サクライロⅡ
「・・・っ!?」
私は驚いて木から離れ、しりもちをついた。
見上げるとほぼ満開の桜の木にさかさまにぶら下がる青年がいた。
銀褐色の髪に、青色の瞳。
それはいつも私の邪魔をするかのように木の下に毎日いすわっていたあの青年のもの。
茂みからのぞいているときは恨むような気持ちをいだいていたけれど今こうして傍にいると、恐怖がじわじわとわきあがっていた。
逃げ出そうか。けれどきっと、追いつかれるだろう。ならば私がするべきことは、ひとつ。
再び青年が口を開こうとする、その瞬間。
「ごめんなさい!申し訳ありません!!」
私はかたかた震えながら頭を下げ、謝っていた。私には謝る事しかできない。
謝ってなお、怒鳴られ、殴られることを私は覚悟したけれど。
いつまでもそれに対する返事はかえってこなかった。
「・・・・?」
私はおびえながら目線を少し上げる。
すると、青年は驚いたように青い瞳を見開ききょとんとしていた。
そして、言う。
「おい、娘。なぜ謝る・・・?」
青年はとても、とても不思議そうにそうきいた。
この人・・・・怒ってないのかな。一瞬そう思ったけれど私はふるえながら顔をあげきらずに応えた。
「あの・・・その・・・・ここは貴方の場所だったのなら、申し訳がないと思って・・・」
すると、青年は不思議そうにしたのちフッと笑った。
「なんだ、そんなことか。別に俺だけの場所じゃない。小娘だってずっとここに通ってきてくれていただろう。」
今度は私は驚いて顔をあげる。
なんで私がここに通っていた事をこの人は知ってるの・・・?
私が驚いているのも気にせず、青年は妙に悲しげに続けた。
「なぜ最近、ここ数日来ない?待っていても来ないから心配していたんだぞ」
私はさらに驚いて、しばらく口をぱくぱくさせたのちに、とうとうその疑問を口にしていた。
「なんで・・・・しってるの・・・・?」
すると、青年はまた不思議そうにきょとんとした。そしておかしそうに笑う。
「なぜって、俺のところに通ってきていたんだから知らないわけがないだろう?いつも日が暮れる前に俺のところにきて、休んでいく。」
青年はうれしそうに目を細めて続ける。
「ずっと見守っていたが俺はお前が可愛くてしかたがなくなった。だから姿を現せたというのに、お前はとんと来なくなったではないか」
私は驚きすぎて言葉も出ずに、ぽかんとして。
この人は何か勘違いをしているんじゃ・・・?
私はこの青年のもとにはかよっていないし、しらない。けれど、それならこの人はどこかから私を見ていたの?なんのために?
私は、じりじりと後ずさりした。
「わ、わたし・・・・あなたのもとには通っていません・・・人間の、知り合いなんていません・・・」
私がそう言うと青年はほんとうにわけがわからなさそうな顔をした。
そして笑みを消して、言う。
「・・・?何を言ってるんだ?」
そして、逆さまにぶらさがっていた木から華麗な身のこなしで下り立つとずかずかとこちらに歩み寄ってきた。
銀褐色の髪には木からこぼれおちた桜の花びらが無数についていて。
あるくたびに薄ピンク色のそれがはらはらと落ちた。
どんどんせまってくる青年に、私はじりじり後ろに下がる。
なんなの・・・?
まさか、怒らせてしまった?また主人に殴られるときみたいに、殴られる・・・・?
青年の顔に、もう笑みはない。ただ、ずんずんとこちらに迫ってくる。
おさまり始めていた震えが再びからだを襲い、私はうまく後ろに下がれなくなった。
青年は、もうすぐ目の前だ。
「・・・・っごめんなさ・・・」
だめだ・・・!やっぱり怒らせてしまったんだ!殴られるっ・・・!
