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生きるに値しない者たち

作者: 光石仁吾

第一章〈創造〉


男は、全力で走っている。


″走っている″というよりは″逃げている″と言った方が適切だ。


右腕からは、血が滴り、道しるべのように路上に続く


車に乗ろうとした瞬間だ。その影は躊躇なく、男の右腕を刺した。


男は、その影をはねのけ、逃げている。


暗くてはっきり見えなかったが、冷たい目をした奴だった。


男は躓き、アスファルトに倒れる。それまで忘れていた右腕の痛みが、強烈に襲ってくる。


男の血の道しるべを辿るように、その影がやってきた。


「誰だ!俺に何の恨みがある!?」


男の言葉を聞くと、その影は勢いよくナイフを振り下ろした。





最近、急に気温が下がったせいか、吐く息が白い。二十二歳の星野英太は家路を急いでいた。


今日は、Siによる「最後の審判」の日である。



英太は食品工場に勤めている。


一ヶ月前、職場の古参平社員である石狩裕太の悪態に限界を迎えていた。


「お前最近、気持ち悪いんだよ!調子乗りやがって!こういう重たい物、持ち上げる時はハンドリフト使うの!何年働いてんだ!」


そう言うと、視線を英太から若い女子社員に移し、怒りが満ちた表情が一瞬にしてニヤけ、何か談笑している。


談笑と言っても、石狩が一方的に話しかけているだけだが。女子社員はというと、誰にでも見抜けるような″作り笑い″を浮かべている。


「この前さ、リンスとシャンプー間違えて買っちゃってさ、両方リンスなわけ、全然泡立たなくてさ」



「お前、シャンプー必要な程、髪無いじゃん。」英太は、呟く。



石狩を殴りたい衝動にかられる。


上司の御手洗はというと


「注意しときます」と言って何もしない。


御手洗という男は小柄でオドオドした男だ。何故彼が係長になれたのか分からない。と、いつも思う



あの時、ストレスの捌け口を探していた。


″愚痴を聞いて欲しい″とか″自分の不満を誰かにぶつけたかった″という気持ちだった。


そんな時、メールが届く。


登録されていないメールアドレスからのメールで、本文にはURLだけが貼り付けられている


英太がアクセスしたのが、「キリング・デッド」というサイトだった。


トップページには ″killing dead″ と、か細い、しなやかな筆記体の斜体文字。背景色は黒色で、赤いコートを着た外人の少女が雨の中佇んでいる写真が貼ってある。シンプルで綺麗だ。



″私達は、愛と平和、そして自由を愛している。私達は、世界中から集まった、最も匿名性の強いハッカー集団、キリング・デッド。″


英太もキリング・デッドの名前は聞いた事があった。


パソコンでハッキングを行い、政治家や芸能人が隠している犯罪行為を、ネット上で暴露する匿名のハッカー集団として、最近、テレビや雑誌などで取り上げられていた


しかし、ファッションブランドやミュージシャンのホームページのようなオシャレな雰囲気。英太はこのサイトの独特の雰囲気に惹かれた。


サイトは会員制らしく、閲覧は出来ない。


このサイトの雰囲気は、変わらず英太を魅了する。


「ここまで来たんだ。参加してみよう。」


十年前、あの事件で落ち込んでいた俺と詩織を、両親は必死で育てて俺を高校まで行かせてくれた。今は高卒でこの食品工場に入社し、四年間なんとか働いてきた、妹の詩織は心を閉ざしたままだが、中学二年生にまで育った。


母親の直美はいつも「大学に行かせてあげられなくて、ごめんね」という。


英太は母親が苦労しているのを知っていたので、最初から高校を出たら就職するつもりだった。


そんな忙しい日々に刺激が欲しくて、興味を持ったのも事実だ。


これから先もこんな日々が続くのかと思うと嫌気がさした。



英太はパソコンやハッキングに関する知識は無かったが、ストレス発散を兼ねて、冷やかし半分で会員登録の為に必要な、名前やメールアドレスなどの項目を入力し、返信を待った。


翌日、返信があった。


「はじめまして。「キリング・デッド」管理人のSiと申します。今から、貴方がキリング・デッドのメンバーとして相応しいかどうか、今日から一週間テストさせてもらいます。一日数問、質問メールに答えて下さい。そして最終日に″最後の審判が下ります″」



翌日から、毎朝八時ちょうど、定刻通りにそのメールは来た。


「拍子抜けだな。」


毎朝送られて来るメールは、サイトとは何ら関係のなさそうな単純な質問ばかりだ。


「こんな事でなにが分かるのだろう。」


そんな事を思いながら一週間、質問に答え続けた。毎朝、占いをチェックする女子高生のような感覚だった。


そして今日が、その審判の日だ。


家路を急ぐ英太の足どりが、また一段と速くなる。いつもは考え事をしながら歩くせいか、見慣れた景色はあっという間に通り過ぎていく。今日は急いでも景色の移り変わりが遅く感じられる。


「よりによって、審判の日に携帯を忘れるとは」


今日は、何も手につかなかった。

「今頃どんなメールが来ているのだろう?Siの判断は?俺はこんな事をしていて本当に良いのだろうか?」


「あいつのせいでストレスが溜まるんだ。」


そう思うと後悔は吹き飛んだ


会社のバス乗り場から英太のマンションまでは徒歩10分。


先週、友人の結婚式で履いた、履き慣れない革靴の靴ズレの痛みが英太の足を襲う。


「なんで警察官って革靴履いてるんだ?安全靴のがよっぽど走りやすい。」


英太は、犯人を取り逃がす警察官の気持ちが、分かる気がした。



もう二十分以上は走ってる感覚だった。


まだ少し頭が痛む。最近の悩みの種の偏頭痛だ。


家に着いたのは、夜の九時を少し回っていた。


家の前では、いつものように、隣人の湯田理璃子が星野家の前も掃除してくれていた。


「こんばんは。いつも掃除ありがとうございます」


「おはようございます。いいんですよ。ついでですから。」


湯田家は、アウル教という新興宗教に入っている。


アウル教いわく、夜起きていた方が人間のホメオスタシス〈恒常性〉は良いとかで、夜行性を推奨しているらしい。


湯田家にはリリィという詩織より一つ年下の娘がいる。もちろん本名ではないがアウル教の″聖なる名前″らしく、本人も周りも リリィと呼んでいる。湯田家は母子家庭だったので、星野家が引越して来た時から、協力しあってきた。理璃子はとても優しい人間だ。何よりも美人だ。



英太とすれ違った後、理璃子は昨日の出来事を思い出す。


いつものように湯田家と星野家の玄関先を掃除していると



″いつか殺す″



「え?」


理璃子には、そう聞こえたような気がした。そこには不思議そうな顔の直美と、氷のように冷たい目をした、詩織だった。


理璃子の気のせいだった



自宅に着きドアを開けると、上着を脱ぐのも忘れて、靴だけを脱ぎ、勢いよく玄関を上がる。


英太は、自分の脱ぎ捨てた安全靴がひっくり返っていることに気付いて、振り返り一瞬立ち止まったが、そのままリビングに向かう。


「おかえり、走って帰ってきたの?携帯忘れて言ったでしょ?テーブルに置きっぱなしだったよ」


キッチンから声がする


ランプが点滅する携帯を取りながら、テーブルを見ると、二人分の夕食にラップがかかっている。まだ平日だというのに、直美の料理は手抜きがない。英太とは別の食品工場で働いているので、色々と食材を貰えるらしい。


