金属バットの殺人鬼
コロシヤンラプソディー三話目です。
自称時雨のライバル、新キャラ登場。
『コロシヤンラプソディー~金属バットの殺人鬼~』
まだ陽も昇らぬ中、それは襲撃と言うに相応しかった。
ドオンッという音と共に玄関のドアが吹き飛ぶ。
「何です!」
時雨はベッドから飛び起き、ハンガーに掛けてある白衣の裏から数本のメスを取った。
廊下に飛び出し、先制攻撃とばかりにメスを投げる。
ドアを吹っ飛ばして入ってきた男は薄暗い中、勘とでも言うべきものでそれを避けた。
時雨にとってそれは計算していた動きだった。メスを両手で握り、男に飛びかかる。
首から一センチの所でメスを止め、男に全力で殺気を放つ。
男は一瞬怯んだように思えたが、すぐに持ち直して時雨の腕を掴んだ。
そのまま投げ飛ばされた時雨の体は壁に叩き付けられた。
「ぐ……」
背中への衝撃で、呼吸が止まる。
そんな中、近付いてきた男は時雨の胸倉に手を伸ばそうとした。
「つっ!」
その手を時雨は素速い動きで切り付ける。
男の手の甲から、一筋の血が垂れた。
そこで辺りは明るくなった。
「何やってんのさあ。夜這いならもっと静かにやってよ。目え覚めちゃったじゃん」
紗々が自室から出てきて廊下の電気を点ける。
「うわ、ドア壊れてる! エクストリーム夜這い? 凄いね!」
紗々は寝起きのテンションではしゃぎ、動きが止まった二人を見つめた。
「で、実際のところ何なの?」
状況を全く把握せず呑気に尋ねる彼女に、時雨は溜め息をつく。
「知り合いが訪ねてきただけです、夜這いとかではありませんから」
そして、目の前の男を見た。
「手は商売道具の一つでしょう? 手当てをしますから、とりあえずリビングに行きましょうか」
「おう、わりいな」
ちっとも悪びれた様子を見せず、二十代半ばらしい金色の髪を短く刈り込んだ目付きの悪い男はニヤリと笑った。
「へえ、彼も殺し屋なんだ」
リビングのソファで時雨に包帯を巻かれている男、獅童征助を見つめながら紗々は感嘆の声を上げた。
「ええ、素手のみで人を殺す、そんな男です」
包帯を巻き終えると、時雨は溜め息をついた。
「で、わざわざドアまで壊して何をしに来たんです?」
その言葉を聞くと、獅童は眉間に皺を寄せた。
「あんたが呉羽んとこから引き抜かれたって聞いたから、どうなってんのか見に来たんだよ。腕は落ちてないみてえじゃねえか」
「貴方には関係ないはずですが?」
「関係あんだろ。あんたは俺のライバルなんだからよ」
そのやり取りをソファにもたれて聞いていた紗々は、「ほう」と興味深げな声を上げた。
「これは恋仲な感じ? ライバルとか言って張り合ってさ、小学生男子的な?」
何のことはない、ただの冷やかしだ。
「違いますよ」
「違えよ」
「息ぴったりに即答しちゃうのが怪しいねー」
紗々はニヤニヤと笑いながら二人の顔を交互に見つめる。
「ライバルなんて大仰なものではありません。ただの同僚です」
「ライバルはライバルだろ。組んで仕事した時、あんたの方が多く殺した」
「私が五人、貴方が四人、でしたっけ」
「ああ、女に負けたとかありえねえし。その戒めに、俺はあんたをライバルと思うことにしてる」
獅童はきっぱりと言い放った。
「合計九人死んでるね、その話。なかなか刺激的なロマンスじゃないか、はは」
「笑い事じゃないんですけどね。そんな下らない対抗心でドアを壊された上、安眠妨害された私の身にもなってください」
時雨はやれやれと肩を竦めた。
「下らなくねえ、俺は今月八人殺した。あんたは?」
獅童が身を乗り出すので、時雨は退く。紗々はそれを笑いながら眺めていた。
「ゼロ人です」
「は?」
獅童の目が点になる。
「この人に雇われてから少し仕事内容が変わりましてね。ここしばらく殺しはしていません。そもそも私は医師と兼業しているので貴方ほど殺しの仕事は受けませんし」
時雨が淡々と説明している間、獅童は肩をゆっくりと落としていった。
