殺人鬼アイドル
コロシヤンラプソディー二話目。
殺人鬼アイドルと時雨が戦います。
『コロシヤンラプソディー~殺人鬼アイドル~』
今日は日曜日。時雨も仕事――医師としても殺し屋としても――は休みだ。
とはいえ、不摂生は体に毒。医者の不養生と言われぬよう、休みでも八時には起きるようにしている。
本棚に医学書をきちんと収め、それ以外にあるのは観葉植物程度。そんな小ざっぱりとした部屋で時雨はベッドから出た。
ワイシャツにスラックス姿のまま部屋のカーテンを開けると、朝の日差しが差し込んできた。
「気持ちのいい朝ですね」
そう独り言ち、寝室を出て洗面所で顔を洗う。
「さて、朝食を作りますか」
リビングに入り、ダイニングキッチンでパンを焼いている間にハムエッグを作る。時雨は朝は洋食派だ。
食パンは二枚、ハムエッグも二人分。
少し前までは一人分で済んだのに、と溜め息をつく。
インスタントコーヒーを淹れ、ダイニングテーブルに二人分の朝食をセットすると、時雨はもう一度溜め息をつき、元々客間として使っていた部屋のドアをノックした。
「紗々さん、朝食ができましたよ。起きてください」
返事がない。
「入りますよ?」
そう言って、中に入ると、ベッドで毛布を抱き締めるようにして眠っている紗々の姿が目に入った。
彼女がここに来て一週間ほどが経ったが、すっかり住み着かれてしまったというか、馴染んできている気がする。
時雨の部屋とは対照的に、紗々が使っている部屋は本棚こそあるものの入りきらなかった本が床に溢れている。心理学書だけではなく、漫画や成人指定の本まで無造作に散らばっていた。
ちなみに時雨が一番引いたのは、黒魔術の本だ。
――使うつもりですか。っていうか、誰に使うんですか、黒魔術なんて……。
更に、枕元には時雨は名前もよく知らないが、どこかで見たことのある猫のようなキャラクターのぬいぐるみが複数置かれている。
「んー……」
紗々はまだ夢の世界を彷徨っているらしい。
「紗々さん、起きてください」
時雨は本を踏まないよう注意してベッドに近付き、紗々の肩を揺すった。
「あと五分……」
寝坊する人間の常套句を聞き、時雨は三度目の溜め息をついた。
「朝食が覚めてしまいますから、起きてくださいよ」
「だから、あと十分」
「延びてますね。起きないと、このぬいぐるみ全部捨てますよ」
そう言うと、紗々はパチっと目を開けた。
「分かった、起きるからピカニャンたちを捨てないで!」
ガバっと置きあげり、子供を守る母親のようにぬいぐるみ――ピカニャンというらしい――を抱き締める。
「じゃあ早く顔を洗ってきてください」
「はーい」
紗々はTシャツに短パンという格好でふらふらと部屋を出て行く。
豊満な乳房がゆさゆさと揺れるのを見て、時雨は自分の平坦な胸を押さえた。
「私たちは、本当に同じ女という生き物なのでしょうかねえ……」
朝から四度も溜め息をつくのは新記録だった。
ようやく二人で朝食を食べ始めたところで、紗々がテレビをつける。
「何を見るんです?」
「ん? ワイドショー」
食パンを齧り、紗々は答えた。
事件がないのか調べるのかと思えば、彼女は丁度始まった芸能特集を見ながらハムエッグを口に運ぶ。
「芸能情報ですか?」
「笹野ライムって子が気になってるんだよね」
紗々はそう言って「ほら」とテレビを指差した。
映っているのは、ウェーブした黒髪をショートツインにした美少女だった。
「笹野ライム……、歌手でしたっけ?」
その手の情報に疎い時雨でも、名前ぐらいは聞いたことがある。
「アイドルだね。超人気の」
「アイドル、ですか?」
「所詮偶像。特別歌が上手いわけでもないからねえ。ま、可愛いけど」
紗々は皮肉めいた口調で言い放つ。
「しかし、気になっているのですよね。ファンなのでは?」
時雨が尋ねると、紗々は「はっ」と鼻で笑った。
「偶像崇拝には興味ない。可愛いけど可愛い止まりだよ」
枕元のぬいぐるみは偶像崇拝ではないのか、というツッコミは控え、時雨はもう一度尋ねる。
「では、気になるというのは?」
手練日では芸能コメンテーターが「ライムちゃんはカリスマオーラがありますね」などと話している。
「あの子、殺人鬼だよ」
