乱声・二拍──欲触愛慢明妃の蓮華(肆)
翌日は前日からの風が残り、両軍の兵達は、早朝、その風の音で目覚めた。雨は夜中のうちに止んだらしいが、なお曇っている。
風はそれでも、卯の刻から辰の刻にかけては鎮まった。しかし、巳の刻からまた激しくなり、時折日も顔を覗かせ、湿り気は吹き飛んだ。
昨日、雨が降ったからよいもの。もし、昨日雨でなかったら、この風で畑の土は舞い上がり、霧や霞の日のように、先が見えなかったであろう。
それでも、午後には風のためにすっかり土は乾ききって、次第に土煙を上げるようになるのである。農民の家など、隙間から土が入って、家の中まで外のように埃だらけに汚れる。
その午前中、大乘党が出撃しようとすると、なんと法化党の兵が消えていた。いつの間に退却したのか、雲門の軍勢がない。
「あやしや」
教理は首を傾げた。だが、経実に近づくには好都合。
「頭。罠でないのか?」
輔胤の疑問を、
「臆病だな」
と一笑し、教理は先に進んだ。
暫く行き、朱雲城から程遠からぬ所で、法化党の軍勢と出くわした。
禅円軍。そして、蛮行隊である。さらにその後方には、総大将の存在を示す幟や旗が見えた。暴風で、旗をつけた竿が折れるのではないかと思われる程、しなっている。
経実は城から出ているのだ。間違いなく経実がそこにいる。
教理の狩猟の血が騒いだ。
「経実め。今度こそ!」
教理は舌なめずりした。涎を拭い、にたと笑うと、
「かかれ!」
と、大音声で号令した。
こうして開戦した。
今日の教理はどこか違っていた。先日の雪辱を晴らさんとてか、獣のような荒々しさで襲い掛かってくる。
法化党の兵はその刃に次々に薙ぎ倒され、無惨な屍と化していく。
総大将が絶好調だと、雑兵まで鬼神の如き働きができてしまう。今日の大乘党は、とてつもなく強かった。
「こりゃ敵わん!このままでは全滅させられてしまうわい」
禅円は退却を始める。
勿論、経実は真っ先に逃げて行く。
「あっ!待て!経実。」
教理が追う。
総大将を守らむと、おびただしい数の法化の兵達が、教理の前に立ちはだかる。
教理が太刀を振るう。
兵ども、応戦する。しかし、すぐに敵わないと退却する。
応戦しては逃げ、また応戦しては逃げる。それを幾度か繰り返し、とうとう法化党は朱雲城に逃げ入った。
「閉めろ!」
門をすぐに閉めようとする。
そうはさせじと、大乘党は門中に入ろうとする。悶着の末、門は閉められた。
運よく門中へ入れた大乘党の者は、敵しかいない城の中で全員討ち果たされ、閉門に間に合わず、城外に残された法化党の者は、大乘党の餌食となるか、海や山の方へ逃げて行った。
「門を破れ!中へ入るぞ!」
教理は門をこじ開けにかかる。門の中では、そうはさせじと衝立する。
乾いた風が吹き荒れる。時折、突風に敵も味方も翻弄されながら、ついに門は突き破られた。
「なんだ。案外ちょろいものだな」
教理は笑った。
「突撃!」
門中へ雪崩れ込む。
あわわと、法化党は慌てる。
「経実!経実!どこだ!?」
法化党の兵どもを斬りながら、城の中心を目指す。けっこう容易に進める。意外に城の中の法化の兵の数は少なくないか?
「こんなもんか?」
輔胤が隣で首を傾げた時、前方に経実その人の姿が見えた。
多くの兵に守られながら立つ、女のように綺麗な華奢な大将の姿。間違いない。経実だ。
「経実!」
教理は狂喜乱舞した。
「その首はこの教理のものだっ!」
教理ががなる。
すると、経実は不敵に笑った。その口が動く。
「嫌なこった」
そう言ったらしい。そして、
「今だっ!それっ!」
と、号令した。
すぐに、そこにも隣の建物にも火の手があがった。次々に城の中あちこちに火が点けられる。
「おわっ!?」
大乘党の軍勢は仰天した。
教理と経実との間を、紅蓮の炎が遮る。
「あはははは!」
炎の向こうで、経実が高らかに笑った。
風が激しい。
火の勢いは凄まじく、どんどん燃え広がる。あっという間に、城の中いっぱい炎に埋め尽くされた。
「燃えろ燃えろ、焼き尽くせ!」
経実は笑う。
「信じられん。自分の城に火をかけるなぞ……」
狂っている。教理はそう思った。
火の勢いは増し、炎の向こう側の経実の姿も、先程より見え難くなっている。その炎に歪む姿を、教理は唖然と眺めていた。
「頭!このままでは、儂ら皆黒こげじゃ。退却せねば!」
輔胤が叫んだ。
「お、おう!」
経実への執着を忘れて、教理も返事する。
すぐさま、大乘党は逃げ出そうと、焔の中を四苦八苦しながら、先程の城門を目指す。が、火が強過ぎて門まで辿り着けない。
ようやく辿り着けた者もいたが、顔面蒼白になった。
その、ついさっき、自分達が突き破った筈の門が閉まっているのだ。その辺にいた法化党の兵の姿が一人も見当たらない。
兎も角、門を開けて逃げ出さなければ、火に呑み込まれてしまう。
必死にこじ開けようとした。だが、開かない。
焦れば焦る程、開かない。外から施錠されていたのだ!