そして時雨が言葉を切ったところでガバッと顔を上げた。
「あんた、いつからそんな腑抜けになっちまったんだよ!」
「腑抜けって……」
「いつだって俺と張り合えってんだ!」
「無茶を言いますね。仕事は仕事、そこに妙な闘争心を介入させるものではありません」
「ま、闘争心が人を成長させるんだけどね」
紗々が口を挟む。
「貴方は黙っててください。ノルマのある仕事ではないんですから、そんな幼稚な感情に縛られていてはプロとは呼べませんよ」
「要するに、俺とやり合うのが怖いのか?」
獅童は顔を引き攣らせ、震えた声でそう言った。
「ではそう受け取っていただいて結構」
「そうかよ、俺はもう帰る!」
獅童はソファから立ち上がってジャケットを羽織ると、ドカドカと派手な足音を立てて出て行った。
「んー、なんか嵐みたいな子だね」
紗々は呆れたようにその後ろ姿を見送った。
「全く、困ったものですよ。彼には殺し屋としての自覚が足りない」
「っていうか、殺気が感じられなかった」
「分かります? そこが致命的なんですよ」
時雨は「やれやれ」と溜め息をつき、
「ドア代は呉羽さんを通して請求しましょう」
と、呟いた。
まだ暗い道を、獅童は歩いていた。
「畜生!」
吐き捨てた言葉は、ここにはいない時雨に向けたものだ。
「ほんっと、腑抜けになりやがって」
獅童とて金で依頼を受けるプロだ。それでも、そこに別のものを求めてしまう。
「闘争心があって当然だろ、畜生」
ふと、寒気がした。
振り返ると、金属バットが肩を掠めた。
「あーらら、残念。あと一秒振り返るのが遅かったら、その頭パックリ割れてたのに」
街灯に照らされたのはフードを目深に被った少年だ。
「何だ、てめえは!」
獅童は怒鳴りながら拳を突き出す。
しかし少年はそれを避けると、口元にニヤリと笑みを浮かべた。
「殺人鬼ってやつ?」
どこかふざけた口調と共に振りかぶられた金属バット。
その衝撃を側頭部に受け、獅童の意識は闇に沈んだ。
「あー、なんか目え覚めちゃったね」
紗々はまだ五時にもなってない、と溜め息をつく。
「たまにはこういう時間に起きるのもいいかもしれませんよ。朝日が昇るのを拝めます。そういえば、先程どこかに電話していたようですが?」
「ああ、ちょっと暇潰しにね」
「暇潰し?」
時雨が首を傾けた瞬間、玄関で声が上がった。
「どうしたんだ、この惨状は!」
「あ、来た来た」
「この声は……」
紗々の友人である探偵、人留だ。
「こんな時間に他人様を呼び出したんですか?」
時雨は紗々を責めるような目で見る。
「幸い向こうも暇だったみたいでね。寝る以外にやることないって言ってたよ」
「そりゃあこの時間ならそうでしょう」
時雨は頭を抱えたが、とにかくとリビングのドアを開け、玄関で立ち往生しているであろう人留を迎えることにした。
「悪いな、早朝から」
申し訳なさそうに言う人留に文句を言うつもりはなかった。だが、あえて一つ言うとすれば……。
「何故、彼を連れてきたんです?」
時雨は人留が肩に担いでいる男を指差した。
頭から血を流しているのは獅童だった。
「いや、こいつが殴られてるところに通りかかってな。相手は俺を見たら逃げたんだが、お前は医者だから、ここに連れてきた方が手っ取り早いかと」
「ある意味英断ですよ」
下手に病院に運ばれて、警察に連絡でもされたら厄介なことになるところだった。
「それで、どうしたんだ、このドアは?」
「エクストリーム夜這い」
リビングから顔を出した紗々がふざけた口調で答える。
「大したことではありません、気にしないでください」
時雨は人留をリビングに導くと、獅童をソファに寝かせ、頭の傷を看始めた。
「見た目ほど大した傷ではありませんね。彼のことですから、本能的に致命傷を避けたんでしょう」
救急箱を取り、消毒していく。
その間に、紗々が人留に獅童のことを話す。
