殺人鬼未満
コロシヤンラプソディー四話目。今回はバトルはありません。
時雨の友人の甥っ子は殺人者なのか…。
『コロシヤンラプソディー~殺人鬼未満~』
「明日は私が朝食の用意をするよ」
と、紗々が言ったのを素直に受け止めたことを、時雨は後悔していた。
「はい、時雨さんの分」
ダイニングテーブルに置かれたのは、スーパーなどに売っている菓子パンだ。パッケージには紗々の枕元に置いてあるぬいぐるみと同じキャラクター、ピカニャンが鎮座している。
「あの……」
「おいしいよ、ピカニャンチョコパン」
紗々はそう言って自分の菓子パンに口を付ける。
「いや、それはいいんですけどね。何でこれ、既に開封したものをセロテープで留めてあるんですか?」
そう、菓子パンのパッケージには一度開けた痕跡があった。
紗々は「ああ」と声を上げると、テーブルに二枚のシールを置いた。一枚はピカニャン、もう一枚の方は時雨が初めて見る熊のようなキャラクターだ。
「ポケッチシールが入っててさ。昨日の夜気になって一回開けたの。欲しいのはピカニャンだけだから、クマゴローは時雨さんにあげるよ」
差し出されたシールをとりあえず受け取る時雨。
「貴女はいくつですか。よく知りませんが、これって子供向けアニメのキャラクターでしょう?」
そう言って、あまり可愛いとは言えないクマゴローのシールを見つめる。
「甘い、甘いよ時雨さん」
紗々は食べ終えたパンの袋を指差した。
「ポケッチはアニメもやってるけど元はゲーム。確かに子供向けとして発売されたけど、戦略性があるから大人もハマってる。モンスターは動物型、ドラゴン型だけじゃなく美少女型から美少年型まで幅広くて、大きなお友達も大喜びしているという名作だよ」
「はあ……」
紗々が熱弁を振るっても、時雨にはどうもピンとこない。
「でも、ゲームは子供がやるものというイメージがあります」
「頭固いなー。まあいいや、とにかくピカニャンのシールが当たったわけだし」
「いや、良くないです」
時雨は溜め息をついた。
「封の仕方が甘いから湿気てますよ、このパン」
文句は言うものの食べ物を粗末にしたくはないので、時雨は渋々それを胃に収める。
「あー、ごめんごめん。お詫びにこれあげるよ」
差し出されたのは同じく一度開封されたと見えるスナック菓子だ。これもパッケージにピカニャンが居座っている。
「開けたのいつです?」
「三日前」
「確実に湿ってますね、それ」
食べずとも分かった。
「我慢してよ。これ、まだ三袋あるんだから」
紗々はへらへらと笑いながらスナックの袋を時雨に押し付ける。
「朝からスナック菓子はちょっと。――仕方ないですね、後でいただきますよ、もったいないし」
「ポケッチジュースもあるよ」
「貴女、どれだけポケッチに踊らされる気ですか」
「私はピカニャンになら貢ぐ」
「その金はピカニャンじゃなく製作者の懐に入っていますよ」
時雨は溜め息をついた。
――日曜だというのに、朝から散々ですね……。
そんな時、電話が鳴った。
時雨は立ち上がり、棚に置いている子機を耳に当てた。
「もしもし」
『あ、時雨? 久しぶり!』
明るく響く若々しい声。
「ひょっとして、美恵ですか?」
時雨の声も明るく弾む。
平井美恵――時雨の高校時代の友人だ。卒業してからも手紙や電話で連絡は取っていたものの、お互い就職してからは疎遠になっていた。
『そうそう、元気?』
「ええ、元気ですよ。美恵も元気そうですね」
『ええ、まあね……』
そう答える美恵の声に少し暗いものが混じり、時雨は首を傾げた。
「どうかしたんですか? 健康上の問題ならうちの病院に……」
『あ、そんなんじゃないの! 実は先日兄夫婦が亡くなって……』
「おや、それは……」
美恵の兄、恵太には時雨も会ったことがある。確か美恵とは五歳違いで、美恵だけではなく時雨にも優しくしてくれた。
『あ、でもね、今悩んでるのはそのことじゃないの。電話では話しにくいことで』
「良かったら会いませんか? そちらまで行きますよ」
『ほんと? じゃあいつがいいかしら。今日のお昼とか暇だったりする?』
「暇です。じゃあお昼にでも伺います」
『嬉しいわ、ありがとう!』
それで時雨はあることを思い付いた。
「心理学者は役に立ちそうですか?」
