表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
97/100

乱声・二拍──欲触愛慢明妃の蓮華(捌)

 そうして、日々、朝廷では経実についての議論が続いていた頃。


 嵯峨の山荘の敏平は、すっかりひねくれてしまっていた。


 院の七十賀での琴演奏の失敗は、余程堪えたらしい。敏平の初めての挫折だ。


 早くに灌頂を授けられて血脉に記され、他に灌頂者のない琴楽界の実質的頂点に座する彼は、挫折というものを知らなかった。


 挫折を知らない者が、初めて壁にぶち当たると、今の敏平のようになることはよくある。


 琴については廃人と言っても過言でない現在の敏平は、音楽に対して、もう全く不真面目であった。


 明星はそんな師がとても心配だったが、敏平はお構いなし。


 相変わらず山階の女のもとに通い詰めて、明星のことは顧みなかった。


 嵯峨と山階はかなりの遠距離である。だが、敏平は構わず通った。どんなに遠くても、行かずにはいられない。


 尼は必ず還俗せむとて、髪を伸ばしていた。以前は肩までであった髪が、今ではもう背の中程まで長くなっている。


 父の覚如が帰宅したら、何と言って怒るだろう。


 覚如は未だ帰らなかった。それをよいことに、敏平は山階の庵に入り浸る事が多くなっていた。


 初めは夜来て朝方帰っていたのだが、この頃は一度来ると二、三日は居座り続いている。尼はそれを身の幸福と、素直に喜んでいるが、下女達は少し複雑そうな面持ちで見ていた。


 このように、二人の情は非常に細やかであったので、尼とは言え女の体。それ故の変化はごく自然のことである。彼女は身ごもっていた。


 敏平はいよいよ彼女を還俗させなければならないと考えていた。幽蘭の谷の黄棘を使って、堕胎させようという発想は今の彼にはない。


 さて、ある日。山階から嵯峨に戻らむとした時のことだった。


 西の京にも住む人はいる。幾つかのそれなりの造りの、檜垣の家々が建ち並ぶ一角があった。


 その一つの家の前に、敏平と同じ年格好の男が佇んでいるのが見えた。そのすぐ近くには網代が停めてある。


「ははあ、貴人が卑しい女のもとに忍び通っているのだな」


と、敏平の口の両端は自然とつり上がる。


 車の側に佇む男は供の者だろう。女の家の中にいる主を待っているに違いない。


 水干を着ているが、滲み出る品まで隠すことはできない。


 彼の視線に気づいて、水干の男は、おやと首を傾げた。まずいと目を逸らしたが、男の方から歩み寄ってきた。そして、何と屈託なく敏平に話しかけてきたのだ。


「……もしや、菖蒲王丸か?」


「え!?」


 驚いて、相手の顔をまじまじと見る。


「と言う御身は?」


「松寿よ」


「松寿っ!?しゅ、出家したのではなかったのか?」


 思わず敏平は叫んでいたが、男は嬉しそうな笑みを浮かべる。


「ああ、やはり菖蒲王丸だったか」


「いったい、どうして?」


「いや、寺に入って稚児になったは事実だが。十五になった時、得度するものとばかり思い込んでいたのを、師のご坊が元服せよと仰有ってな。寺を追い出された。元服して今は師経(もろつね)という。菖蒲王丸は?」


「……敏平、と申すが」


「敏平か。会えて嬉しい」


「それは私も同じだ。だが、元服したなら、何故姉上にお会いしに行かぬ?おことの姉上は右大将の殿の愛妾となられ、若君までお産みになった。今はその若君と嵯峨にお暮らしだ」


 師経はかつて、敏平の大の仲良しの友達だった。右大将殿の妾・兵衛の義弟である。幼くして稚児として寺に入ったから、それきり敏平とは遊べなくなってしまった。


 僧になると聞いていたのに、元服して俗人になっていたとは。


 久し振りに思いもかけず親友と再会できて、とても嬉しい。が、何故この友は、今まで一度も姉なる人を訪ねて来なかったのだろう。


「子細は言えぬが、みどもが元服することになったは、亡き姫君のご遺言故らしい。兄君の右大将の殿のご意志で、寺に入れられたみどもだから、いくら妹君のご遺言とは言え、元服したこの身を殿の御前に参らすことは、憚られた。姉が殿の愛妾になったことは知っていたが、それ故、余計に会い難くなった」