時雨は飲んでいたコーヒーを噴き出しそうになった。
「ま、まさか……。だって、アイドルでしょう?」
「アイドルが人を殺さない根拠は?」
問い返され、言葉に詰まる。
「あ、そうだ。それに関して後で来客があるから」
「来客?」
「協力者とでも言うべきかな。多分、君も長い付き合いになる」
「はあ……」
時雨はよく分からないままに頷いた。
午後一時ごろに、その来客は現れた。
「人留献也だ。よろしく頼む」
時雨に対して軽く頭を下げた彼は茶色の髪をオールバックにし、無精髭を生やした熊のような大男だった。ワイシャツを胸筋が押し上げている。
「藍澤時雨です」
時雨は彼をリビングに招き、コの字型のソファに座らせた。
その真ん中にあるローテーブルを挟むようにして紗々と向かい合った人留は、どこか居心地が悪そうだった。
「やあ、久しぶりだね。連絡は結構とってたけど」
一方紗々の方はというと、居心地の悪さなどは微塵も感じていない様子。
時雨はキッチンでコーヒーを入れながら、二人の様子をちらちらと見ていた。
――何なんです? 人留さんが一方的に気を使っているようですが……。
三人分のコーヒーを運び、時雨はソファの残った場所に座り、二人の顔を交互に見た。
「ええと、藍澤さんだったな」
人留は紗々から視線を外し、確認する。
「時雨でいいよ。どうせ長い付き合いになるんだから」
紗々が勝手にそう言ったが、時雨としてはどうでも良かったので曖昧に頷くだけで済ませた。
「人留さんは、どういう方なんですか?」
「俺は探偵だ」
「ああ」
それで合点がいった。彼が紗々の友人の探偵なのか。
「紗々さんからお噂は聞いています」
「そうか……」
「ここに来る前は彼のところに居候しててね」
「へえ」
さらっと言い放った紗々の言葉を一度はスルーしかけた時雨だが、数秒経ってから笑っている彼女の顔を見直した。
「それは、同棲というものでは?」
男と女が一つ屋根の下に暮らすことを、一般的にはそう言うはずだ。
「いやあ、だって友達だし」
時雨はちらっと人留の顔を盗み見た。
彼が渋い顔をしている辺り、複雑な事情がありそうだ。
「それで、書類持ってきてくれた?」
紗々はそんなことは気にせず、人留に向かって掌を上にした両手を突き出す。
「ああ、これだ」
人留は一つ溜め息をつき、大判の茶封筒を差し出した。
紗々はそれを受け取り、写真と共にクリップで留められた数枚の書類を取り出した。
覗き込んだ時雨は、その写真を見て「あっ」と声を上げた。
写っているのは、笹野ライムだった。
「ん、どうかした?」
紗々が時雨に視線を移す。
「いえ、彼女は先程の……」
「だから言ったじゃん、殺人鬼って」
紗々は事も無げにそう言うと、書類を眺める。
「市内のマンションか、これならすぐ対応できそうだね」
「件数は四件。お前の言った通り、殺人事件が起こった時期と、ライムがCDを出した時期は一致してる」
人留は身を乗り出し、そのことが書かれている部分を人差し指で示す。
「正確にはオリコン入りしたCDが出た時だね。サイクルがあるんだ。そこそこしか売れなかったシングルが二枚続いたあと、殺人事件が起きる。そしてその後出した曲は大ヒット」
そう言って、紗々はパチンと指を鳴らした。
「ちょっと待ってください。そんな若い子が人を四人も殺してノーマークでいられますか?」
時雨は二人の間に割り入るように訪ねた。
その問いには人留が答える。
「塚村圭人ってマネージャーが曲者なんだ。ホームレスに金を払って出頭までさせてる」
「ま、金なら彼女が稼いでるだろうしね」
「そこまで突き止めたなら、警察に……」
言いかけて、紗々がそこまで善人ではないことを思い出した。
しかし、と人留の方を見るが、
「その情報をくれたのがヤバい筋のやつでな。俺まで捕まりかねない」
と、溜め息をつく。
その渋い顔から察するに、彼は紗々よりは善人寄りらしい。
だがどちらにせよ、時雨が引くわけにいかないことに変わりはない。
「彼女の殺し方は?」
「改造スタンガン」
紗々は人差し指と中指を自らの首に当てる。
「バチッと感電死させたわけだね。一撃で死ぬ電圧で」
「一撃でも喰らったら終わり、ということですね」
「そう、四人とも即死だ」
紗々は内容に似合わぬ笑みを浮かべた。