「詩織、またご飯食べてないんだ」


テレビは、ニュース番組が今日も悲しいニュースを報道していた。


また近所で事件があったらしい。


アナウンサーの声を聞き流すように、英太は部屋へ向かう。


一番奥にある部屋が英太の部屋だ。ここだけはこだわり、家具は黒色で統一されている。一番落ち着く場所だ。


その手前にあるのが、詩織の部屋だ。

その扉はどこか暗く悲しく感じられる。とても重そうだ。扉の中からは物音一つしない。


「そういえば、詩織が中学に上がってからは中を見てないな」


十年前の、あのお姉さんの自殺以来、詩織は変わってしまった。


今では学校に、あまり行かず、ほとんど引きこもっている。


彼女を最初に見つけたのは、英太と詩織だった。車の中を覗くと、シートを倒し、横になっていた。寝ていると思った…。


うちの親父との不倫を噂されて、職場や隣人たちから嫌がらせを受け、自殺したらしい。


俺はまだ小学生だったが、あの二人は不倫なんてしていない という確信があった。


詩織の部屋を通り過ぎ、部屋へ入る。

お気に入りのデザイナーズチェアに座り、深く溜め息をつく。


パソコンを開き、親父がよく聴いている曲、yesterday onece moreを再生し、ゆっくり目を閉じる。


ここで目を閉じると、昨日は何をして過ごしたとか、明日は何をするだとか、そんな事は忘れてしまえる。




五分くらいは目を閉じていただろうか、目を開き現実に引き戻される。


携帯を手に取り″好きな人からの返信を待っていた女子高生″のような気持ちでメールを開く。


「Welcome to the killing dead party.

おはようございます。Siです。あなたは、当クラブのメンバーとして相応しいと認められました。よろしくお願いします。」


今度は好きな人への告白が成功した女子高生のような気持ちになった。


パソコンからログインすると、メッセージが表示されている。


「貴方の入会を歓迎します。私達は、警察が関与しようとしない訳ありの犯罪や、国家間のトラブル、政治関係者のコンピューターにDoS攻撃を仕掛けたり、不正アクセスで、コンピューターウイルスやスパイウェアなどを送り込み、機密情報を入手し、公開する事などによって抗議や主張をしている非合法の活動組織です。貴方も我々の一員として悪の排除に貢献して下さい。」


英太は、戸惑った。非合法の活動に参加を求められたというより、「コンピューターの知識のない自分が入っていいのか?足を引っ張らないか?」と、戸惑った。世界中にメンバーがいるらしいが、英語も話せない。


英太は、昔観た「フェアチャイルド」という映画を思い出した。


「俺は、あの映画に出演していたハリウッド俳優、ハンズフリー・ゴーカート並にミスキャストだ。」


英太はこのサイトの会員になった瞬間から、誰かに見張られている感じがした。しかし、「おそらくここでは、平凡な人間である自分の知らない世界が広がっているのだろう。」そう思うと今度は、この世界の一員になれた自分を少し嬉しくも思えた。



「もう一つ、我々には密話 ーmitsuwaー と呼ばれる掟があり、活動するには、以下を守ってもらいます。」


一つ、我々の活動を第三者に口外してはならない。


二つ、我々に不利益になる行動をとってはならない


三つ、他のメンバーのことを詮索してはならない。


四つ、社会奉仕活動を行うこと。




「四つ目が一番難しそうだ…」


続けてSiから、何かが添付されたメッセージが届く。



〈警告〉

このファイルは絶対に開けてはなりません。

このファイルは「カナンの木馬」という我々が開発したスパイウェアです。このファイルを対象のパソコンに送り込むことで、対象物の情報を入手する事が出来ます。


貴方も我々の一員として闇の情報をリークして下さい


英太は、以前から興味があった、アウル原理教信者連続変死事件を調べて見ることにした。


「最近、家の近所で起きてる事件だ。教団の本部が近いからなぁ」



英太は時計を見る。夜の十時少し前だ。明日も早い。そのまま立ち上がり、頭の中で就寝時間までの一時間半の間に、やらなければならない作業を思い描きながらドアを開けた。


「まずは食事」と、階段を降りようとした時、携帯が鳴る。


Siからだ

「今から十分後に警察のサーバーのセキュリティシステムが自動更新されます。私の指示に従って、バージョンアップされるファイルとカナンの木馬をすり替えてください。そうすることにより、パソコンでは、検索出来ない情報が手に入るでしょう。」


英太は、Siの指示通りカナンの木馬を送り込み、気付かれることなく、機密情報をパソコンで閲覧出来るようになった。パソコンから転送すれば、携帯でも閲覧出来るらしい。


早速、データが送られてきた。


英太は、カナンの木馬から送られて来たデータに目を通す。


「凄い、こんな風に見られるんだ。」


まるで、自分が警察関係者になったような気分だった。


ここ、十年以内に変死したアウル教信者は十七人。中には教団の幹部も何人か含まれる。


全て、他殺または、事故死・病死・自殺に疑いのある者。


脱会しようとした信者は監禁され、脱走しようとすると、″親衛隊″というグループから集団暴行を受けるらしい。


「一番最近あった事件は、昨日うちの工場の近所であった事件じゃないか」


英太は、前にも増してこの一連の事件に興味を持った。明日の昼休みに、昨日の事件現場に行ってみる事にした。



時計は十一時を回っている。


データの続きも気になったが、明日も仕事だ。


ダイニングに戻り、ラップのかかった料理をレンジで温め、テーブルへ運ぶ。二年前に一目惚れして、ボーナスを注ぎ込んで買ったこのダイニングテーブルも、今そのデザインは、用をなしていない。


「冷たっ。」


英太は、もう一度、料理をレンジで温め直す。


「詩織、まだ食べてないのか?勉強……してないんだろうな。」



ラップを外し、温め過ぎて、ふやけた衣から大量の湯気があがっているメンチカツを口へ運ぶ。


「熱っ。温め過ぎた。」


レンジというのは、いつも適温にはならないものだ。



急いで帰ってきた英太は、上着を脱ぐのを忘れていた。


「意外と汚れてるな」


仕事で使う着色料が紺色の作業着に飛び散り、赤黒いシミになっている。

英太は作業着を洗濯カゴに投げ入れたところで時計を見た。時間は深夜零時にさしかかっている。さっき頭で描いた「就寝時間までに行う作業」のスケジュールは崩壊した。それどころか、今日の就寝時間が大幅に遅れることは明確だった。





