身代わりヒロインってアリですか?
「……無理!」
流石の私も青ざめて後ろにあとじさった。
「無理。それは、ほんとに無理!」
「大丈夫よ。あんたと私ってもう瓜二つだし。私これでも学校ではちゃんと乙女だったのよ? 絶対いけるわ!」
「ごめんいくらお姉ちゃんの頼みでもそれは無理。大体今から特殊科に入ってやっていけると思えない!」
「あんたなら大丈夫よ! それに……それに、私ね……」
姉は私の耳に、こう囁いた。
「彼ともう、【ピーーーー(※放送できません)】までしちゃったんだもの!」
……どうしよう。
私、これからどうすれば良いのか全然わからない。
ええと、とりあえず落ち着こう、私。そして状況把握。
もう色々ありすぎて頭がパンクしそうだけど、とりあえず状況把握しないと。
「えっと。確か、一週間前、よね」
今から遡ることおよそ一週間前。
私は姉に連れまわされ、恐ろしいことに巻き込まれた。
「乙女ゲームにいけるのよ! これでイケメンに猛突進よ!」
……姉はよくわからない人だ。
私の双子であり、一卵性故に顔も容姿もそっくりなのだけど、性格は正反対だった。
姉はいろんなことに積極的な人だった。勉強……はともかく、スポーツや恋愛にとにかく純粋に熱中できる人。
それに比べ私は……特に、大したとりえもない女の子だった。
化粧もしないし姉と違って容姿に気を使う方でもないので、さして見栄えはしない。勉強も並ぐらいしかできないし、スポーツに至ってはクラス最低の運動神経を誇るほど酷い。
私を評価するなら、まさに中の下、と言ったところ。
そして性格は姉に比べるとネガティブで――まぁ姉がポジティブすぎるのかもしれないけど――小さいことでも結構気にしてしまう方。あと、こうだ!と言われると反論できないタイプ。
そんな私の性格が災いして。
私はとんでもないことに巻き込まれることになったのだ。
姉によると、彼女は一週間前「ウルトラハイパー超イケメンのピエロ」に街で出会ったらしい。まぁよく判らない表現で私は首をかしげていたけれど――
姉曰く「私はショタからおじさんまで守備範囲バリ広よ!」………………らしいので、よくわからないけどとりあえず逆ナンパをしに行ったという。
そのピエロが何故か…………「神様」だったのだと、姉は言った。
姉の話によると、ピエロは「姉の頼みごとをなんでも一つだけ叶えてあげる」と言ったらしい。「ただし願い事を増やすとか、自分で自分の願いを叶えられる魔法使いにして欲しい、などという類の願い事は禁止」という条件のもと、姉は考えた。「乙女ゲームのヒロインに転生したい!」と。
ピエロは何故かそれを快く受諾。
ただし、一つだけ条件があった。
「君を飛ばす予定の乙女ゲームの世界のヒロインは、双子設定。だから君の双子の妹を連れてきて欲しい。そして一緒に転生させてくれないか」
後からこの話を聞いた時、私はかなり姉に怒った。
何故姉に双子の妹がいることをその少年は知っていたのか。怪しいと思わなかったのか、と。
しかし姉は平然としたもので、「神様なんだから普通だわ」と開き直る。
まぁ、とりあえずそんなわけで。
姉はその日突然、私を夜の12時に叩き起こして外に連れ出した。そして寝ぼけ眼の私には理解できない所で姉と少年の話が進み――
私たちはいつのまにか、知らない場所にいた。
知らない部屋。
知らない景色。
知っているのは、姉妹であるお互いだけ。
そうして姉は言った。
「ここ、私知ってるような気がする」
後に思い出したらしい。ここは、姉が遊んだことのあるゲームの世界なのだと。
私は訳が分からず説明を求めた。すると出会ったピエロが神様云々と言う話を聞かされて、結果、私は姉の転生に巻き込まれたのだということを悟った。
私はよくわからないまま、仕方なくこの世界で生きていくことにした。
姉の言う「神様」を探して戻してもらうべきかとも思ったけど、私はそのピエロをいまいちよく覚えていない。直接会ったのは私がほぼ寝ぼけていたあの夜だけ。
だから、元の世界に戻ると言うのは諦めた。
そして、この世界で平凡な幸せを探そうと思った。
そうして、ヒロインの双子の妹――我侭で、主人公である姉をいつも煩わせるシスコン妹、と姉は言っていた――として生きていくことにした。
予定通り、私は普通科の高校へと入学、そして姉も予定通り、特殊科の学校へと、入学した。