「さあ、君ならどう戦う?」
――これは貴女のためのショーではありませんよ。
そう言いかけたが、またのらりくらりと躱されるだろうと思い、時雨はその言葉を飲み込んだ。
「貴女と人留さんは、どういう関係なんですか?」
ダイニングテーブルで人留が置いていった書類を読んでいた時雨は、ソファで寛いでいる紗々に問いかけた。
紗々は「意外に低俗なことを気にするね」と笑い、少し考える仕草をした。
「やっぱり友人としか言いようがないな」
あっさりとそう言い放たれても合点がいかない。
「人留さんの表情からは、そう見えませんでしたが」
彼からは未練や後悔のような感情が感じられた。
「向こうがどう思っていようが友人は友人だよ、肉体関係はあるけどさ」
時雨は椅子から半身をずり落ちさせた。
「に、肉体関係って……」
じっとりとした目で見るが、紗々は「ははは」と笑って、
「詳しく聞きたい?」
と、いやらしい表情を浮かべた。
「聞きたくありません」
――まったく、色々と爛れた人ですね……。
仕方なく、時雨は話題を変えることにした。
「じゃあ、あの金の出処はどこです?」
「あの金って?」
「私を買った金ですよ」
自分の言葉ながら、嫌な言い方だと思った。
あくまで紗々が雇い主、自分は商品――それを再確認したような気分だ。
「一年ほど前に父親が死んでね」
紗々は時雨から目を逸らし、答える。
「その遺産だよ」
声音から悲しみは読み取れない。だが、どこかいつもと声のトーンが違った。
時雨は予想外の答えに言葉を失い、数秒経ってから頭を掻く。
「すみません、つらいことを思い出させてしまいましたね」
「いや、気にしないで」
紗々はすぐにいつも通りの声に戻った。
「ところで、やれそう? 笹野ライム」
仕事の話に戻ったので、時雨も頭を切り替えることにした。
「ええ、まあ。しかし、彼女は別の人間に出頭までさせているのでしょう? 殺意を削いでも警察に突き出せるかどうか……」
「そこは気にしなくていいよ、警察に捕まるだけが罰じゃない。殺意を削がれれば、人を殺すことはできなくなるからね」
「それならいいのですが」
紗々の言葉の意味が、時雨には測りきれなかった。
明後日の夜、高層マンションから中年の男と少女が姿を現した。
少女は幾分地味な格好をし、サングラスをかけているが纏う雰囲気とでもいうものが普通の人間とは違った。カリスマ性とでもいうものだろうか。
歩き出した塚村とライムの前に、時雨と紗々が立ち塞がる。
「なあに? マスコミじゃないわよね。お医者さん?」
テレビで聞いたのと同じ、愛らしい声。
「君たちは?」
一分の隙もないビジネスマンといった様子の塚村は、眼鏡の奥から細い目で二人を見つめた。
「私は殺し屋です。今日も誰かを殺しに行くのですか、殺人鬼さん?」
時雨の言葉を聞いた塚村は、眉間に皺を寄せた。
「どこで得た情報だ」
「さあね、心当たりは?」
紗々は肩を竦めて問い返す。
「話すなら場所を変えないか? 人が聞かれるとまずい」
「それはこちらも同じです」
「ねえ、あたし屋上に行きたい。いつもあそこで殺してるもの」
ライムが屈託なくそう言うと、塚村は溜め息をついた。
「後始末をする私の身にもなってくれ。また二人分の偽装をしないといけない」
「屋上、ね。エレベーターの中で一撃ってことにならないか不安なんだけど」
「大丈夫よ、あたしは屋上でしか殺さないわ。あそこは監視カメラに細工してるから安全なの」
「随分よく喋りますね」
呆れてしまった時雨に、ライムは笑う。
「だって、あなたたちはどうせ死体になるじゃない。あたし、黙ってるのは嫌いなの」
踵を返し、マンションに戻るライムに付き従う塚村。
時雨と紗々は顔を見合わせると、マンションのエントランスがロックされる前に後を追った。
警戒しつつエレベーターに乗り込んだが、何も起こらないまま屋上へと着いた。
「あたし、気に入った男がいたらいつもここに連れてくるの」
ライムは屋上に出ると、気持ち良さそうに外の風邪を受ける。
「そっちのお姉さんはどうするの? 二対一?」
視線を注がれた紗々はひらひらと手を振った。
「私は見てるだけだよ。人気アイドルの実力とやらをね」
