第二話
薄暗く広い空間。
工場施設のような空間にて、五十歳に差し掛かろうかという初老の男が、そこの中心に置かれている金属の塊を見つめていた。
「これが例の機体ですか?」
その後ろから女性特有の少し高めの声が響く。
「特務か、まだ乗れんぞ」
「知っています。ですが――」
女性は初老の男の横に並ぶ。その身長は初老の男の肩ほどで、顔だちは幼さが、わずかに残るが、すっきりとした造形で、大人びた雰囲気も併せ持っていた。
「どうしても見に来てしまうのです。まるで修学旅行に行くのが楽しみすぎて、前日の夜に何度も自分の荷物の中身を確認してしまうような、そんな気分なのです」
初老の男はその返答に、ふっと笑みを浮かべる。
その様子を見て女性は、怪訝そうな表情を浮かべる。
「何でしょうか?」
「いや、すまないな。つい。特務も年相応の感情があることに、少しほっとしてしまってな」
その答えに、女性の怪訝な表情はさらに深くなる。
「...もとを辿れば、私たちが特務に強要してきたことだが、それでも特務にはつらいことばかりさせてきたと思っている。願わくば、ただの少女として、人生を送ってほしかったと思わなくもない。しかし、現実は残酷だ。そんな中でも、特務はしっかりと成長してくれている。それが嬉しくてな」
初老の男はそう寂しそうに女性のことを慈しむように言った。
「一佐...私は悔やむことも、悩むことも、まして、憎むことや恨むことなんて一度もありません。一佐たちに育てていただいて、自分は幸せだと思っております。」
女性は初老の男に向き合いまっすぐと男の瞳を見て言う。
「そうか、なら、私も救われるよ」
「その言葉を聞けて、私も嬉しく思います」
二人はにこやかに笑みをかわす。
それは親子の団欒にしてはぎこちなく、ただの他人というには親しすぎる、暖かな雰囲気であった。
――しかし、それもおわりを告げる。地面を大きく揺さぶる振動によって。
「ん!これは!」
ドンという重い音が響き地面が揺れ、男は片膝をつき、女性は踏ん張って体勢を維持する。
「一佐!これは!」
「ああ、敵襲だ」
彼らの間に流れる時間は、世間一般的な日常から、彼らの日常へと姿を変える。
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「大佐。第四、第五小隊ともに配置につきました」
ホテルの一室。大きく開かれた窓の外を眺める髪をオールバックで纏めた男の後ろから眼鏡をかけた男が声をかける。
「うむ、では始めようか。堅田攻防戦を」
「明白了」
その返答は紛れもなく中国語のものであり、眼鏡の男が無線機で指示を出す言語もまた中国語であった。
これがのちの時代の教科書に掲載されることとなる『堅田攻防戦』である。
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「失礼しまーす」
空が茜色に染まり、影が伸びてその姿を薄くする。言うなれば、逢魔が時というやつだ。
「斎藤か、こっちにこい」
「はーい」
俺はこの学校を牛耳る権力者の巣窟、そう、《職員室》に呼び出されていた。
「なんで呼ばれたか、わかるか?」
「いえ、さっぱり。自分のような聖人君子のごとき優等生が、放課後に呼び出されるなんて。あ、もしかして、日ごろの行いの良さを褒めるためにですか?いやー、そんなことしていただくても先生方の感謝の気持ちは痛いほど自分の心に伝わっていますから、大丈夫ですよ?」
俺は心にもないようなことを満面の笑み(作り笑い)を浮かべて言う。
「斎藤、ちゃんとご飯は食べているのか?拾い食いはよくないぞ」
「先生は俺のこと、どう思ってるんすか?!」
まさかの体調不良のせいだと思われた。心外だ、三食きっちり飯は食っている。
「まぁ、冗談はお前の顔だけにしておいて」
「さらりと暴言!?」
俺は大げさにリアクションを取ってこの状況が何とかならないかと願う。
だが、実際のところ現実は残酷だ。
「本当はなんで呼ばれたか、わかっているんだろう?」
「んっ、ま、まぁ、それとなく」
「はぁ、お前は入学試験成績だけ見れば、この日本屈指の公立進学校内でも、五指に入る成績だ。その上、C言語、特にソフトプログラミングにおいては、同世代には並び立つ者がいないほどだ。だが、学校生活、授業の出席率、授業中の寝ている時間の長さ的にも、無視のできない」
