵」シリーズじゃないのか?」
機体には機体コードがあり、それでどのシリーズの第何世代のどのタイプのどの順番で作られた機体かがわかる。
「兵」シリーズの場合、初めがTから始まり、その次が数字の世代番号、普通は1からだが、試作機の場合ゼロになる。その次はどのタイプか。Fの場合は戦闘機(FIGHTER)、Scの場合は斥候機(SCOUTER)、Aなら強襲機(ASSAULT)、Snなら狙撃機(SNIPER)、Seなら探索機(SEARCHER)となる。そしてTはTRIAL、つまりは試作機を示す。そしてゼロ番目に作られた機体、この世代の原型になるとも言える機体。
「最高軍事機密レベルの機体じゃないか。こいつ」
これはやばいなんてレベルの品じゃない。はっきり言って今回のテロまがいはこれのせいだと言っても過言ではないと俺は考える。
そして俺はそんなやばいものの近くにいる。もしかしなくても、さっきより危険度が上がっている気がする。
機体コードを確認した後、俺は開いていた胸部ハッチからコックピットの中を見る。一応内部の建造は終わっているらしい。だとすると問題はハードではなくソフト。まだソフトプログラムが終わっていないのか?
俺はプログラマーとしての好奇心に駆られてコックピットに乗り込みシステムを立ち上げようとする。
起動シークエンスは問題なく行き、一応ソフトを立ち上げることができたが、さて、ここからどうするか。
その瞬間、俺は完全に気を抜いていたのだろう。こんな重要な施設に何のロックもないはずもない、もしなかったのならそれは故障などではなく、だれかによる人為的なものだと。いつもだったら気づけていたのだろうが、その時の俺はこの機体のソフトの洗い出しに気をそがれていた。
だから、俺は銃声と跳弾の音でしか、近くに人が近づいていることに気付けなかった。
『少年、残念だったな。そこからどいてもらおうか』
その声は男性の声だった。そして付け加えるなら、その言語は日本語ではなく、中国語であった。
『すみませんね、俺、日本語と英語しか話せないんで、できれば英語で話してもらえます?中華の人』
俺はその中国語に英語で答えた。
『これは失礼。つい母国語が出てしまった。私はね、そこをどいてもらおうか、と言ったんだよ』
こいつが今回の事件の実行犯か。それにしても隠す気すらないなんて。
いや、隠す必要はないんだ。ここで目撃した俺さえ殺せれば問題ないし、それに「大蜘蛛」なんて持ち出している時点で隠す気がゼロなんだ。
『いやだと、言ったら?』
俺にはこの機体を守る理由はない。だが、ここでおとなしく引いたところで俺に生き残る可能性はあるのか?
『仕方がない。私たちに必要なものは、その機体だからな。死んでもらうほかあるまい?』
恐らく、この状況で俺が生き残るためには、この状況の打破が必須。そのための手段は?なくはない。
『それは残念だな。俺もここは引けないんでね。交渉決裂ってやつかな?』
『そうか、なら・・・』
男は銃口を俺に向ける。
『死んでもらおう』
「どうかな」
銃口から銃弾が出る前に俺は、マニュアル入力で機体の方向を90度回転させて肩のブースター外部装甲で銃弾をガードしながら、ハッチの開閉スイッチを押す。
『な!まだ、駆動システムは未完ではなかったのか!』
装甲の外から銃弾のはじける音が聞こえてくる。何とか間一髪でハッチを閉じることができたようだ。
だが、まだ安心はできない。この機体はまだほとんどの駆動システムが入力されていない。立つことさえままならない状況だ。
つまり短時間で、この機体の駆動システムを完成させないと。
『速く上部のハッチを開けろ!「大蜘蛛」で無理やり捕縛して輸送する!』
まあ、中国語だから何言ってるかほとんどわかんねえけど、「大蜘蛛」でハッチをこじ開けるか、持っていこうとしてるんだろうな。
ま、そういうわけだな。
俺に残されたのはごくごく限られた短い時間。その間にまともに戦えるとまではいかないまでも、動いて逃げられるレベルにまで、システムを構築させることができるのか?
いや、考えている暇はもうない。ただ、全力を尽くすだけだ。無理ならきっと死ぬだけだ。
この機体の中に入ってわかったことだが、この機体はコックピットが角ばった楕円形になっていてシートが後部から生えてくるようになっていて、モニターが後方以外のほぼ全面にある構造になっている。
ハンドルグリップは左右一対、半球状の中に横向きに棒があり、90度縦に回転させることができ、奥と手前に押し引きがそれぞれできる。そして人差し指、中指のあたるところにはスイッチがある。親指のあたるところにはジョイスティックのようなものがついている。
足元のペダルは左右合わせて6つ、3対ある。
その他にシートの右側にキーボード、左側にタッチパネル式の画面が収納されていた。
俺は画面とキーボードをだし、システムの入力を開始する。
基本は前に作ったゲームの感覚でいい。あのゲームには現実の重力や空気の抵抗などの物理現象が設定されているかなり性能のいい物理エンジンを使っていた。だからそのさらに性能のいい、融通の利かない物理エンジン下でシステムのプログラミングをしていると考えればいい。
基本的な設計思想は内蔵されているハードがわかればだいたいできる。問題はそれだけではわからない部分。ある程度でいい、細かなところはゆっくりと作ればいい、今は必要最低限の部分を完成させる。
ハンドル、スイッチ、ジョイスティック、ペダル、それぞれに役割を振っていく。
その時上部の地上へのハッチが開き始める。
時間はない。