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短編

海墓参

 呼吸をすると、潮の香りがふんだんに体内へ入り込んでくる。両手を広げると、冷たさをかすかに含んだ風が通り過ぎていく。夏は盛りを過ぎ、秋へ移る時期だというのに、まだまだ周りの空気は湿気と熱をはらんでいる。先ほどの風が愛おしい。

 腰まで海水に浸かっているのだが、足首が妙にこそばいのは藻かなにかが絡みついているからだろうか。それともズボンの裾が張り付いては剥がれ、を繰り返しているからだろうか。

 つい先刻までは数組のアベックが砂浜でロマンチックに語り合ってもいたのだが、私が来てからは次々に姿を消した。私が危ない人に見えたのだろうか。それならば心外だ。私は誰にも危害を加えるつもりはない。ただ母なる海に抱かれにきただけなのだ。

 穏やかな海面にゆっくりと背中をつける、潮の香りが一層濃厚になった。そして砂浜の方から沖の方へ滑るように足先で押して、全身を海へ浮かべた。

 引いては寄せる波のせいで揺らぎ続ける視界。その中央には満月には少し足りない月が写り込んでいた。大きな月はそれだけの光を発しており、私には少々眩しく感じられるほどだった。これほどならどちらが岸かも分かる。一年前の今日は、曇天であった。月明かりなどこれっぽっちもなく、私も息子も懐中電灯を手に歩き回ったものだ。

 懐中電灯。その光だろうものが、堤防の先で揺らめいている。持っているのは息子のはずだ。半袖、半ズボン。今日は寒い風も吹いているというのに。……私も人のことは言えないのだが。

 目を閉じればぴちゃぴちゃと耳のすぐ横では水が肌を打つ音がする、遠くで潮騒がする。そんな中でもしかしたら、と妻の声を探す私は馬鹿だと嘲笑われてしまうだろうか。いっそ底まで沈み込めば、再会は叶うだろうか。

 ふ、と指先に先ほどまで感じなかったなめらかな質感に私は閉じていた瞼を開ける。白い花が私の周囲を取り囲んでいた。厚い花びら、薔薇だ。妻が好きな花。

「華やかだけれど、清らかな感じ。お祝いにも悲しみにも使えるのよ、いいじゃない、白い薔薇」

 キザじゃないか、と言えば、かっこよさも含んでるわね、と微笑んでくれた。

 一体彼女はどこを流れているのだろうか、どうせなら温かいところならいい。冬は、寒いのは嫌いだと言っていたから。


 そうだ、どうせならこのまま、私も……。


「父さん」

「なんだ」

 気がつけば、息子は私の隣に立っていた。ずっと黙ったまま海に浮かぶ父親を変に思ったのだろうか。

 表情を伺おうにも、逆光で顔が影になってしまっている。呼びかけ以降、動かない息子をしばらく見ていると、ゆったりと一度重心を移動させた。

「帰ろう」

「………………ああ」

 なんと応えればいいのか戸惑った。しかしこれは息子も同じだったのではないか、そう思う。私を引き留めるための言葉をどうするか、困ったのではないだろうか。

 私は水面に浮かせていた足を、沈みこませて砂の上に着地させる。二つのあんよで私は立っている。踏みしめて、いる。

 率先して砂浜へ戻ろうと足を進めると、どことなく安心したような気配が感じられた。

「今、ため息……ついたか?」

「え……、いいや」

 これがこの夜、この海で交わした親子の最後の会話だった。

 海からあがると水を吸った服がとても重く感じられた。まるで置いていくな、とすがられているような。それが妻なら私は迷わず戻っただろう、母さんが呼んでいるんだ、と息子に遺して。

 だが、私の妻は決してそうは言わないだろう。笑って私を砂浜に突き飛ばす。それが彼女だ。

 振り返れば、かつては憎かった海がある。黒くて静かな海、銀の月が歪に写り込んでいる。そして、ぽつり、ぽつりと白い薔薇の花びらが波に浮いては沈み、を不規則に繰り返している。

 足に付いた砂を洗いもせずに、息子と並び、徒歩で帰宅した。そのあとはすこぶるいつも通りだ。風呂に飯、共通のテレビ。

 テレビを消してもう寝よう、というときに息子は思いついたように呟いた。

「お母さんに俺たちの声は届いたかな……?」

「さあ、な。母さんは寝坊助だったから」

 来年まであの海に行くことはないだろう。



新年一発目の小説がこれです。

玖月あじさいです。

個人的にお気に入りな小説です。です、が三連続。気にしない。

味覚以外の五感に訴えられました。もくろみ成功です。

それではー

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