六時間は寝ただろうか?目覚ましが鳴るより、僅かに早く目が覚めた。体のだるさから、眠りは浅かったようだが、あまり眠くは無かった。


顔を洗い、歯を磨き、ダイニングへ行くと、数時間前に夕食を食べたテーブルには、目玉焼きやトーストが並んでいる。詩織の夕食はそこには無かった。



英太は日が昇る少し前に家を出ると、会社に向かった。


風が冷たい。上着の襟を立てる。遠くから電車の走る音が響く。


朝は好きだ。静かなこの薄明るい街を自分が独占しているような気分なる。


出社し、工場の休憩所の入り口で石狩と出くわした。幾ら何でも挨拶しないと不自然なタイミングだ。


「おはようございます」という英太のやる気のない声を無視して、英太より先に石狩が休憩所へ入る。


夜勤ばかりやりたがる石狩は、朝が苦手なようだ。


英太はロッカーから仕事道具を取り出しながら、石狩を目で追う。


石狩は顔をニヤつかせ、若くて可愛い女子社員に「おはよう」と声をかける。


「………。」




いつも通り、単純作業を繰り返していたら、もう昼だ。


コンビニの惣菜パンをかじりながら、昨日の事件現場に行ってみると、周囲数百メートルには規制線が張られ、数人の野次馬が警察官より真剣に現場の様子のをうかがっている。


教団の事件だけあって、マスコミも集まっている。


来てみたものの、素人の英太では収穫は得られなかった



帰ろうとした時だった。英太の視界に白いセダンが入ってきた。


車内には二人の男がおり、事件現場の周囲の様子をうかがっている。運転席の男は三十代、助手席の男は五十代くらいだろうか?助手席の男と英太の目が合うと車は走り去った。


英太はある小説の一節を思い出した。


「犯罪者は必ず、事件現場に戻る。」


英太は咄嗟に車のナンバーを覚えた。


八王子 330 け 13-2…


メモを取る英太の後ろから声が聞こえる


「星野さんですね?」







第二章〈洗礼〉



英太の後ろには男が立っていた。


背は高く、180cm以上はあるだろう。精悍な顔立ちで、髪は短めにカットされ、整髪料で綺麗に整えられている。


冷酷な雰囲気を持ち。年は30代半ばくらいだ。


分厚い黒革のジャケットを身につけ、腕にはスイス製の高級腕時計がさり気なく、その存在を主張している。よく見ると左まぶたには傷跡のようなものがある。


「私は、アウル教・関東ブロックの執行委員の山下と申します。あなたは昨日キリング・デッドに入会した星野さんですよね?アウル教の事件の事を探りに来たんですか?」



英太は覚悟した。


″死ぬ″まではいかくても、拉致されて暴行を受けるくらいの覚悟はあった。

山下は続ける


「実は私はキリング・デッドのメンバーでもあるんです。教団内では通信担当の幹部だったんですが、左遷されましてね。キリング・デッドのメンバーになれるハッカー達の技術なら、一晩であなたの事を調べる事は簡単です。


本題ですが、我々教団の一部の幹部達で、教団の崩壊計画を進めているんです。 テレビの報道等で知っての通りアウル教はカルト教団です。


私が大学を出て竹原と出会った頃は、まともな宗教団体だったが、親衛隊というグループが出来て、カルト化したんです。我々は親衛隊を″ゲシュタポ″と呼んでいます。私の目のケガもゲシュタポの灰戸にやられたものなんです。」


「親衛隊…そもそもアウル原理教とはどんな組織なんですか?」


「アウル原理教は二十年前に竹原が″悟り″を開いたとして始まりました。十二年前に親衛隊が設立されて、カルト、武闘、テロリズム、それらをまとめたような組織になっていったんです。


巷の噂通り、信者に修行と称して、洗脳させ、″お布施″と称して、金銭を巻き上げ、テロ兵器開発の資金源にしています。


竹原はというと、教祖というより、フィクサー(黒幕)という存在です。竹原のそばには常に丸田という秘書官おり、各グループに指示を下す。そして脱会しようとする信者や反抗的や信者に制裁を加えるのがゲシュタポで、そのトップが緋村という男、緋村の右腕が灰戸という金髪の男。冷酷な奴らですよ。」


「なぜ警察は何も…」


「教団の外交本部長、吉村一辺に脅されているんです。


教団は″ポグロムB″という毒ガスを密造しています。「もし、これ以上、捜査の情報を公開すれば、信者達が全国にポグロムBを撒き散らす」と。


これは教団内部で「クリスタルナハト作戦」と呼ばれていて、実行役の信者は、教祖の命令は絶対だと洗脳されていますから。


ただ、昨日の事件もそうですが、幹部や熱心な信者を狙った事件はゲシュタポや我々以外の第三者が関わっているんです。と言うのも、彼らの死体からは教団のシンボルである″卍に梟″のペンダントが盗まれていました。ゲシュタポの仕業なら、絶対にそんな事はしない。


あなたはこれ以上、教団に関わらない方がいい。アウル教に関わった貴方はもう狙われる。アウル教の信者、もしくは、アウル教に協力的な人物もキリング・デッド内にいるかもしれません。私がキリング・デッドに入ったのも、教団との関わりを探すためです。


リーダーのSiという人物は全く素性を明かしていない。調べようとしても、データがないんです。彼らはハッキングを使って、アラブ地方の政府機関のコンピューターに攻撃を仕掛けた過去があります。教団も国家転覆を狙う集団です。もしかしたら、Siと教団は繋がっているかもしれません。


それと、ゲシュタポにはくれぐれも気をつけて下さい。奴らは殺人をゲーム感覚で行うんです。ターゲットに悪質なイタズラを仕掛けて、精神的に追い詰めてた上でとどめを刺す。これから出会う人間は、全員敵だと思った方がいい。アウル教の事は我々に任せなさい。これ以上関わると貴方の精神は、もっと酷く蝕まれる…」


そこへ黒のワンボックスカーが現れ、運転席の男が山下に目で合図を送る。


「とにかく、これ以上私達が会って話すのは危険です。」


そう言うと山下はワンボックスに乗り、走り去った。英太は、教団やゲシュタポに近づけば、事件の真相がハッキリすると確信した。



時計を見ると昼休憩は三十分前に終わっていた。英太は、言い訳を考えながら会社に戻っていった。





会社に戻ると、御手洗を始めとする上司達が待ち構えていた。


課長の御器所が口を開く

「どこに行ってたんだ。」


「すいません。公園で昼寝してたら、寝過ごしちゃって」


御器所達は、御手洗に「注意しとけよ」と言い立ち去った


御手洗は「注意しときます」と返事をしたが、英太と目を合わさなかった。


持ち場に戻ると班長の御平沢がいた。


「どこ行ってたの?星野さん、最近ちょっと変ですよ。変な宗教に入ってるみたいだ。」


「すいません。昼寝してただけなんです。ええ、本当に。」


その時、英太の携帯が鳴る。Siからだ


「貴方には″クラメルタ″という入会の儀式をしてもらいます。今日の夜七時に八王子駅前の″ジェゴタビル″に来て下さい。」


「御平沢の言うとおり、変な宗教に関わり始めている事は確かだ。でも、キリング・デッドのメンバーなら、事件の真相も探れる。どうせ、今日も定時だ。教団とキリング・デッドの関係も気になる」と思い、英太は仕事終わりに行くことにした。




都心部から離れた山奥、狼巣地区という場所に教団の第二施設がある。


ここは、教祖・竹原の自宅も兼ねており、ゲシュタポに所属する数人の信者が日替わりで、警備している。


都内にある本部は、いわばダミーで、重要な会議も狼巣で行われる。


幹部も集まる為、最新のハイテク防犯設備が整っている。というより、竹原は非常に用心深い。


竹原はボサボサの頭で白いフケがちらほら見える、唇を覆う長い髭を生やし、見た目は″宗教指導者″からはだいぶかけ離れている。


竹原がゆっくりと口を開く。「ランゲンメッサー作戦は順調か?」


「ええ、裏切り者は確実に処分しているところです。」


竹原は会議が終わると、いつもある儀式を行う。


竹原は奥の個室へ向かう。緋村の指示で灰戸が″大奥″から一人の少女を連れて来る。


少女は必死に抵抗している。


灰戸は、透明の液体が入った注射器を取り出し、慣れた手つきで針先をライターの火で炙ると、器内に残った空気を軽く押し出す。


それを見た緋村が、声をかける


「量、純度は適切か?」


「ええ、今回はすぐにトブ 事はないです。」





案の定、英太の仕事は定時で終わった。会社のバスで八王子駅に向かったが、まだ時間があったので近くのレンタルビデオ店で時間つぶしする事にした


普段はあまり入らないが、アダルトビデオコーナーに入ってみた。英太にだってそういう気分の時くらいある。



ただ、普段入り慣れてないせいか、周囲の視線が凄く気になる。


コーナーの外に出てレジに向かうまで間、視界に入る人間全てが、自分の事をジロジロ見ているような気がした。


レジのバイトも「え!?七泊も借りるんですか!?」というような顔だ。


駅前には、あまり来ないんだから仕方ないだろ。と思った


腑に落ちなかった



英太は、店を出てビルに向かう



こんなビルあっただろうか?いつも通勤で近くを通るが、気がつかなかった。


ビルは少し奥まった所にあり、お世辞にもキレイとは言えない外観だ。テナントは入ってなさそうだ。


一階の扉が開いている。英太は、吸い込まれるように中に入っていった。


三歩ほど入ったところで、人影に気づいた。二人居る。



「星野さんだね?」


そう言うと、男は電気をつけた



英太の背筋に緊張が走る


男は二人。二人共大柄だ。声をかけてきた男は190cm近くあり、体格も素晴らしい。声からして五十歳前後だろう。


もう一人は、少し頭が薄くなっている


二人共、高そうなスーツを着ている


そして,二人の一番の特徴は鉄の仮面を付けている事だ。




「眩しい!」英太はとっさに口にした。


髪の薄い方が喋る「眩しいだって!?」


「電球の光ですよ!」



髪の薄い方が喋る

「ああ、そういうことか。」


彼は電球を見上げ、光る頭頂部をこちらへ向ける。


「我々はSiの指示でやってきたキリング・デッドのメンバーです。キリング・デッドは公の場で活動する時には、この仮面を着用する事になっているんです。私の名はラウル。隣の体格の良い彼がオスカー。今からあなたには、入会の儀式をしてもらいます。」