『え?』
「知り合いにいるんです。役に立ちそうなら連れて行きますよ」
『じゃあお願いしようかしら。――ひょっとして、彼氏?』
美恵の言葉に時雨は肩を落とした。
「女です。あくまで知り合いですし」
『そっかー、相変わらず男っ気ないわね、時雨は』
「大きなお世話ですよ」
時雨が会いに来ることになって安心したのか、美恵の声のトーンは明るいものになっていた。
「では、十二時頃に伺いますから」
『ええ、楽しみにしてるわ』
時雨が電話を置いて振り返ると、紗々が興味津々といった様子でこちらを見ていた。
「知り合いの心理学者ってのは私のことかい?」
「ええ、どうせ暇でしょう?」
「まあねー。友達?」
「はい、高校時代の」
「君にも友達いたんだね。なんか意外かも」
「失礼ですね。貴女こそ友達いるんですか?」
「人留君」
しれっと言い放つ紗々に、時雨は絶句した。
十一時を過ぎた頃、時雨は助手席に紗々を乗せて出発した。
年賀状に書いてあった住所なら、一時間もかからないだろう。美恵は最近できたマンションで一人暮らしをしているらしい。
「晴ヶ丘でしたね」
「ああ、新興住宅地の」
「ええ」
「緑が多くて子供がのびのび育つってのが売りらしいね」
「子供、ですか……」
――ご近所トラブルとかでしょうか。お隣の子供の声がうるさい、とか……。
自分たちで役に立てればいいのだが、と思いながら時雨はハンドルを切った。
美恵の住んでいるマンションは確かに新しく、洒落た外観をしていた。
二人は彼女の部屋、302号室のベルを押そうとしたが、その前にドアが開いた。
「じゃあ行ってくるね!」
出てきたのは十歳ぐらいの利発そうな少年だ。
彼は時雨と紗々に気づくと、
「こんにちは」
と笑顔でお辞儀をし、駆けていった。
「あ、時雨? どうぞどうぞ、入って」
その後に続いて美恵がやってくるが、時雨はぽかんとしている。
「どうしたの?」
「今の子、まさか……」
「違うわよー、あの子は兄の子」
「ああ、なるほど」
合点がいった時雨は、思い出したように紗々を手で示した。
「この人が知り合いの心理学者です」
「絆紗々、よろしくね」
「紗々さんですね、よろしくお願いします。さ、どうぞ」
二人は美恵が出したスリッパを履くと、リビングに通された。
時雨のマンションよりは少し狭いが、小ざっぱりとしていていい部屋だ。どうやら問題は経済状況ではないようで、時雨は少しほっとした。
「お昼はパスタを作ったの、お口に合うといいんだけど」
「ありがとうございます」
時雨と紗々がダイニングテーブルにつくと、美恵がキッチンから皿を運んでくる。
時雨の向かい側に美恵が座ると、三人はパスタを食べ始めた。
「おいしいですね。後でレシピを教えてください」
「やあねえ、レシピなんて大げさなもんじゃないわよ。雑誌に載ってたの」
柔らかそうな茶色の髪を揺らして明るく笑う美恵は、高校時代からあまり変わっていない。
「今はデザイン系のお仕事でしたっけ?」
「ええ、家でも会社でも仕事三昧よ。時雨はお医者様でしょ? やっぱり高給?」
「勤務医はそうでもないですよ」
時雨は苦笑した。
「紗々さんは心理学者なんですよね? 大学にお勤めなんですか?」
美恵に話を振られ、紗々は笑顔で頷いた。
「うん、でも今は休職中」
「あら、そうなんですね」
「ちょっと自分探しがしたくてね」
冗談めかしてそう言った紗々を、時雨はちらりと見た。
――それは初めて聞く話ですね。
「自分探しですか、私もしたいわ!」
美恵はそう言って笑った。
食事が終わると、美恵が淹れた紅茶を飲みながら本題に入ることになった。
「何から話せばいいかしら……。とりあえず、一ヶ月前に兄夫婦が車の事故で亡くなったの」
美恵は暗い面持ちで口を開いた。
「それで、最初はうちの両親があの子――圭助を預かるはずだったんだけど、母が転んで骨折しちゃって、入院してる間私が預かることになったのよ」
「そうでしたか。お母さんの骨折は酷いんですか?」
「ううん、酷いってほどじゃないわ。でもまあ年だし、あんまり治りは早くないみたい。まあ、それはいいの、圭助もいい子だし。ただ……」
美恵は言い淀んだ。だが、決心したように言葉を続ける。
「私、あの子が怖いの」
