サクライロⅤ
「その娘を離せ」
主人は、その地を這うような声に驚いたようで強く掴んでいた私の腕への力を一瞬緩めた。けれど、すぐにわれにかえったようにミカゲをにらむ。
「なんだお前は!人のうちに勝手にあがりおって!出て行かんか!!」
主人が怒鳴ると、ミカゲは息を吸い込み、少しだけ青い瞳を大きく見開いてもういちど言った。
「・・・その娘を離せ」
恐ろしく怒気のこもった声に、今度は主人は力を緩めずにさっきよりも大きな声で怒鳴り返した。
「黙らんか!この娘は俺の奴隷だ、どうしようと自由ではないか!」
主人がそう怒鳴った瞬間、ピリッと空気が切り替わりずんと辺りが重くなるのを感じた。
風とともに大量の桜吹雪が吹き込んできて目をつむった、その、刹那。
ミカゲの姿は窓際から消えて、私がはっとしたときには主人は部屋の隅へと蹴り飛ばされていた。
「え・・・・?」
私はぽかんとしてその光景を見つめていた。けれど。
「雛・・・!よかった・・・間に合った」
ぽかんとしている間にもミカゲにふわりと抱きしめられていた。
甘い桜の香りと、ミカゲのぬくもり。
「ミカ・・・ゲ・・・」
突然ぬくもりに包まれた身体はにさっきまでの恐怖がもどってきて、私は震えながらミカゲにぎゅっとしがみついた。
・・・怖かった。
あのまま本当に、すべてが終わってしまうかのようで。
身体が震えて、嗚咽があふれて私は気が付くと声をあげて泣いていた。
ミカゲはそれを、つつむように抱きしめてくれて。
ミカゲは私の頭ごとぎゅっと、強く私を抱きしめて首を垂れた。
「悪かった・・・怖い思いをさせてしまって」
私 は泣きじゃくりながら首を振り、言う。
「ううん、いいの・・・来てくれたから・・・。
私、あのまま犯されるくらいなら、あのままここに縛り付けられて生きていくのなら死のうと思ってた。ミカゲにもう二度と会えないのなら死のうと思ってたの・・・・」
私が言うと、ミカゲはさらに強く私を抱きしめた。
そして、切なそうな震えた声で囁くように私の耳元で言う。
「お願いだから俺より先に死なないでくれ。俺は人間よりもずっと長く生きられる。俺の腕の中で、幸せな最期を迎えてほしい。俺に看取らせてほしい・・・だから」
ミカゲの震えが、伝わって。
「俺より先に死のうなんて考えないでくれ・・・・。」
私はあふれ出す感情に泣きながらそれに頷いて、何度もあやまった。
「ごめんなさい・・・ミカゲ、ごめんなさい・・・っ・・・」
そうして謝ってから、小さな声で囁いた。
それは、ようやく気がついた気持ち。
「ミカゲ・・・私、ミカゲのことが好き・・・。」
私が言うと、ミカゲは柔らかく微笑んで、そっと私にキスをした。
軽く触れるだけのそれだけで頬が熱を帯びる。
そうしてミカゲはしばらく私を抱きしめたのち、ゆっくりと身体を離して低い声でいった。
「俺も好きだぞ、雛。だから俺はお前を守らなければならない。・・・少し、そこで待っていてくれ。すぐにおわる」
低い声と、微かに殺気を帯びた雰囲気に、これから何が起こるのかと少し怖くなって素直にこくりと頷いた。
ミカゲは、私の肩に着物をかけてくれると、ゆらりと立ち上がって。
一歩一歩、ゆっくりと主人のほうへ寄っていった。
頭をおさえながら目を覚ましていた主人がそれに気がつき、ヒッと間抜けな声をあげて後ずさりしていく。
それを、ミカゲはどんどん追い詰めて。
とうとう壁まで追い詰められた主人はうわずった声で言った。
「ひっ・・・悪かった許してくれお願いだ・・・・ぐっ!?」
けれど最期まで言い終わらないうちに、主人はうめき声をあげ、そして。
「・・・謝罪で許してもらえると思うな。二度と雛に触れられぬようその手、裂いてやろう」
低い、声。
ミカゲの顔は背をむけているので見えないけれど、とても恐ろしい声だ。
次の瞬間メキッと嫌な音が響いて、主人の手からざわざわと木の芽のようなものが生え、皮膚をつらぬいた。
「うわああああ!!!」
主人は、情けない声で叫び声をあげてじたばたとその場で痛みにもだえた。
ミカゲは顔の前で自分の手を何かをつかむようにぎゅっと握り締めている。
ミカゲが力を強めれば強めるほど、主人の身体のあちこちから植物が生え、そのたびに主人はうめいた。
私は呆然とその光景を見つめる。
ミカゲは、主人を殺そうとしているの・・・?