「時雨さんの同業者で自称ライバルの獅童君」
簡潔かつ的を射た説明だった。
「殺し屋でも殺人鬼に負けるんだな」
人留はやや驚いたように口を開ける。
「相手は殺人鬼だったのですか?」
時雨は包帯を巻き終え、ダイニングテーブルで話をしている二人に問いかけた。
「ああ、背格好からして関谷に間違いない」
人留は鞄から封筒を取り出した。
それを受け取った紗々は、中の書類を流し読みする。
「もう調べてくれたんだ。関谷周、18歳。金属バットで四人殺してる殺人鬼だね。獅童君が危うく五人目になるところだったわけだけど」
「そういえば、ここのところ撲殺事件が続いていましたね」
「そう、それそれ。目星は付けてたけど、関谷で確定かー」
紗々はこちらにやってきた時雨に書類と写真を渡す。
「どうも。彼が……」
写真に写っているのはフードを被った茶髪の少年だ。まだ幼く見える。
「しっかし、殺し屋が殺人鬼に負けるとはねー」
紗々がけらけらと笑った瞬間、獅童がガバッと起き上がった。
「俺はまだ、負けてねえ!」
そう叫んだが、まだ万全であるわけがない。ふらつき、ソファから落ちかける。
「無理は禁物ですよ、獅童君」
時雨は獅童の腕を掴んだ。
「うるせえ。おれはまだ、やれる……!」
睨み付けてくる瞳は獣のもののようで、ほんの一瞬時雨は怯んだ。
「へー、そんな目もできるんだ」
紗々は頬杖を突きながら二人を見つめていた。
獅童はソファから無理矢理立ち上がると、時雨が持っていた書類をひったくった。
「これが、さっきの野郎か」
「そうだよ、関谷って子」
紗々は成り行きを楽しむかのように答える。
「どこに行けば、こいつを殺せる?」
「殺すのが目的なら教えられないなあ」
「殺さなくていい。勝てりゃ、それでいい……」
獅童は重い口調でそう言った。
「獅童君。今の貴方は殺し屋としてプロとは言えませんよ。相手はターゲットではないのだから、深追いしなくても……」
「うるせえな」
獅童は時雨の胸倉を掴んだ。
「俺はまだ折れねえぞ。俺は、弱者に甘んじてるつもりはねえ」
後半は、自分に言い聞かせているかのようだった。
「面白いね」
紗々はくすっと笑い、獅童を見つめた。
「違う方面からアプローチしてみようか」
「はい?」
時雨は首を傾げ、紗々の方を見た。
「言うなれば、鬼対獣。どっちが勝つか、見ものじゃないか」
紗々は自分一人で納得したように頷き、立ち上がった。
「獅童君」
「あ?」
「君はまだやれると言ったね。なら、今からリベンジマッチといこう。人留君、この時間なら、関谷はネカフェを出るころだっけ?」
「あ、ああ……」
人留もよく分かっていないらしく、戸惑いつつ頷く。
「時雨さん、車出して。あ、ドアが壊れてて物騒だから人留君は留守番よろしくー」
紗々はそう言うと、獅童の肩を叩いた。
「君の武器は殺気じゃない。本能だ」
ネットカフェの入ったビルの前に、赤い車が止まる。
「出てきた」
丁度、関谷がビルから出ようとするところだった。
獅童は後部座席から出ると、関谷の腕を掴んだ。
「ん?」
彼は獅童を見ると少し考え、笑った。
「ああ、死に損ないか」
「ちょっと路地裏来い」
「いいよ、俺も殺し損ねてイライラしてたし」
二人が人目に付かない路地に移動するのを見て、時雨は慌てて車を動かした。
「このまま出ればいいじゃない?」
助手席のドアを開けようとした紗々の手を、時雨が制す。
「ここは駐車禁止区域なんです」
重い口調で言い放った時雨に、紗々は肩を竦めた。
適当な所に車を止め、路地裏に向かうと、二人の戦いはもう始まっていた。
路傍に投げ捨てられているボストンバッグ。その中に入っていたのであろう凶器を関谷は振るっていた。
獅童が関谷に向かって繰り出した蹴りを、彼はギリギリで避ける。
そこから、関谷は獅童の脳天目掛けてバットを振り下ろした。
獅童がそれを左に避けると、関谷に隙が生まれる。