そして彼女曰く、イケメンとやらに猛アタックした。しようとした。
しかしそこで。姉はこう思ったという。
「何か違う」と。
そして気付いたらしい。
「これは恋じゃない、憧れだったのね!」
そうこうするうち、何故か私の学校の人間に一目惚れをし。カップルとなり。
そして、私にこう提案してきた。
「ヒロインの役目を、代わって♪」と……
無理に決まっている。
いや、そもそも普通科の私が特殊科に今更入ってやっていける気がしない。
だというのに、姉は「大丈夫よ♪」という。
どこが大丈夫なのかサッパリわからないが、姉は大丈夫だと言う。
「貴方は乙女だもの♪」と。
やはりわからない。何故双子なのにこうも分かり合えないのだろう。心底不思議である。
そして、冒頭に至る。
「いやあのお姉ちゃん」
「いけるわ、ファイトよ! 世の中ね、根性あれば割と何でもできるもんよ?」
「そんなもっともらしく説教されても」
「別に、恋愛しなさいって強制しているわけじゃないわ。ノーマルエンドでもいいんだもの。ね」
「そこはあんまり考えてなかったって言うか、その。特殊科に今から入ってついていけるわけが……」
「根性よ根性。大丈夫、私が応援しているわ。じゃあ、頑張ってね!」
そういうと姉は上機嫌で私の部屋を出ていった。
青ざめた私を一人、部屋に残したまま――
「ど、――どうしよう」
とりあえず、対策は練るべきであろう。
何としても、特殊科に今から入るのはごめんこうむりたい。
ようやっと友人だってでき始めた所なのだ。
それなのに、今から転校? 無茶だ。
双子なだけあって、容姿は無意味に似ている姉。しかし私は化粧もしないし、姉のように明るい性格でもない。とかく色々無理がありすぎる。
「――明日は、いつもより早めに起きて、お姉ちゃんより先に家を出よう――」
そうすれば、制服やら教科書やらの一式を姉に奪われずにすむ。そうなれば問題はない筈だ。
そう思ってなかなか寝付けない夜を過ごしたのが、過ちだった。
「いっけない! いつもと同じ時間じゃない!」
私は予定より30分遅れて起きてしまった。慌てて飛び起き――
そして自分の部屋を認めた。
鞄、教科書、制服、一切合切が消え失せている。
「……」
いや、鞄がないわけではない。制服も、教科書も、厳密に言えばこれみよがしな程ベッドの脇に置かれている。だから、鞄やら教科書やらが、ないわけではない。
ただし、見覚えがない、という装飾語が引っ付く。
「……」
これは、どうすべきなのだ。
勿論、状況くらいはわかっている。というか、この状況が理解できないほど馬鹿なつもりはない。当然、姉が私の鞄やら何やらを一切合切持ち出したのであろう。
私の学校に行くため――というか、恋人に会いにいくために。
「……」
いい。姉はそれでいい。
だが、私は?
今更この状況でどうしろというのか!
「え、あの、えっと」
何度か口をぱくぱく動かすが、当然それで状況が改善される訳もなく。
私は顔から枕に突っ伏した。
「……」
これは、学校に行くべきなのでしょうか。
正直行きたくはない。でも。
行かなかったらどうなる?
……何となく、予想はつく。
姉は、家に帰ってこないことがたまにある。
今この状況でそれをされたらつまり、私の持ち物は姉の手元へお出かけ中、ということで。つまるところ戻ってくる訳もなくて。
「……と、いうことは」
今日、明日。1日2日、学校を休んだところで、さしたる影響はないかも知れない。
だが、姉を待ち続けて1週間だの2週間だの家に閉じこもっていれば、当然学校は不審がる。そうして教師が家に訪ねてきた、とかならまだいいのだが、「退学。さよなら~」ということになれば、おそらく私の居場所はなくなる。そうなれば「特殊かなんて今更無理!」などと呑気なことも言っていられなくなる。
「……きょ、今日のところは、行くだけ行ってみよう。お姉ちゃんが帰ってきてから、怒っておこう……」
そう決めた私は、のろのろと姉の制服に着替え始めたのだった――
「おっはよー!!」
学校へとてくてく歩いている途中、威勢のいい挨拶を後ろからかけられて思いきり肩が跳ねた。
「お、おはよう?」
私がぎこちなく笑いつつ振り返ると、 その人はにこっと微笑んだ。
綺麗な肩まで伸ばされた黒髪に、大きな黒の双眸。溌剌とした光を秘めたそれは、その人が大変明るい性格をしていることを如実に物語っていた。
(お姉ちゃんの、……友達、だよね?)