門の外から、法化党の兵どもの嘲笑が聞こえてくる。
「何としても開けろ!」
何とか門まで来ることができた輔胤が、叱咤激励する。
そうしているうちにも、兵達はどんどん炎に呑み込まれて行く。
輔胤も、煙に意識が遠のき始めた。
「おのれ……罠だったか……」
朱雲城は僅かな時間に全焼した。その後も火はくすぶり続け、完全に鎮火したのは二日後。春の嵐の大雨によってである。
この火計によって、逃げ遅れた大乘党の兵、その数一千余りが火の犠牲となったという。
法化党の計画通りにことは進んだ。
城には抜け道を設け、経実ら法化の者達は皆そこから脱出してきたのだが、その後は朱雲城から程遠からぬ山城に本陣を移した。山というほどの標高はないが、周囲より小高く、近くには渓谷もある。
その陣で、法化の面々は煤だらけになった黒い顔を合わせていた。
「うまくいった」
経実は歯を見せて笑った。
「相手の城に火をかける者はおりましょうが、自分の城を燃やす者などおりますまい。教理め、腰を抜かしておりましたな」
禅円もほくそ笑んでいた。
「ま、あの城は老朽化していて、どうせ壊して建て直そうと思っていたしな。戦の時期がたまたまこの季節だったのは、幸運だった」
「さりとてこの計略は、敵が本陣目掛けて飛び込んできてくれなければ、成り立ちますまい。教理がいつも中央突破ばかりする奴だからこそ、成し得たことです。しかし、教理という奴は馬鹿ですか?学習しない。なんでいつも失敗しているのに、中央突破ばかりするのでございましょうな」
そう呆れたのは、三郎である。三郎は腕は強いが頭は弱い。その三郎にさえ、馬鹿に見える教理である。
「所詮、盗賊よ。近頃は武門気取りのようだが」
そう言って溜め息をついたのは雲門であった。
今回の戦で、経実が予め用意しておいたものというのは、長行の船団と朱雲城の抜け道であった。開戦前から経実は、朱雲城と共に大乘党を焼くことを計画していたのだ。
その為には風がなくてはならないが、この時期、常陸の海辺も上総同様、連日強風が吹き抜ける。雨の日や湿気の多い日もあるが、必ず乾燥した強風の日がある。
出陣前、その風を利用することに決めたのだ。
出陣を決めてから、前哨戦を繰り広げている間の数日間、禅円に朱雲城の抜け道を作らせておいた。そして、よい風を待った。
昨日は雨。だから、計画は実行できなかった。雲門らに敵の本陣襲来を阻止させた。
そして、今日。実行するに適した日となった。敵に朱雲城を攻めさせるために、雲門は明け方のうちに兵を引き、山に隠れていた。
あとは教理を朱雲城に導くだけ。教理は経実の姿を見たら、必ず飛びついてくる。そう予測して、経実は城を出て、その姿を見せつけてやった。案の定、教理は経実目掛けて突進してきた。
あとは不自然に思われないよう、適当に応戦しては退き、だんだん朱雲城へ引きずり込むだけ。
朱雲城を燃やしたら、逃げなければならないから、あまりこちらが大人数だと全員逃げ切ることができなくなる。だから、教理を城に導く間に、そっと少しずつ戦線離脱して、藪に身を隠して行った。最終的に城に入った者は三分の二以下。
城に入り、門を閉めると、もう脱出が始まり、作った逃げ道以外にも、裏の小さな木戸などから次々と逃げた。
大乘党に門を突破された時には、城の中には三分の一の兵しかいなかった。
そして、適当に応戦しては、敵を城の奥深くまで導き入れる。敵が雪崩れ込んだら、門周辺の者は一斉に門の外へ出て門を閉め、城の中の者は火をかける。そして、抜け道から逃げ出し、大乘党は城とともに黒こげになったのである。
確かに、法化党の中にも運悪く逃げきれず、焼け死んだ者も僅かには存在した。しかし、ほぼ完璧に作戦は成功したのであった。