英太は山下の「これから出会う人間には疑え」という言葉を思い出した。


「どういう儀式ですか?」


英太の言葉を聞きながら、ラウルはノートパソコンを取り出し、慣れた手つきでパソコンを立ち上げる。オスカーは医療機器のようなものを鞄から出している。



英太は、一歩後ずさりしながら尋ねた。


「ところで、山下さんは?」


「山下?誰ですかそれは?」


「知らないんですか?キリング・デッドのメンバーです。それにアウル教の幹部でもある人ですよ。今日の昼に、昨日アウル教信者が殺害された現場に行ったら、話しかけて来ました。」


ラウルの手が止まり、オスカーと顔を見合わせる。


「それで、何かされました?」


「いいえ。何も。むしろ教団の事を教えてくれました。」


「そうか…あなたも知っての通り、キリング・デッドでは他のメンバーのことは詮索してはならない。私もオスカーがどういう人間なのか、それどころかSiの顔や本名すら知らない。もしかしたらその男もSiから依頼されたのかも知れないが、その山下を含めこれから新しく出会う人間には疑った方がいいでしょう。」


「じゃあ、あなた達も疑えという事ですね?」


「まあ、そうなりますが。あなたはSiの指示で私達に会いに来たんでしょう? この件に関しては、我々はSiと手を組んでるだけです。」




英太は、最近の悩みの種である、偏頭痛に襲われていた。



次の瞬間、ラウルとオスカーが勢い良く地面に倒れた。


倒れた二人の後ろには、若い男が立っている。手にはスタンガンが握られていた。


「コイツらはキリング・デッドのメンバーなんかじゃない!アウル教の信者だ!君を拉致しようとしてたんだぞ!俺がSiから依頼を受けた、本物のメンバーだ!」




そういうと男は、英太を裏口から連れ出した。


若い男は英太の手を取り、ビルの隙間を裏通りへ向かって走って行く。


唐突な事で気付かなかったが、よく見ると、この男の髪は金髪だった。


英太は山下の言葉を思い出す


「灰戸という金髪の男…。」


英太は恐怖に襲われた。


古びた居酒屋の裏口にさしかかった時、英太は足がつったふりをして、うずくまる。


「どうした!?」と言いながら、覗き込むように、金髪の男が英太の間合いに入ってきた。


英太は、足元にあったビール瓶の箱から、空き瓶を一本抜き取ると、男の額めがけて一気に瓶を振り上げた。


ゴン!という鈍い音と振動が英太の手と耳と目と空気を介して伝わってくる。



男は額を手で押さえ、うずくまる。


指の隙間から鮮血が垂れ出しているのが分かった。


英太は、表通りに向かって全力で走った。


すぐさま電車に乗り、なるべく人通りの多いルートを使い、急いで帰宅した。


英太は後悔した。興味本位で参加したが、やはりまともな奴らじゃない。



家に着くと、急いで玄関の鍵を開ける。


しかし、いつも開錠する時に感じられる、サムターンが回転する感覚が伝わってこない。


鍵が開いている……。


玄関を開けると、親父の靴が無かった。


「残業なのかも」と思ったが、ほとんど外出しない詩織の靴も無かった。


リビングに向かい母親の直美を捜すが、見当たらない。


キッチンや寝室にも居なかった。


空き巣!?、教団!?また恐怖が襲う


しかし、部屋に荒らされた形跡がない。貴重品も盗られていない。


あと、確認していないのは、詩織の部屋とリビングと隣接する和室だけだった。


詩織の部屋の前に立ち、声をかける。


返事がない。


英太は、中に詩織が居ないことを確信しつつ、恐怖を紛らわすように、大きめの声を出してドアを開ける。


「返事ないなら、勝手に入るぞ!」


そこには、確かに誰もいなかったが、英太は詩織の部屋中をゆっくり見回してから、和室に向かった。



″和室″と言っても、ここ最近は、直美が物置代わりに荷物を詰め込んでいる部屋だ。あの状態だと、散らかっているのか、荒らされたのか、分からない有り様だ。


ふすまを開けると、物置どころか、綺麗に整理整頓され、片付いていた。


「なんだ、拍子抜けだな。」


規則的に配列されている収納ボックスの山の中に、一つだけ、不規則に斜めを向いて、その列からはみ出した大きな箱がある。


よく見ると仏壇だ。畳には真新しく、少しだけ引きずった後がある。


扉は閉まっており、手前に″黒い縁取りの手紙″が落ちていた。


英太はその手紙を手に取ると、血の気が引いた。同時に山下の言葉を思い出す


「奴らは殺人をゲーム感覚で行うんです。ターゲットに悪質なイタズラを仕掛けて、精神的に追い詰めてた上で、とどめを刺す」




英太は、心臓に矢が刺さったような感覚に襲われた。


一瞬、呼吸が止まり、次の瞬間、心臓が強く脈を打ちだした。その感覚は、抑えようとしても、脈は強くなるばかりだ。


手紙にあったのは自分の名前。


「星野英太。享年二十二歳。」


英太はちょうど二十二歳。


「次の誕生日までに殺す。」という暗号だ。


とうとう動揺が収まらなくなった。


気持ちを落ち着かせる為、部屋に戻り、いつものバラードをかける。


カーペンターズのyesterday onece Mre。


いつもは、目を閉じれば、肩の力がすっと抜け、副交感神経が優位になるのを体で感じられる。


今日は違う。リラックスどころか、曲が耳に入らない。



やっぱり、奴らはここへ来ていた。


灰戸が襲撃する前にやったのか!?いや、あのサイズの仏壇を一人で運び込むのは無理だ。


複数犯だ。


そもそも山下だって信用出来ない。カルト教団のメンバー自らが、教団の崩壊計画を口外するか普通?それに絶妙のタイミングで俺に接触してきた。


山下が信用出来ないなら、灰戸という男の存在も揺らぐ


考えてみれば、奇妙な鉄の仮面で素顔と本名を隠しているラウルとオスカーの方がよっぽど怪しい。


そうなると、灰戸は本当に俺を救おうとしてくれてたのか?ラウル達を襲撃した時も殺さず、スタンガンで気絶させただけだ。


「ビール瓶で殴ってしまった……。」


それどころか、キリング・デッドやSi自体、実態がない。教団の一部か!?