可愛らしい容姿のその少女は、私の隣に並ぶと、「一緒に行こ」と言う。
(……助かった、かも)
学校の位置は、有名な私立学園だけあって私も知っていた。というか、私が通うべき学校でも噂の、お嬢様学校なのだ。この辺で知らない人はいないらしい。
けれど姉の学校はわかっても、その学校の中のどこにあるクラスの生徒なのか、私は知らない。たとえクラスを知っていても教室の場所を知らない私には、自席に着くことすら難しい。けれどこの少女がこの一週間という短い期間に知り合った姉の友人だというのなら、同級の友人である可能性が高い。
友人と出会うということは、おかしな言動をしてボロを出す危険性も孕む一方、姉の生活の一端を知る貴重な情報を引き出す鍵にもなる出来事なのだった。
「あれ、あんた、スカートの丈、伸ばしたわけ?」
友人であろう少女がそう聞いてくるので、私は顔を引きつらせた。
スカートの丈、ということは、当然この制服のスカートの丈だろう。
……確かに姉ならスカートの丈などいくらでも短くしそうだが。だが。
(……これ、最初から結構短めなんだけど……!?)
膝上何センチ、というレベルではない。太ももが半分見えているような、そんな丈だ。デフォルトで。
(これから更に上に上げるって……、そ、そんなことできない!)
やらなければ不審なのだとしても、羞恥心が勝る。無理だ。私には不可能だ。
「え、ええと……きょ、今日の気分なの」
「そうなの? ま、あの高さは結構やばいレベルだからねー。「それがいいんじゃない!」とかあんた言ってたけど」
お姉ちゃん凄すぎます。
「ま、それなら……」
と、少女が何か言いかけたところで。
「おいお前」
目の前から、今度は不機嫌そうな声をかけられた。
思わず隣の友人の背中に隠れそうになりながら恐る恐る前を見てみると。
「あら、風紀? 今日も仕事? 熱心ね」
友人と思しき少女が感心している。どういうことだ。
改めて辺りを見回してみると、どうやらいつのまにか学校についていたらしい。つまり現在地、正門前。
そこで、私の前に、なぜか私の前だけに、2人の男子生徒が立ちはだかっていたのだった。
「……お、おはようございます。ええと、どちらさま?」
私がなるべく礼儀正しく尋ねてみると、二人の男子のうち一人の目が三角につり上がった。
「あぁ? お前な、とぼけてるんじゃねぇよ。スカート丈と、爪と、髪と化粧」
「丈……爪……化粧?」
意味が分からず瞬きを繰り返してから首をかしげると、
「おい、聞いてんのか? おい」
青年は不機嫌そうに言ってからふっと私の髪に目を止めて、眉を潜めた。
「あ? 髪を黒に染めたのか?」
「え、そ、染めてないですけど」
私が困惑気味に返すと、今まで黙っていた、中性的な顔立ちの青年が微笑んでこう言った。
「おや、ようやくわかってくれたのですか? ではその爪もスカート丈も、すっぴんの顔も、きちんと学生の本分を思い出した証拠だと思って良いのですね」
にっこりと、大変綺麗に微笑む青年。しかしそれはどこか薄ら寒く、「NO」とは断固として言わせない雰囲気だった。
「……は、はい」
怯えて体が硬直してしまいそうな中辛うじて頷くと、青年は優しく頷いた。優しい、優しいはずなのだが、やはり恐ろしい。隣にいる口の悪い青年の方がよほど優しげに見えてしまう。不思議だ。
「……あいも変わらずおっかねぇな」
「何か言いましたか?」
「…………。言ってねぇよ」
青年の言葉に満足したのか、敬語の青年は私に再び向き直って「あぁ、それから」と付け足すように声をかけてきた。
「は、はい」
「例の件ですが。ようやく片付きましたので、そこの彼女とあなたが同室です。まぁ最初からそのつもりだったでしょう? 明日の夜までに荷物をどうにかしておいてください」
告げられた内容が、ひとつも理解できなかったのは理解して欲しい。例の件、とは一体何の話なのだろう?