「じゃあ、塚村も見てて。手は出さないでよ」
「ああ、分かった」
「随分と余裕ですね。マネージャーさんの助けはいらないのですか?」
時雨は両手に四本ずつメスを構えた。
「あたし、これでも結構強いのよ?」
ライムは臆することなく時雨を見つめる。
「ここってステージの上と似てるの。夜景がファンの持ってるペンライトみたいで」
いつの間にかスタンガンを手にしていたライムの細い足がトンッと地面を蹴り、時雨に飛びかかった。
時雨はそんな彼女目掛けて右手のメスを放ったが、ライムは体を捻り全て避けた。
そのまま時雨の目の前に降り立ち、スタンガンを突き出す。
時雨はなんとかそれを横に避け左手のメスも放ったが、ライムの動きは速く、一本が腕を掠っただけだった。
「なかなかのスピードですね」
「ええ、アイドルはステージの上では無敵だもの」
ライムは魅力的な笑みを浮かべた。
「まるで、楽しんでるみたいだね」
離れて見ていた紗々は、隣に立つ塚村に話しかけた。
「そうだ、あの子にとっては刺激がすべてだからな」
塚村は眼鏡を直す。
「刺激があるから輝くんだ、ライムは」
時雨はいつの間にか防戦一方に回っていた。
フェンシングのように突き出されるスタンガンを避けていたが、給水塔に逃げ場を塞がれる。
「そろそろ死んでね」
時雨の首元を狙って突き出されたスタンガン。
「貴女の動きは、もう見切ったんですよ!」
それが当たるギリギリのところで、時雨はライムの腕を掴んだ。
「確かに速いですが、力では私の勝ちです」
そして腕を捻ると、ライムの軽い体は地に叩き付けられる。
その首筋に時雨はメスを走らせた。
ライムは平凡な少女だった。
特技と言えるほどのものは無く、いつも人ごみに紛れていた。
それでも夢はあった。アイドルになるという夢が。
しかし現実は残酷で、オーディションの不採用通知が溜まっていった。
男に襲われたその日も、オーディション会場に向かっていた。
草むらに連れ込まれた彼女は、スタンガンで男を撃退した。変質者が出ると聞き、護身用に買ったものだ。
改造もしていない普通のスタンガンの電圧で、男は死んだ。
おそらく持病があったのだろう。心臓麻痺だった。
ライムはそんな男の死体を放置し、オーディション会場に向かった。
何故か気分が高揚し、自信があった。
そしてその日、彼女は始めて合格した。
ライムは気付いた。あの時受けた刺激が自分を輝かせたのだ、と。
人を殺した時に感じた優越感、高揚感――そんな全ての感覚が刺激となる。
デビューしてしばらくの間、鳴かず飛ばずの生活を送っていた彼女は、マネージャーの塚村にそのことを打ち明けた。
「じゃあ、また殺そう」
塚田はそう言った。
「殺すなら気に入った男にしようか。その方がもっと刺激があるはずだ」
その言葉に、ライムは安堵した。
これでまた、輝ける。
ライムは街で見かけて気に入った男を、改造スタンガンを使って殺した。
案の定、ライムの人気は上がった。
――もっと刺激が欲しい。
次は屋上で夜景を見ながら殺した。
その時の高揚感は言い知れぬものだった。
そうやって、彼女は今の地位に登りつめたのだ。
「あ……」
メスはライムの頚動脈を切り裂く寸前で止まった。
見下ろす時雨の殺気に満ちた瞳に、ライムは怯えた。
今のライムは、捕食者に食われる被食者に過ぎない。彼女の殺意は、削がれたのだ。
「終わったようですね」
時雨はメスを仕舞い、彼女に背を向けた。
「ライム!」
駆け寄る塚村に、ライムはしがみついた。
「怖い……、怖いの……」
紗々はその様子を見ると呟いた。
「刺激なんてものは強者だけが得られる快楽だ。殺意を削がれた弱者には、そんなもの恐怖にしかならないよ」
「行きましょう」
時雨は紗々の肩を叩き、エレベーターに向かった。
一ヶ月ぐらいが経っただろうか。
医師として働いていた時雨は、通りかかった待合室で患者たちの会話を耳にした。
「ライムはもう駄目だな」
「ああ、なんか最近魅力を感じないっていうか」
「週刊誌も書いてるぜ。人気急落、オーラを失ったアイドル、だってさ」
そんな患者たちの前を通り過ぎながら、時雨は思った。
――ああ、これが彼女の受けた罰なのですね。
週刊誌の表紙を飾るのは、名前も知らない偶像だ。