英太は混乱しきっていた。頭の中がオーバーロード(脳の過剰稼働)を起こしている。


次々に″記憶″という映画のフィルムが頭の中で再生されていく感覚だ。



そういえば、ジェゴタビルに向かう途中、またあの白いセダンを見た。ラーメン屋の駐車場に停まっていた。「アイツらラーメン食ってたな。」あそこのラーメン屋は見た目はボロいが、味は良いことで地元民の間では有名だ。


「アイツら土地勘のある人間だ。アイツらも、何か関係があるのかも知れない。」




混乱状態の英太は自分の部屋が一番安全だと思い、部屋に留まる事にした。



「みんな、どこに行ったんだよ。」








第三章〈使徒と死徒〉




ー石狩裕太ー



最近、抜け毛が増えた。


石狩は洗面台の鏡を見ている


洗面台には、彼が髪を触る度に落ちた毛が、少しずつ積もって行くが、彼はそれに気づいていない。


睡眠時間は七時間以上は、確保しているが、昼間にどうしようもなく、眠くなる事がある。


「歳かな。」



気付けば十分が経過している。


「しまった。またラーメン伸びちまった。」


晩飯(といっても、翌日の朝飯と兼ねているが)は、大抵カップラーメンだ。洗濯や掃除は、それなりにはしているつもりだ。ただ、料理だけはやる気になれない。


十年前、四十歳の時、一人暮らしを始めた当初は、自炊もしていたが、メニューを考えるのが面倒、買い出しが面倒、何よりも惨めだ。


俺は今まで″人生送りバント失敗″の毎日。


今の楽しみは土曜の夜にビールとピザをつまみながら、SNSの仲間とコミュニティーで時事ネタを議論すること。修行は久しくやっていない。


「夜ばかり、起きているなんて一般人には無理だろう。」と呟く



会社のみんなの事は、嫌いになりたい訳じゃない、ちょっとした事なんだ。


「出来れば和解したい。」


そう思って、毎朝会社へ行く。でも、仕事のだるさからだろうか、自分の性格だからだろうか、みんなの嫌なところばかり、見えてしまう。



若い男子社員は、まだまだ未熟だから、ついつい口出ししてしまう。


若い女子社員?

誰だって若い女の子から話しかけられたら嬉しいだろ?



気付けば周りはみんな年下。俺はもう五十歳。


「歳かな。」


こうしている間にも、時間は過ぎ、一日が終わる。夜は寒さで節々が痛い。


「歳だな。」


インターホンが鳴り、封筒が投げ入れられる


「どうせまた、「お布施を払え」とか「脱会したり、教団の事を話したら許さない」という内容だろう。」


でも、いつもは、公共料金の請求書くらいしか、俺を訪ねて来ない。


脱会しようとすれば、ゲシュタポに狙われる。かといって、助けてくれるような当てもない。


ダメ人間なんだ。俺は。


石狩は、高価なアンティークのレコードプレイヤーに針を落とし、お気に入りのカーペンターズをかける。


年を取ってからつけている日記を手にとり、若い頃に買ったレトロなチェアに腰掛ける



このチェアは、1930年代にドイツでユダヤ人建築家が作った作品らしい。しかし、ナチス・ドイツに廃退芸術として、弾圧された悲しい過去を持つ



石狩は、学生時代を思い出す。


あの頃は、自由だった。サークル仲間と音楽を語りあったり、メンバーの中で誰が、一番金持ちになるか、賭けをしたりしていた。


そして、それぞれ別の会社に就職し、疎遠になった。「誰々が結婚した」って話は、風の噂で聞くが、結婚式に呼ばれたのなんて、僅かだ。


結婚したくない訳ではない、色々と努力したが、タイミングというか、巡り合わせというか…………


あっという間に年月が過ぎ、仕事に追われ、心の余裕だけがなくなっていった。


気付けば、同年代の奴らは家庭を持ち、それなりの社会的地位もある。


孫が産まれた?おれには子供すら産まれちゃいない


俺の人生に対するモチベーションは下がるばかりだ。当然だろ?