「あの……意味が、全くわからないんですが」
「おや、意味がわからない? 楽しい冗談はそのくらいにしてくださいね」
「おいおい、一応説明くらいしてやれよ。寮の話だ、寮の」
口の悪い方の青年が助け舟を出してくれたが、私の頭はやはり理解が追いつかない。
「……寮?」
「そうだ。……なんだ、寝ぼけてるのか?」
「えっ、ね、寝ぼけてません!」
「あっそ、ならいいけど。お前、あんだけ寮に入るのを嫌がってたからてっきりギャーギャー騒ぐもんだと思ってたぜ」
そう言うと、「おい、委員長、戻るぞ」と中性的な敬語青年の肩を叩く。
「あなたに言われずとも戻ります。では、今後もその心構えで学業に励んでくださいね」
委員長、と呼ばれた青年は私にそう笑いかけると、口の悪い青年と共に学園の方へと一足先に入っていってしまった。
「……えと」
呆然と立ち尽くしていると、「ちょっと」と友人と思しき少女が顔を覗き込んできた。
「大丈夫? 災難だったね」
「そ、そう……だね」
「あんたが化粧もしてこないとか、髪が真っ黒とかびっくりしたけど、この関門を予想してたわけ? さすがねぇ」
まぁあんたにはいつものことか、と彼女はカラカラと笑う。
いえ全く。想像だにしていませんでした。
(だってお姉ちゃん……学校では乙女だったとか言ってたし、……てっきり私、ほんとに、普通の生活をしているものだと……)
何が乙女だ。こんなの乙女のおの字もない。いっぱしの不良ではないか。
状況を察するに彼らはおそらく風紀委員で……とんでもないはみ出しものの姉を叱りに来たところだったのだろう。私がこんな平々凡々の女子高生の格好できたことで、彼らは思いっきり肩透かしを食らったはず。
「あ、ほらほらこんなところで道草食ってたら遅刻しちゃうわ。行こ行こっ」
友人と思しき少女は私の腕を掴むと、そのまま校舎へと駆けていった。
とりあえず、なんとかクラスにはたどり着いた。自席も確認できた。そして友人と思しき少女の名前も把握できた。出席番号順の席というのは素敵だ。
それはともかく、クラスメイトたちの態度から察するにどうも姉はこのクラスのムードメーカー的存在であったらしい。やはり姉のような性格の人間は、入学後わずか一週間だというのに当たり前のように人と打ち解けることができるのか。人見知りで人と話すことが不得手な私にはあの性格はやや羨ましい。
とはいえ、羨ましい、と呑気なことも言っていられないこの状況。そのムードメーカーを私が突然肩代わりできるはずもない。というわけで、当面の間は風邪だから不調ということにしておいた。姉が戻るまでこうしていよう。わざとらしく咳を一つ二つしてみせると、皆納得してくれた。「お大事にね」と言ってくれる。知らない人間ばかりとは言え、優しい性格のクラスメイトたちが多いようで良かった。何にせよ、「なんか大人しいね?」と言われたら風邪でシラを切ろう。
教科書や体育着など、必要物品の類はほぼ学校に置いてあった。家にあった教科書ではどう考えても足りないと不安を抱いていたので、机の中に若干汚れた教科書を見つけたときは少しホッとした。まぁその後すぐに落書きだらけの中身を見て頭が痛くなったのだけれど。
「……ようやっと昼休みか……」
怒涛のような午前を終えると、私は椅子の背もたれに寄りかかってため息をついた。
「ねぇ! 一緒にご飯食べよ」
数人の女子が私のもとにやってきて笑いかけてくれた。
うん、と頷きかけて、私は彼女たちと自然に話すことができるかどうかが大変疑問であることを思い出す。
彼女たちが姉の友人であることはきっと間違いない。とても好感を持てる態度だし、自然だ。きっと姉は彼女たちと共に楽しく昼食をとっていたのだろう。ここで私が頷くのはきっと当たり前の流れのはず。
けれど私は姉ではない。似ているのは容姿だけで、性格も、趣味も、何もかもが異なる。少しでも長く会話をすればどう考えても不審がられるのは明白だった。
それに。
それに、私はまだこの学園内を把握できていない。
先ほど「購買に行こう」と教室を出ていった少女たちを目にした。
ここは私も彼女たちの後をつけて購買に行き、昼食を確保してから学園内をぐるりと回って中の様子を把握しておくべきだろう。
「ごめん、今日はあんまり体調が良くないからひとりで食べるよ。咳でみんなに風邪をうつしても良くないし」
