乱声・二拍──欲触愛慢明妃の蓮華(陸)
経実は計画実行に備え、十二安に細かい指示を出していた。
そして、深夜。風が吹き始め、春の嵐の前兆が見えた頃、正安が戻ってきた。
「凄い風だな。ご苦労だった。今回は雨より風が先のようだな。こりゃ埃っぽくて厄介だわ」
経実はそう言って迎えた。
正安は畏まり、報告する。
「まったくです。その嵐の中を来いと言うのですから、教理の奴、無慈悲もいい所です」
「そうか。教理は会うと言うたか」
「はい、しかも明日。何ともせっかちな奴で。明後日ならばよきものを」
「明日か。奴も馬鹿だが、救いようのない馬鹿というわけではないようだ」
経実はくっくっと笑った。
「わしと会うのは馬鹿だが。明日を選んだのは、いくらか学習したのであろうよ」
「は?」
「いくらか、わしを警戒しておるようだ。わしが行って、砦に火をかけるとでも思ったのだろう。明日は大雨。明日なら、燃やされないと思ったに違いない」
それにしても、英雄色を好むとはよく言ったものだ。
どんな名君も英雄も、一人の女によって暗愚に落とされる。築き上げた国も栄誉も財産も、一人の女によって失う。
結局は英雄もただの一人の人間。一人の雄。そういうことだ。
女に溺れれば、全て台無し。
傾城、傾国。
いつの世にも、国の存亡の陰には女の存在があった。敵を討ち果たすのに、意外に効果的な策略は美人計だったりする。
「まさか、自分を贄に差し出すことになるとは思わなかったが」
経実は独り言してほくそ笑んだ。
翌日は大雨。強風。
朱雲城の火は完全に消えた。
夜に入ると、少し雨は弱まり、時折小雨程度の時もある。
経実は計画を実行すべく、出陣の準備をした。指揮は禅円に任せる。先鋒隊は三郎の蛮行隊。
「万事、手筈通り行え」
経実は念を押すと、雲門と十二安を伴って、出発した。
いつもは近衆を伴う経実だが、今日は近衆には留守を命じ、吉祥さえ伴わなかった。
十二安に導かれ、嵐の闇の中、道なき道を進む。敵に気づかれずに敵陣に到達できるのは、十二安しかいない。
経実は平装だった。ただの水干。それに焚きしめられた香の薫りが嵐の風に運ばれ、雲門の鼻腔に届く。
雲門と十二安は、どこをどう見ても全員僧兵だった。皆それぞれ手馴れの武器を持っている。
槍で藪を掻き分け、先頭を行くのは正安だった。正安は昨日通った所と同じ所を進む。
やがて、大乘党の砦が見えてきた。この頃には、雨は殆ど止んでいた。
やや遅れたが、ほぼ約束通りの時刻。東の東屋へ向かう。
「あれが東屋か。確かに傍らに六角堂があるな」
約束の建物を見つけて、皆頷き合った。
「罠かもしれませぬ。様子を見て参ります。殿は暫くこちらでお待ちを」
身軽な理安と隆安の二人が忍び込んで、偵察に行った。
やがて、二人は戻ってきたが、
「特に異常ありませぬ。教理はすでに六角堂におりますが、一人です。かなり不用心な奴です。まことに周りには人っ子一人おりませぬ」
と報告した。
教理は、本気で経実との逢い引きのつもりらしい。
「馬鹿過ぎる」
雲門は呆れた。
経実は苦笑した。そして、最後の確認をした。
「では。手筈通りに。理安と隆安は東屋の前まで、わしを連れて行け。順安と和安は、わしが六角堂に入るのを見届けよ。わしが入ったら、本陣へ戻れ。あとの者はここに待機」
「はっ。殿、何かありましたら、我等がすぐに飛んで参りまする。ご安心召されよ。しかし、くれぐれもお気をつけて」
雲門の言葉に、経実は鮮やかに笑った。
「わかっておる!」
そして、理安と隆安に先導されて、中へ行く。