ーSi〈エスアイ〉ー



暗い部屋でパソコンを見ている


killing deadを立ち上げて数年になる。


今回の目的は設立当初の目的と違うが、重要な作戦である事には変わりない。


あの人は、私が誘導してメンバーに入れた。あの作戦を遂行させるにはあの人が必要だ。今回はコンピューターの知識なんて必要ない。


私は許さない。


入会前の質問メールで、精神状態は大体把握出来た。もう時間がない。


キリング・デッドと教団を利用すれば、上手く行くかも知れない


ジェゴタビルでは、思わぬ妨害に遭ったが、もう失敗は許されない。


奴らには、もう近寄らせない。私達には、その術がある。


私は許さない


Siはパソコンを見ながら、温かいレモンティーを口にする。





ー星野勇ー



私達は共働きで忙しく、英太が小学生から帰ると、まだ、幼い詩織を連れて、近くの公園で遊んでいた。


仕事を早く切り上げられ、二人を迎えに行くと、必ず彼女がいた。



「お姉ちゃん、いつものお星さまのやつは?」


「……あれ、無くしちゃったの。こらからは、これを付けなきゃダメなんだ。」



そんな詩織と彼女の会話が聞こえてくる。


「いつも子供たちの面倒みてもらってすいません。」


「あ、お父さん。いいんです。私、子供も好きですから。私の方こそ癒されています。」


そこへ、詩織が割って入る。


「お姉ちゃん、おうた歌って。」


詩織がせがむと、彼女はニコリと笑い


「いいよ。じゃあいくよ、せーの。」


彼女と小学生の英太は歌い出した。



エブリィ シャラララ エブリィ ウォウ ウォウ〜



詩織は、まだ、ちゃんと歌えないので、二人に合わせようと、ハミングで必死に歌っている。


「カーペンターズか、懐かしいね。僕らがまだ子供だった頃の歌だよ。」


「私好きなんです。歌い出しの歌詞が幼い頃の自分と重なり合うというか、懐かしい気持ちになれるんです。」


そういうと彼女は幸せそうな笑顔を浮かべる。


詩織は、この歌を聴くと、いつまでも嬉しそうに歌っている。


今でもそんなに昔の事のようには思えない。


あの時の歌は、勇の中でまだ光輝いている。




あの日も、仕事を早く切り上げられたので、子供たちを迎えに行った。



彼女はいつものように、英太と詩織の遊び相手をしてくれている。


勇は少し違和感を感じた。


「いつも子供たちの世話をありがとう」


勇が声をかけると、しゃがんで、詩織と話している彼女は顔を上げる。


勇は彼女の瞳を見た後、彼女の胸元や首筋を見回していた。






ー星野英太ー



英太は落ち着かせる為、精神安定剤を飲んだ。


空腹の身体に、素早く効果的が現れ。副作用の眠気にも襲われた。


ジェゴタビルでの一件があって、英太はキリング・デッドや教団とは距離を置く事にした。Siからのメールも、読まずに全て無視している。





今、英太は白い紙袋を提げて、自宅に向かっている。


足取りは重い。


自宅に着くと、隣人の湯田理璃子が、星野家の玄関先を掃除している。



「こんばんは」


「おはようございます」


「星野さん。スーツにネクタイもされるんですね…」


「ええ。先日、同僚の一人が亡くなりました。その方、自殺してしまいまして。同僚といっても三十歳近くも年上の方ですが」


「三十歳も年上なんですか?……それはお気の毒に」



英太は、数珠と通夜の香典返しをダイニングテーブルの上に置き、黒いネクタイを緩め、部屋へ向かった。


パソコンを起動させ、ネットでダウンロードした、カーペンターズの曲を再生させ、デザイナーズチェアに腰掛け、目を閉じる。



英太は、煮え切らない思いだった。


「なんか、悪い事をしたな。」


和解しようと、もう少し歩み寄ろうとした矢先だった。


「なんでまた、このタイミングで…」



英太は、ある哲学者の言葉を思い出した。


『人は、必ず後悔する。後悔する前にに気付けていれば、それは″後悔″ではないからだ。』



英太は、アウル教とキリング・デッドに関わった事、石狩に歩み寄れなかった事を後悔している。




残された彼のロッカーは、英太が責任を持って、片付けることにした……。



ー石狩裕太ー



ゆっくりとした動作で立ち上がると、使い古した杖をつき、腰を屈めた姿勢のまま、マイクへ向かった。その風貌から八十歳前後だと推測できる。


その様子を心配そうに見つめる老婆は、彼の妻だろう。



喪主を務めたその老人は


「本当に馬鹿な息子です。」


と、繰り返していた。


そして、同僚として参列した小丸食品の社員に向かって


「裕太はこんなに沢山の、素晴らしい仲間に見送ってもらえて、幸せな男です。」


と、締めくくった。



彼の棺には、最後に聴いていたレコード盤が納められている。




死亡してから発見されるまで二日かかった。


携帯には、会社からの不在着信だけが大量に残されていた。


飲みかけのコーヒーは冷え切っており、天井の梁からロープを介して垂れ下がる彼の体も冷え切っていた。


踏み台にされたレトロなチェアは、寂しげに倒れたままだ。


テーブルの上には、達筆な文字で書かれた遺書があった。




この世の中において

破壊しようとする事は、創造しようとする事より簡単だ。


この世の中において

不幸せな事象と幸せな事象の数は、不幸せな事象の方が圧倒的に多い


当たり前の事だ。


つまり、楽観する者があれば、悲観する者もあるのだ。


私が死んで年月が経ち、あらゆる記録や記憶から私が消えたとしても、私が生きていた証拠は残る。


なぜならば、私は今、間違いなく生きているからだ。


石狩裕太



彼の遺書が仏前に飾られている。


お焼香をする時に、彼の遺書が目に入る。なんとも言えない気持ちだ。


お焼香をしたまま、少しボーっとしてしまった。


振り返り席に戻ろうとすると、参列者が英太をジッと見ている。


ボーっと、し過ぎてしまったせいか、石狩と俺は、確執があったからか……


なんとも複雑な気持ちになった





ー星野詩織ー




白く透き通る肌は、指先まで、しなやかに続く。


黒く艶のある長い髪は、乱れず、背中まで伸びている。


学校の制服も、まるで彼女に合わせて作られたかのように、よく似合っている。


氷のように冷たく輝く瞳を持つ彼女は、直美へ近づいていく。


ダイニングで朝食を食べる直美は、詩織が近づいてきた事に、気付いていない。



「お母さん。」



詩織の、か細い声に、直美は驚き、振り返った。


「びっくりした。詩織おはよう。珍しく早起きね。」


「うん。今日、学校に行く。」


「そう。良かった。久しぶりだけど大丈夫?」


「うん。今日、終業式だから。」


「学校に行くなら、朝ご飯食べて行きなさい。」


「大丈夫。食欲ないから。」


そう伝えると、詩織は家を出た。


家を出ると、白い光が詩織を包む。


しばらく外に出ていなかったせいか、朝の光が眩しい。同時に、冷たい冬の空気がとても気持ちいい。


「外って気持ちいいんだ。」



家の前では、理璃子がゴミを出しているところだった。


「おはようございます。」


詩織は軽く会釈した。


「こんばんは」


理璃子は、一瞬驚いた表情を見せ、自宅へ帰って行った。



直美は、一足先に冬季連休に入ったばかりで家にいた。


詩織の部屋を通りかかる、一週間程前に入ったばかりだが、見る度にいつも違った雰囲気を持つ。


部屋は、白色を基調とした家具で統一され、その配色バランスや家具や小物の選び方は、一流デザイナーの様にハイセンスにまとめられている。


CDラックには、アメリカの凶悪犯、チャールズ・マンソンにインスパイアされたアーティストや北欧のメタルバンドのCDが並ぶ。その中に混じって時折、ショパンやシューマンのCDが顔を覗かせている。


直美は、その中から一枚のCDを手に取る


「あの子もカーペンターズ聴くんだ。」



パソコンデスクには、本が開いたまま置いてある



″こういった場合、クラフト四因子論の第二因子が原因であると考えられる。これは必ずしも幼少期に受けた精神的ストレスに限ったものではなく、まれではあるが、成人であっても…″



「難しい本…私も学生の頃は、難しい本読んで、無理矢理勉強したな。」


それらの本を本棚に戻すとき、パソコンのマウスに軽く手が触れ、スクリーンセーバーが解除された。



″私達は、愛と平和、そして自由を愛している。私達は、世界中から集まった…



その文章の意味が分からなかった。


そして直美は、気付いていない。


パソコンのファイルの中に、湯田理璃子の行動パターンを細かく記録したデータがあることを。


パソコンの脇には、飲みかけのレモンティーが冷えていた




ー湯田理璃子ー




「詩織ちゃん、元気になったんだ。」




星野家が、このマンションに引っ越して来た当初から、リリィと詩織は仲が良く、よく遊んでいた。


直美と理璃子は共に働いていて、直美は昼間の仕事、理璃子は夜の仕事をしていたので、どちらかが家に居るときは、相手の子供の面倒をみることもあった。



「湯田さん、すいません今日も詩織をお願いしますね。英太は中学生なので、部活で帰りが遅くなるんです。」


「詩織ちゃんは任せておいて下さい。リリィが寝るまでは、一緒に遊ばせて起きますから。そしたらお昼寝しようね、詩織ちゃん。」


理璃子は詩織を預かり、リリィが寝る時間になると、詩織も昼寝をさせ、夕方に三人で起床し、直美が帰宅すると子守を交代する


それが日課だった。




「詩織ちゃん見て、このパズルすごいでしょ?」


リリィは理璃子の部屋に飾ってあった、大きな風景画のパズルを持って来た。



「あっ」



リリィは躓き、その巨大なパズルごと転倒した。


1000ピース以上あるパズルは、バラバラになってしまっていた。


「どうしよ。ママに怒られる。」


落胆するリリィに詩織は伝えた。


「大丈夫。リリィちゃんのママが帰って来る前に完成させるから。」


理璃子は5分前に買い物に出掛けた。

ここからスーパーまでは、片道15分、理璃子は買い忘れた物があると買い物に出かけた。時刻は午後四時半。スーパーが最も混み合う時間帯。


詩織がパズルを完成させるのが、可能な時間だった。


理璃子は、知っていた。

その日、理璃子はカバンに入れておいたはずの、自転車の鍵が見つからず、スーパーに行くのが遅れていた。


ようやく、カバンの奥から鍵を見つけて出発する時、玄関からリビングを覗くと、バラバラになったパズルと、立ちすくむリリィ、その様子を冷静に見つめる詩織がいた。


時間が無かったので、帰ってきてからリリィを叱ろうと思っていた。




小学校に上がったあの子は、ほとんど学校に行かなかった。でも成績は常にトップだった。しかし、詩織は私立中学には行かず、地元の中学に進学した。


まるで、親に負担をかけまいとしているようだった。



ある時、理璃子が玄関前を掃除していると、直美と、詩織が通りかかった。


「こんばんは」


「おはようございます」


「星野さん、詩織ちゃんってものすごく賢いんですよ。絶対、有名進学校の高校に入れてこの子の才能を伸ばすべきです」


「ええ、でもうちは、あんまりお金ないんですよ。特待生で入れても、周りの子と同じレベルの服装やお小遣いは与えられないし、交通費や行事ごとも…色々お金かかるでしょ?それに今のあの子はクラスでも平均くらいですし、ほとんど不登校ですし」


「詩織ちゃんは遠慮してるんですよ。せめて高校は進学校に行けるように、環境を整えてあげて下さい。」



あの子、例のお姉さんを亡くして、気持ちを病んでいるんだ。


理璃子は「自分が何か手助けしてあげることはないか?」そう考えていた。






最終章〈終末論〉



「詩織、ドア開けっ放しよ」


直美が詩織の部屋の入り口で声をかける。


いつ見ても、詩織の部屋は片付けられ、清潔だった。



詩織がカーテンと窓を開けると、冬の空気の冷たさと、気持ちよさを感じていた。


「お母さん、昔、家族みんなで北海道に旅行に行った事覚えてる?」


「ええ、詩織がまだ幼稚園に入る位の年だったかしら。あの時は、まだ都心のマンションに住んでた頃ね。」


「うん。私、東京から出たことなくて。何もかも新鮮だった。あんなに空の面積が広いなんて。電車から放牧されてる馬が見えるのよ。東京なんて、ビル、車、コンクリート、人間。無機質しか見えない。」