私はぐっとからだに力をこめて、目をつむって痛みを覚悟した。
けれど。
痛みなんかは襲ってこなくて、代わりにあたたかいなにかに包まれていた。
それは桜の花みたいな、あまいかおりがしていて温かい。
「どうした、そんなに震えて。俺は何もしないぞ」
状況理解に少し苦しんだけれど、その声で気がつく。
私は、青年に抱きしめられていた。青年はあの桜の木とおなじあまいかおりがしている。
私はわけがわからずにかすかに震えながら身体を硬直させていた。
それに気がつき青年は、優しく私の頭を撫でる。
「大丈夫だ、おびえるな。よしよし」
そう優しい声音で私を抱きしめながら、言う。
私は抵抗する事もなくしばらく呆然としていたけれど。
大きくて温かいその手の動きと、なんとなく馴染みのあるその感じとぬくもりに、私は体の力をいつの間にかふっと抜いていた。
ささえられた腕の中はとてもあたたかくて、 涙がでてきそうだ。
そうしている間にいつの間にか、震えもとまっていて。
それに気がついた青年は少し強く私をだきしめながら嬉しそうに言った。
「落ち着いたか?お前はこうするのが好きだろ。いつもこうしているとお前は落ち着くようだしな」
私は抱きしめられたまま首をかしげた。
「私、貴方に抱きしめられたことありません・・・けど・・・」
すると青年は抱きしめていた腕を少し緩め、不思議そうな顔をする。
「む?でもいつも・・・・ああ、そうか。いつもはお前が抱きついてくるのだったな」
青年は一人でしゃべり、一人で納得している。
・・・本当にこの人、さっきから何をいってるんだろう。
私が黙り込んでいると、青年は急におもいついたかのように私のからだを離した。
ぬくもりが離れて、ちょっとだけ、ほんの少しだけ心細いような気持ちになった。
青年はそのまま離れていって、桜の木に手をあてた。
そして、言う。
「俺はこの桜の木。桜の木の・・・そう、判りやすく人間風に言うと、妖怪だ。お前に人の姿をとったものを見せるのはそういえばはじめてだったな」
私は、きょとんとした。
よう・・・かい?そんなものが、実在するの?
私がそう思ってさらに黙り込んでいると、青年はため息をついた。
「なんだ。信じていないのか」
私は無意識にこくりと頷いてしまう。当たり前だ。
すると青年は少し背伸びして、すぐそばのまだ開いていない桜のつぼみに触れた。
その、次の瞬間。
まだまだ咲きそうになかった桜のつぼみが一瞬で開花して、きれいな薄ピンク色の可愛らしい花をさかせた。
「・・・!」
私は何がおこったのかわからずに青年と桜の花を交互に見る。
青年は自慢げに青い瞳をゆらして。再びこちらに歩み寄ってきた。今度は、私はおびえなかった。
どうしてか、あんなにいつもは怖い男の人なのにもう彼のことはちっとも怖くなくて。
それは彼が妖怪だからかもしれない。青年は私の手をひいて、再び桜の木に触れた。
「どうだ、信じたか?俺はお前のことをずっとここで見守ってきた。誰からもひっそりと忘れられた俺は、お前が来るのがとても嬉しかったんだ。」
私は青年を、見上げた。
その青い瞳はすこしさみしそうにゆれていて。
私は無意識にいつも、桜の木にするように彼の身体にそっと抱きついた。
「・・・!」
青年は少し驚いた様子で私を見る。私は彼の身体に顔をうずめたまま、言った。
「私、信じます・・・。だって貴方、桜の木と同じあまいかおりがするし、なんだこうしてるとあの木と同じ。とても安心できる・・・から・・・」
私がそう言うと、青年は嬉しそうに私の頭を撫でてくれた。
「そうか。じゃあ、明日もまた来てくれるか?」
私はこくりと頷いた。
「・・っ、来ます!」
私が笑顔で答えると、青年はとてもとても、うれしそうに微笑んだ。
こうして少し寂しがりやで強引な妖怪ミカゲと私、雛ひなは桜の木の下で出会った-・・・