教理に警戒されてはならない。だから、理安と隆安は東屋の板の陰に隠れ、それ以上は進まず、六角堂へは経実一人が向かった。
今から経実が本当にしようとしていること。それは、雲門にも十二安にも言っていない。
経実は六角堂の入口を前に、暫し立ち止まり、深呼吸した。そして、覚悟を決め、その戸を開けた。
戸は音もなく開いた。中には灯が一つ。床に敷物が一枚。それ以外何もない。
その敷物の傍らに、やはり軽装の教理が座っていた。
経実の姿に、彼は信じられないという顔をした。
「もう来ないかと思った。いや、最初から半信半疑だった。本当に来てくれたのだな、希姫君」
希姫君と呼んで憚らない。だが、経実もまさに希姫君の表情になって、
「姫君か。だったら男と女があべこべだな。普通、男が女に会いに来るものだ」
とおかしそうに笑った。その笑顔に、もう教理の心はとろけきった。
「もう耐えられん。姫君!」
立ち上がり、入口の希姫君に飛びつくと、その手首を引き寄せ、性急に彼女を敷物の上に押し倒した。
水干の上からも、柔らかな胸の感触が伝わる。今日は彼女は、女の体を隠してはいなかった。
芳しい香り。衣を一枚、また一枚と剥いで行くに従って、その素晴らしい香りは強くなっていった。
「今日は抵抗しないのだな」
熱い息吹きとともに教理はそう言った。
姫は低く笑う。
「わざわざ抱かれに来たのに、何で抵抗するのだ?」
「この間は、ひどい拒絶のされ方だった。あれは傷ついた。いや、腹が立った。憎くて憎くて。殺してやろうかと……」
「私もこなたが憎かった。殺したいほど……ようやく気づいた……こなたにあのようなことをされて……憎くて愛おしいと」
真っ白な玉のような肌を見せて、希姫君はそう囁いた。
「あの時知った。私のまことの心を。私はこなたに、こうして欲しかったのだ。私を愛してくれ!」
言われなくても、教理は夢心地で姫を愛していた。
姫は喘いだ。嫌悪感に。いや、嫌悪感は快楽に紙一重なのか。やがてその気持ち悪さが、たまらなくなってくる……鳥肌が立つ。ぞっと気持ち悪い……鳥肌が……
教理は幸せだろう。妙適悦楽。快楽も頂点に達する。
まさしく菩薩の境地。
余りの快感に、鋭い痛みがずんっと刺さった。
「っ!?」
瞬間、教理は目を剥いた。快楽の上に激痛が被さる。体が勝手に震え出した。
「ひ、め……」
思わず両手で姫の首を掴む。
しかし、姫に横腹を蹴り上げられ、ごろと転げた。
姫は素早く跳ね起き、教理の背後に回り込む。その腰に刺してやった小太刀をぐっと引き抜いた。途端に傷口から血が噴き出す。
教理は崩れ落ちた。だが、これくらいの怪我、この男には大したことはあるまい。すぐに起き上がり、
「おのれ……!」
と、姫を睨みながら、襲い掛かかる。
しかし、姫は素早い。かわして、かえってそこにあった紐で教理の両手首をぐるぐる巻きにし、そのまま引き摺って行って、柱にくくりつけた。
「姫!よくも!よくも騙したな!儂は本当に姫が好きなのに。こんなに、こんなに!なのに、どうして……ふがっ!」
まだ喋り続けている口に猿轡してやる。姫はそして優しく微笑んだ。
「房中は、最も無防備。油断しては駄目よ。極まった瞬間に刺してやったのよ、最高だったでしょう?本当は、絶頂の瞬間に死なせてやりたかったのだけれど、そうもいかなくてね。許してね、可愛い教理」
ふうっと甘い息をその顔に吹きかけてやった。
理安達は遅いとやきもきしていた。もしや、経実に何かあったのではないか。六角堂に踏み込むべきではないか。
そう思った時、水干姿の経実が中から出てきた。その手に教理を引き摺っている。