「そう……? わかった。でも寂しかったら、いつでも来ていいからね?」
「そうそ、泣いちゃっても知らないんだからぁ」
あはは、と笑い合う友人たちはとても和やかな雰囲気で、私はうかつにも、その雰囲気を心地いいと少し感じてしまったのだった。
「よし、あんぱんゲット。どっか食べるとこはないかな……」
購買に向かうと思しき人の後を何気なくつけていくと、無事購買にたどり着くことができた。適当なパンを一つ買い、ついでにマスクを1枚購入して着用した。一応、私は風邪引きのはずなのでその格好はとっておいたほうが良かろうという考えからである。
財布をポケットに入れ、人のいない場所を探して歩き始めた、その時である。
「おい」
後ろから突然声をかけられた。それも大変聞き覚えのある声だ。なんだろう、大変嫌な予感がする。
「おい。お前だよ、お前。聞こえてるんだろ」
コツコツという足音は明らかに私へ向かってきている。つまり声の主は私に用があるということだ。おずおずと後ろを振り返ると、予想通りの人物がそこにいた。
つまりは、今朝方私を校門で呼び止めた風紀委員の……口の悪い方だった。明らかに不機嫌な顔をしていた。
「あ、……えっと、どうも」
「どうも、じゃねぇ。お前、反省文はどうした」
「はん……え?」
「あぁ?」
「ご、ごめんなさい、何の話ですか?」
「ああ? とぼけるんじゃねぇ、反省文だ、反省文。忘れたとは言わせねえぞ。4回もすっぽかしやがって」
忘れているのではない。そもそも知らない。なんの話なのか、それは。
「ええと、そ、そんなに大事なものなんですか?」
「大事かどうかはあのすまし顔に聞けよ。なんにせよ規則は規則だ。お前がすっぽかし続けてると示しがつかねえんだよ」
すまし顔とは、今朝のあの、中性的な怖い青年のことだろうか。
とりあえずなんのことやらさっぱり読めない。
「すみません、なんの反省文ですか?」
「はあ? お前、いい加減寝ぼけるのも大概にしろよ。風紀を乱したことに対する反省文だ」
「ええと。何枚書かなきゃいけないんでしょうか」
「1回につき2枚以上だから、既に4回溜めてるお前は8枚だな」
なぜ姉のとばっちりが私に来るのだろう。まぁ、今に始まったことではないのだが……
「えと……期限はいつですか?」
「毎回翌日までの提出と決められてるだろうが。どこまで寝ぼけてるんだよ。いい加減にしろよ、お前」
相当苛立っているのか、青年は眉を吊り上げて私にそう言ってきた。
これは……わかりませんごめんなさい、で済む状況ではなさそうだ。彼の言う通り反省文を8枚書いたほうが賢明だろう。理不尽だとは思うが、こんなところであまり騒ぎを起こすわけにもいかない。
「えっと……わ、わかりました」
「あ?」
「遅れて、本当にごめんなさい。8枚、でしたよね。明日、提出します」
私がそう言うと、青年は目を見開いてからそっぽを向いた。
「……さ、最初からそうして素直でいりゃいいものをよ……」
「え?」
「っ何でもねぇ。……あぁ、お前は今日荷物まとめるんだろ。提出は明後日でいい」
幾分か声音が柔らかくなった青年を不思議に思いつつ、私は「荷物」という言葉に反応した。
「荷物……寮の荷物ですか?」
「あぁ、そうだ。――昼食の邪魔をして悪かったな。そんじゃ」
青年はフラフラと手を振ると、そのままどこかへ行ってしまう。
「……ええと、ごはんごはん」
私は気を取り直し、昼食を取れそうな場所を再び探し始めたのだった。
そうしてたどり着いたのが。
「ここ……温室……かな?」
流石は私立、と感心すればよいのだろうか。とんでもなく立派な温室に迷い込んだ私は人気がないのを確認すると、その場に座り込んだ。
「……ここであんぱん食べたら怒られるかな……」
「ここはあまり人が来ないから、怒られたりはしないんじゃないかな?」
思わず背後を振り返った。
「あ、あなた」
「こんにちは、お嬢さん。ここに誰かが来るのは珍しいな」
そこにいたのは、現実離れした容姿の青年だった。
年の頃は恐らく20代半ば、といったところだろう。落ち着いた物腰や柔らかな声音は優しげだ。制服を着ていないから生徒ではないはず。
いや、そんなことはどうでも良い。問題は。
「か、髪の色……」
「ん? あぁ、これ? ふふ、人間にはちょっと珍しい色かもね」
と青年は自分の髪を掬って笑った。