数日前の夕方、家での仕事をしていた美恵を訪れる者があった。
「ああ、いらっしゃい。どうしたの?」
「丁度外回りでこの近くに来たものだからね」
「ふふ、嬉しいわ、入って」
スーツが似合う爽やかな男の名は鈴村雪斗、美恵の恋人だ。
知り合ったのは合コンという場だったが、もう三年の付き合いになりお互い結婚も意識する仲だった。
鈴村をリビングに招き入れると、テレビを見ていた圭助がこちらを向いた。
「圭助、この人はお姉ちゃんのお友達の鈴村さん」
「ああ、君が圭助君か。よろしく」
鈴村にも圭助のことは話していたが、会うのは初めてだった。
「こんにちは」
圭助は立ち上がってきちんとお辞儀をする。
「お茶を淹れてくるわね」
鈴村がソファに座ると、美恵はダイニングキッチンに向かった。
「圭助君は何を見てたんだい?」
「ポケッチのアニメだよ」
鈴村は子供が好きで、圭助とも親しげに話している。
「そうか、今流行ってるらしいね」
「うん!」
圭助が元気良く返事をするのを見て、美恵は微笑ましく思った。
「あ、友達が読みたいって言ってた漫画を持ってきてくれたらしいから、ちょっとそこまで行ってくるね」
圭助はキッズ携帯を見ると、嬉しそうに顔を上げた。
「うちに上がってもらわなくていいの?」
「うん、急いでるらしいから」
そう言って駆け出したが、圭助はソファの横に置いていた鈴村の鞄をうっかり蹴飛ばしてしまう。
「あ、ごめんなさい!」
散らばった中身を慌てて拾いながら謝る圭助。
「いいよ、気にしないで」
「ありがとう、じゃあ行ってきます!」
その背中を見送ると、鈴村は笑った。
「元気だし、いい子だね」
「そうなのよ。兄さんたちが亡くなってすぐは塞ぎ込んでたけど、大分元気になって」
「そうか、つらいことだけど、忘れていくのが一番かもしれないな」
「ええ……」
本当に、両親が亡くなってすぐの頃は見ているのもつらくなるほど悲しんでいたものだ。鈴村の言う通り、少しずつ忘れていくのがいいのだろう。
「本当はね、ずっと私が預かっていたほうがいいんじゃないかって思う時があるの」
「どうして?」
「父さんと母さんの家なら一人で留守番なんてしなくていいけど、学校も変わらなきゃいけないから。友達が多いみたいだし、心配なのよ」
「そうか、確かに子供にとって学校や友達は重要だもんな」
美恵は義姉とも仲が良かった。だからこそ、圭助にはできるだけ良くしてあげたいと思っている。
だがその一方で、鈴村と早く結婚したいという気持ちもあった。結婚したら自分たちにも子供が生まれるだろう。そうなった時、圭助にも平等の愛情を注ぐことができるだろうか、と自問する。
何より、それが鈴村にとって良い選択とは思えない。
「難しい問題だな。僕もいっしょに考えるから一人で悩まないでくれよ」
「ええ、ありがとう」
そう言った時、がチャリとドアが開いて、「ただいま!」と圭助の声がした。
「あ、お帰りなさい!」
二人は慌ててその話をやめた。
「そうだ。これ、駐車場に落ちてたんだけど鈴村さんのじゃない?」
圭助が差し出したのは車のキーだ。
「ああ、僕のだ、ありがとう」
鈴村は頭を掻きながら受け取った。
このマンションには来客用の駐車場がある。そこで拾ったのだろう。
「じゃあ、僕はそろそろ会社に戻るよ」
「はーい、また連絡ちょうだいね」
「ああ」
その夜だった。鈴村から電話があった。
「もしもし、どうしたの?」
『いや、大したことじゃないんだけどね』
鈴村の声は浮かない。
「何かあったの?」
『帰りに事故を起こしかけた』
「ええ! 大したことじゃない!」
美恵は思わず大声を上げた。
『ブレーキペダルに空き缶が挟まってて、危うくガードレールにぶつかるところだった、なんとか回避したけど』
「それなら良かった。気を付けなきゃ駄目よ、缶はちゃんと捨てなきゃ」
「ああ……。いや、僕はオレンジジュースなんて飲んでないんだけどなあ」
「え?」
『いや、でも同僚を乗せた時にそいつが飲んで忘れていったのかもしれない。驚かせて悪かったね』
「いえ、いいのよ。でも心配だわ」
『大丈夫だよ、なんともなかったんだから』
鈴村は笑って電話を切った。
だが、美恵は笑い飛ばすことができなかった。
「どうしたの?」