詩織は、部屋に入ってきた冷たく気持ちいい空気に、北海道を思い出していた。


インターホンが鳴る



理璃子とリリィだ。


「こんばんは。詩織ちゃん、元気ですか?この前、学校へ行くところ見かけたので」


「こんにちは、ええ。ちょっとは症状良くなったのかしら、少し口数も増えたし」



「良かったですね。詩織ちゃんの事をリリィに伝えたら、久々に詩織ちゃんと遊びたいって言って。いつ頃なら空いてます?」


「湯田さんとリリィちゃんが良ければ今からでもいいんじゃない?ねえ詩織。」


詩織は黙って頷く


「あ、もしかして湯田さんはそろそろ寝る時間ですか?」


午後一時だった。理璃子は眠かったが大丈夫だと伝えた。



「散らかってますけど、上がって下さい」


星野家は、直美が言うほど、散らかってはいなかった。


むしろ、よく掃除されている。


詩織はリリィを部屋に招き入れる


リリィの声が聞こえる


「わっ、カッコいい部屋!詩織ちゃんセンス良い!」


リリィの声を聞くと大人達はダイニングに向かう。


「適当に座って下さい、今、コーヒー煎れますから。」




五分経っても直美はコーヒーを探していた。


「あれ、どこにしまった全然思い出せない……」


詩織がやってきた


「リリィちゃん、紅茶が飲みたいって」


「詩織、コーヒーの場所知らない?あなたコーヒー飲んだ後、どこにしまったの?」


「ごめんなさい。ここ。」


詩織が、戸棚を開けると、しっかりとジャンル分けされ、容器ごとに明示のしてあるコーヒーや紅茶が姿を現した。


「あ、整理整頓しといてくれたのね。ありがとう」


理璃子は二人の様子をぼーっと眺める




″もうすぐ殺す″



「え?」


理璃子には、確かにそう聞こえた。目の前には不思議そうな顔の直美と、氷のように冷たい目をした、詩織だった。


今度は確実に聞こえた。



詩織は二人分のレモンティーを作ると、部屋へ戻っていった。



「詩織ちゃんのクラスに高瀬健くんっているでしょ?ウチらの間で、カッコイイって人気なんだ、健先輩。彼女とかいるのかな?」


「さあ。」


詩織は、カーディガンから指先だけを出し、温かいレモンティーをゆっくりと口に運ぶ。


「詩織ちゃんって彼氏とか、好きな男子いないの?詩織ちゃんって超可愛いからモテるでしょ?」



「私、学校行ってないから。」


「あっ、そうだったね。詩織ちゃん頭いいから、学校行く必要無いもんね。てかさぁ、覚えてる?ウチらがまだ小いさかった頃。私がママのパズル壊しちゃって泣きそうになってた時、詩織ちゃんがあっという間に直してくれて。カッコ良かったな。」


そう言うと、リリィはウトウトし始めた


理璃子もコーヒーを飲んで、まるで睡眠薬を飲まされたかのように、眠ってしまった。つられて、直美もウトウトしまう。



ウトウトした意識の中、直美の視界に詩織が入ってきた。


次の瞬間、眠気は吹き飛んだ。



詩織は、熟睡した理璃子の横で包丁を理璃子に向けたまま立っている。


「何やってるの!?」


直美が詩織から包丁を取り上げようとすると、詩織は必死に抵抗した。


「やめて!お母さん!」


詩織は涙を流し、包丁を取られまいと、抵抗する。


理璃子はまだ熟睡している。



直美は、包丁を取り上げ、キッチンの引き出しにしまう。


詩織は泣き崩れた。







「じゃあ、行ってくるから」


英太は玄関から直美に声をかける。



直美から返事はなかったが、時間もないので、詩織を連れて、車に向かう。


詩織はあの事件があって以来、カウンセリングを受ける事にした。引きこもりも、慢性的に続いていたので、カウンセリングが必要だった。


結局あの日、理璃子達は寝たままで気付かなかった。



直美は免許を持っていないので、英太が送迎する事になっていた。



カウンセリングから帰って来た詩織に、直美が尋ねた。


「あなた、カウンセリングの先生と何があったの?先生が詩織のカウンセリングを辞めさせてくれって。感性が近いと思って、若い女性の方にお願いしたけど、それが駄目だった?」


詩織は首を横に振る


「でも、代わりに有名な大学病院の先生を紹介してくれたわ、明日、家まで来て診察してくれる事になったの。いいでしょ?」


詩織は首を縦に大きく一回振る




翌日、その医者はやってきた。


「はじめまして。新堂和男と申します。」



新堂は大柄で高そうなスーツを着ている。額には小さな絆創膏が貼ってある。


直美が招き入れると、新堂は玄関をくぐるように入り、自分が脱いだ靴を丁寧に揃えると、乱雑に脱ぎ捨てられている安全靴も一緒に揃えた。足の大きい新堂に比べて、その靴は随分小さく感じた。


「すいません。その靴の持ち主、詩織の兄の英太なんです。いつも帰って来て脱ぎ捨てて行くんですよ。多分、昨日も帰って来てそのまま……」


「そうですか。いいんですよ。詩織さんの部屋はどちらです?」



直美は新堂を詩織の部屋に案内し、新堂がノックをし部屋に入る。新堂は本棚の脇に鉄の仮面があることに気づいた。




一時間くらいして、新堂が出てきた。

「重要な話があります。詩織さんの部屋へ来て下さい。」



直美は複雑な気持ちで、詩織の部屋に入ると、詩織はベッドに座ったまま、窓の外を見つめている。


新堂は直美に告げる。

「出来ればご主人と、英太くんも呼んでください。」


直美は深刻そうな顔でドアを開けると、二人を呼びに行った。



「お待たせしました。主人の勇と長男の英太です。」



その言葉を聞くと、新堂は話し始めた


「まず、詩織さんには、PTSDと呼ばれる精神疾患の症状が確認出来ました。あまり外出出来ないのもPTSDが原因でしょう。」


直美が口を開く


「言いづらい事なんですが、この前この子、包丁を振り回しまして……その事もPTSDという病気が原因なんですか? 」


「それは関係ありません。詩織さんの症状はそれ程、深刻ではありません。深刻なのは英太くんの方です。」


「え?あなた、聞いた?」


直美は勇を見て「どういう事かしら?」という顔をしている。



新堂は、それを確認し、また喋り始める。



「ところで直美さん。今あなたは誰に話しかけているのですか?」



「え?主人ですよ。」



新堂はノートパソコンのキーボードを叩きながら話を続ける。



「役所の記録では、星野勇さんは十年前に亡くなっています。」


直美の記憶が断片的にフラッシュバックする。



十年前、英太と詩織は車の中で自殺している勇と、あのお姉さんを見つけた。状況から見て、不倫の末の無理心中 という事で、警察は処理していた。


直美は「それは有り得ない」と確信しており、警察に捜査のやり直しを求めたが、受け入れられなかった。


彼女は、本当に良い子だった。いつも子供たちの面倒も見てくれ、礼儀正しく「英太が結婚するなら、こういう子。」とよく口にしていた。



新堂は続ける。


「英太くんは、二人を殺したのはアウル原理教だ。 と確信していましたね?英太くんも、小学生の頃から警察に訴え続けてきたたが、とうとう聞き入れられなかった。


英太くんの情報は色々と調べさせてもらいました。


十日ほど前、アウル教の信者・高瀬幸成という男が車に乗ろうとしたところを襲撃され、数百メートル先の路上で刺殺される事件が発生しました。」


英太の記憶が断片的にフラッシュバックする。


「英太くんの部署は、ほぼ毎日定時ですよね?しかし、あの日帰宅したのは夜の九時。


あの日、仕事終わりに高瀬のマンションで待ち伏せして、刺殺。作業着は返り血を浴びたので、上着を羽織り、会社の送迎バスには乗らず、走って帰宅。工場から自宅までは、歩くと二時間以上はかかります。途中、走っても一時間半はかかるでしょう。