掬った髪を少しだけ見つめてからそのまま払う。ふぁさ、と跳ね上がった髪は――温室のガラス窓から差し込む陽の光に照らされて銀に輝いた。
「あなた、誰ですか? せ、先生とか」
「不正解。教師でもなかなかこの温室には来ない」
「えっ、ここ立ち入り禁止区域なんですか?」
「一応。でも結構簡単に侵入できちゃうでしょ? ――そんなに怯えなくても、お叱りを受けるほどのことじゃないよきっと」
銀の髪の青年は微笑む。しかし私はそれどころではない。立ち入り禁止区域に踏み込むなど、何を考えているのだ。冗談ではない。いくら教師がなかなか来ない場所であっても、見つかる可能性は十二分にある。一刻も早くここから出るべきだろう。
そこまで考えると、私はアンパンを持って立ち上がろうとした。ところが何故か動けない。何かと思って足を見てみると、何かの蔦か蔓のようなものが私の足を絡め取っていた。
「な、何これ?」
「せっかく来たのに、もう帰ってしまうなんて、つれないお嬢さんだね」
青年は微笑んで私の髪をひと房手に取る。
「わたしはとても退屈なんだ。せっかくのお客に何のもてなしをしないなど、あまりにつまらない。少し付き合ってくれないかな」
そう言うと、私の髪に一つ、口づけを落とした。そして、澄んだ浅い海のような、あまりに綺麗すぎる蒼の双眸で私を見つめる。
「でも、ここは立ち入り禁止区域なんでしょう?」
「それは、そうだけれど。けれど、それではわたしがつまらないだろう。ね、少しだけだから」
青年は私の両肩に手を添え、微笑みかけてくる。そして近くの木にそっと触れると、「おいで」と小さく呟いた。
一瞬私に向けられた言葉であるのかと思ったが、すぐにそれは違うと知れる。温室のいたるところが輝き出したからだ。
「何これ……」
「さぁ」
青年は微笑んだ。そして手を差し伸べてくる。
「宴を、始めようか」
お嬢さん、と刻むその唇は、さまがら歌を口ずさむかのように優雅に動き、弧を描いたのだった。
そこは様々な科が集まる、ここ周辺一番の私立学校。
そんな中で私が入っていた科は「看護科」だった。
物置に行けばふわふわとした白いものが飛び出し。駅のホームでは倒れた人を介抱し。
私は、私が想像していたよりずっと充実した日々を送っていた。そして、とても楽しんでいた。楽しいことばかりで、私がここにいる意味すら忘れてしまっていた。
そう、石が転がり出すあの日までは。
「あなたには警戒心というものが無さ過ぎる――」
「おい、何やってんだよ! 死ぬ気かテメェは!!」
「泣かないで。僕が側にいるよ」
「人が死ぬ。それで、どうして泣くんだ。――俺にはわからない」
「あなたは優しい。だからきっと、そんな風に傷ついてしまうんだね」
「――世界は、とても残酷だ。だからこそ、とても興味深い。さぁ、君の答えを聞かせて――?」
現実と嘘が重なる世界で、私が選んだ道は――
「――受け入れるよ。私はこの世界で、生きていく」
今、生と死に寄り添う壮絶な物語が、幕を開ける――
すみません。
いやあの。
はじめましての方はスルーしてください。意味がわからないはずですので。
ですが、ままてんを待ってくださっている方には、全力でお詫びしたい。
普通に、間に合いませんでした。
今日、今日ままてんが上がるはずだったのに……!
なんというか、多分読者様は「?」って内容だと思うんですけど、次話は結構気を使って書かなければいけない仕上がりになってしまって。まぁとどのつまり遅れています。すみません。
だけどチラ見せだけしておきましょう!!
ままてん次回予告!!
「っわぁ!?」
「うわ、真っ赤。何、犯人はリリツァスなわけ? 何やったの?」
「っな、なな、何もしていません! ひくち! へくち!」
「いくらなんでも動揺しすぎじゃない?」
ユンファスは呆れたように言うと、自席についた。
「で、何したの」
「……うう」
頑として口を割らないリリツァスに、ユンファスはしびれを切らしたのか、
「言わないと胡椒を頭からぶっかけてあげるけど?」
「い、言います! 言います!! 俺がっ、姫の――」
はい、続きは次話のお楽しみということで。
にしても、来週は予定が立て込んでいて更新できないんじゃないかなぁ……が、頑張りましょう。
えー、ではでは以上、ややテンパリ気味の天音でした!