「だが、そっと姉上に、元服したことや近況など、伝えてもよかろうに。消息(しょうそこ)くらい差し上げられるだろ?」


「ま、そのことなら心配してくれるな」


 師経はゆったりと笑った。


 すでに、姉の兵衛へは文を遣わしていたのだろうか。兵衛が弟の近況を知っていても不思議はない。


 だが、それならば、何故自分には師経のことを教えてくれなかったのだろうかと、敏平は兵衛をちょっと恨めしく思った。


「……で。今、おことは何をしている?」


「大北ノ方(二位殿)のご推挙で、太政大臣家にお仕えしている」


「太政大臣?まさか、今そこの檜垣の内におらるる御方は?」


「そう。大相国(だいしょうこく・太政大臣)。内緒にしていてくれよ、北ノ方に知られたら大変なのだから」


 師経はくすりと笑った。


 あの鉄火の太政大臣俊久(としひさ)公が。こんな所に住む卑女に通うとは。


 敏平は呆れた。全く男女の色事というものは……理に反することばかり。


 束の間の友との再会であったが、そういうわけで師経は仕事中。敏平は今日の午後、若君に琴の稽古をしなければならなかったので、急いで帰る必要があった。


「まあ、一度嵯峨へ遊びに来いよ。右大将の殿はいつもおらるるわけではないのだから」


 そう言って、この日は一旦別れたのだった。





 大盗賊団・大乘党の滅亡は、東国の勢力図を大きく塗り替えるものとなった。


 法化党はそれまで常陸以南の海岸沿いを領していたが、今回さらに、出羽一国、越後北部、陸奥南部を加えることとなった。これにより、法化党は東国最強となり、上野殿よりも強く、周辺国には脅威となった。これまでは、下総や上総の一部、安房は間接的支配下にあり、上総や武蔵の一部、相模などは同盟関係にあるだけであった。しかし、今回これらの同盟主達が、自ら経実に臣従してきたのである。つまり、経実は相模までを支配下に置くことになったのだ。


 朝廷もこの事実は無視できまい。遂に、特別な補任として経実を叙爵させ、出羽介とした。さらに秋田城司とした。すなわち、秋田城介である。


 そして、その養子の時実は、信時朝臣の実子でもあるということで、こちらは常陸権介に任じられた。


 武士である彼等へのこの扱いは、全く異例のことである。上野殿の親族というので、叶ったことではあった。また、よくよく調べれば、経実自身が大将家の末裔であることもわかり、親は罪人であったが、すでに罪は赦されていることから、このような扱いとなったのであった。


 ともあれ、上野殿の力添えがあってこその補任である。


 経実は礼として、越後を全て上野殿に譲った。越後南部はもともと上野殿の支配地であったから、これにより上野殿は越後一国を領することになった。


 朝廷はさらに、上野殿を鎮守府将軍に任じた。


 そして、上野殿と経実に、陸奥在庁則顕を追討するよう命じた。


 経実が大乘党と戦をしていた時からすでに、上野殿は陸奥に進軍して、則顕と戦ってはいた。ただ、あまり成果はなかった。


 改めて追討使となり、さらに経実の軍勢も加わって、戦局に大きな変化が生まれた。


 日の出の勢いの法化党は、やたらと強かった。あっという間に則顕を蹴散らし、則顕軍は壊滅したのである。


 戦はすぐに終結した。あとは則顕の首だけである。


 しかし、戦で則顕の首を得ることはできず、則顕は自刃もしなかった。


 数十騎ばかりで、北の蝦夷地へと落ち延びたのだ。


 経実は後を追いかけたが、捕まえることはできなかった。


 どこへ逃げたか、とうとう取り逃がしてしまった。とはいえ、戦に勝利したことには変わりはない。


 戦功は認められ、上野殿の配下も法化党の面々も、次々に任官した。


 そして、経実は終戦後、秋田城介として出羽に移ることにした。出羽は大乘党の地であったため、経実に心底忠実であるとは言い難い。正直、治め難い所だろう。だからこそ、経実自身が赴いて、奮闘しなければならなかった。


 同様に、上野殿も鎮守府将軍としてしばらく陸奥に留まることになった。陸奥を統べるのも難儀であろう。


 上野の地は信時朝臣、そして、常陸の地は時実の手に委ねられたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