靴ヅレはその時走って出来たのでは?翌日、事件現場で見た怪しい車も、英太くんをマークしている刑事ですよ。」



「そうなの!?英太!!なんでそんな事!?」


直美は英太に向かって、叫ぶ。



新堂は、それを確認し、また喋り始める。



「ところで直美さん。今、あなたは誰に話しかけているのですか?」



「え?英太ですよ。」



「先ほどから、あなたが話しかけている相手は 壁 です。」


新堂はノートパソコンのキーボードを叩きながら話を続ける。



「役所の記録では、星野英太くんは一カ月前に亡くなっています。」


直美の記憶が断片的にフラッシュバックする。


「一カ月ほど前、英太くんは、アウル教・信者の高瀬幸成に、車に乗ろうとしたところを襲撃され、数百メートル先の路上で刺殺されて、殉職しています。」


「殉職?」


「ええ、英太くんは警察官でした。食品工場勤務なのは、直美さんです。


警察官になった英太くんは、十年前の事件を捜査したいと、上司に訴えましたが、聞き入れられませんでした。


そこで、交番勤務の英太くんは、パトロール中に単独で捜査をしていたのですが、これが教団の緋村という男に目を付けられ、刺客として送り込まれた高瀬に刺殺されたんです。」



「じゃあ私が、この一カ月間、見てきた英太は……?」


「星野直美さん、あなたには解離性同一性障害。つまり多重人格症状がみられます。


この患者の特徴として、別人格が現れている時、主人格の人間と性別が違っていても、気づかない。


例えば、架空の男性人格が現れている時、身体が女性であっても、自分が男性であることを疑わないんです。」


「星野英太くん、最近おかしな事が多いと感じませんか?レンタルビデオ店や葬儀場でジロジロ見られたりと。それはあなたが中年期の女性らしからぬ、言動や服装をしていたからです。


小丸食品の方や隣人の湯田さんも、不思議がっていましたよ。


いつも部屋が片付けてあったり、手の込んだ夕飯が毎日出来ているのは、詩織さんがあなたに代わって家事をしているからです。


カウンセリングを行った臨床心理士の女性も、患者ではない母親らしき女性の方が、若い男性の格好をし「詩織の兄です」と真剣に話しているので、怖くなったそうです。」



直美は、ゆっくりと口を開く「私はいつから、英太の人格が?」


「詳しくはまだ分かりませんが、英太くんが亡くなり、遺品を整理しているうちにストレスや悲壮感から英太くんの人格が現れ、英太くんの死だけでなく、十年前に亡くなった勇さんの死まで受け入れられなくなっていったのだと。


二週間ほど前から、症状が悪化し始め、詩織さんから治療を依頼されました。


しかし、中学生の娘にカウンセリングを勧められても、普通はなかなか受け入れてくれません。


そこで我々は、あるサイトにあなたを誘導し、「カナンの木馬 」というソフトを作成して、あなたのカウンセリングを行おうとしたのです。」


「あっ」直美は思わず声が出た。


「そう。カナンの木馬はスパイウェアなんかではありません。あなたを治療するためのソフトです。


しかし時間がないので、ラウルという男と一緒に直接治療しようとしましたが、教団の人間に邪魔をされました。


でも、驚きましたよ。あの時、スタンガンで気絶した私を、治療してくれた少女が詩織さんでしたから。


そして、世界的なハッカー集団のリーダーが、こんな可愛らしい少女だったんですから。」



直美の記憶が完全にフラッシュバックした。




ー十年前ー


勇が公園に子供たちを迎えに行くと、彼女はいつものように英太と詩織の遊び相手をしてくれている。


勇は少し違和感を感じた。


「いつも子供たちの世話をありがとう」


勇が声をかけると、しゃがんで、詩織と話している彼女は顔を上げる。


勇は彼女の瞳を見た後、彼女の胸元や首筋を見回していた。


「君、そのアザはどうしたんだ?彼氏に殴られたのか?」


「私、彼氏はいません。」


「じゃあ誰だ?家族の誰かかい?」


彼女は答えない。


勇は、公園の外からこちらを見ている男に気付いた。


「もしかして、さっきからこっちを見ている男が、君を殴った奴か!?」


彼女は頷き「私は生きるに値しない者なんです。」と呟いた。


勇は彼女の手を取り、その男の所へ向かった



彼女は「関わらない方がいいです」と言ったが、勇の勢いに負けてついて行った。


実は、直美もその場にいた。


「あなた、大人な対応をしてよ」


とだけ伝え、止める気は無かった。


直美は、詩織と英太にその状況を見せないようにしながら、自宅へ連れて帰った。



結局、二人はいつまで経っても帰って来なかった。



彼女の両親は熱心なアウル教信者で、彼女も無理やり入信させられていた。


彼女は、竹原に気に入られ「性なる儀式」を受けるように命じられたが、拒否したためゲシュタポから暴行を受けていた。


その後、二人は開発中の毒ガス・ポグロムBの実験台にされ、車での練炭自殺に見せかけられて、遺棄されたのだった。





直美の頭の中のパズルが完成したような感じがした。


「じゃあ、もしかしてアウル教・信者の高瀬や湯田さんを殺そうとしたのは………」



新堂は少し目を潤ませ、視線を外す。



詩織は窓の外を見たまま、大粒の涙を流している。





ー山下将ー




竹原達は狼巣で厳重なセキュリティールームで会議を行っている。



「あのババア許せねぇ!俺をビール瓶で殴りやがった!」


額を包帯で痛々しく巻かれた、灰戸が声を荒げる。


それを見た緋村が忠告する。


「落ち着け、お前が、取り乱したら、クリスタルナハト作戦の計画が全て狂うだろ。」


竹原は、冷静にその様子を観察する余裕を見せる。



すると、会議室のテレビモニターの電源が自動的に入った。


そこには鉄の仮面を付けた数人の人間が立っている。


竹原の表情から″余裕″がなくなる。


鉄仮面の一人が喋る


「お前たちには、愛情や、良心というものが無いのか?弱い者ばかりを狙い、自分の欲望ばかり満たそうとしている。それが宗教か?私はお前たちの欲望の、犠牲になった者達に合わせる顔がない。」


そういうと男は仮面を外した。


さっきまでの余裕が無くなっていた竹原は声を荒げる。


「山下ぁ!やはり裏切りやがったな!貴様!!」


緋村は冷静に携帯電話を取り出し、ゲシュタポの人間に連絡する。



山下は緋村に伝える「無理だ。この一帯にスクランブルをかけた。我々の許可した通信機器以外は一切使用出来ない。」


緋村は、冷静な態度を崩さず 頑丈なドアに近寄り、電子キーを差し込む


「無理だ。電子ロックの回路も私達が変更した。竹原が用心深い為に、その扉も簡単には壊せない。」


緋村は会議室を見渡し、諦めた。竹原が暗殺されるのを恐れるあまり、窓が一つもない。それどころか、防爆壁になっている。



「竹原、あと三十分だ。」


「どういう事だ!」


竹原は冷静さを失い、取り乱している。


「あと、三十分で警察がそこに到着して開けてくれる。後は一生罪を償え。」




「生きるに値しない者達へ」


会議室の全員凍りつく。


お前たちが人を殺める時に使う言葉だ。







完。



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