圭助の声に、美恵はビクリと振り返った。
「う、ううん、何でもないのよ」
「そっか。僕、お風呂にも入ったしもう寝るね」
パジャマ姿の彼はそう言って欠伸をした。
「どうしたの?」
美恵に見つめられた圭助は首を傾げる。
「ああ、ごめんなさい。何でもないわ」
――この子が……、まさかね……。
先程、美恵は洗濯機に入れたばかりなのだ。オレンジジュースの染みが付いた圭助のTシャツを。
「ということがあったのよ……」
美恵がカップを持つ手は小さく震えている。
「それは……」
時雨はどう答えていいものか迷った。
――確かに、圭助君がやったような状況ですが……。
「でも、彼はまだ小学生でしょう? そんなことをするはずが……、ねえ、紗々さん?」
「いや、条件さえ揃えば誰だって殺人者になり得るよ」
紗々の言葉は容赦がなかった。
「でも、美恵さんの心配事はまだある。だよね?」
紗々に見つめられた美恵はハッとした様子でカップを置いた。
「実は……、兄夫婦の事故も、あの子がやったんじゃないかと思ってしまって……」
「圭助君が、自分の両親をですか?」
時雨は「まさかそんな」と続けたが、美恵は首を横に振る。
「兄が運転していた車はブレーキが効かなくて、海に落ちたの。私、偶然とは思えなくて……。でも、そうよね、あんな子供が両親を殺すなんてあるわけないわよね」
美恵は自分に言い聞かせるようにまくし立てたが、不安は拭い切れないようだった。
「否定しようとしてもその考えが頭を離れなくて、うまくあの子と目が合わせられないの。私、どうしたらいいのかしら……」
「そう、ですね……」
時雨は想像もしていなかった悩みに頭を抱えてしまう。
友人のために何かしたいが、自分にできることは何があるだろうか。
先程見た圭助の様子を思い出すが、無邪気そうでとてもそんなことをするようには思えない。
だが、そんな言葉では役に立たないのだろう。
自宅に帰ってきた時雨は溜め息をついた。
「美恵さんのことが気になるの?」
紗々に尋ねられ、時雨は頷く。
「ええ、結局役に立てませんでしたし」
「ま、話しただけですっきりすることもあるけどね」
「でも、あの場合は……」
問題を根本から解決しない限り、美恵はずっと甥を疑って生きなければならないだろう。そんなのはつら過ぎる。
「私にできることは、何かないでしょうか」
「随分拘るね。君はもう少しドライなタイプかと思ってたよ」
「友人を心配する気持ちぐらいはありますよ、私にだって」
「そっか。どういう結果になるかは分からないけど、人留君に調べてもらおうか?」
「え?」
「圭助君の両親の事故のこと」
「いいんですか?」
「うん、多分このまま放っておいたら、彼は殺人鬼になってしまうかも」
その言葉に、時雨はハッとする。
「そう、ですね……。美恵の心配が当たっていれば、彼は殺人者ということになるんですね」
そう考えると、複雑だった。
もし、人留が調べて事故ではなかったら……。
「酷なことになっても、放ってはおけません」
時雨は頷いた。
「じゃあ、人留くんにメール送っとくよ」
紗々がスマートフォンをいじる。
「ありがとうございます」
「いや、まあ私も気になるし。――それにしても」
「はい?」
「君は結婚とか考えないの?」
唐突な言葉に、時雨はポカンとする。
「どうしてまた、そんなことを」
「いやあ、君のお友達も結婚を考えてるんだなあと思ってね」
「殺し屋が結婚なんかして、相手を幸せに出来ると思います?」
時雨の言葉を聞くと、紗々は納得したように頷いた。
「それもそうか」
「ええ。勿論、夢を見ないわけではありませんが。それより、貴女はどうなんです?」
「私?」
紗々は目を瞬かせた。
「しないんですか? 結婚」
「私と結婚して相手が幸せになれると思う?」
紗々は笑ってそう言う。
「まあ、それは……」
「多分、結婚はしないよ」
――ああ、この人も何か背負っているのですね。
何となくだが、時雨はそう思った。
それから三日ほどが経っただろうか。病院から帰った時雨を紗々が玄関で出迎える。
「お帰り、さっき人留君から連絡がきた」
「どうでした!」
時雨は思わず身を乗り出した。
「何というかこれは、根深い問題だね……」
「どういうことです?」