その隙を見逃さず獅童は彼の鳩尾に拳を叩き込んだ。
「ぐっ!」
畳み掛けるように、体を折った関谷と距離を詰める獅童。
しかし、関谷は横に転がることで、次の攻撃から逃れた。
「あんた、そんなに強かったのかよ」
「負けるわけにはいかねえんだ。俺は、弱者に成り下がるわけにはいかねえんだよ……」
譫言のように呟く獅童の瞳がギラリと光った。
彼の父親は碌でもない男で、酒を飲んでは妻や息子である獅道に暴力を振るっていた。
崩壊したそんな家庭でも、母は支えようと必死に働いた。
それが祟り、彼女は獅道が高校に入る前に病でこの世を去った。
それから、父親の暴力は息子一人に向かうようになった。
しかし、その頃には獅道も強くなっていた。折れずに耐えていた心も、痣だらけの体も。
ある日彼は父親を殴った。何度も殴り、蹴った。
父親は腫れ上がった顔を地面に擦り付けて許しを乞い、這って逃げようとした。
それを見た時、彼の中にあった怒りや憎しみといったものは急速に冷めていった。
代わりに生まれたのは、弱さへの恐怖と強さへの渇望。
弱肉強食という観念が、本能に刻み込まれた瞬間だった。
一気に距離を詰めにかかった関谷。振り下ろされたバットを受け止めたのは、獅童の左腕だ。
「獅童君、腕が!」
咄嗟にメスを投げようとした時雨の手を、紗々が制する。
「大丈夫だよ、彼は」
「でも……」
「いいから見てなって」
睨み付けてきた獅童の瞳に、関谷は怯んだ。
それは純粋なまでの強さを感じさせる、獣の瞳だった。
獅童の拳が、関谷の顔面に叩き込まれた。
関谷の体は後ろに吹っ飛び、塀にぶつかると倒れ込んだ。
関谷は気の弱い子だった。
だからだろう、よくいじめられていた。
小学生の時には靴を隠され、中学生の時には弁当に虫を入れられ、高校生の時にはリンチにあった。
強者が弱者を痛め付ける。それは水が高所から低所に流れるように当たり前のことだった。
――自分がもし、強ければ……。
そんなことを考えながらも、関谷は弱者という立場から抜けられずにいた。
その日もクラスメートから殴られ、蹴られていた。
逃げ込んだ体育倉庫にあった金属バットが目に入る。
体育倉庫の扉がこじ開けられようとした時、関谷は思った。
――今なら、抜け出せる。
彼は入ってきたクラスメートの頭に金属バットを振り下ろした。
血飛沫を浴び、悲鳴を聞き、関谷は強者の特権に酔いしれた。
他人を傷付けるという、強者の特権に。
獣の瞳が、関谷を見下ろす。
「まだやるか?」
「いや……」
関谷の殺意は、本能という場所から完全に削がれていた。
ただ強者に怯える弱者に戻ったのだ。
「いやあ、やっぱやるねえ」
紗々がパチパチと手を叩く。
獅童は息をつくとそちらを見つめた。
「俺は、勝ったぞ」
「うん、君の勝ちだ」
紗々は頷く。
「俺は……」
獅童は足元をふらつかせた。
「獅童君」
時雨はそれを支える。
「次会うときには、俺のライバルとしてもっと強くなってろよ、時雨」
獅童は時雨の手を振り払うと、「帰る」とだけ言って明るくなった街へと歩き出した。
「ライバルだなんて、きっと私より貴方の方が強いですよ」
時雨はぽつりと呟いたが、紗々は笑いながら、
「どうかな、殺すことにかけて、君は根っからのプロだからね」
と、言った。
「君のプロ意識は並外れてる。まるで仕事でしか殺しに関わりたくないみたいだ」
時雨はその言葉を聞くと、紗々から顔を背けた。
「死というものは、感情でぶつかるには強大過ぎます。仕事として付き合うくらいが丁度いいんですよ。――それより」
「ん?」
「貴女、本当に研究してます? ただ楽しんでいるようにしか見えないのですが」
「してるよー、失礼だなあ」
紗々は笑いながら肩を竦めた。
「人と鬼と獣。この三組がどうなるか、また新しい課題ができた」
「それなら結構。車に戻って警察を呼びましょう」
時雨と紗々はそう言って去って行く。
残されたのは、弱者のみ。