俺はふと遠い目する。俺は昔、神童と呼ばれていた。今もその二つ名に恥じないくらいの成績を修めてはいるつもりだ。だが、年を重ね、多くのことを経験し多くの未知を既知に変えていくにつれて、どんどん、どんどん俺の探求心とか向上心とか好奇心は薄く、希薄になっていった。
正直、確かに苦手科目はあるけど、試験において誰かにそう易々と抜かれるほどではない。
しかし、もはや努力も何もない俺の成績なんて、そう遠くないうちに抜かれてしまうだろう。
それでも、俺はなにも感じない。
「お前はやればできる子なんだ。しっかり頑張れよ」
「はー――」
ドン。
大きな地響きとともに、凄まじい轟音が響きわたる。
今、まさに言おうとした言葉を飲み込み、今、起きたことを思考する。
今の音は恐らく爆発音、外のあれは煙か、それが数か所、しかもあの方角にこの距離から察するに工業エリアか。工業エリア、爆発、煙、複数の爆発の発生源。導き出される答えは、...大規模な事故?いや、ありえない、ここの工業エリアは基本的に精密機械を専門としているし、爆発は起きても工場のシステム的にこの規模にまで至るとは考えられない。だとすれば、故意による爆破、つまりテロ、もしくは敵国による侵攻か。どちらにしろ―――
「先生!生徒の避難を!」
俺は一瞬の思考を終えて反射的に叫ぶ。
俺は、この時まだわかっていなかった。この戦いがただのテロとか侵略とかじゃないことを。
「ああ、わかっている!」
俺にずっと説教していた先生も、一瞬の思考停止から復帰し、緊急用に職員室に取り付けられている放送マイクをつかむ。
『校内に残っている全生徒に告げる体育館に至急集まるように!』
緊急事態において学校では、一定の合言葉によって起きていることを伝えるシステムが一般的だ。たとえば、臨時の全校集会、どこどこの誰それが某をお呼びだとか、そういった方法があるのだが、この状況ではそれを使う場合ではない。緊急事態はすでに起きてしまっている、もはや一刻の猶予もない。
「お前も早く体育館に向かうぞ!」
「はい!」
俺は先生の指示に従い体育館へ向かう。
なぜ、体育館なのか。災害時にはよく多用される体育館ではあるが、それでは正直な話、爆撃などから中の人を助けることはできない。だが、こういった都市の体育館などの施設には、緊急事態のために設置が義務付けされているものがある。それは、都市に住む市民を守るための緊急避難地下シェルターへの地下道だ。これは日本の軍事強化の一環で作られたものであり、時と場合によっては、町も戦場になることを想定して作られたものである。その実は災害時の避難シェルターとなっているが。
俺たちは職員室にいた数人の先生と生徒を連れて体育館に向かうが、その途中でも断続的な爆発と銃声が響いていた。この時点で、もはや事故ではないことが証明されてしまった。
俺と先生が体育館に着いた時には、すでに何人かの生徒と先生がおり、不安で揺れる瞳を入ってきた俺たちに向けていた。
「残っているのはこれだけですか」
「そうだと思います。もし違っても、確認することはできませんが」
先生たちは合流して話をしているようだ。
それにしても、今回のテロ、もしくは侵略の目的は何なんだろう。確かにここは精密機械などの工業などが、そこそこ盛んだが、それ以外にこれと言って特徴はないのだが。
「仕方がない、もう行きましょう」
「しかし、まだ残っている生徒がいたら」
「ですが、ここにずっといても危険なだけでしょう?それより、今いるだけでもシェルター内に避難するべきかと」
「しかし――」
「ならば、誰かがここに残り、遅れて避難してきた生徒を避難シェルターに誘導をする、ということでいかがですか」
先生たちの会話が暗礁に乗り上げようとしていた時、妥協案を出す先生が出てきた。俺は正直悪手だと思った。そんな誰かを人身御供にするような案を出しても、実行できる人なんているはずもないのだから。
「そんな、危険すぎます。第一だれが残るっていうですか?」
それ、言わんこっちゃない。
「まぁ、言いだしっぺですからね。私が残りましょう」
そんなありえない提案をしたのは、歴史科日本史担当の前田先生だった。
「よろしいのですか?」
「まぁ、仕方がないでしょう。この緊急事態にあまり考えている時間もないことですし」
「...すみません。では、あとは頼みます」
「はい」
そして俺たちは前田先生を置いてシェルターへと続く地下道へと向かった。