もちろん主人に情なんかはないけれど、少し怖いようなきがした。
やがて音も悲鳴をきこえなくなって、主人は動かなくなった。
動かなくなった主人はもはや植物に囲まれてその姿はもう見えない。
「ミカゲ・・・?」
私がそっと声をかけると、ミカゲはよくやく肩の力を抜いて、振り向いた。
その表情はすこし疲れたようなもので、私は主人とミカゲを交互にみて首をかしげた。
すると、ミカゲはふっと薄く微笑む。
「人は殺してはいけないんだろう?大丈夫だ、殺してはいない・・・もっとも、もう今までどおりの生活はおくれないだろうがな」
私はほっとしてミカゲを見た。
そして、それと同時にこれから先、どうしたらいいのかと不安になる気持ちもこみ上げる。
私には、行く場所がない・・・。
私が黙り込んでいると、ミカゲは傍にきて私を抱きしめて言う。
「どうした?どこか痛むのか?」
私は首をふった。
「ううん、違うの。大丈夫・・・・。でも、私これからどうしたらいいのかなって」
私が言うと、ミカゲは私の頭を撫でながら言う。
「ここに住めばいい。俺がなんとかしてやる、住めるようにな。これでも知識はあるんだ。」
そこまで言い、ミカゲは少し寂しそうな顔をした。
「そして毎日俺のところに自由に来てくれればいい。俺は、木を離れることはできないから・・・」
私は首を傾げた。
・・・木を離れることができない?じゃあ、どうして・・・
「ミカゲはどうして今ここに・・・」
私がそう、きくとミカゲは遠くを見つめるような顔をした。
そして。
「そろそろすべて話しておいたほうがいいかもしれないな」
私は首を傾げた。すべて、って?
ミカゲは私のことを抱きしめて頭を撫でながら、言う。
少しだけ、嫌な予感と言い知れない恐怖が胸のうちで盛り上がる。
「俺はもともと、桜の木の妖怪としての寿命がつきようとしていた。最も、人間から見ればまだまだ生きられるのだがな。
そこで、毎日来てくれる人間の娘-・・・・雛に関わりでももってみようと思って、姿をあらわした。少しずつ妖力を使ってな」
私はびっくりしてミカゲを見つめたけれど。
まだミカゲが死ぬわけじゃないときいてほっとした。
ミカゲは話をつづける。
遠くを見つめる青い瞳が月の光で銀褐色にひかり、きらきらとしていた。
「だがな。人間の姿をとってみると思いのほか妖力が弱っている事に気がついたんだ。桜の木を、本体を離れては動けなかった。
いや、離れることは実質、俺の枝なんかがあれば可能ではあるが・・・離れる事で妖力を削ると大幅に寿命も縮まるらしい。」
私はぞっとしてミカゲを見つめた。
「じゃあ今ミカゲは私のせいで寿命が縮まったの・・・・!?あと、どれくらい生きられるの・・・」
私が必死に聞くと、ミカゲは首を振って笑った。
「まだ大丈夫だ。雛よりは生きられる。」
私がそれでも不安で俯くと、ミカゲは私の頭を優しくなでた。
「大丈夫だ。」
私はその声と、頭に触れる大きな手のひらに少し安心したが、やはりまだ不安は残る。けれど、その言葉を信じる事にした。
私が頷くと、ミカゲは満足そうに微笑む。そして、立ち上がると私の手を引いて庭へと出た。
「明日にはここに住めるようにしておいてやる。さくらとかいうあの子供含めここに繋がれている人で行き場の無い人も一緒に暮らすといい。
あの小さな娘のおかげで俺はこうして雛を助ける事ができたからな」
私は、ゆっくりと頷いた。
ああ―・・・・
ミカゲと出会えて、本当によかった。
ミカゲと出会ったことで私の人生は大きく変わったよ。
ねえミカゲ。
これからもずっと、ずっと一緒に居てね・・・
私はミカゲの背中を見つめながら、そう思った。