経実は水干をぱりっと乱れなく着ている。一方教理も、一応衣は羽織ってはいるが、かなりぐちゃぐちゃだった。
両腕を後ろ手に縛られ、さらに猿轡されている。通った後には、ぽたぽたと血の道ができていた。
「待たせた」
経実はにかっと笑って、理安らと合流した。
隆安が外の雲門らに合図する。すぐに雲門らもこちらへやって来た。
「殿!」
「待たせてすまなかった。首尾よく行った」
「それは、教理で?」
そのみすぼらしいのに、全員の視線が集中した。
「そうだ。これが教理だ」
「さすがは殿!」
雲門は感嘆した。
「しかし、せっかく皆で来たのですから、何も殿お一人で行くことはなかったのです。皆で六角堂を襲撃すれば、危険もなく手っ取り早かった!」
正安はまだそんなことを言っている。
「いや、これでよかったのだ」
経実は強くそう言って、教理を目の隅で見やった。教理の目は強く何か訴えている。経実は嘲笑をくれてやると、すぐに皆の方に向き直り、教理がなんともがこうと、あとは無視した。
「そういえば、静安と豊安は?」
ふと、二人いないことに気づいた。
「はっ。殿をお待ちしている間に、先に砦の様子を見ておこうと思いまして。探らせております。すぐにも戻って参りましょう」
雲門は答えた。
「なるほど」
経実が頷いた時、その二人が戻ってきた。
「砦の中央の母屋、そこに本陣を置いております。そこに至るに容易い順路を見出だしました。ご先導申します」
「うむ」
そして、その時、そこの東屋の柱に矢が刺さった。矢には紅梅色の布がついている。
「合図だ。順安だな」
「紅梅の布。あちらも予定通りということでしょう」
雲門は満足そうである。
「よし。では、こちらも総仕上げに取り掛かるか」
経実が告げた。皆の顔がぴりりと引き締まる。が、ふと思い出したように、経実は教理を見た。
「それにしても、ここはずっと手薄のままだな。奇襲されたら、どうするのだ?だいたい、長時間、頭目たるおぬしを一人にしておくなんぞ。おぬしの所は、組織は大丈夫か?」
うぐぐと教理はもがいた。けれど、経実はくすりと笑って一瞥してやると、
「さ、行こう」
と、皆に命じた。
砦の中を進む一行。
先頭は静安と豊安。ともに抜き身の太刀を手にし、辺りを注意深く見回しながら、慎重に進む。
続いて正安。やはり、辺りを警戒している。
次に教理を連れた経実と雲門。
経実は教理の左側に立ち、その首に太刀を当てていた。微かに動けば、教理の皮膚を裂いてしまう。
雲門は教理の右側。やはり太刀を、教理の首の辺りに翳している。
その後ろに高安と嘉安。ともに教理の背に槍をあてていた。
その後ろには、良安と永安が。周囲を警戒しつつ、ついてくる。
残りの者は随時一行の周りを動いて守護しながら進む。
まことによい順路で、あまり大乘党の賊徒どもと出くわさない。時々会ってしまうこともあったが、数人なので、すぐ斬り伏せてしまった。
夜中ということもあるのだろう。皆寝込んでいるに違いない。又、嵐なので、戸を閉めて中にうずくまっているようだ。
雨は止んでいたが、相変わらず風は強い。一行が少しくらい物音を立てても、往生際の悪い教理が時折暴れても、風の唸りにかき消されて、ほとんど気付かれることなかった。
そうして、本陣のある母屋のすぐ近くまでやって来た。
さすがにこの辺りに来ると、人も多い。眠らず行き来する者で溢れている。雨が止んだので、外に出ている者も多かった。
一行は一度立ち止まって息を整えた。互いの顔を見合い、そして経実は頷いた。
その時、不意に砦の外で鬨が上がった。