「近いうちにもう一度会いに行こう。圭助君と話してみたい」
紗々は珍しく真剣な表情をしていた。
その週の日曜日、再び二人は美恵のマンションに向かっていた。
「美恵さんには君から話しておいて」
「ええ、貴女は圭助君の方をお願いします」
「うん、この時間なら公園で遊んでるって言ってたっけ」
「はい、美恵からはそう聞きました」
紗々は車から降りると、マンションの裏手にある公園に向かった。
圭助はブランコに腰掛け、一人で携帯ゲームをいじっている。
「圭助君」
紗々は彼に歩み寄り、笑顔で声をかけた。
「ああ、この間のお姉さん」
「隣、いいかな?」
「どうぞ」
紗々はもう一つのブランコに腰をかける。
「今日は友達は?」
「習い事があるから帰った」
圭助はそう言うと、ゲームの電源を切って鞄に入れた。
「僕に、何の用?」
そう言う圭助の顔は強張っていた。分かっているのだろう、紗々が何の話をするか。
「鈴村さんのブレーキペダルに缶を仕込んだのは、君だね」
圭助は何か考えるように視線を彷徨わせたが、結局こくりと頷いた。
「そっか」
「僕、ここで暮らしたいから、美恵姉ちゃんに結婚してほしくないんだ」
淡々とした口調に、無邪気さは伺えない。
「うん、だから鈴村さんを殺そうとしたんだね」
殺そうとした、――その言葉が重く響く。
「そうだよ。だって僕は、父さんと母さんを殺したんだ。他人を殺したって、何も感じない」
「ブレーキに、缶を仕込んで?」
一瞬、圭助は怯んだ様子を見せた。
「そうだよ」
だが、紗々をキッと睨み付けて肯定する。
紗々は小さく笑うと、
「違うな」
と、言った。
「え?」
「探偵に調べてもらった。君のご両親の車は、ブレーキが壊れてたんだ。空き缶が挟まって効かなかったわけじゃない」
「ブレーキが壊れてた……?」
圭助は目を大きく見開いた。
「そう、君が置き忘れた缶のせいで事故が起きたわけじゃなかったんだよ」
紗々の言葉を聞いた圭助は、口を大きく開き酸素を吸い込んだ。
「うそ、だ……」
「嘘じゃない。君は両親を殺してなんかない」
「だ、だって、僕のせいで父さんと母さんは死んだから、僕はもう、人殺しだから……、誰を殺してもいっしょだって……」
「違う。君は人殺しなんかじゃないよ」
紗々はそう言い切り、圭助の肩に手を置いた。
「君はまだ、誰も殺してない」
圭助の瞳から、涙が零れた。
「そう、だったのね」
時雨から話を聞いた美恵は重い口を開いた。
「はい、圭助君は自分が両親を殺したと思い込んでいたんです。美恵だけじゃなく、彼自身も自分を恐れていたんですよ」
「あの子は、そんな気持ちを誰にも言えずに……」
美恵は声を震わせ、口元を押さえた。
その時、ドアが開いて圭助が駆け込んでくる。
「美恵姉ちゃん!」
そして美恵にしがみつき、涙をボロボロと流した。
「僕、鈴村さんに……、どうしよう、ごめんなさい、ごめんなさい……」
その言葉を聞くと、美恵は圭助を強く抱き締めた。
「大丈夫、大丈夫よ……」
時雨は二人の様子を見ると立ち上がり、後から入ってきた紗々と微笑み合った。
帰宅すると、時雨は「やれやれ」と息をついた。
「まだ全てが解決したわけではないですが、これで良かったんですよね」
「うん、圭助君はもう人を殺そうなんて思わないでしょ」
紗々はそう言ってソファに座った。
「親を殺すなんてことは、耐え切れない罪悪感を生む。子供がそれに耐え切れるわけがない。早めに誤解が解けて良かったよ。まあ、鈴村さんがどう思うかは分からないし、これからあの二人がどうしていくかも分からないけど」
「そうですね。いつか、みんなが幸せになれたらいいんですが……」
「きっと道はあるはずだよ」
時雨は紗々の隣に座った。
「今回はありがとうございました。貴女のおかげです」
「ま、半分以上は人留君のおかげだって」
紗々は笑って手を振る。
「しかし、紗々さんは意外と子供の気持ちが分かるんですね。少し驚きました」
「あはは。精神年齢低いからさ、私は」
「それは否定しませんが」
「というわけで」
紗々は時雨の手を握った。
「ポケッチパンとポケッチスナックとポケッチジュース、片付けるの手伝ってね」
「本当に、精神年齢低いですね」
時雨は溜め息をついた。